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ゴング来日記念特集~伝説的「プログレ」グループ、ゴングをゴングたらしめる哲学
先鋭的かつ遊び心に富んだ世界観を提示し、唯一無二の存在感を放ち続けるプログレ・グループ=ゴングが、元メンバーのスティーヴ・ヒレッジをゲストに迎えた来日公演を10月に開催する。70年代には「ラジオ・ノーム・インヴィジブル」三部作を発表。プログレッシブ・ロックの歴史にその名を残す彼ら。だが、相次ぐメンバー交代と50年以上のキャリアゆえに、その存在を一言で要約するのはなかなか難しい。そこで今回、Billboard JAPANでは、音楽評論家の松山晋也氏にゴングのキャリアについて解説してもらった。来日公演の予習にぜひご一読いただきたい。
ゴングの根底に流れるビジョン
ゴングほど説明が難しいというかややこしいバンドはなかなかいないだろう。なにしろ半世紀という長い活動キャリアの間に数えきれないほど多くのミュージシャンが出入りし、様々な兄弟プロジェクトも派生していった。当然、サウンドもひとくくりにはできない。通常、メディア上では「プログレ」バンドとして紹介されてきたわけだが、ここでの「プログレ」にはビートニク、サイケ/ヒッピー、ジャズ、フォーク、現代音楽、パンク、エレクトロニク、トランス等々、多種多様な音楽/文化モードが内包されている。
当然ながら、ファン層も広範多岐にわたっている。ゴングは96年の初来日以降、これまでに何回も来日しているが、いつだって会場は、筋金入りのプログレ・マニアとおぼしきスーツ姿の中年からトランス・カルチャーにどっぷり浸かっていそうな十代まで実に多様な顔ぶれの客で溢れていた。今回もきっとそうだろう。
が、音楽的多面体でありながらも、同時に、活動/表現の根底を流れるヴィジョンは半世紀の間見事なまでに一貫してきた。簡潔に言うと、バンド創設者であるデイヴィッド・アレンの「インディペンデント=グローバル」あるいは「私=あなた」というヴィジョン、哲学である。それは一種のユートピア思想であり、同時にアナキズム思想でもある。だからこそ、どんなにたくさんのメンバーが出入りしようとも、様々な派生ユニットが同時進行しようとも、ゴングは一つのファミリーとして命脈を保ち続けることができたのだと言える。
カンタベリー・ロックの火をつけたデイヴィッド・アレン
ゴングがデビュー・アルバム『Magic Brother』をフランスの前衛ジャズ・レーベル〈BYG〉から発表したのは69年だが、物語はそのずっと前から始まっていた。
オーストラリアのメルボルンで1938年に生まれたデイヴィッド・アレンは10代でジャズやビートニク文学にはまり、21才(59年)の時にヨーロッパ放浪の旅に出た。パリで出会ったビートニク詩人アレン・ギンズバーグや小説家ウィリアム・バロウズ、前衛音楽家テリー・ライリーなどとの交流を通じて文学や音楽の前衛運動にのめりこんでいったアレンは、61年にイギリスに移り、初の本格的バンド、デイヴィッド・アレン・トリオを結成する。ギター/ヴォーカルのアレン以外のメンバーは、ドラムのロバート・ワイアットとベースのヒュー・ホッパーで、ピアノのマイク・ラトリッジもサポート・メンバーとして参加した。これらイギリスの若者たちはカンタベリーの音楽仲間であり、やがてその音楽サークルは「カンタベリー・ロック」と呼ばれるプログレッシヴ・ロックの巨大ファミリーへと成長してゆくことになる。その母体になったのが、アレンを中心にワイアット、ラトリッジ、ケヴィンエアーズらで66年に結成されたソフト・マシーンだ。バンド名は、アレンの友人バロウズの小説のタイトルからとられた。
▲The Daevid Allen Trio - Dear Olde Benny Green is A-Turning in his Grave
▲The Soft Machine - Fred The Fish (1966)
ユートピア・ロックの金字塔〈見えざる電波の精霊〉3部作
しかしアレンは、麻薬問題などによりイギリス滞在が不可能となり、68年のデビュー・アルバム『The Soft Machine』制作前にソフト・マシーンを脱退し、活動拠点をフランスへ。やがて、パリで詩人として活動していた英国人女性ジリ・スマイスと共に新たに立ち上げたのがコングである。デビュー作『Magic Brother』の段階ではまだ、バール・フィリップス(b)やバートン・グリーン(p)など前衛ジャズ系ミュージシャンたちを巻き込んだユーモラスなアシッド・フォーク・プロジェクトだったゴングが、バンドとしての一体感を整え、評価を確立したのが、4作目『Flying Teapot』(73年)から『Angel's Egg』(73年)、『You』(74年)へと至る3連作、いわゆる〈Radio Gnome Invisible 見えざる電波の精霊〉シリーズだ。スティーヴ・ヒレッジ(g)やティム・ブレイク(kb)、ピエール・モウラン(per)、ディディエ・マレルブ(sax)といった優秀なプレイヤーのカンタベリー系ジャズ・ロック・サウンドに乗って、アレンの素っ頓狂なヴォーカルとサイケデリックなグリッサンド・ギター、スマイスのスペイシーなウィスパー・ヴォイスが自由自在に宙を舞うという70年代ゴングの典型的スタイルは、今でもファンの間で最も人気が高い。
▲Gong - I Never Glid Before - Live 1973
▲Gong - Master Builder (You Album)
生き続けるゴング哲学
しかしこの後、音楽的にあまりにもテクニカルになりすぎたことを嫌ったアレンとスマイスはバンドを脱退。残されたメンバーたちは、『Shamal』(75年)や『Gazeuse!』(76年)といった更に高度なジャズ・ロック・アルバムのリリースを経て瓦解するが、80年代には屋号を引き継いだピエール・モウランがピエール・モウランズ・ゴング名義で同路線の作品を発表していった。
70年代後半~80年代にもアレンとスマイスは独自のユートピア哲学に基づいた活動を続けた。英国のパンク・バンドのヒア&ナウを吸収したプラネット・ゴング、ニューヨークでビル・ラズウェルやフレッド・マー等(後のマテリアル)と組んだニューヨーク・ゴング、あるいはスマイスが新たなパートナー、ハリー・ウィリアムソンと組んだマザー・ゴング等々でたくさんのアルバムが制作された。そして90年代に入るとアレンは遂にゴングを復活させ、『Shapeshifter』(92年)以下のアルバムを発表してゆく。アレン&スマイスの子供とも言うべきゴング・フォロワーの若手ミュージシャンたちを随時加えながら。09年の『2032』では、70年代ゴング・サウンドの支柱だったスティーヴ・ヒレッジもギタリスト/プロデューサーとして参加し、大きな話題となった。
そのヒレッジは、ゴング脱退後はプロデューサーとして活躍する傍らエレクトロニク・サウンドの探求に邁進し、90年代に入るとテクノ/アンビエント的ユニット、システム7を始動させ、60年代ヒッピー・スピリットと70年代プログレ・マナーと90年代レイヴ・カルチャーを統合する独自の世界を作り上げた。『2032』に参加したのは、「しばらく遠ざかっていた技巧的ギター・プレイが恋しくなったから」だと当時の私の取材で彼は語っている。その『2032』ではヒレッジの要請でヴァイオリン奏者の勝井祐二もゲスト参加。以後、ヒレッジ/システム7と勝井/ROVOはライヴやアルバム制作で随時コラボする関係が続いている。
ゴング本体の方も、96年以来たびたびの来日公演を通じて日本とのつながりを深めていった。これもまた一種のユートピア思想の賜物であるレイヴ・カルチャーからのラヴ・コールに応える形で作られたリミックス・アルバム『You Remixed』(97年)ではボアタムズの山塚アイが参加し、03年からはアシッド・マザーズ・テンプルとの合体プロジェクト、アシッド・マザー・ゴングも始動(このユニットで2枚のライヴ・アルバムを発表)。アシッド・マザーズ・テンプルのギタリスト河端一は、ゴングの04年作『Acid Motherhood』にも参加している。
▲Acid Mother Gong - Unconventional Gathering [2007]
デイヴィッド・アレンは2015年3月13日に77才で、その生涯の盟友ジリ・スマイスも2016年8月22日に83才で亡くなった。しかしゴングは今も生き続けている。現時点での最新作『Rejoice! I'm Dead!』(16年)は、アレンの死後、アレンが残した楽曲やヴォーカル音源を用いて現メンバーたち、つまり今回の来日メンバーが作り上げたものだ。ヒレッジやディディエ・マレルブも参加している。アレンは遺言として、ゴングの継続をメンバーたちに託したのだという。
“あなたは私 私はあなた ゴングは一つ 一つはあなた” 〈見えざる電波の精霊〉3部作の最終作『You』の最後に収録された「You Never Blow Yr Trip Forever 永遠の旅」を締めるこの歌詞のとおり、デイヴィッド・アレンという根っこから育った大樹に咲くユートピアの花は永遠に枯れることがない。
▲Gong - You Never Blow Yr Trip / Mother Gong / Selene medley CTTE 2018
文:松山晋也
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