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<インタビュー>須藤晃 ~15にまつわる話 Vol.4「15の夜」~
この号(bbl MAGAZINE Vol.177)が出る8月は、ビルボードライブが日本に上陸してから15周年を迎えるアニバーサリーマンス。そんな記念すべき今号の周年連載にご登場いただくのは音楽プロデューサー・作家の須藤晃さん。尾崎豊さんの「15の夜」にまつわるエピソード。ビルボードライブへの想い。そして祝・15周年のメッセージを寄稿していただきました。
ビルボードライブ東京が十五周年を迎えた。それなりに関わりがあり、感慨深い。音楽プロデューサーという内側からの意見としても、観客としての外側からの印象としても、このライブハウスは現在あるライブスペースとしては僕が一番好きな場所である。たくさんのアーティストが世話にもなったし、驚くような公演がひしめき、チケットが手に入らなかったこともある。十五年前の自分が何をしていたかを思い出してみると、初めてフルマラソンを走った年だ。まだまだ力がみなぎっていたし、世の中も上昇気流の中にあった。現在のような閉鎖的な環境になるとは予想さえしなかった頃だ。そんな中、六本木のミッドタウンの中に出現したビルボートライブ東京。まあともかく十五周年おめでとうございますといいたいし、これからも素敵な場所であってほしい。ちょっとおしゃれをして好きな人と出かける音楽の夢の場所であり続けてほしい。
それでこの機会に何かお祝いの言葉をいただけませんかと提案されて、色々と考えたが、今回は「十五周年」の「15」という数字にまつわる話をしたいと思う。
尾崎豊の「15の夜」はよく知られた彼のデビュー曲だ。僕自身にとっても45年ほどプロデュースに関わった作品の中でも特に印象深い曲だが、これに関しての話を少ししたい。
一回りも違う尾崎さんとの関係で、最初に話の接点になったのが石川啄木だった。僕は石川啄木になりたいと思って田舎で本ばかり読んでいた男で、彼は父親の影響で短歌に強い興味をもっていた。で、啄木の話をしていくうちに、「不来方(こずかた)のお城の草に寝転びて空に吸われし十五の心」という代表作に触れた。空に吸われていく思春期の安定感のない心情に僕らは惹かれていた。この辺りの会話が「15の夜」や「卒業」の歌詞に強く反映されているわけである。デビュー曲を決めるときに僕はこの作品を押した。コマーシャルぽさがないから売れはしないだろうけれど、僕らが作品を作り出していく原点にはふさわしいなどと若気の至りで思ったわけである。最初の仮タイトルは別のタイトルだったが、十五という数字にこだわって「十五の夜」にしようとしたら、彼は「十五夜」みたいですねと笑った。僕も啄木が「十五」なら尾崎豊は「15」だねと言って「15の夜」をタイトルにした。あまり話したことはないが、実はそうした経緯があったのである。「夜」に関してもちょっとした理由があり、そもそも僕はプロデューサーとしてはタイトルにこだわるほうで、映画の邦題で一番好きなタイトルがフランソワ・トリュフォーの「アメリカの夜」だった。「夜」という言葉の色合いのニュアンスが好きだった。それで、「15の夜」が生まれた。ちなみに僕の最初の小説のタイトルも「僕とアスファルトの夜」だった。
尾崎豊がビルボードライブで弾き語りしたらよかったなあと今も思う。息子の尾崎裕哉くんも数回公演しているが最初に僕が彼にビルボードライブ東京でやりませんかと提案した本当の理由を彼は知らない。今後そこで「15の夜」が歌われたら、何十年もの想いが込み上げて、僕は笑顔になって「盗んだバイク」を共に歌い、そして泣くだろうね。
ともかく十五周年おめでとうございます。
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