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<コラム>初のグローバル・チャート入り、millennium parade × Belle「U」はフラットな価値観が至った到達点
ヴィジュアル表現を重視したクリエイティブ
現在劇場公開中の細田守監督最新作『竜とそばかすの姫』。そのメインテーマであるmillennium parade × Belle「U」が、日本国内のみならず海外でも話題を呼んでいる。米ビルボードのグローバル・チャート“Global 200”で98位、同チャートから米国のデータを除外した“Global Excl. U.S.”では34位を記録。これは彼らmillennium paradeとしては初のグローバル・チャート入りだ。
「U」で初めて彼らに触れた読者のために解説すると、millennium paradeは「白日」の大ヒットで知られるロックバンドKing Gnuのメンバーであるプロデューサー/ソングライター、常田大希によるプロジェクト、Daiki Tsuneta Millennium Paradeを前身としたアーティスト集団である。King Gnuのような4人の固定メンバーによるバンドと違い、常田を中心としながらそのヴィジョンに基づき、楽曲や作品毎に異なるメンバーが集まり、クリエイティブ・ファーストにフレキシブルな体制で制作やパフォーマンスが行われるのがその大きな特徴と言えるだろう。
King Gnu - 白日
とはいえ、こうした流動的なプロジェクト自体は、ポップ・ミュージックの世界においてはさほど珍しいものではない。古くは、ザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが他のバンド・メンバーを除外して凄腕のスタジオ・ミュージシャンらと制作した1966年の歴史的名盤『ペット・サウンズ』。そして、アルバム毎、楽曲毎にまったく異なる体制のバンドとなり、時にヴォーカルすらもすげ替えていた90~00年代前半までのプライマル・スクリーム。これらが代表的な前例だ。
しかし、それらと比較してもmillennium paradeには、いくつもユニークな点が存在している。まず彼らに強い現代性を感じるのが、ミュージシャンにとどまらずヴィジュアル方面など幅広いクリエイターが集った集団であることだ。具体的には、常田が主宰するクリエイティブ・レーベル、PERIMETRONのクリエイティブ・ディレクターやデザイナー、デジタル・アーティストなど、様々なセクションが参加している。もちろん『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』におけるアンディ・ウォーホル、セックス・ピストルズにおけるマルコム・マクラーレン&ヴィヴィアン・ウェストウッド、ニュー・オーダーにおけるピーター・サヴィルなど、ポップ・ミュージック史において非ミュージシャン(主にファッション・デザイナー、グラフィック・デザイナー、アート・ディレクター)は重要な存在感を放ってきた。だが、それらの先例に対してmillennium paradeの場合、非ミュージシャンが影のプロデューサー的立ち位置としてではなく、対等なメンバーとして楽曲に参加し、ステージに立っているのだ。それがハッピー・マンデーズを思わせる、スノビズムを超えたギャング感に繋がっているのがなんとも魅力的だ。また同時代の存在としては、2019年にエディ・スリマンがセリーヌ就任後初のメンズ・コレクションのサウンドトラックを依頼したカナダのマルチメディア・コレクティヴ、クラック・クラウド(彼らも映像制作に力を入れているクリエイター集団である)との共振も指摘したい。これらヴィジュアルとサウンドの垣根を感じさせないクリエーションは、ニコニコ動画やYouTubeにアップされた時代を跨いだアーカイブ楽曲やMV、MAD動画で育ったミレニアル世代としてはごく自然なスタイルとも考えられるだろう。
CRACK CLOUD - SWISH SWASH
そして、彼らmillennium paradeがそうした海外の類似事例に対して持つ特徴のひとつが、“日本”を強烈に意識した存在であることだ。様々な妖怪が徘徊する“百鬼夜行”をプロジェクトのコンセプトに、さらに“世界から見た東京”をテーマとして掲げているのである。常田は過去のインタビューで、King Gnuが日本の音楽業界の色々を真正面から受け取ったバンドであることを語っているが、このmillennium paradeは英語を中心としつつマルチリンガルな作詞を行い、楽曲構造もKing Gnuと比較してJ-POP要素を排除していると捉えられる。だが、その反面、世界に対しての“日本”そして“東京”を意識しているのはなんとも興味深い。
まず、楽曲的にはサンプリングあるいはフィールド・レコーディングによる、日本の祭りなどの“セレモニー”を象徴するサウンドの使用が、そうした“日本”らしさの発露の一端である。だが、何よりmillennium paradeが日本らしさを発揮していると考えられるのは、サウンド以上にヴィジュアル表現、とくにMVである。実写作品も存在してはいるが、その多くは2Dもしくは3Dのアニメーションであり、彼らの根底にこれまで培われてきた日本のアニメーションの豊かな歴史が基礎を成しているのが容易に想像できる。たった1本のMVのためとは思えないほど作り込まれた設定の数々、無数のリファレンスを感じさせながらもそれをオリジナルに昇華するセンスには舌を巻くしかない。そして、いずれのMVにも楽曲とときにリンク、ときにあえてすれ違うストーリーがあり、楽曲単体で聴くよりも聴き手のイマジネーションを増幅するのである。そう、誤解を恐れずに言うのなら、彼らmillennium paradeの楽曲のほとんどは、MVこそがオリジナルでありベストな形態であるように思えるのだ。常田はインタビューでも宮崎駿に度々言及しているように、やはり日本を象徴するカルチャーとして、アニメは不可欠なものであると考え、millennium paradeの表現の中心に据えているのかもしれない。
新機軸を示唆する「U」の異質性
「U」は、楽曲自体がアニメーション作品とのコラボレーションとなったことも含め、これまでのmillennium paradeが歩んできた道の果てにある作品と言えるだろう(『攻殻機動隊 SAC_2045』の主題歌となった「Fly with me」は、もともと「自分たちの主題歌を作ろう」という想いから生まれた楽曲である)。そして同時に、この「U」は、millennium paradeの中でも最も異質な楽曲でもある。
millennium parade - Fly with me
そもそもmillennium paradeの楽曲は、それぞれにジャンルや方向性が大きく異なるが、全体的な印象としては“マキシマム”。00年代以降、とくに2010年代以降は、最小限の音数で楽曲を構成するのが世界基準のポップ・ミュージックのトレンドだが、それに対して彼らの音楽は大編成で複雑なレイヤーが入り乱れる、一聴して全体像を把握するのが難しい楽曲が多い。それは常田がクラシック音楽の素養を持ち、東京藝術大学でチェロを専攻し、小澤征爾のオーケストラにも参加していたという出自によるものかもしれない。この「U」もそうしたスケール感が健在で、現代日本を代表するドラマー石若駿によるパーカッションを筆頭に、スケール感溢れる音場の設定も含めて“音数”自体は多めな印象だ。しかし、それにも関わらず「U」は、どことなくミニマルだ。そこには日本語詞という影響もあるだろうが、Belle=中村佳穂の歌声が楽曲の絶対的な中心座標に鎮座していること、そしてその歌声が主旋律を奏でるだけでなく、まるでリズム楽器のようにパーカッションとシンクロしているため、聴き手の耳が迷子にならないのではないかと感じている。
そして「U」がmillennium paradeの楽曲で異質であると感じるもうひとつの理由が、“millennium parade史上最も映像を必要としない楽曲”であるという印象にある。大作アニメーション映画のために書き下ろした楽曲が、映像を必要としないというのはなんとも興味深い結果ではないだろうか。「(細田守による『竜とそばかすの姫』の)絵コンテを見た瞬間に音が鳴り響いた」という旨を常田は「U」についてのコメントで出しているが、細田守の絵コンテには、常田に確固たる楽曲を作らせる力があったのかもしれない。そして、やはりBelle=中村佳穂の歌声の力も無視はできないだろう。いずれにせよ、本楽曲のMVは『竜とそばかすの姫』の映像を使い、グリッチなどの加工と編集をしたものだが、サウンドだけを聴いたときと大きく印象が変わることはない。これはもしかしたら彼らmillennium paradeにとって新たな方向性となるのではないかとすら感じさせる。
millennium parade - U
「バンドも会社も同じようなもの」という常田の過去の発言からも、ミュージシャン以外の様々なクリエイターが集うmillennium paradeの編成、PERIMETRONによる映像を含めたトータルなクリエイション、タイアップの多さからも、彼らmillennium paradeの作品にはどこかオリンピックの開会式/閉会式のような“クリエイティブエージェンシーが手がける大規模プロジェクト”のような印象を、筆者は拭えなかった。だが、それは現代日本のほとんどのミュージシャンが避けて通ることのできない道であるはずなのだ。
縮小する日本のマーケットを飛び越え、海外リスナーに曲を届けさせる手法として、アニメとのタイアップはすでに確立されたルートである。そして同時に、アニメも音楽を必要としている。かつては「アニメの主題歌をやるのはセルアウト」といった価値観が珍しいものではなかった。そこにはアニメが市民権を得られていなかった時代背景や、ミュージシャン側のアニメへの無理解も大きく影響していた。しかし、インターネットの普及とともにアニメーションがサブカルチャーではなくメインカルチャーとなった今、そうした垣根は皆無となりつつある。既存楽曲を提供するにしても、新たな楽曲を書き下ろすにしても、タイアップにはクライアント・ワークや記事広告のような側面がないとはいえない。だが、あらゆる価値観やフォーマットがフラットになりつつある現代においては、音楽が他と違う崇高な芸術であるという幻想は解け、様々なクリエイターがお互いの垣根を越えたコラボレーションを行うのは自然な流れである。それまで一点ものだったアートをシルクスクリーンで複製したアンディ・ウォーホルを思い出してみてほしい。ポップという枠組みの中、リアルタイムの音楽を作る以上、時代と無縁でいるわけにはいかないのだ。このmillennium parade × Belle「U」は、そんな“コラボレーション”の最新系にして最も深い形なのかもしれない。
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