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Special

DJ HASEBE × DJ KOMORI スペシャル対談 ~平成のDJ、クラブ、音楽を語り尽くす

インタビュー

 いよいよ、平成もカウントダウン。90年代から現在まで、トップDJとして常にクラブの、音楽制作の第一線で活躍する2人=DJ HASEBEとDJ KOMORIが、DJデビューの頃の思い出や知られざるエピソードからDJとして今の想いまで、たっぷりと平成30年間のDJ、クラブ、音楽を語り尽くしてもらった。

「クラブDJとしては一番チャレンジャーな時期だった。」

−−まず時代を遡りたいと思いますが、平成元年(1989年)の頃、おふたりはどんな環境にいらっしゃいましたか?

DJ KOMORI(以下:KOMORI):僕が11歳の頃ですね。ギリギリ、洋楽を聴き始めた頃だと思います。ホイットニー・ヒューストンがスーパーボウルで国家を歌っていたり(1991年)、マライア・キャリーがデビューしたり(1990年)していた頃だから。今も、R&BとかUSのTOP40やヒップホップをベースにしているので、その頃から好きな音楽は変わっていないですね。

DJ HASEBE(以下:HASEBE):僕は高2、3の時期。その頃、ダンスをやっていてレコードは買っていたけど、ターンテーブルは持っていなくて、DJという感じではなかったな。でも、近所のディスコでバイトをしてました。

−−当時、強烈に覚えているヒット曲はありますか?

HASEBE:GUYとかボビー・ブラウンとか、ニュー・ジャック・スウィングの出だしの頃だよね。ボーリング場に行って、PVのジュークボックスでボビー・ブラウンとテクノトロニックとかを流してました。ボビー・ブラウンは、やっぱり当時、わかりやすい感じだったし。



▲Bobby Brown - Every Little Step


−−HASEBEさんがクラブDJとして活動し始めたのはいつ頃でしたか?

HASEBE:高校を卒業して、19歳の時にDJを初めたんだよね。同じくらいの年に芝浦GOLDもオープン(1989年)して、先輩がGOLDでイベントをやっていたので、そういう繋がりで(クラブには)スッと入っていけたかな。

−−当時のGOLDって、私も実際には経験したことがなくて。でも、とにかく…

KOMORI:「凄かった!」って聞きますよね。

HASEBE:僕はオープンの翌年からDJで回していて、当時は4階建くらいの倉庫だったんですよ。入り口が1階にあって、オープニング当時は本物の象がいた。

KOMORI:えっ!マジで象が!?

HASEBE:俺が見たのは1回だけだったから、ずっといたわけじゃないんだけど。

−−当時を象徴する楽曲というと?

HASEBE:いっぱいあるけど、なかでもソウル2ソウルの「Back To Life」だね。

KOMORI:ああ、確かにその曲はHASEBEさんのイメージがありますね。その頃から、ソウル2ソウルが掛るとフロアがバッと盛り上がってたんですか?



▲Soul II Soul - Back To Life


HASEBE:基本的にGOLDはハウスの箱で、あの当時はハウスDJも、明け方の時間は徐々にロービートに落としていってグラウンド・ビートを掛けるみたいな習慣もあったし、ヒップホップのDJも(ソウル2ソウルは)掛けていたから、本当に幅広く掛けられていたと思う。

−−そうしたムーブメントの中、KOMORIさんもDJを目指していったわけですよね。きっかけは?

KOMORI:僕がDJを始めたのは、確か高校2年生頃でしたね。映画の「ジュース」を観て、”やってみたいな”と。先輩にVHSを借りて「ジュース」を観て、(DJのときに)手袋をはめる仕草なんかがかっこよくて”DJっていいなあ”って。最初はレコードを買って家で練習して、高校の友達をちょっと呼んでイベントをやるくらいで、クラブで回すようになったのは、98~99年くらいだったかなと思います。

−−当時、DJを始めたばかりの頃にいつも掛けていた楽曲はありますか?

KOMORI:TLCの2枚目のアルバム『CrazySexyCool』とか、そのあとの『FANMAIL』からの「No Scrubs」とかかな。

−−KOMORIさんといえば、“R&Bの貴公子”と称されるくらい、R&Bのイメージが強いですが、そのイメージはDJを始めた頃から変わっていないんですね。

KOMORI:でも、元々はヒップホップが好きでしたからね。それこそ、2パックとかビギーが出始めた頃だったし、ピート・ロックやギャングスターとかも聴いていました。当時はまさに、HASEBEさんが色々イベントをやっていたころで、僕はHARLEMでやっていた「HONEY DIP」に毎週行ってましたね。だから、HASEBEさんといえばそのイメージ、というのが今でもすごく強いですね。「HONEY DIP」は何年から始まったんでしたっけ?

HASEBE:HARLEMがオープンした97年の4月から2000年いっぱいまでだから、3年半続いたパーティーだね。2001年で自分が30才になるから、もともと「HONEY DIP」は20代で辞めようと思ってた。DJスタイル的にも、渋谷のカルチャーの中のヒップホップ・シーンみたいなものから何か次のステップに行かなきゃな、と思っていて。明確な理由はなくて、感覚的に“一回、区切りだな”と思って。



▲2pac feat Dr.Dre - California Love HD


−−実際に「HONEY DIP」を辞められてから、その後はいかがでしたか?

HASEBE:西麻布のYellowでワタさん(DJ WATARAI)とタケシ(YANATAKE)を連れて「fowl」をやってみた。Yellowでは客層もちょっと変わってくるだろうと思ったし、未知の世界だったからまったく別のコンテンツを取り入れたりもしたけど、「fowl」も3年半やって辞めた。自分のDJのピーク時っていうと、自然に「HONEY DIP」になっちゃうかな。クラブDJとしては一番チャレンジャーな時期で、見ていても面白かっただろうし。その頃は、自分がイベントをコントロールしていかなきゃ、みたいな意識も強かったな。

−−「fowl」のDJプレイを生録音していたミックスを、当時めちゃくちゃ聴いてました。

HASEBE:2001年から2003年の間に出したやつだね。当時、ADATってマルチの8チャンネルの機材で録音して、マイクをフロア・サイドに2本立てて臨場感をステレオで録音しつつ、ライン入力でDJプレイをダイレクトに録音して、MC RYUくんがサイド・マイクで入っているタイミングで録っていった。DJのライブ録音って、80年代のキッド・カプリのミックステープの時代からあったものだけど、大抵はミキサーからのライン入力だけだから、お客さんの雰囲気とかはないんだよね。それを、臨場感つけたライブ録音にしたら面白いな、と。

−−自作のミックスというと、かつてKOMORIさんも毎月発表していました。ミックスの内容はどのように決めていたのですか?

KOMORI:あの頃はレコードだったから、渋谷のマンハッタン・レコードやDMRとかを廻って新譜を仕入れてましたね。新譜がないと作れないから、とりあえずレコードを仕入れて、そこから構成を考えて、と。

−−最近のDJだと、“レコードを買って新譜を仕入れる“という経験をしたことがない子も多そうですよね。

HASEBE:当時はレコ屋ごとにカラーやキャラクターがあって、それぞれのバイヤーがいた。今でいうキュレーション的な意味合いを求めてレコ屋に行ってたなあ。そういう選び方がレコードにはあったから面白かったなと思うけどね。

−−当時、渋谷のレコード屋に行くと、店員の方がDJに「これ、今週分です」と言って、たくさん新譜のレコードを渡している場面にたびたび遭遇しました。

HASEBE:聴かない盤とかもそのままあったけどね。でも、とりあえず持っておかないといけなかったから。

KOMORI:買うというより、確保しておく、という感じですよね。プロモ盤を持っていないと掛けられないし。その頃は週3くらいでレコ屋に行ってましたね。それで、多いときは3、4箱分のレコードバッグを持ってDJの営業に行っていた。

−−今はUSB一つでDJが出来る時代ですもんね。

KOMORI:うん。でも、それで全然いいと思う。

HASEBE:俺もパソコンでDJしてるけど、だったらUSBでいいなと思っちゃうし。今、自分のDJスタイルのテーマというか、今後どうやって見せていったらいいかというのを考えてるんだよね。そういうところでも自分の個性を見せた方がいいと思ってるから。コモタン(KOMORI)は見せ方みたいなのを考えてるな、と思う。トラクターでコントローラーを使って、クラブにある機材だけじゃなくて自分の機材を持ち込んでプレイしている。

KOMORI:今、Pioneerの新しいCDJが普及したから、そっちに乗り換えてUSBでやってもいます。今の時代って、自分が“これだ”って言っても、時代が変わっちゃうとDJとしてやりにくくなることもあるし。音源と同じで、DJのスタイルって機材とも関係が深いんですよね。

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「若い子たちがやっていることが一番イケてると思っているんですよ。」

−−KOMORIさんはHARLEMでR&Bオンリーのイベント「Apple Pie」を2000年からスタートしましたよね。「Apple Pie」でよく流れるアンセムも生まれていった。「HONEY DIP」もそうだと思うんですが、当時、イベントならではの「推し曲」ってどうやって作っていったのかな?と。

KOMORI:「HONEY DIP」でいうと何ですかね?これ、ウケてたなっていうのは。

HASEBE:ベタにブランニュー・ヘヴィーズの「You Are The Universe」かなあ。これはアルバムのレコードがCISCOに1枚だけ入ってきて、タケシが「これ、HASEBEくんっぽいから今日掛けようよ」って言って、それがきっかけだったんだよね。タケシがまだCISCOでバイヤーとして働いていて、途中からDJとして「HONEY DIP」に入ってもらったんだけど。CISCOには「HONEY DIP」で掛かった曲のレコードを入れておく「HONEY DIP箱」があって。それが結構評判が良かったみたいで、だんだん広まっていった感じだった。

KOMORI:ローリン・ヒル「Doo Wop (That Thing)」のイメージも強いですね。



▲Lauryn Hill - Doo-Wop (That Thing) (Official Video)


HASEBE:「Doo Wop」も掛けてたね。僕は結構マライア・キャリーの「Emotions」とかも印象深い。「You Are The Universe」からのルーティーンが自分の中にあって、そこから「Emotions」まで持っていってたね。あとは、プロモ盤だよね。リリース前に配られたプロモーション用のレコード盤なんだけど、各レコード屋に数枚ずつしか入荷されなかったり、特定のレコ屋に1枚しか入っていないこともあって。

KOMORI:ジャクソン・5「I Want You Back ’88 Remix」も、HASEBEさんがプロモ盤でかけていたイメージでした。あれは普通に売ってなかったから、「何だろう」って。

−−「Apple Pie」ではどうでしたか?

KOMORI:R&Bに特化したパーティーだったから、余計にイベント・ヒットみたいなことは意識していて、その結果、イベントも長く続いたのかなと思いますね。それがイベントの強みなのかな、と。今、パッと浮かぶのはNE-YOとか。今振り返ってみると、90年代の終わりから2000年代に掛けて、デズリーやTLCとか、チャート的にもR&Bがすごく強かった時代だなと思う。ヒップホップのクラブって、最初は本当にヒップホップしか掛かってなくて、そこでR&Bとかをアリにしたのが、HASEBEさんですよね。

HASEBE:「HONEY DIP」はアメリカのヒップホップ・カルチャー寄りになりすぎないバランス感を意識してたから。女の子も楽しめるイベント、という感じで、歌モノを多く掛けたりもして。

KOMORI:俺は音楽への入り方が結構ビルボード寄りだったから、そっちも聴いていて、”なんで普通にチャートに入っている曲がクラブでは掛からないんだろう”と思っていたんです。例えばエターナルとか、普通にR&Bの良曲なのに、ヒップホップのクラブでは掛からない。でも、そこまでが掛けるのが「Apple Pie」だったと思います。

−−「Apple Pie」を始めた頃の手応えはどうでしたか?

KOMORI:ヒップホップのDJたちからは賛否両論あったみたい。

HASEBE:へー!

−−確かに2000年くらいって、一番ヒップホップDJの人たちもこだわりを持っていたというか、メイン・タイムでR&Bの曲を掛けること自体に抵抗を感じていたような人が多かったような…。

KOMORI:なんでR&B掛けるんだよ、みたいな(笑)。でも、HARLEMで毎週水曜日にイベントをやり始めて、DJは3~4人だけど、毎週400人くらいのお客さんが来るようになった。そこで、手応えを感じ始めましたね。そしたら、俺たちの少し上の世代の方で、「一緒にイベントやろうよ」と最初に言ってくれたのがHASEBEさんだったんです。

HASEBE:共通の知り合いのDJの子がいて、多分HARLEMで最初に知り合ったんだよね、KOMORIくんとは。

KOMORI:初めて一緒にイベントをやったのは渋谷のUNITY(現在は閉店)でしたね。2006年くらいかな。

−−平成30年間を経て、長年DJをやってきた2人からみて、クラブ・シーンやサウンドなど、変化したなと感じる点はどこですか?

KOMORI:ひとつ、大きかったのは、いわゆる”チキチキ“と呼ばれていたティンバランドたちのサウンドが98~99年に出てきて、あのテンポが確率されたこと。それと、2009年にブラック・アイド・ピーズが「I Gotta Feeling」をリリースして、それを境にDJのスタイルもオールミックスになってきたな、と。その2つが大きな転機かなと思っています。



▲The Black Eyed Peas - I Gotta Feeling (Official Music Video)


HASEBE:僕はティンバランドのチキチキ・ビートはスルーしてたな…。

−−同時代に発表されたTLC『FANMAIL』の音はどうでしたか?

HASEBE:ギリギリだな。「No Scrubs」はかけたけど。

KOMORI:「Silly Ho」は?

HASEBE:ワタさんが掛けてたかな。

KOMORI:あそこは分かれましたよね。俺も最初、ティンバランドとかは分からなかったけど。今考えてみるとアリーヤの「Are You That Somebody?」も98年だから、当時そういうことをやっていたティンバランドがすごいよね。

HASEBE:ビートが遅くて刻みが多いものが身体に馴染まないなと思っていて。だから、今のトラップがまったく馴染まないという感じもある。多分、昔からなんだろうね。

−−逆に、KOMORIさんは常に新しいサウンドも取り込みつつ、というスタイルでしょうか。

KOMORI:僕は、「Apple Pie」では普通にハウスも掛けていたし、ダフト・パンクとかも掛けていた。2007年にカニエ・ウエストが「Stronger」をリリースしたのをきっかけに、ヒップホップのDJもその元ネタであるダフト・パンクの「Harder, Better, Faster, Stronger」を掛けるようになっていって、当時、それを見て「遅いな」って思ったんですよ。「ヒップホップの世界ってこんなに閉鎖的なんだ」って。ダフト・パンクとかも掛けるようにはなるけど、何か言い訳が欲しいんだな、って。

−−「これ、カニエが使ってるから、俺も掛けてるんだよ!」みたいな。

KOMORI:そういう意味では、そこをフラットに見ることができている自分ならではの強みがあるなって思いました。音楽面で素直に見ているというか。そこから、アッシャーが「OMG」を出してクリス・ブラウンもEDM的な曲をやるようになって。それとともに、クラブも大型化していったように思います。日本でも大型のクラブが増えてきて…みたいな。

−−例えばKOMORIさんが参加される超大型パーティーと、「Apple Pie」に来ているオーディエンスとは異なるわけですよね。客層が異なる現場で気を付けていることなどありますか?

KOMORI:基本的に、僕はすべて20代前半の感覚が正解だと思っていて。自分のDJとしてのカラーやプライドはあるんだけど、曲作りやファッションにしても、若い子たちがやっていることが一番イケてると思っているんですよ。

HASEBE:それって、脳科学的にも正しいらしいよ。“何かを得る”ってことに対して、10代後半から20代前半の方が敏感だ、と。

KOMORI:それ、絶対にありますよね。センスとかで言ったら、若者には叶わないかなと思うから。でも逆に、時代も色々廻ってきていて、分かりやすいところだとブルーノ・マーズがニュー・ジャック・スウィングの音で曲を出したり、ダディ・ヤンキーの「Con Calma」もかつてのスノウのヒット曲を使っていたりとか。それに、今でも、普通にブリトニー・スピアーズの「Baby One More Time」とかで若いお客さんが乗ってくれるんですよね。それはやっぱりメロディ感とか、通じるものがあるんだと思います。バックストリート・ボーイズの「I Want it That Way」もすごくウケるし、20代前半くらいでも大合唱になるんですよ。それを見ると、ヒットする音楽って理由があるって思うし、ポップ・ミュージックって面白いなと。

HASEBE:僕はもうあまり若いお客さんに新しいことを届けたい、という思いはあまりなくて。自分で言うのも変だけど、“何か歴史的なものを見たかったらここにおいで“という感じでやってるんだよね(笑)。でも、最近はそこへの扉作りとして、若い子たちと曲作りもしてる。それって今の自分にとって必要なことかなと。特に日本では90年代的なアプローチの曲も増えてるし、自分でも無理なく若い子たちと絡んで、自分のサウンド感をアップデートさせないと、という感覚も生まれている。

−−今回、「平成洋楽」と題した平成の名盤CDが1,000円で再発されているわけですが、お2人から「令和の時代にも残したいアルバム」を伺いたいと思います。

HASEBE:個人的に、ブラック・ミュージックを吸収していた時代に一番衝撃を受けたのはマライア・キャリー『Emotions』と、ジャミロクワイのデビュー作『Jamiroquai』。『Jamiroquai』は、ハウスのダンサーの友だちが日本に持って来て、マライアのバックダンサーたちが”このアルバムでめっちゃ踊ってたから”と教えてくれて、”いやいや、日本でも売ってるから”と思いつつありがたく頂いた。アナログのジャケットを開くと、ジャングルみたいな絵がバーっと広がっていて、それを見ながら聴いていたことをすごく覚えてる。 あと、当時はチャラいなと思っていたけどやっぱりC+Cミュージック・ファクトリーの『Everybody Dance Now!』はアルバムとしてもすごくバランスもいいし、サウンドのイナタさや“ここまで振り切っちゃっていいんだ”、って感じがお見事だよね。

KOMORI:僕はビヨンセの『Dangerously In Love』かな。R&Bがエンターテイメントとして一歩前進したかな、と言う感じがある。それが本当にビヨンセの存在意義というか、ジャネット・ジャクソンもそうだったし、何かひとつレベルが上がったという感じがする。あと、単純にリスニングでいうとベイビーフェイスの絶頂期にリリースされた『Unplugged』。これはめちゃくちゃいい!参加しているのも、ボーイズIIメンやエリック・クラプトンたちで超一流だし。

HASEBE:新しめのところだとワン・ダイレクションの『Up All Night』も結構好き。2000年代に入ってから、インディー・ポップの中にヒップホップ的要素を探すのが好きになったんだけど、そのノリで聴いていくと、このアルバムはクラシック・ロック的な要素やいろんな時代の要素もあって、歌もサウンドもすごくいい。

KOMORI:僕は、カルヴィン・ハリスの『18 MONTH』も。EDMのアルバムとしては、本当にこれが一番クオリティが高いなと思いますね。ここに収録されているリアーナとの「We Found Love」はEDM史に残る名曲だなと思って。今のクラブだと、典型的なEDMだとトゥー・マッチというか、みんなちょっと食傷気味な感じもあって、(EDMの特徴的な構成である)ビルド&ドロップに慣れちゃったから、あれがないと盛り上がれないっていうジレンマもある。「We Found Love」は、メロディはヒップホップやR&Bのコード感なんだけど、構成はEDM的で、今聴いてもかっこいいんですよね。



▲Rihanna - We Found Love ft. Calvin Harris


−−“平成最後の金曜日”となる2019年4月26日に、ここビルボード・カフェ&ダイニングで、2人だけでパーティーが控えています。どんな感じになりそうですか?

KOMORI:最近DJをしていて、“みんなの好きな曲をかけたいな”という思いがすごくあって。だから、お客さんの反応を1曲ずつ見ながらDJしていきたいですね。平成と銘打った年代も幅広いし。

HASEBE:僕は平成初期のものがボリューム的にも多くなっていきそうなので(笑)。でも、逆にEDMとかをかけても面白いかも。ジャンルも幅広く、ごちゃ混ぜにして楽しみたいですね。


写真



DJ HASEBE × DJ KOMORI 平成洋楽プレイリスト

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(V.A.) C+Cミュージック・ファクトリー マライア・キャリー ホイットニー・ヒューストン セリーヌ・ディオン エルヴィス・プレスリー vs JXL アヴリル・ラヴィーン アウトキャスト「サンキュー平成洋楽HITS」

サンキュー平成洋楽HITS

2019/03/13 RELEASE
SICP-31243/4 ¥ 2,750(税込)

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Disc01
  1. 01.エヴリバディ・ダンス・ナウ!
  2. 02.エモーションズ
  3. 03.オールウェイズ・ラヴ・ユー
  4. 04.パワー・オブ・ラヴ
  5. 05.シャイ・ガイ
  6. 06.恋のマカレナ (リミックス)
  7. 07.ヴァーチャル・インサニティ
  8. 08.クレイジー
  9. 09.ライフ
  10. 10.ベイビー・ワン・モア・タイム
  11. 11.リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ
  12. 12.アイ・ウォント・イット・ザット・ウェイ
  13. 13.ジニー・イン・ア・ボトル
  14. 14.ノー・スクラブズ
  15. 15.スムーズ feat.ロブ・トーマス
  16. 16.ラヴ・ドント・コスト・ア・シング
  17. 17.サバイバー
  18. 18.フォーリン

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