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<コラム>新時代に拡がる都市音楽、Modern Recordingsが提案する“ポスト・クラシカル”とは - Sven Helbig & Roberto Ames
Modern Recordings
~ 拡張されたクラシック音楽の楽しみ方 ~
自由なリスナー達が時代や地域やジャンルの壁を越えて音楽を味わい、創り出す、新時代の音楽クラスターをリードする2人のアーティスト、Sven Helbig & Robert Amesを聴く。
Text by 石川真男
“拡張されたクラシック音楽”がじわじわと浸透してきているのを感じる。“ポスト・クラシカル”あるいは“コンテンポラリー・クラシカル”といった呼称で知られるその音楽は、“古典の再現性を極めていく”従来のクラシックとは異なり、“新しい古典を創出する”現代音楽を基調に、エレクトロニカやアンビエント、ミニマル・ミュージック、さらにはポップに分類されるようなものまで含めたジャンルへと越境しながら、自由闊達に自身の思い描くものを具現化していくものである。
クラシックと他ジャンルとの融合を試みたものはずっと以前から存在していたが、例えば、モーグ・シンセサイザーでバッハを再現したウォルター・カルロス(性転換して現在はウェンディ・カルロスと名乗っている)『スウィッチト・オン・バッハ』(1968年)や、クラシック名曲にディスコ・ビートを施した『フックト・オン・クラシック』シリーズ(1981~84年)など、どちらかと言えばノヴェルティ色が濃く(その分商業的に成功しているのだが)、どこか色眼鏡で見られていた部分があるのも否定できない。あるいは、安易なポップスのカヴァーを量産したり、アイドル的イメージを前面に打ち出すことでより幅広い層にアピールしようとしたり、と自らの意思で表現しようとしたものというより、どちらかと言えばマーケティング主導で作られたものも少なくなかった。
だが、昨今の“ポスト・クラシカル”の面々は、幅広い音楽体験を元に実に軽やかなフットワークでジャンルや地域や時代を越境し、そのことでクラシック音楽自体にも刺激を与え、そのサウンドやイメージを拡張しているのだ。
例えば、8時間に及ぶ“眠りのための音楽”で音楽界に衝撃を与えたマックス・リヒター。例えば、その繊細かつ大胆かつ深遠な音楽表現でリヒターと共にポスト・クラシカル・シーンを牽引したヨハン・ヨハンソン。ザ・ドゥルッティ・コラムに在籍したこともあり、ザ・デューク・カルテットの一員としても活躍するジョン・メトカーフ。現代音楽家としてオペラや映画音楽を制作する一方でエレクトロニカやポップ/ロックの領域にまで足を踏み入れるアンナ・メレディスなどなど。出自や活動領域、表現方法は様々だが、いずれもジャンルの壁をひょいと飛び越え、いや、端から壁など存在していないかのように、しなやかに鮮やかに独自のハイブリッド音楽を創造しているのだ。
▲マックス・リヒター:映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』予告編
そして、今やその“総本山”とも言うべきレーベルになりつつあるのが、“クラシックを拡張する”アーティストや作品を次々と世に送り出しているモダン・レコーディングスである。このレーベルは、ポリドールでプロデューサーを務めた元ユニバーサル・ミュージックのクラシック&ジャズ部門プロデューサー、クリスティアン・ケラースマンが、BMG傘下に設立したもの。ケラースマンは、ユニバーサル時代に“Recomposed”のコンセプトを発案した人物で、グラモフォンにてマシュー・ハーバートによるマーラー交響曲第10番、グレイグ・クレイグとモーリッツ・フォン・オズワルドによるラヴェル「ボレロ」「スペイン狂詩曲」&ムソルグスキー「展覧会の絵」、マックス・リヒターによるヴィヴァルディ「四季」など、クラシック名曲をエレクトロやアンビエントに解体/再構築するシリーズを手掛けてきた。
2019年よりスタートしたモダン・レコーディングスでは、かの“ギター超人”パット・メセニーが2021年に“作曲家”として発表した作品『Road To The Sun』をはじめ、高名な指揮者を父・兄に持ち、自らも指揮棒を振るクリスチャン・ヤルヴィがオーケストラとエレクトロを交配させた自作曲集『Nordic Escapes』、作曲家アラシュ・サファイヤンがベートーヴェン作品を再構築した『This Is (Not) Beethoven』、オペラにも造詣の深いルーファス・ウェインライトがアムステルダム・シンフォニエッタを従えて行ったクラシック・ライヴ『Rufus Wainwright and Amsterdam Sinfonietta Live』、ジョニ・ミッチェルやジョー・ザヴィヌルらの編曲を手掛けてグラミーに輝き、オランダのメトロポール・オーケストラを育て上げたことでも知られる作編曲家ヴィンス・メンドーサの最新作『Freedom Over Everything』など、多彩な面々が“ポスト・クラシカル”あるいはモダン・レコーディングスという場へと集い、多様な作品を生み出しているのだ。
そんな中、2022年にモダン・レコーディングスより極めて興味深い新作をリリースしたスヴェン・ヘルビッヒとロバート・エイムズの二人を紹介したい。この二人には共通点も多く、その立ち位置も似通っている印象だ。
▲Sven Helbig - Metamorphosis (Official Video)
▲Robert Ames & Ben Corrigan - Space Hopper (Official Music Video)
まずは、二人ともクラシック音楽のアカデミックな教育を受けてきている。ドイツ生まれのヘルビッヒは、ドレスデンのカール・マリア・フォン・ウェーバー・アカデミー・オブ・ミュージックで学んでいる。一方、イングランド中部ノーサンプトンシャー生まれのエイムズは、ロンドンの王立音楽院で指揮とヴィオラの修得に励んだ。そして、いずれもクラシック道を厳格に歩んできたわけではなく、幼少期からポップスを含む他ジャンルの音楽にも慣れ親しんできた。
また、二人とも自らオーケストラを設立し、現代音楽の演奏に精力的に取り組んでいる。ヘルビッヒは1996年にヨーロッパ初の現代音楽専門オーケストラ、ドレスデン交響楽団を設立。エイムズもロンドン・コンテンポラリー・オーケストラを設立し、クセナキスやメシアンなどの現代音楽からフランク・ザッパ『ザ・イエロー・シャーク』まで演奏している。
さらには、両名とも自身のオーケストラを率い、その活躍の場をポピュラー音楽の領域へと広げているのだ。ヘルビッヒはラムシュタインやペット・ショップ・ボーイズ、さらにはスヌープ・ドッグらのレコーディングやライヴに参画。エイムズはフランク・オーシャンやベル&セバスチャン、ジョニー・グリーンウッドやレディオヘッドらと共演している。あくまで印象に過ぎないが、彼らが非クラシックのアーティストたちと共演する際、それは決して「ストリングスやオーケストラ音色の素材として起用される」といった受動的なものではなく、「生のオーケストラの臨場感、そしてクラシックとポピュラー音楽を融合させる醍醐味を提示する」という能動的なものを感じる。これもポスト・クラシック・アーティストの魅力と言えるだろう。
だが、さらに興味深いのは、この同じ立ち位置にいる二人の差異である。
1968年生まれのヘルビッヒと1985年生まれのエイムズでは一回り以上の年齢差がある。ゆえに、クラシック以外で聴いてきた音楽にもどこか世代差のようなものがあるのだ。ヘルビッヒは、12歳の頃になんとラジオを自作し、そこから流れてくるポップスやジャズ、あるいはオーケストラ作品に耳を奪われたという。また、影響を受けたアーティストとしてスティーヴ・ライヒやフィリップ・グラス、カール・ジェンキンスらの名前を挙げ、さらにはNYに留学していた際にR&Bやブラジル音楽に親しみ、ブラジル人ドラマー、デュデュカ・ダ・フォンセカからドラムの手解きも受けている。ヘルビッヒは、どちらかと言えば最先端の音楽よりもより伝統的な音楽へと耳が向いていたと言えるだろう。一方エイムズは、ワープ・レコーズのエイフェックス・ツインやスクエアプッシャー、プラッド、オウテカなどのエレクトロニカを浴びるように聴いていたようで、10代前半にはエイフェックス・ツイン『Drukqs』とコリン・デイヴィス指揮のベルリオーズ『幻想交響曲』の2枚のCDを1ヶ月間ひたすら聴き続けたことがあったそうだ。
そんな二人の最新作。巨視的に捉えると、いずれも「クラシックとエレクトロニカの融合」ではあるが、そこにはそれぞれの個性や音楽志向、さらにはその音楽が示す視点の差異が表れている。
ヘルビッヒが今年2月にリリースしたモダン・レコーディングス移籍第一弾『Skills』では、全編に亘って“伝統への視点”が描かれている。職人の家系で育ったヘルビッヒは、何をやるにも“ただやってみる”だけではなく“正しく行うことが重要だ”と教えられたそうだ。このアルバムも“卓越した技術の探求や修得”という命題が音楽によって綴られている。そこには伝統が失われていく危機感も表現されていれば、そうした問題を解決する道筋もあるのではないか、という希望も描かれている。
そしてロバート・エイムズは、同世代の作曲家にしてポッドキャスターとしても知られるベン・コリガンとの共同名義によるアルバム『CARBS』を今年4月にリリース。特にテーマやコンセプトは決められていないとのことだが、いずれのトラックにも“未来”や“宇宙”へと向けられた視点が感じられる。
そのサウンドに注目してみると、ヘルビッヒの『Skills』は伝統楽器にエレクトロを丹念に折り重ねた工芸品のような音楽を展開しており、それはモダン・レコーディングらしいものだと言えよう。伝統楽器に新たな息吹を吹き込み、新鮮な響きで鳴らすという意味では、“現代の音楽”あるいは“先端を行く音楽”と捉えられるかもしれない。
一方、エイムズとコリガンの『CARBS』では、未来志向でありながら、どこか「過去から未来を見ている」ような感覚が漂う。サウンドもタンジェリン・ドリームあたりを想起させるようなレトロな響きだ。映画『トータル・リコール』からの引用などもあり、過去から未来を見据える“レトロ・フューチャー”な視点が、聴き手により一層“未知なるものとの遭遇”感を催させているのではないだろうか。また、この作品の発端は、エイムズをゲストに迎えたコリガンのポッドキャスト番組であった。この番組は曲作りのプロセスを分析・解説していくというもので、そこにはその場その場で決めていく即興性も少なからずあった。ゆえに、アルバム全編に亘って軽やかな浮遊感のようなものが感じられるが、それは工芸品のような構築美を誇るヘルビッヒのアルバムとは対照的である。
ヘルビッヒが伝統志向でありながらサウンドは新鮮、エイムズは未来志向でありながらサウンドはレトロ(あるいはレトロ・フューチャー)という“ねじれ”が面白い。
ヘルビッヒやエイムズが試みたこうした“実験”は、穿った見方をすれば、クラシックの“市場”を拡張する行為と捉えられるかもしれない。確かにそういった側面がないわけではない。だが、もはやレーベルがトレンドを主導し、シーンやマーケットを創出するのは困難に等しく、むしろ市井の人からトレンドが発信される昨今、そこにはサブスク世代ならではの多様な音楽体験をもとに、シーンやトレンドを気にせず自らの感性に従い、時代やジャンルや地域を越えて等価に並ぶ音楽から自らの感性に合ったものを選ぶような空気感が漂う。そしてそこには、新たな展開を見せるクラシックに魅了される面々も少なからずいるだろう。特定の地域内では少数派かもしれないが、全世界の人々の中から特定の嗜好を持ったリスナーがクラスターを作っていくこの時代。ポスト・クラシカルも、そうした世界各地の“新たなクラシック音楽リスナー”たちに支持されているのだ。そして、リスナーが自由に時代や地域やジャンルの壁を越えて音楽を楽しんでいる今、アーティストも同様に時代や地域やジャンルの壁を越えて音楽を味わい、音楽を創り出しているのだ。
Text by 石川真男