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キミノオルフェ『君が息を吸い、僕がそれを吐いて』インタビュー
ポップスの皮をかぶったド変態なアルバムでした(笑)
キミノオルフェ、待望の1stアルバム『君が息を吸い、僕がそれを吐いて』完成。目覚めて眠りにつくまでの人間の営み、その過程の中で日々生まれるあらゆる感情、生活が詰め込まれたキミの歌たちについて、蟻自身の心境や成長と重ね合わせながら語ってもらった。
疑い気質なのは、幸せと不幸の落差が大きい人間だからだと思います
--蟲ふるう夜に活動停止、そしてキミノオルフェ始動から約2年間の制作期間を経て、遂に1stアルバム『君が息を吸い、僕がそれを吐いて』が完成した今の心境を聞かせて下さい。
▲YouTube「キミノオルフェ - 君が息を吸い僕がそれを吐いて廻せこの星を [MV]」
--なんでですか?
蟻:出し尽くしたときの「もう何もしたくない」みたいな感じではないんですよね。いつものような「もう書きたくない」みたいな燃え尽き症候群ではないんです、今のところ。なんとなくキミノオルフェがそういう活動なのかもしれないですね。結構ポジティブに自分自身がなれるというか、作る過程でも。--作り方がポジティブってこと?
蟻:うん。作り方がポジティブかもしれない。--具体的には、以前とどう違うと思います?
蟻:ワクワクしながら作っていることが多い。言葉も「あ、こんな言葉が出てきた」みたいな感じで自然と出てくるもので、以前は生みの苦しみがあることがあたりまえだったけど、今は結構楽しく作れていますね。--自分の中では、キミノオルフェってどんな音楽表現の場になっているんでしょう?
蟻:今回のアルバム『君が息を吸い、僕がそれを吐いて』全体を通して言えることなんですけど、悩んだりすることって疑うことだなと思ったんですよ。自分の将来を疑ったり、他者を疑ったり、そういう不安とか寂しさが「疑う」ということに集中しているなと思って。私の中では。それを許していこう、というアルバムにしたんですけど、だから最初は疑いの曲が結構多くて、後半にかけて許していく曲が増えてくる。で、許しを覚えるんですけど、また疑うんですよ(笑)。1曲目の「君が息を吸い、僕がそれを吐いて廻せこの星を」に戻っていくんですけど、呼吸というのは繰り返すから。だからこのアルバムも息を吸って吐くように繰り返し聴けるようなアルバムにしたいと思って。でも、バンド時代が「許してほしい」という願いだったとしたら、キミノオルフェは「許すわ」っていうベクトルに向かっている。--そもそもなんでそんなに疑い気質だったんですか?
蟻:疑い気質は……なんででしょうね。たぶん、幸せと不幸の落差が大きい人間だからだと思います。それを繰り返してきたからかな。小学生の頃に両親が離婚して、それで母親がスナックで働きながら私たち子供3人を育ててくれて、その中で私も「親代わりにならなきゃ」と思って、弟と妹の母親代わりになって育てているつもりだけど、でも小学校にひとりで行けばイジメられている。その強さと弱さの落差みたいなものをずーっと引きずっていて、それが繰り返し起きていたんですよね。そういうところから疑い気質になったんだと思う。--今の話で言えば、強い自分や優しい自分ですら疑わざるを得なかった?
蟻:そうですね。あと、こんなに頑張っているのに自分が不幸だと……社会的不幸な位置みたいな。それに対する不満? 自分の中では不幸だと思っていないし、家族もすごく良い家族だから「幸せな家庭に生まれた」と思っているけど、社会的には可哀想な目で見られているからそのギャップがある。--「社会的不幸」「可哀想な目で見られている」というのは、具体的にどういうときに感じるんですか?
蟻:新しい服を着れていないとか……これは昔のトラウマなんですけど、冬に半袖で学校に通っていたんですけど、自分が半袖であることに気付いてなかったんです(笑)。半袖しか持っていなかったから、半袖とか長袖という概念がなかった。服と言えば半袖しかなかったから、あたりまえのように毎日それを着るっていう。でもまわりはだんだん「え、寒くないの?」「あそこは貧乏だから。片親だから」みたいな目で見てくるようになるんですよね。--子供からの成長過程でマイノリティである自分を実感してきた結果、そう感じるようになったということですね。でも今は大人になって状況は変わってきている訳じゃないですか。当時より裕福ではある。
蟻:そうですね。家族もみんな東京に来て自由に暮らしてますし……だから歌が優しくなったんですかね? その変化によって疑いだけではなくなった。不満とか怒りとかだんだん無くなってきましたからね。話し合いで解決できるようなことが増えている。--拳を振り上げなくてもよくなった?
蟻:アハハハ! 拳で語らなくなってから2年ぐらい経ちます。--比較的最近まで拳で語っていた(笑)。そこの変化に対する葛藤もあるの?
蟻:葛藤というか……若干の寂しさはありますね。その当時の歌詞はもう書けないので。でもそれは「寂しい」という言葉じゃないのかな。懐かしむ感じはありますね、そのときの良さを。--でもその拳で語っていた頃の自分は完全消滅した訳ではないですよね。その頃の片鱗は今回のアルバム『君が息を吸い、僕がそれを吐いて』にも残ってはいますよね?
蟻:やっぱりベースが曇り空の下なので。でも「ベースが曇り空の下」というのは、このアルバムを作って気付いたかもしれない。アルバムの最後の曲「おやすみまた明日」という曲に「晴れ間のような君との時間」という歌詞があるんですけど、それは自然と普通に出てきた言葉なんです。でもプロデューサーから「これが蟻らしいよね」と言われて。「え、何が?」と聞いたら「晴れ間というのは、雨とか曇り空のときにしか生まれないし、気付かないよね」って。それで「あ、そっか」と思いました。「雨とか曇り空の下にいるから、そういう小さな光に気付けるのかな」っていう自分の新しい発見はありましたね。今作はそんな感じのアルバムです。リリース情報
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Interviewer:平賀哲雄|Photo:Jumpei Yamada
「この子を守る為に戦う」盾と槍で言ったら盾から槍に持ち変える感覚
--疑うところから信じていく流れがこのアルバムにあるとしたら、今挙げた「おやすみまた明日」はその象徴のような曲ですよね。「晴れ間」というワードはたしかに蟻らしいけど、曲全体の印象としては数年前の蟻では書けなかった歌なんじゃないかなって。
蟻:書けないですね。例えば「air」とかも完全に愛を歌っていますからね。--この曲はどんな経緯で生まれたんでしょうか?
蟻:飼い猫が病気になって、それで「私はこんなに猫に依存していたんだな」と思ったんです。死んじゃいにそうになって初めて「どうしよう? 居なくなったら私はどうしたらいいんだろう?」っていう悲しさの中で「あ、これは依存してるな」と思って。それで私は「依存しちゃダメだ」と思ったんですよね。それで「この依存を自分が母親になるという覚悟に変える為にはどうしたらいいんだろう?」と思って、「居なくなったらどうしよう」と考えるんじゃなくて「居なくならない為にどうしよう」と考えることに決めたんですよ。その決めたときの曲ですね。--今「母親になるという覚悟」という表現があったんですけど……
蟻:あ、子供は出来てないですよ(笑)? 私、昔から「母性がすごくある」と言われていて、それはたぶん弟と妹に対して芽生えていたものだったと思うんですけど……あと、バンドメンバーにも。弟と妹を育てる代わりに東京で「バンドメンバーを育てたい」っていうモードになっていたと思うんですけど、でもそのバンドが活動停止して……簡単に言うと、それが猫に移ったんです(笑)。そういう意味での「母親になる」。でもこの曲はその母性からの卒業も歌っている曲でもあるので、だから「母親になるという覚悟」じゃないですね。父親になる覚悟です。ある人に「母性を卒業したら父性を学ぶんだよ」という面白い話を聞いたんですけど、私はここが母性からの卒業試験だったと思うんですよね。猫の手術費とかも莫大にかかったし、そしたら稼ぐ力とか「この子を守る為に戦う」といった、盾と槍で言ったら盾から槍に持ち変える感覚が芽生えてきて、その変わり目の歌ですね。--では、今現在は槍を持って戦っている?
蟻:槍を持ち始めていますね。最近また新しい試みもたくさん始めていて、短編映画の監督をやったりとか、どんどん攻めに転じようという気持ちになっています。今はそれが楽しくてしょうがない。守っているときは「満たされる」と「耐える」があったなと思うんですけど、でも攻めているときは「楽しい」がたくさんある。何でも無茶できるし、無茶していいんだって感じがするし、今はそういう時期だからと自分で決めて動いています。--狩猟民族になったんですね。
蟻:そうです。たぶん、おなかが空いているんですよ(笑)。--だから次から次へと新しいことにも挑戦していけていると。
蟻:クリエイティブをガツガツやっていきたいし、突き詰めていきたいと思っています。その変化が今回のアルバム『君が息を吸い、僕がそれを吐いて』では表現できている。ほとんどのMVも自分で撮ってますし、それはこのアルバムではかなり意味があることかなと思っていて。--既視感のない、新しい映像作品もどんどん創れていることに驚いています。なんでここまでの映像作家に成り得たんでしょう?
蟻:それは歌詞の書き方にあると思いますね。元々、歌詞を書くときも絵を描いて想像を膨らませていたので、それが単純に映像になったっていう。だから何の苦労もなくディレクションみたいなことは出来ています。絵コンテが書けたというのは結構大きいかもしれないですね。言葉だけで「こういう映像が撮りたいんだけど」ってカメラマンに伝えてカメラマンの理解で撮っちゃうのと、絵で書いて「これが撮りたいんだけど」ってカメラマンに伝えて撮るのとでは全く違うと思うので。絵は昔からヒマがあれば書いていたので、それが活きている。--それによって作品を立体的に表現できるようになってきた。
蟻:だから面白いです。リリース情報
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Interviewer:平賀哲雄|Photo:Jumpei Yamada
やっぱりどこかで血が騒ぐんでしょうね。争いの血が(笑)。
--それだけ多角的な表現方法を用いるようになったのは「バンドじゃなくひとりになったから」という側面も影響していますか?
▲YouTube「私たちは今、命の上を歩いている / 蟲ふるう夜に (mushifuru)」
--結果論かもしれないですけど、その心情や状況ってキミノオルフェの在り方とは相性がとても良いですよね。これが4人のプロジェクトだったら「キミの歌をうたう」という感覚やベクトルも少し違うものになっていたでしょうし。
蟻:全然違ったと思います。ひとりを感じられないと誰かのぬくもりとかって感じにくいですもんね。「おやすみまた明日」の歌詞にも同じことが書いてあって。「寂しいって思えたら 誰かの寂しさに気づける」--今日語ってくれたような回路からアウトプットされた楽曲たちが、聴き手に対してどんな効果をもたらすことが出来たらいいなと思いますか?
蟻:1曲目「君が息を吸い僕がそれを吐いて廻せこの星を」は朝の出勤時に聴いてもらいたいんです。そして、最後の「おやすみまた明日」は寝るときに聴いてほしいなと思っていて。そこまでの過程の中では戦ったり、何かを守ろうとして傷ついたり、いろいろ考えたり悩んだりするんですけど、最後は「寝るときぐらい頭をちょっと休ませてあげようよ。1日中いっぱい考えたんだから大丈夫だよ」みたいな感じで癒やされて安らいでもらって。で、また1曲目へ戻って「頑張ろう」と思いながら1日を始めていく。その1日1日の繰り返しに寄り添えたらいいなと思ってます。--その1日を物語るアルバムの中で「マイナー調のBGMがいい曲に聞こえた」という曲の歌詞がすごく良いなと思ったんですが、こちらはどういった経緯で完成したものなんでしょう?
▲YouTube「キミノオルフェ - マイナー調のBGMがいい曲に聞こえた [MV]」
--圧倒的に蟻らしい歌詞になったと思いますし、キミの歌をわたしの歌に昇華していく作業が今作の中には他にもたくさんあったと思うんですよ。蟻が説得力を持って、想いを込めて歌える楽曲にしていった結果が『君が息を吸い、僕がそれを吐いて』というアルバムになっているのかなって。
蟻:まさにそうですね。歌詞の中に「黄金の一行を入れる」という話をスガ シカオさんが仰っていて、私もずっとそうやってきていて、その一行の為にすべてが存在する作り方。例えば「マイナー調のBGMがいい曲に聞こえた」だったら「「僕」は「僕」でしか埋まらない」になるんですけど、ここだけは絶対に嘘をついちゃいけないなと思っていて。私じゃない主人公を通して黄金の一行で私が何を言えるか。そこはキミノオルフェでは毎回考えているかもしれない。--そうしたポップスアルバムの中に「虫ピン」が入っているのも面白いです。
▲YouTube「キミノオルフェ - 虫ピン [Farewell, Friend ver., session with brightwaltz] 」
--「共感できるな」とか思って曲を聴き進めていったら、虫ピンで標本に張り付けられているという恐ろしいアルバム。
蟻:そういうことです(笑)。--この曲は蟲ふるう夜にを終えてすぐに作った曲ですが、自分では今改めて聴くとどんな印象を持たれたりしますか?
蟻:自分の中に降りてきた感じがしていて、たぶん数年後とか、もしかしたら10年後とかにやっとすべてを理解するのかなって。そういう感じがしている曲です。蟲ふるう夜にで言うと「青の中の一つ」がそういう曲だったんですけど、書いている当時は何を書いているか分からなかったんですよ。でも溢れ出るものを殴り書いていて、それが5年経ったら「あ、こういうことが言いたくて書いていたんだ」とか「こういう気持ちに変化していく為にこの曲を作ったんだ」と気付けたんですけど、この「虫ピン」もそういう風に育っていく。私が育っていくことによって変わってくる雰囲気を感じているんですよね。「自由を手に入れた君は 誰より 誰より 誰より 美しかった」という最後の一文は、たぶん自由を手に入れたときの自分を想像しているんだと思いますし。--でもそのときは「傷だらけで小さくなって 震えていた」という状況になっているわけですよね。
蟻:そうですね。--とんでもない歌詞を書きましたよね。
蟻:文章量も多いですしね。歌を乗せることを考えずに作っている曲なので、インストとして完成している曲の上にポエトリーをぶち込んでる。ピアノvs言葉みたいな構成になっているんですけど……やっぱりどこかで血が騒ぐんでしょうね。争いの血が(笑)。--比較的優しい印象を与えるアルバムになっているのに、この曲がそれを嫌がっている感じが凄いよね。「虫ピン」からの流れをちゃんと意識しながら「おやすみまた明日」を聴くとこの曲も少し怖く感じるというか、おやすみまた明日……助けてー! 逃がしてー!という感覚にならなくもない(笑)。
蟻:変態チックに聴こえる。大体、どの曲も変態目線で書いてますからね。--そう考えると、いちばん狂気的なアルバムとも捉えられる。危ねぇアルバム(笑)。
蟻:ポップスの皮をかぶったド変態なアルバムでした(笑)。--見えなかったものが見えてきた(笑)。
蟻:このインタビュー読んで、またイチからアルバム聴き直す人いると思いますよ。--解釈が大きく変わっていく。でもキミの歌だからそれでいいんでしょうね。さて、これからのキミノオルフェはどうなっていくんでしょう?
蟻:このアルバムをファンと一緒に育てていきたいです。それでこのアルバムが成長したらまた新しいアルバムが生み出されると思うんですけど、まずはファンと会話がしたいですね。--『君が息を吸い、僕がそれを吐いて』という言葉もそこで結実する感じがします。
蟻:そうですね。なので、7月15日のワンマンライブもファンと話せる機会を作ったりするんですけど、そうやって曲を成長させていく。そして、また次回のアルバムが完成したときには平賀さんにインタビューしてもらいたいと思います(笑)。リリース情報
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Interviewer:平賀哲雄|Photo:Jumpei Yamada