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ヒロイズム×伊藤涼 対談インタビュー 「2人から見た海外と日本の音楽シーン」



 日本だけでなく各国で数々のヒット曲を生み出し、2016年からはLAに拠点を移しプロデュース活動を行っているヒロイズム | her0ism。同じく数々のヒットを手掛けた音楽プロデューサーでもあり日本にコーライトの制作手法を広めた立役者でもある伊藤涼 | Ryo Ito。ポップ・ミュージックの第一線で活躍する両者の貴重な対談が実現した。
 現在、ヒロイズムは、映画『ライオン・キング』や『アス』への出演で注目を浴びる15歳の新人アーティスト、シャハディ・ライト・ジョセフのデビューシングル「Skin I'm In」をプロデュース。気鋭のプロデューサーとしてグローバルな注目を集めている。
 一方、伊藤涼はアメリカ、カナダ、一部ヨーロッパ、アジアでライティング・キャンプを企画したり、世界中のクリエイターたちのライティングセッションをモデレートするなど、海外と日本のクリエイターたちをつなげる活動を精力的に行っている。
 そんな2人から見た海外と日本の音楽シーンについて、音楽産業の未来に向けた提言も含め、たっぷりと語ってもらった。

伊藤「コーライトの魅力は、人と人とを繋ぐところ」

――ヒロイズムさんはLAを拠点に活動をされていますが、どんなきっかけがあったんでしょうか。

ヒロイズム:最初は日本のマーケットで曲を書いていたんですが、10年以上前に伊藤さんとの出会いがあり、その時に「これからはコーライティングの手法が中心になる」という話を伺ったんです。そこからヨーロッパのライティング・キャンプに行くチャンスをいただいて。最初はドイツ、そこからフィンランドやスウェーデンと、毎年声をかけてもらえるようになりました。まずヨーロッパで結果を残すという目標を叶えることができた。そうするとヨーロッパのプロデューサーも、みんながLAの話をするんですよ。LAで勝負したい。でも、なかなか上手くいかない。そんなに甘いものじゃない、と。その頃から自分もLAで活動するというヴィジョンはありました。

――伊藤さんは『最先端の作曲法 コーライティングの教科書』という著書(山口哲一氏との共著)もあり数々のライティング・キャンプを開催していますが、作曲家としてコーライトに本腰を入れて取り組むようになったのは?

伊藤涼:僕はもともとジャニーズでディレクター・A&Rとして働いていたんですが、2003年頃、スウェーデンのクリエイターと曲を作るようになったんです。向こうの音楽出版社やクリエイターたちに会って話を聞くと、当時、日本に大きな音楽のマーケットがあるなんてイメージは全然していなかった。もともとスウェーデンは自国の音楽市場が小さいので、アメリカやイギリスのような他の国に行っていたんですね。そんな中、想像もしていなかった国が現れたので、みんな飛びついてきた。で、スウェーデンに行くと、みんな小さなスタジオに入って何人かで曲を書いている。その姿を見て「あれ? 日本と全然違うな」と思ったんですね。日本だと、基本的にはみんな自宅で一人で作ってるんで、全然作り方が違ったんです。その後、ジャニーズを辞めて独立した時に、相変わらず日本では誰もコーライトをやってないから本腰を入れて世の中に浸透させていったほうがいいなと思って。それでまわりのクリエイターに声かけたり、セミナーをやったり、本を書いたり、Co-Writing Farmというコーライト基本に音楽制作するコミニティをつくったりして、日本人クリエイターにもコーライトをもっとやってこうと旗を振ってきた感じです。

――コーライトの魅力というのはどういうところにあるんでしょうか?

伊藤:コーライトの魅力は、クオリティの高い曲ができるというところも勿論あるんだけど、人と人を繋ぐというところが一番ですね。出会いがあって、そこから広がりが生まれるので。DAWの出現によって良いところは沢山あるんですけど、その反面、音楽制作が孤独な作業になってしまっていたんです。だけどコーライトによって、人と人が繋がり、輪が広がり、また音楽制作にケミストリーを起こすようになりました。コーライトは孤独からの解放だし、“今”の音楽制作だと思います。

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ヒロイズム「最初から根拠のない自信はあった」

――ヒロイズムさんがLAに拠点を移すようになったきっかけは?

ヒロイズム:移住して3年になるんですけれど、きっかけは親友のアレックス・ゲリンガスというドイツ人のプロデューサーですね。彼はアメリカに永住権も持って、グラミー賞も獲っているプロデューサーなんですけど、彼と一緒に書いたMs.OOJAさんの「Be…」という曲がいい結果を出したんです。それをアレックスが嬉しがってくれて「ヒロ、いつLAにくるの?」とfacebookのメッセンジャーで連絡が来たんです。で、「もし本気で言ってくれてるんだったら、すぐにでも行くよ」って意思を伝えて、実際に行った。それが最初です。

▲Ms.OOJA「Be…」

――LAでの制作環境はどんな感じなんでしょう?

ヒロイズム:自宅の中にスタジオを作ってます。そこのスタジオにいろんなアーティストが週に3日は来てコーライトすることが多いです。残りの日は一人で楽曲に向き合う時間という感じです。

――伊藤さんから見たLAのクリエイティブな環境は、どういう特色がありますか?

伊藤:とにかく世界の中心という感じがしますね。やっぱり、どこに行くよりクオリティが高い。シンガーもプロデューサーもそう。アメリカ人だけじゃなく、世界中のスタークリエイターたちが集まっているからレベルが違う。それに、グローバルなヒットを作ろうという意識がすごく高いですね。次の流行を作れるかどうか、世界中で聴かれる曲を作れるかどうかを、いつも考えている。

――ヒロイズムさんがLAに拠点を移して、手応えを感じたのはどんなタイミングでしたか?

ヒロイズム:最初から根拠のない自信はあったんですけど、手応えを感じるようになったのは最近ですね。最初は向こうでもビッグネームのコンペにひたすら曲を出していたんですけれど、今はアーティストをゼロから育てることに時間をかけています。それがShahadi Wright Josephというアーティストなんですけれども。

――それはどういうきっかけで始まったプロジェクトなんでしょうか。

ヒロイズム:IMMPAACというフィフス・ハーモニーのプロデュースや映画『The Rehearsal』の音楽でエミー賞にもノミネートされた黒人のプロデューサーと出会うきっかけがあって。IMMPAACが小さい時から発掘して面倒を見ていた子が女優としてのキャリアをスタートさせたんですね。『ライオン・キング』に出て『アス』に出て、いい流れが来ているから、そこで一緒に曲を作ろうという話になった。一緒にエグゼクティブ・プロデューサーになってくれないかって言われたんです。

伊藤:それはいつぐらいの話?

ヒロイズム:2年以上前ですね。わりと準備期間が長いんです。ベースがNYでもあるし、当然学生でもあるので。僕たちがNYに行くこともあるし、ワシントンでレコーディングしたり、いろいろな曲を作るセッションもしてきました。ゼロから育てるという時は、どういうアーティストになりたいっていう像はあったとしても、誰かの真似をするわけではないんです。そんなことをしても、結局真似したものには勝てないってみんなわかってるので。だから時間はかかるけれど、楽しいですね。

――IMMPAACとはどういうきっかけで出会ったんでしょうか。

ヒロイズム:彼がとあるアメリカの音楽配信番組「Pensado’s Place」を観覧にきていて、その収録が終わった後に話しかけてくれて出会ったんです。どうやらIMMPAACと一緒に映画の仕事をしていたデイヴ・ペンサドというエンジニアがIMMPAACに「今日はヒロっていう日本のマックス・マーティンが来るから、絶対来た方がいいよ」って言ってくれたみたいで、それで声をかけてくれたんですね。ただ、僕らは海外にいると「日本の市場を持ってる人」と見られることが多いんです。「あいつと一緒にやればJ-POPで1位をとれる」みたいに思われることが多い。でも、彼は全くそんなことなくて。普通に「スタジオに遊びに行っていい?」と言われて、そこからフランクな関係になった。その時にたまたまオースティン・マホーンの話をいただいていたので、「パーフェクト・ビューティー」という曲もコーライトしました。

――シャハディにはどういう可能性を感じて、どういうふうにプロジェクトを進めようと考えていたんですか?

ヒロイズム:ルーツにあるのはR&Bなんですけど、まだ15歳なので、声がまだ進化し続けてるんですよね。儚さもあるけれど、魅力も変わり続けている。彼女本人のキャラクターだけでなく、映画で演じているキャラクターにもポピュラリティがある。『ライオン・キング』や『アス』もそうだし、次に撮影する映画もある。彼女のアイデンティティが映画との相乗効果で変わっていく。女優でありアーティストである彼女を活かすためにはどういう曲がいいかを考えています。彼女自身が好きな曲も、R&Bなんですけど、ポップすぎないR&Bなんですよね。

――デビュー曲の「スキン・アイム・イン」はどのようにして作っていったんでしょうか。

ヒロイズム:彼女自身やマネージャーの意見も大きかったです。歌詞の制作も立ち会ったんですけど、15歳の女の子が歌うにはかなり深い内容になっていて、それをただシリアスに歌うんじゃなく、さらっと届けたかった。誰も傷つけずに15歳の女の子がセルフコンフィデントな曲を歌うというテーマでした。この曲は彼女自身のアイデンティティが重要だったんで、あえてポップにしなかったんですよ。

伊藤:かなりダークな印象だよね。最初にこの曲を聞いたときは「これで15歳?」って思いました。


▲シャハディ・ライト・ジョセフ「スキン・アイム・イン」

――「ウォールペーパー」という曲は、オーセンティックなR&Bというよりはエレクトロニック・ポップの曲調という印象がありました。これはどうでしょう?

ヒロイズム:“ウォールペーパー”はポップに振り切った曲ですね。ただR&Bをやっても面白くないので、彼女の振り幅をどう広げるかを考えました。まだ若いので、そういうフレッシュな部分をどう活かせるかを考えて、今回、長年お世話になっているユニバーサルミュージックの方にご協力していただき、ワールドワイドでのメジャーリリースに至りました。


▲シャハディ・ライト・ジョセフ「ウォールペーパー」

――シャハディは、次のジェネレーションアイコンになる可能性がとても高いアーティストですよね。ある種の未来を背負っている存在でもある。そういうことも考えましたか?

ヒロイズム:そうですね。そこに関しても、それこそ母親やマネージャー含めて定期的にGoogleハングアウトでテレビミーティングをしています。こないだは長野とLAとNYをつないで、伊藤さんにも参加していただきました。

伊藤:IMMPAACとは1年半ほど前に日本で初めて会ったんですけれど、その時に飲みに行ったりカラオケ行ったりして仲良くなったんです。だから、言ってしまえばただの友達なんですけれど、ミーティングに迎え入れてくれて。

ヒロイズム:絶対的な信頼がありますからね。

伊藤:彼女はアフリカ系アメリカンのアイデンティティを背負っているし、しかも、かつての苦難の歴史を経て“ブラック・ライヴズ・マター”以降に物心がついた新しい時代のブラックカルチャーを背負う顔になるような存在だと思うんです。そのプロダクションをアジア人、日本人がやるところも興味深いと思いました。

ヒロイズム:一緒にやっている仲間には黒人も多いんですけど、何人かは僕のどこがアメリカ人にない部分かを直接言ってくれたりもします。ヒラメキをまとめる力がある、って。

――LAに拠点を移して、人とのつながりの幅が増えた。

ヒロイズム:そうですね。やっぱり紹介が多いです。信頼してくれている知り合いが「これはヒロのところに」って連れてきてくれる。そこから曲を気に入ってもらって、話が決まる。LAに拠点を置いていると、本当に文字通り世界中のアーティストが来るんです。たとえば、LAに移住してきたインドのアーティストのプロデュースもしていて。彼女もやっぱりインドのアイデンティティを背負いながら世界を相手に仕事をしている。只者じゃないですね。同じように、メキシコのアーティスト、オーストラリアのアーティスト、スウェーデンからDJがスタジオに遊びにきたりする。もちろん日本のアーティストのレコーディングもやっていますし、有難いことに移住してから日本の案件も増えました。

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伊藤「まずはアジアを一つにすること」

――伊藤さんは最近台湾でライティング・キャンプをやられたそうですが、各地でライティング・キャンプをされている意図はどういうところにあるんでしょうか?

伊藤:昨年9月頭に行った台湾のライティング・キャンプはMICPという、クールジャパン機構や日本の有力なエンタメビジネス各社が出資してアジアに日本のコンテンツを輸出するため設立された会社が主催で、日本の音楽の海外輸出をテーマにしたJMCEが協賛、ワンアジアミュージックという台湾の音楽出版社と僕が代表を務める(株)CWFが協力するという、ちょっと大がかりな立て付けだったんです。
山口哲一氏が全体のオーガナイズをして、私は企画から携わり現場の仕切りやクリエイティブ面でのアドバイスやキャンプで出来上がった楽曲のアフターケアまでしました。9月の末にはヒロイズムと一緒にLAでライティング・キャンプもしました。僕がグローバル向けのK-POPをやりたいって言ったので、ヒロイズムがLAで色々と仕込んでくれました。こっちは、一緒にやろうぜ!的なノリでパーティーとかもして、めちゃくちゃ楽しかったです。今年の頭にも台湾で、向こうの音楽出版社が主催するキャンプに参加してきて、素晴らしい出会いがたくさんあった。残念ながら、それ以降はコロナの影響で海外にはいけなくなってしまいましたが、オンラインで世界中のクリエイターたちとライティングを続けていますよ。
 ライティング・キャンプをしている意図っていわれると、やっぱり海外のクリエイターと日本のクリエイターの繋がりを作りたいんですよ。世界中でキャンプは行われているんですけど台湾で話を聞いたら、台北で大きなキャンプが開催されたときに日本人に姿はない。だから自分たち・自分たちのマーケットは興味を持たれてないと思ってたらしいんですよ。でも、彼らは日本の音楽で育ってきてるから、日本人クリエイターとコーライトしたいそうです。もちろんC-POP(中国語圏のマーケット)に興味がある日本人クリエイターだってたくさんいるはずです。でも、その2つは繋がらない状況なんですよ。そこには日本と海外の音楽業界慣習の違いが大きな障害になっていて、たくさんの課題があると考えています。
 だけど僕はもっと自由に、いろんな国でライティング・キャンプをやれるようにしたいと思っているんです。今年は無理ですが、2021年も既にLA、カナダ、オーストラリア、韓国、台湾、スウェーデン、タイなどでキャンプの話も上がってきています。どこまで出来るかまだ分かりませんが。ただ良い曲を作ることよりも、日本のクリエイターにこういう人がいるんだっていうことを発信していくことが、いまの僕のミッションな気がしています。

――お二人がやられていることは、単なる日本の音楽の「海外進出」というのではなく、国境を超えたクリエイティブな場を作ろうという実践というわけですね。

伊藤:そうですね。いままで日本人アーティストの場合、日本にいながら国内で作ったものを海外に輸出するっていう感じでしたよね。でも、ヒロイズムがやってることは、それとは違う。向こうに住まないとわからないことを、なかなか受け入れてもらえないことも含めて、実体験として肌で感じている。そうすると、日本人としてのアイデンティティの大切さも感じるようになるんです。日本人だからできることがあるし、日本人だから価値があるっていうものもたくさんあるので。もちろん、今までだって海外にトライしてきた日本人クリエイターは沢山いますが、単なる理想や憶測でなく、もう一歩踏み出しているのが今のヒロイズムだと感じているし、期待もしています。

――日本人だからできること、というと?

ヒロイズム:たとえば、才能を活かすというのもコーライトの大事なポイントなんです。さっき「ヒラメキをまとめる力がある」と言われたという話をしましたけれど、そういうところで言えば、人が集まった時にきちんとオーガナイズして仕上げられるというのも日本人のメリットの一つかもしれない。というのも、化け物みたいに才能がある人が部屋に5人いたら、たいていケンカするんですよ。それを仕切ってまとめるのが、自分がやれていることの一つで。もちろん自分のアイディアや意見も出すけれど、押し付けるわけではなく、場の流れやノリを壊さないようにしながら、自然と誘導していく。これは、自分に限らず、日本人には得意な人が多いんじゃないかと思います。

伊藤:昨年のLAでも思いましたけど、やっぱりヒロイズムのディレクション力は以前と明らかに違いますね。空気を読んでもいるんだけれど、それで何も言えなくなるんじゃなくて、ちゃんとモノを言うことができる。そこがすごく大切なんです。

ヒロイズム:自分自身としても、これはLAに来てから培ったものかもしれないですね。もともと得意だったわけじゃないんですけれど、やっぱり、とんでもない才能が沢山いるので。彼らがご機嫌なままに最高のアイディアを引き出す自分なりの方法を培ったというか。

――この先、グローバルな音楽マーケットの動き、その中での日本の占める位置や役割、イメージはどういうふうに変わっていくと感じますか?

ヒロイズム:LAから見ると、日本は、よくも悪くも変わらないなと思います。たとえば、他の国は全部ドレイクがヒットチャートの1位なのに、日本だけ違う。最初はそれを悲観的に思っていたんです。でも、不思議なもので、移住してあっちから見てみると、それはそれで素敵な文化に思える。日本が育んできた独自の文化なんだなって思います。そう考えると、将来もそんなには変わらないんじゃないかと思います。日本はこの先も独特の動きで進んでいく。
 だから、たとえば今はアメリカでK-POPのブームが来てますけれど、このあとにJ-POPのブームが来るとは思えない。K-POPに関しては、昨日今日で起きた流れじゃないですからね。10年前、ブームじゃない頃からずっと国が何年もかけて種を蒔いてきたので。それこそ僕がヨーロッパでライティング・キャンプに参加していたときにも、ドイツでもスウェーデンでもすべての場所で韓国人のA&Rに会いましたからね。彼らは完璧なプレゼン資料を作って、プロデューサーたちにアプローチしていた。トップのクリエイターを使って、いいものをちゃんと作ろうというモチベーションがあった。その時からやろうとしていたことが今につながっているということですから。

――何年もかけて種を蒔いてきた結果がK-POPの今につながっているということですね。伊藤さんはこの先のグローバルな音楽シーンの変化、そこにおける日本の位置づけについて、どう考えていらっしゃいますか?

伊藤:本当は、もっと前から2020年のオリンピックのタイミングに合わせて何かを起こさなきゃいけなかったんじゃないかなっていうのが正直な意見です。オリンピックやワールドカップが開催されると、その国の音楽への注目も高まる。日本のアイデンティティをフィーチャーした音楽が欲しいと思っている人はいると思うんです。でも、そのときのために種を蒔くことができなかった。結局、間に合わず、何も起こせずに終わってしまうんじゃないかなって思います。それは2021年にオリンピックが延期された今でも変わらないと思いますが、チャンスまったくないとも思ってないです。まさに今やってることも、種蒔きだと思っているので。

――伊藤さんはどんな未来をイメージしているんでしょうか。

伊藤:まずはアジアを一つにすることですね。今はアジアの音楽市場が大きくなってるし、特に中国という馬鹿でかい市場がある。でもアジアは一つになっていない。特に音楽を作っていると、中国の人と一緒に曲を書いても、ちょっと違うなって感じてしまうんです。たとえばJ-POPとC-POP、さらにK-POPも合わさって、一つのASIAN-POPというムーブメントが生まれたら、きっとアジア中でその曲が聴かれるようになるし、それは世界中でも売れる可能性がある。そういうことはあり得ると思います。ただ、時間はかかるし、下準備は必要。そのために積み重ねていくことが大事ですね。

ヒロイズム:確かに。たとえば「ラテン」という括りがあるなら「エイジアン」という括りがあってもいいですよね。そのブームが来ることもあるかもしれない。クリエイターとしても、韓国と台湾と中国と、いろいろ壁はありそうですけど、ライティング・キャンプをやるのは面白そうだなって思います。

――アジア圏でクリエイターたちが切磋琢磨する場を作ることが、未来に向けての一つの種蒔きになると。

伊藤:中国もそうだし、タイにしても、インドネシアにしても、今はクリエイターがどんなものを作るのか全然わからない。でも、行けばわかるんですよ。台湾にしても、みんなセンスがよくて音楽の素養がすごくある人たちだった。今まではクリエイター同士の交流があまりなかった。音楽の国際化にはコンテンツ「輸出」ではダメで、国境を超えたクリエイター同士のネットワークが重要だと思います。一緒に創ることによって、全く新しい音楽が生まれて、広がっていく可能性がある。グローバルヒットだって夢じゃない。だからこそ、コーライトというのが一つのキーワードなんじゃないかと思いますね。

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