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<インタビュー>原宿から世界へ、“NEW KAWAII”を発信するFRUITS ZIPPERの野望

インタビューバナー

Interview&Text:Takuto Ueda
Photo:Shintaro Oki(fort)

  アイドル文化を世界に向けて発信するため、アソビシステムが立ち上げた新プロジェクト『KAWAII LAB.』からデビューした7人組のアイドル・グループ、FRUITS ZIPPERが注目度を急上昇させている。

 4月にリリースした2ndシングル「わたしの一番かわいいところ」は、TikTokで多くのインフルエンサーやユーザーが踊ったバイラル・ヒット・ソングとなり、同プラットフォームでの再生回数は4.5億回を突破。また、7月にリリースした5thシングル「RADIO GALAXY」は、ダンス・ミュージックをベースに“KAWAII”要素を含んだ楽曲を多く生み出してきたYUC'eがプロデュースし、グループが掲げる“原宿から世界へNEW KAWAIIを発信する”というコンセプトを改めてアピールした。

 先日の【SUMMER SONIC 2022】にも出演を果たし、グループとしての知名度をますます拡大させている彼女たち。個性豊かなメンバー7人に、グループ加入の経緯や今後の野望など、話を訊いた。

理想のアイドル

――まずはみなさんがグループに加入するまでの経緯と併せて、それぞれ自己紹介からお願いします。

真中:私はもともと原宿にあった『KAWAII MONSTER CAFE』というエンターテインメントレストランで働いていて、MONSTER GIRLというアイコンガールをやりながら、世界に“KAWAII”カルチャーを発信していたんです。そこからご縁があってデビューさせていただくことになりました。MONSTER GIRLとは別に個人的にもダンスはずっとやっていて。人に笑顔になってもらえるお仕事をしたかったので、テーマパークのダンサーさんを目指していたこともありました。

――ダンスはどんなきっかけで始めたんですか?

真中:幼い頃、近所で仲の良かったお姉さんたちがダンス教室に通っていて、私も行きたいと思ったのがきっかけでした。それから趣味としてダンスを続けていたんですけど、高校生の頃に海外のアミューズメントパークに行って「あ、ダンサーやりたい」と思ってからは本気で取り組むようになりました。

早瀬:早瀬はグループ最年少の18歳で、6月にインターナショナル・スクールを卒業しました。ドイツ語と英語と日本語、あと学校で少しだけフランス語も習っていたので、3.5か国語を話せます。もともとフリーランスでモデルの仕事をしていて、ダンスは3歳の頃から10年間ぐらいバレエをやっていました。それ以降もいろんなジャンルをかじりながらダンスは続けていて。でも、コロナ禍で外出できなくなってからは歌にシフト・チェンジして、インターネットで動画投稿をしたりしています。



鎮西寿々歌、早瀬ノエル



――歌にチャレンジしてみようと思ったのは何故?

早瀬:コロナ禍になる少し前、とあるアーティストさんの音楽と出会ったのがきっかけでした。そこでライブというものにも興味を持ち始めて。

――そのアーティストさんって?

早瀬:まふまふさんです。そこからボカロも好きになりました。まふまふさんの音楽は、曲調も歌詞もすごく刺さったんですよね。今は自分で編集ソフトを使いながら頑張ってます。

――独学で?

早瀬:独学です。YouTubeの動画を参考にしたり。それこそまふまふさんが歌ってみた動画の編集のやり方を紹介する配信があったんですよ。それまでは本当に自己流で、合ってるのか合ってないのか分からないやり方でやっていて。今はその配信を参考にして、ソフトが違っても応用しながらやっています。

鎮西:鎮西寿々歌です。オレンジ担当です。私は小学5年生のときから4年間、NHKの『天才てれびくんMAX(以下、天てれ)』という番組にレギュラー出演させていただいてました。それから舞台やドラマにも出させていただくようになって。今は『旅するためのドイツ語』と『ニャンちゅう!宇宙!放送チュー!』にも出させていただいてます。




鎮西寿々歌、早瀬ノエル



――芸能のお仕事はテレビ出演がきっかけなんですね。

鎮西:でも、一番最初のきっかけはダンスなんです。小さい頃にダンス・スクールに通っていたときに『天てれ』のオーディションのお話があって、もともと歌やダンスがすごく好きだったんですけど、その流れで演技のお仕事をやらせていただくようになって。でも、心の中ではずっと、歌とダンスで表現するお仕事をやりたいと思っていたんです。それでアソビシステムに所属させていただくことが決まったとき、ホームページを見たらアイドル・グループのオーディションのお知らせを見つけて、「あ、これはタイミングかもしれない」と思って。

――これまでテレビのお仕事を続けてきて、それらの経験が現在のアイドル活動に生かされている部分もある?

鎮西:それこそ『天てれ』の頃は、当時小学生で何もわからなかったですが、そのときに教わったことが今も活かされていると思います。

松本:ベビーピンク担当の松本かれんです。20歳です。私は去年の3月まで音楽の短期大学に通っていて、ピアノを専攻していました。芸能のお仕事はこれまで何もやったことがなくて、ダンスも歌も習ったことはないんですけど、コロナ禍になってTikTokが流行り始めたじゃないですか。私も暇つぶしで投稿し始めて、それを見たアソビシステムの方に声を掛けていただいて。

――ピアノは長く続けていたんですか?

松本:2歳のときから習っていて、途中3年間やめていた時期があったんですけど、音大を受験しようと決めてから再開しました。

――音大を受験しようと思ったのは?

松本:小さい頃からずっと続けてきたことがピアノしかなかったので。あと、ドラムも一時期やってました。中学校のときは吹奏楽部だったんですけど、家に電子ドラムもあって。全然覚えてないんですけど、私がやりたいと言ったらしいんです。

――普段はどういう音楽を聴くんですか?

松本:学校ではクラシックを弾くことが多かったですけど、普段はアイドルの曲を聴くことが多いです。

――とはいえ学校で知識を学んだことは、アイドル活動でもプラスになる経験だったんじゃないですか?

松本:うーん、どうだろう。

真中:ボイトレのときにリズムを刻む練習があるんですけど、やっぱり一番上手って褒められてますよ。

――そうなんですね。

松本:そうみたいです。




仲川瑠夏、真中まな、月足天音



仲川:紫担当の仲川瑠夏です。私は3歳から小学校6年生まで芸能活動をやっていて、主に雑誌でスチール撮影したり、CMに出させていただいたりしていました。それは楽しくてやっていたんですけど、だんだんオーディションを受け続けることに疲れてしまって。中学では部活も入りたかったので、芸能活動を一度辞めたんですけど、高校生になったときにまたやりたいなと思って。そのときに所属していた事務所で「アイドルやってみない?」と言われて活動を始めて、そのグループはすぐ辞めてしまったんですけど、ステージに立つことがすごく楽しいと思えて、またちゃんとやりたいと思うようになったんです。

――アイドルとしてステージに立つことにどんな魅力を感じたのでしょう?

仲川:いわゆる地下アイドルだったので、ファンのみなさんとの距離が近いんですよ。そうやって触れ合っていくなかで、私のことを応援してくれる人の温かさをすごく感じる場所だなと思って。それに私も応えたいと思ったし、一緒に素敵な時間を過ごすのが生きがいに感じられたというか。それに、やっぱり応援してくださるからにはどんどんステップアップしていきたいじゃないですか。夢を叶えるには自分だけの力じゃ無理で、支えてくれる大人の方やメンバーも含めて、一丸となってるグループって輝いて見えるし、大きなグループのアイドルさんを見たときにそういうことを感じたりして、自分もそういう理想を持つようになりました。

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