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The Biscats『The Biscats』Misaki単独生い立ちインタビュー
BLACK CATSやMAGICのメンバーとして日本ロカビリー界を牽引してきた久米浩司の娘であり、2020年代に新しいロカビリームーヴメントを起こすべく奔走中のMisaki率いるハイブリッド・ロカビリーバンド、The Biscats。待望の1stアルバム『The Biscats』をリリースしたこのタイミングで、Misaki(vo)の生い立ちに初めて迫るインタビューを敢行した。
今の時代にロカビリーブームを再び起こさんとする唯一無二のボーカリストは、どんなストーリーを歩んだことによって誕生したのか──。読む前と後では今回のアルバムの響き方もよりドラマティックに変わるであろう、彼女の天真爛漫かつ波乱万丈な音楽人生。ぜひご覧頂きたい。
Interviewer:平賀哲雄|Photo:白井絢香
物心ついたらロカビリー!~宇多田ヒカルやモー娘。に憧れていた幼年期
--今回のインタビューでは、The Biscatsのフロントマン・Misakiさんの生い立ちを紐解いていきたいのですが、幼い頃はどんな女の子だったんですか?
Misaki:どこにでもひとりでガンガン行っちゃうような女の子でした。家族でおもちゃ屋さんとか行っても、親から離れてひとりで「いぇーい!」みたいな感じで(笑)。幼稚園や学校の帰りに知らないおばあさんと仲良くなって、そのおばあさんの家に行って果物をいっぱいもらったりとか、超社交的でしたね。物心ついたときには常にお家で音楽が流れまくっていたので、歌うことや踊ることも大好きでしたし、お父さんが家でレコーディングしていたので、そこで歌わせてもらったものを録音してもらって、それを自分で聴いて「私は歌手になる」と思っていました。
--幼年期の女の子って、おままごとや○○ごっことかして遊んでいるイメージですけど、Misakiさんはお父さんと音楽で遊んでいたんですね?
Misaki:そうなんです。お父さんがバンドをバリバリやっていたので、それこそMAGICのメンバーや大人たちに囲まれて育って、The Biscatsの楽曲を制作してくれている真崎修(Osamu Masaki)さんも近所に住んでいて、よく家に来ていたんですよ。そういう大人の皆さんが音楽の話をしている輪の中に私もいて「楽しいな」と思っていたので、ちょっとマセていたかもしれない。あと、その影響もあってか、空気が読める子供だったんですよね。だから幼稚園の先生たちにも頼られていて、みんなの前で「みさきちゃん、お願いします」って何かを読む代表とかに毎回選ばれたりしていましたね。--それだけ特殊な環境で育ったわけですけど、どのあたりで「ウチは普通じゃない」と気付いていくんですか?
Misaki:みんなのお父さんは普通にいろんなところへ子供と遊びに行くじゃないですか。でも、ウチのお父さんはタトゥーだらけだからプールとか行けないんですよ(笑)。だから、真夏に海へ行っても長袖着ていましたし、キャンプも誰も居ない場所でやったりしていたんですよ。あと、お父さん、当時はパンクロカビリーをやっていたので、髪の毛もオレンジで派手だったんですけど、運動会のときにみんなのお父さんがシンプルな見た目だったから「ウチのお父さんとみんな違う」って驚きました(笑)。でも、それで「ウチのお父さん、格好良いな」と思ったことを憶えています。MVやテレビ出演したときの映像を観たりもしていたので、私にとっては自慢のお父さんでした。
--そのお父さんの影響で、自然とロカビリーを歌える女の子になっていったんですかね?
Misaki:そうですね。自然と跳ねるリズムが体に入っていたので、音楽の成績もめっちゃ良かったです(笑)。ただ、ロカビリーだけを聴いて育ったわけじゃないんですよね。小学生になると、音楽に興味を持つ子が増えていって、そのとき流行っているJ-POPを聴いたりするじゃないですか。私もそれに混ざって流行りの歌をめちゃくちゃ聴いていて。--では、どんな音楽遍歴を辿ってきたのか教えてもらえますか?
Misaki:まずは父のバンド・MAGICの曲をすごく聴いていて、そこからビートルズやエルヴィス・プレスリーなども自然と聴くようになって、ちょっと大きくなるにつれてJ-POPもあたりまえのように聴くようになるんですけど、いちばん最初にファンになったアーティストは宇多田ヒカルさんなんです。7才ぐらいのときかな。1枚目のアルバム『First Love』を自分で買って、全曲覚えて完璧に歌える状態にして、毎日お家でオンステージ(笑)。「Automatic」のMVもマネして踊ったり、歌い方もブレスとか研究して完コピしていました。で、そのあとにモーニング娘。さんにハマるんですよ。「私もモーニング娘。になりたい!」と言い出してオーディション番組とか観たり、振り付けを完コピしたり、それで小学校のイベントでグループを組んで歌って踊ったりもしていました。私は大好きなゴマキさん担当で(笑)。そんな小学生でした!
--中高生以降はどんな音楽を?
Misaki:矢沢あいさんのマンガ『NANA』にハマって、中島美嘉(NANA starring MIKA NAKASHIMA)さんの「GLAMOROUS SKY」をよく聴いていました。それまではアイドルが好きで「モーニング娘。になりたい!」と思っていたんですけど、そこからは「ナナみたいな人になりたい。私も格好良いバンドやりたい」と思うようになって、服装も黒くなっていくんです(笑)。その流れでアヴリル・ラヴィーンも好きになったり。同時に女性ボーカルに傾倒するようになったのか、それ以降はいきものがかりさんやSuperflyさんのようなパワフルな歌声にハマっていきましたね。--いろんなものになりたい女の子だったんですね。
Misaki:そうなんです! 音楽は関係ないですけど、そのあいだにギャルにもなっているし、私、小学生のときに友達と“めちゃノリ”というグループを組んでいたんですよ(笑)。放課後になると、プールエリアにある階段にみんなで必ず集まって、それぞれの好きな音楽を聴いたりしながらしゃべる会をやっていたんですけど、その時期がいちばんイケイケだったんです。ギャルに憧れて、肩出し、ヘソ出しの私服にルーズソックスを履いたりしていて、ちょっとメイクしたり、髪にも金のメッシュを入れたりしながら調子に乗っていました(笑)。--その時点でファッションも大好きだったと。
Misaki:小学生は私服だから、いかにコーディネイトを変えながら毎日かわいくできるか意識していました。まわりにそこまで意識している子はいなかったので、ファッションへの目覚めも早かったんだと思います。髪型も毎日変えていましたし。でも、派手だったから「問題児」と学校では言われていました(笑)。今思うと「なんであんなに調子乗っていたんだろう?」と思うぐらい、先生ともやたらケンカしていましたし、本当にヤバかった。中学になると、それがエスカレートして、制服の上に原色ピンクのカーディガンを着て、靴下はもちろんルーズソックス。バドミントン部に入っていたので、それだけは本気で頑張っていたんですけど、そこでもド派手なピンクのウインドブレーカーを着て、ラケットのネットもグリップも原色ピンクにしていたから、試合に行くと「なに、あの子」みたいな(笑)。目立ちたがり屋だったんですよね。でも、めちゃくちゃ死ぬ気で練習して大会に出たりしていました。- 偉大なる父・久米浩司は娘に甘々!? 強い自分を形成してくれた家族
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リリース情報
CD&デジタル配信 1st Album 『The Biscats』
- 2022/7/20 RELEASE
配信サービス
https://zula.lnk.to/TKFaUFZL
CD:The Biscats Official Web Shop
https://thebiscats.base.shop/items/62802501
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