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<コラム>SixTONESが歌う“恋の危うさ“、新曲「わたし」の艶やかな魔力
SixTONESの“言葉”
SixTONESの通算7作目となるシングル「わたし」は、松村北斗が出演するドラマ『恋なんて、本気でやってどうするの?』の挿入歌として書き下ろされたナンバーで、シングルとしてはデビュー曲「Imitation Rain」以来となるバラードだ。YOSHIKIらしい繊細な美とドラマティックな旋律を兼ね備えた「Imitation Rain」と比較すると、「わたし」はより制御されたサウンド・デザインが特徴的な曲であると思う。
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SixTONESはデビュー以来、ロックやヒップホップからR&B、EDM、歌謡曲、さらにはボカロ的チューンまで、様々なジャンルや曲調のナンバーを次々にものにしてきたグループだ。6人のシンガーとしての確かな実力に加え、ポップ・ミュージックのトレンドを掴む感度の高さや知識も兼ね備えた彼らは、自ら曲を書かないアイドルであることを“何でもできる自由”に変換してみせた、異色のアイドルだった。
そんなSixTONESのこれまでの音楽遍歴が拡大、多様化のプロセスを辿ったものだったのに対し、今回の「わたし」はむしろ真逆で、一点集中的のミニマリズムが際立つナンバーになっているのが面白い。何でもできる技術と環境を手にしている彼らが、あえてその手を縛って臨んだストイックな曲に聴こえるのだ。SixTONESが「わたし」で一点集中的に臨んだものは何だったのか……それはおそらく本曲の歌詞、“言葉”そのものだったのではないか。
ハモりやユニゾンのパートもごく控えめで、6人それぞれの明瞭な言葉の発語を丁寧に拾っていく「わたし」。この曲の歌詞が一語一語クリアにリスナーの耳に飛び込んでくるのは、全て日本語で歌われているからだけではない。彼らが普段の話し言葉に近い抑揚で歌い、節回しやブレスのタイミングも含めて言葉が何より尊重されているからだろう。語弊を恐れずに言うならば「わたし」の歌唱はどこかスポークン・ワーズ的なのだ。
SixTONES - わたし [YouTube ver.] / Watashi [YouTube ver.]
「わたし」の作詞作曲を手がけたのはSAEKI youthK。何度もSixTONESに楽曲提供しているお馴染みのソング・ライターで、松村→京本大我と歌い継ぐこの曲のオープニングに、やはりSAEKIの手による二人のユニット曲「ってあなた」(デビュー・アルバム『1ST』収録)を思い出したのは、私だけではないだろう。
中性的なファルセット・ボイスに定評がある松村と京本の冒頭の歌唱によってまず楽曲のムードが示されること、歌詞の一人称が“わたし”であることからも、「わたし」は女性目線で歌われていると思しき曲でもある。たしかに歌詞中には<わりと上手くやれてるの>、<それでも止められないの>などの女性の口調を思わせる箇所もあり、『恋マジ』のヒロインである純(広瀬アリス)の揺れる恋心を表現した歌だと解釈するのが順当なのかもしれない。
恋の“危うさ”
ただし、この曲における“わたし”とは、ダブルクォーテーション付きの<“わたし”>であるのに注目すべきだろう。あえてダブルクォーテーションを用いて強調されているのは、一人称代名詞の性差ではない。むしろ性別に関係なく、特定の誰かを指し示すものでもなく、誰もが胸の内に秘めている“本当の自分”、自分を自分たらしめるコアの象徴として読み取れる<“わたし”>なのだ。
<“わたし”>を女性用の代名詞ではなく、“本当の自分”、“自分を自分たらしめるもの”であると仮定すると、<あり得ないところまで>心が動いてしまう現象=恋によって、自分が自分でなくなってしまう“怖れ”という、この曲のテーマがよりはっきり浮かび上がってくるのではないか。<有り得ない>と何度も繰り返すことで、溺れてはいけない恋に溺れる葛藤や罪悪感も強調されている。
抑制の効いた美しいバラードでありながらも、ふとしたした瞬間に暴力的なまでの恋の嵐が吹き荒れ、感情のダムが決壊してしまいそうな危うさ。それが「わたし」の歌詞の魅力だとつくづく思う。SixTONESはこの曲を歌うために“あえて手を縛っている”と冒頭で書いたが、それもまた自分が自分でなくなってしまうギリギリの瀬戸際で踏みとどまる本曲のテンションを伝えるうえで必要なことだったのではないか。
もちろん、恋に翻弄されて自分が自分でなくなってしまうことはラブソング王道のテーマでもあって、決して珍しいものではない。SixTONESもかつて「僕が僕じゃないみたいだ」で、まさに同様のテーマについて歌っている。ただし、<君といる時の/自分が好きなんだ/それが本当の僕だ/きっと>と歌う同曲は、むしろ我を失うほどの恋に対する喜びや驚きが表現された、瑞々しいラブソングだった。翻って、我を失うほどの恋に対する怖れや禁忌の念が壮絶な色気を醸し出している「わたし」は、そこからさらに一歩も二歩も踏み出したSixTONESの新境地なのだ。
SixTONES - 僕が僕じゃないみたいだ [YouTube Ver.]
曲の終盤、ブレイク後のサビで<有り得ないところまで 心が 動き出す>と歌うのは田中樹。彼の声はこの曲の抑制を突き破るような男らしくリアルなそれで、今まさに<“わたし”>が奪われようとしているクライマックスの瞬間を生み出している。そして最後は<“わたし”を奪っていく>と歌うジェシー、彼の空気を含んだ柔らかな歌声がまるでアフターマスのように、甘く痺れる恋に絡め取られた<“わたし”>を残して幕を閉じる。
ほんの数分の出来事だったとは思えないほどのこの曲の余韻に、SixTONESがさらにアイドルとしての異能を進化させたことに気づかされるはずだ。
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