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トニー賞4部門受賞 ロンドン版『The King and I 王様と私』公開記念特集



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 渡辺 謙、ケリー・オハラ主演の『The King and I 王様と私』の最新ロンドン公演を映像に記録したロンドン版『The King and I 王様と私』が、9月27日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷他全国にて、凱旋公開される。【第69回トニー賞】で4部門受賞に輝いた本作はブロードウェイ、ウエストエンドとミュージカルの2大聖地の観客を虜にし、チケット入手困難な人気作品としてロングランを記録。ここ日本でも渡辺 謙とケリー・オハラによる来日公演が今年の7月11日から8月4日に東京・東急シアターオーブで行われたが、東京まで足を運べなかった方、そしてチケットが早くに完売したため、泣く泣く諦めた方も多いことだろう。そんな方々に朗報のこの全国公開の凱旋ロードショーを前に、作品の魅力と、最高峰キャストたちによる演技に注目してみよう。

ブロードウェイの歌姫と世界で活躍する名優の奇跡の共演

 ミュージカル『王様と私』は、1951年にブロードウェイで初演された。1860年代のシャム(現在のタイ)を舞台にした政治を司る王様と英国出身の家庭教師をめぐる物語は、アメリカ人作家マーガレット・ランドンの小説を原作にしたもので、ミュージカルの要である音楽をブロードウェイの伝説のコンビ、作曲家のリチャード・ロジャースと作詞家オスカー・ハマースタインⅡが担当。「シャル・ウィ・ダンス?」をはじめとする名曲の数々がこの作品から生まれた。1956年にはユル・ブリンナーとデボラ・カーの共演で、映画化もされている。

 その名作に挑んだのが俳優の渡辺 謙だ。2015年にブロードウェイで19年ぶりにリバイバル公演される舞台で、“王様”に抜擢。ミュージカル未経験の彼を指名した演出家のバートレット・シャーは、王様を演じるのに欠かせないカリスマ性と威厳を持つ役者ということを起用の理由にあげた。相手役の家庭教師アンナにはブロードウェイで愛されている女優ケリー・オハラが決まった。

 渡辺 謙は、すでにハリウッドでは確かな地位を築き上げ、『ラストサムライ』、『バットマン ビギンズ』、『インセプション』など出演作が続き、それらはヒットもしている。でも、撮り直しが出来る映像作品とは異なり、ミュージカルは、毎回ライブの舞台で、セリフも歌も英語で、さらに踊らなくてはいけない。その違いは、あまりに大きい。出演者揃っての稽古が始まる前に、彼が単独で専門家についてセリフの発音、イントネーションの徹底した特訓、さらに歌唱指導を受ける日々に密着したNHKのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル』が2015年5月に放送されたが、想像を絶する努力を55歳の経験豊富な役者が毎日毎日地道に重ねる様子は、役者の孤高の姿を浮かび上がらせると同時に、チャレンジャーであり続ける崇高なスタンスが感動的だった。そして、『王様と私』は、開幕と同時に批評家からも絶賛されて、大ヒット。【トニー賞】でも9部門で候補となり、主演男優賞は逃したが、授賞式のスピーチで主演女優賞を受賞したケリー・オハラが“My king”と渡辺 謙を讃えた言葉がとても印象的だった。

 そんなミュージカル『王様と私』がブロードウェイ公演を終えた後、2018年7月から約3か月間、ロンドンのウエストエンドでも上演された。それから約1年、遂に日本でも渡辺 謙とケリー・オハラの『王様と私』が上演されたが、わずか29公演のみだったこともあり、チケットの入手は困難を極めた。「観たかったのに、チケットを買えなかった」と嘆いた人もきっと大勢いるだろう。そんな方々に朗報だ。ロンドンのパラディウム劇場での舞台が映像化されて、劇場で上映されることになった。アンサンブルに大勢のアジア系アメリカ人が起用されたブロードウェイのカンパニーとは出演者が異なり、ロンドンのカンパニーにはヨーロッパ各地に住むアジア系の人々が出演、王様の側近であるクララホム首相には大沢たかおが起用され迫力ある演技を披露している。

 物語は、シャム王室の家庭教師に採用されたアンナ・レオノーウェンズが息子のルイと共にバンコクの港に着いたところから始まる。時代は、19世紀半ば、アジアでは男女格差が顕著で、王室は一夫多妻制、王様には第一夫人のチャン夫人をはじめ何人もの妻と子供がいる。アンナは、彼らの教育係を担う。一方で、高い経済力と軍事力を背景にしたヨーロッパの列強国によるアジアの植民地化が進行していて、劇中でも「カンボジアはフランス占領下に」というセリフが登場し、王様は自国を守るべく、「シャムを壁で囲おうと思う時もある」と嘆く。君主の苦悩と孤独が浮き彫りになるシーンだが、セリフから「パズルメント」という単語を早口で連射するような歌への展開がとても滑らかで自然。この渡辺 謙のソロ・パートは、前半の見せ場のひとつで、人々の前では威厳に満ちた王がひとり素直に弱音を吐き、難題に頭を抱える人間らしい姿を見せる。

 東洋と西洋、シャムと英国では言語だけではなく、挨拶の仕方や服装をはじめ、習慣も信仰も文化も大きく異なる。それをお互いに理解しようと、アンナは、間違いを正しながら、シャム王国の外の世界を子供と婦人たちに教える。それはある面で、自分たちが信じてきたことを覆し、王様の権威を脅かすことでもあり、教育をめぐり王様とアンナは衝突することもある。その仲を取り持つのがチャン夫人。王様の第一夫人として知性と教養を身につけ、英語を話し、若い妃たちのために通訳を務める。また、洞察力にも優れて、ロイヤルファミリーのまとめ役でもある。そんな彼女が、アンナが亡くなった夫トムへの愛を語りながら、恋人たちのために歌う「ハロー、ヤング・ラヴァーズ」を聴きながら見せる反応、まるで自分の感情にあらためて気づいたような表情と、直後に王様と触れ合った時の錯綜する思いがせつなさを醸し出す。彼女はきっと王様を心から敬愛し、本心では自分だけの夫にしたいのだろう。

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映画館のスクリーンで、感動をもう一度


 映像のいい点は、繊細な心の機微が顔に表れた、その表現をしっかり噛みしめられることだ。チャン夫人を演じるルーシー・アン・マイルズの冷静でありながら、複雑な感情表現の演技に心が揺れる。彼女も【トニー賞】ミュージカル部門で助演女優賞を受賞している。そんな実力派は、ロンドン公演直前に交通事故に遭い、悲劇を乗り越えての出演で、舞台では杖を使用している。

 全編を通して、主演女優と助演女優の演技と歌がとにかく素晴らしい。19世紀半ばという時代と文化を背景に、ともに控えめで、可憐な女性を演じつつ、むやみに熱唱することなく、ナチュラルな発声のたおやかなヴォーカルで、心情を歌で吐露する。その淡い響きの気品に満ちた歌に思わず聴き入り、心から共感し、感情を揺さぶられる歌に会場からも惜しみない拍手が送られる。この万雷の拍手が映像にライブの臨場感をもたらし、感情を咀嚼する手伝いをしてくれる。

 渡辺 謙は、来日公演を控えた取材で、ロンドンの観客はまるで吉本新喜劇を見ているかのように受けまくり、笑いが起きていたと語った。『王様と私』ってそんなにおもしろい作品だっけ? と思っていたが、実際に映像を観ると、驚くほど至るところで笑いが沸き起こっている。よく観ると、たとえば、王様がやたら“エトセトラ”を連呼するコミカルな動作や、アンナに自分より頭が高い位置にいてはならぬと厳命して、わざと床に寝そべったりするシーンで笑いが起きている。それらの演技にはおそらく渡辺 謙のアドリブが入っているのではないか。それにケリー・オハラが素直に呼応しているように見える。長い公演で信頼関係が築かれている二人だからこそ自然に生まれるやりとりに対して、笑いとなって観客が反応しているのだと思う。おそらく台本にはない彼のアドリブは少なくなく、それによって王様がどんどん進化していったのだろう。

 そう思うひとつにハイライトシーンでもある王様とアンナが「シャル・ウィ・ダンス?」のリズムにのせて、華麗に踊る場面がある。これも事前の取材で彼自身が、思いが重なり、王としてではなく、ひとりの男として彼女に触れようとするが、許されることではないと思いとどまる。開幕直前にそんな演技プランが浮かび、打ち合わせなしに試してみると、ケリー・オハラも手の動きに合わせて、サッと身を引いたと語っている。華麗ではあるけれど、グッと心が痛くなるような感覚を憶えるのはそのせつなさが伝わるからだろう。そんな禁断の恋というロマンスの一方で、個人的には異文化の東洋と西洋がダンスという素敵な行為を通じて、ひとつになった瞬間にも見えた。

 初演された1951年当時は、おそらくブッダを信仰する神秘的な王国、シャム(タイ)はまだアメリカ人にとって遠い存在だったのではないか。“イースト・ミーツ・ウエスト”のエキゾチックな魅力と、王様と家庭教師の対立とロマンスを描き、さらに隣国ビルマからの貢ぎ物だったタプティムと恋人ルンタの悲恋が涙を誘うストーリーとして盛り込まれた、全体にロマンティックな作品として受け止められていたと思う。

 でも、世界がグローバル化された現在、このリバイバル公演では「異なる文化背景を持つ者同士の相互理解」が大きなテーマになった。そのもとで、ユル・ブリンナーが演じたヴァージョンではカットされた歌「おかしな西洋の人たち」という歌が、妃たちが晩餐会に合わせて英国風ドレスを試着するシーンで歌われる。ウエストを絞った窮屈なドレス、足が痛くなる靴を揶揄した歌で、英国人は、シャムの人々を野蛮と呼ぶけれど、でも、シャムから見れば、西洋の文化も奇妙と返す歌だ。それがバートレット・シャーの演出で復活したのだ。

 見る視点によってさまざまな魅力が浮かびあがる2015年版の『王様と私』。渡辺 謙の主演に対してチャレンジと前述したけれど、それは母国語ではない英語で演じることだけ。ラストシーンで病床に臥す王様の病んだ弱々しい表情など、役者としての一流ぶりを随所でとことん見せつけられる。演出家のチョイスは正しかった。また、東洋を舞台にした作品では大勢のアジア系俳優に活躍のチャンスが与えられる。エンドクレジットを見つめながら、それがまたうれしい。来日公演を観られなかった人だけでなく、観た人も再び感動の余韻に浸れる映像作品。その満足感は半端ない。


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