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<インタビュー>はたけやま裕、春風亭昇太師匠との出会いや共演への想いを語る【かわさきジャズ2022】

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 桑田佳祐や加藤登紀子をはじめとする様々なミュージシャンのサポート、シシド・カフカのプロジェクト【el tempo】での活動など、幅広いジャンルで活躍するパーカッション奏者はたけやま裕。

 【かわさきジャズ2022】では、女性3人によるユニットにスペシャル・ゲストの春風亭昇太を迎えたコンサート【Colorful JAZZ!】(11月12日・昭和音楽大学 ユリホール)、そして菊地成孔&ぺぺ・トルメント・アスカラールのコンサート(11月3日・カルッツかわさき)での出演が予定されている。ソロ活動やアニメーション作家・蒲原元とのプロジェクト【音語りの色】など、多彩な活動を意欲的に行っているはたけやま裕に話を聞いた。(Interview & Text:村井康司 / 取材協力:株式会社ジェイウイング)

春風亭昇太師匠との出会い

――【Colorful JAZZ!】での【かわさきジャズ】出演は2019年に始まって、今年で4年目になりますね。

はたけやま裕:【かわさきジャズ】の主催の方が「Colorful JAZZ!」という名前を考えて、私たちを引き合わせてくださったんです。それで一回やって、ありがたいことに定着して4年目を迎えたという形です。まったく違うタイプのミュージシャン3人なので、それぞれの持ちネタを持ち寄るというところから始まりました。やってみると、3人が集まったことによる化学反応のようなことが起きるので、いつもの活動とは違った楽しさがありますね。


――【Colorful JAZZ!】は、はたけやまさんのパーカッション、細川千尋さんのピアノ、山下 伶さんのハーモニカが正式メンバーなんですね。【かわさきジャズ】以外での活動はしていますか?

はたけやま:実は今年から、3人の活動をもっと本格的にしましょう、ということになって、名前も「GRACE」と改めまして、10月1日にお披露目のライヴをやったところです。今年のかわさきジャズには山下 伶さんが出られないので、浅利史花さんのギターに入っていただいて、春風亭昇太師匠をスペシャル・ゲストにお迎えしてやります。浅利さんとはこれからリハーサルなので、とても楽しみです。


――そしてスペシャル・ゲストに春風亭昇太さん。はたけやまさんは落語ファンなんですって?

はたけやま:そう、めっちゃ好きなんですよ。今回は、落語の作品そのものと共演してほしいというオーダーがあったので、「一眼国」という古典の作品をやってみようと昇太師匠がおっしゃって、それを取り上げることにしたんです。師匠がしゃべっている音源を聴いてですね、ここにはこういう音を、こっちにはこんな感じの音を、という台本を作りました。他の二人には場面ごとの音のイメージをけっこう細かくお伝えして、実際の演奏はおまかせする、という形になりますね。この言葉をきっかけで始まって、この言葉をきっかけに終わってください、という感じになります。


――まさにインプロヴィセーションそのものですね!

はたけやま:そうですね。かつて狂言師の方の作品に参加していたのですが台本にそって即興で演奏していたので、そういうことを私が好んでいる、というのもありますね。ちなみに、昇太師匠の出囃子もジャズっぽくアレンジします。今作っているのは「笑点司会者メドレー」という(笑)、歌丸師匠の出囃子で始まって昇太師匠の出囃子につながる、というものなんです。


――ところで、昇太師匠との出会いのきっかけは?

はたけやま:師匠があるコンサートのゲストに出てらして、そのときはトロンボーンを吹いたり小噺をされていて落語はしなかったのですが、すっかりお客さまの心を掴んでらして噺家さんの話芸ってすばらしいな、と思ったんですよ。出演者の方が知り合いだったので、終わってから楽屋にご挨拶に行ったら昇太師匠の方から「あなた知ってるよ」って話しかけてくださって、「井上陽水さんのバンドの人ですね」と顔を覚えたきっかけを思い出してくださったんです。私が参加した井上陽水さんのツアーの東京公演がBSで放送されたのですが昇太師匠は毎日のように観ていて、バックのミュージシャンの私の顔まで覚えてくださっていたようなんです。

 私も落語に興味があったのでお誘いいただいた落語会を観に行ってすっかりハマってしまいました。寄席に通ったりYouTubeを観まくったり(笑)それで落語とのコラボをやりたくなって、毎年行っていたヤマハホールでのソロ・コンサートの第二回目のスペシャルゲストとして昇太師匠にご出演いただき、落語とのコラボを始めて今に至る、ということなんです。


――なるほど、最初は音楽が取り持つ縁だったんですね。

はたけやま:昇太師匠は六角精児さんとフルーツというバンドをなさってて、私もメンバーとして呼んでいただいています。コロナになってからはお休みしているのですが。あと、小遊三師匠と昇太師匠がやっている噺家さんバンド「にゅうおいらんず」にドラムの方の代演で呼んでいただいたりとか、昇太師匠が音楽好きで私が落語好きなので、お互いのテリトリーにお呼びする、という関係が続いています。


――はたけやまさんは、11月3日に菊地成孔さんのぺぺ・トルメント・アスカラールの一員としてもかわさきジャズに出演されるんですね。菊地さんと共演したことはあるんですか?

はたけやま:今回ご出演できないコンガの名手、田中倫明さんの代演でワンツアーをご一緒します。今年の5月に子ども向けの【ポリリズム・ワークショップ】を菊地さんが足立区の主催でなさったときに、突然ご連絡をいただきまして、「アシスタントのタイコのお姉さんを探しているんですけど、ネットで僕はあなたを見つけました」という(笑)。それまでお会いしたことはなかったんですが、一日リハーサルをした後にぺぺ参加のお誘いを受けました。非常に複雑な音楽なので、大変だな、と思っています。菊地さんは「僕のポリリズムの考え方を理解してくれれば大丈夫です」とおっしゃってくださって、動画を大量に送ってきてくださり(笑)、それを見て目から鱗というか、たいへん勉強になりました。メンバーには昔からの知り合いもいますけど、「未知」が強すぎて緊張感があります。


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「奇跡の一本松」からできたカホン

――ところで、はたけやまさんは、打楽器奏者というよりも「総合芸術」みたいなことに興味があるように思えますが、どうですか?

はたけやま:そうですね。昔から総合的な芸術に興味があるんですけど、お金も手間もかかる大変なことなので、いつか「はたけやま組」みたいなものが出来たらいいな、と漠然と思っていました。だんだん形になってきたのかな、というのがここ1、2年です。年に1回ヤマハホールでやっていた私のソロ・コンサートで、音楽とアニメーションのコラボという形でやってたのですが、コロナの時期に、その前からアニメーションの蒲原元さんと一緒にやってきたことに「音語りの色」という名前を付けて共同にやっていこう、という意識がお互いに芽生えたんですね。私は文学作品が好きなので、文学作品を読んで感銘を受けたシーンを元に音楽を作って、それを聴いて蒲原さんが映像を作って尺を合わせて上映する、ということをずっとやってまして、それがけっこう溜まってきたので、【音語りの色】コンサートという形で続けようと思っています。


――作曲家としての意識がかなり強いのかな、と思うんですが、ご自分としてはいかがですか。

はたけやま:最初は作曲なんて出来るわけがない、と思っていましたが、曲を作るきっかけになったのは東日本大震災なんです。私は岩手県の陸前高田市出身でして、震災の直後に義援金と支援物資を持って鳥羽市長に届けに行きました。瓦礫の撤去などダンプカーが作業している被害の爪痕がまだまだ残っている市街を他県ナンバーの車で走るのは気が引けていたのですが、市長に町の現状を是非見てくださいと仰っていただいたので、市街を走ったらもうものすごいショックで。そのショックで曲が生まれたのですが、もう一つきっかけがあって自宅に戻ってからその光景を思い出した時に濛々と立ち込める粉塵の上に、実際には見えていなかった金色の光が道のように続いている映像が見えたのです。その映像そのままのタイトルで「光の道」という曲が出来ました。子どもの頃、夏休みを陸前高田で過ごすのが楽しみで、それをモチーフにして書いた曲です。それから曲を書くようになって、最初は震災にまつわる曲だけだったのですが、だんだん文学作品にインスパイアされた曲なども書くようになりました。ただ、自分の中で何か強い出来事や感銘を受けた時にしか曲を書いていないので、職業作曲家としてはまだ機能していない、と思います。


――陸前高田は被害が大きかったですしね。そういえば、はたけやまさんが採り上げている文学作品は、「銀河鉄道の夜」や「虔十公園林」など、宮沢賢治が多いんですね。それは岩手県出身ということと関係ありますか?

はたけやま:もちろんそれはあります。あと、亡くなられたピアニストの佐山雅弘さんと一緒に、桜美林大学の企画で年一回の「群読音楽劇」の音楽を9年間担当していました。それの題材が毎年「銀河鉄道の夜」だったので、そのことも大きいと思います。賢治の世界からは「岩手の人の県民性」を強く感じます。とてもシャイなんだけど、一度打ち解けると優しくて人懐っこいというか。岩手の人って、震災で家がなくなっても、手伝いに来てくれた方にたいして恐縮するし、なんとかしてもてなそうとするんです。そういう県民性だな、と思います。


――昇太師匠、蒲原元さんなど、はたけやまさんの音楽活動には「他ジャンルとのコラボ」が重要な位置を占めていますね。蒲原さんとの相性はとてもいいのでは、と思いますが。

はたけやま:蒲原元さんとの付き合いも長くて、最初はもう一人、亡くなった画家の方と三人でユニットをやっていたんです。その当時はライヴ・ペインティングなど実験的なことをやっていたんですが、元さんとはもっとじっくり腰を据えて共同作業をした方がいいね、ということで今の方向にシフトしました。私は元さんの絵が大好きだし、元さんは私の音楽が大好きで、という「両思い」なので、相性がいいというか、パートナー的な存在ですね。もうひとりパートナー的な人がいまして、それは私の曲の歌詞をほとんど書いている、森本香さんという美容師さんなんです。なぜ美容師さんが作詞を、と思うかもしれませんね。


――そのあたりを詳しく教えてください。

はたけやま:音楽家チームと美容師チームが震災の被災地に一緒に行って、髪を切ってさっぱりしてもらった後に音楽を聴いてもらう、というボランティアを3年間続けたんです。森本さんは美容師なので、髪を切りながら一人一人の震災の体験を直接聞くわけです。彼女はそれまで作詞をしたことがないのに「私に歌詞を書かせてほしい」と言ってきて、書いてもらったらすばらしかったんですよ。そういうことで、元さんも森本さんも長い付き合いでして、そういう方々と「はたけやま組」みたいなものがだんだん出来てきた、と思っています。



左から、古澤巌(Vn.)、伊賀拓郎(Pf.)、はたけやま裕、佐藤竹善(Vo.)

――やっぱりはたけやまさんの音楽人生に、東日本大震災はとても大きな影響を及ぼしているんですね。

はたけやま:昨年、陸前高田で震災10年の追悼コンサートをやったんです。陸前高田には「高田松原」という松原があって、「奇跡の一本松」と呼ばれている一本だけを残して全部津波で流されちゃったんですけど、その流された松を保管してくれた材木屋さんが大船渡にありまして、その松を使って打楽器のカホンを作って、それを10年目の追悼コンサートで叩いて追悼してほしい、と依頼されました。

 すごくいい企画なので、ぜひやりたいと思いましたがコロナの真っ最中だったのでなかなかコンサートを企画しにくかったため、私自身が企画者の1人となりましてなんとか実現しました。私のシグネチャー・モデルを作ってくれている北海道の打楽器メーカーのDecora43に、大船渡の材木屋さんが切った木材を送って、カホンを作って演奏して、ということです。

 そのコンサートには、陸前高田市の『ハナミズキのみち』の会のテーマ曲としてプレゼントした『ハナミズキの願い』の入ったアルバム『ハナミズキの願い』のプロデュースとバイオリンで参加くださっている古澤巌さん、ピアノとその曲のアレンジを担当している南相馬出身の伊賀拓郎さん、ゲストボーカルとしてシングライクトーキングの佐藤竹善さんが参加してくださりました。震災関連のアルバムに参加くださった東北に縁の深いミュージシャンによるコンサートでした。


――とてもいい話ですね! 被災地の松で作ったカホンのことはもっと知られてしかるべきだと思います。かわさきジャズでの演奏、そしてはたけやまさんの今後の活躍がとても楽しみです。




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