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スクリッティ・ポリッティ来日記念特集 ~高橋健太郎が語る80年代NYと『キューピッド&サイケ'85』の衝撃
2006年の奇跡の初来日から11年。80’sポストパンクの伝説、スクリッティ・ポリッティがいよいよカムバックを果たす。バンドは遡ること1977年、グリーン・ガートサイドを中心に、イギリスのリーズで結成された。そこから今日までに発表されたアルバムは、わずか5枚という寡作ぶり。しかし、全英チャート5位を記録した1985年のセカンド・アルバム『Cupid & Psyche 85』は、当時最先端の技術とデジタル楽器を駆使したハイブリッドな音作りによって、その後のポップ・ミュージックに多大なる影響を及ぼし、今も語り草となっている。異形のソウル・ミュージックはどのように生まれ、今日の耳にどう響くのか。音楽評論家の高橋健太郎氏に語ってもらった。(取材・文:小熊俊哉)
『Cupid & Psyche 85』前夜 ~ 12インチ・シングル3連発の衝撃
――スクリッティ・ポリッティのことを意識しだしたのは、いつ頃でしたか?
高橋:あの緑色のアナログ盤ですね、なんだっけ。『Song To Remember』よりも前に出た……。
――79年のEP『4 'A Sides'』ですかね。
高橋:それそれ。その頃はニューウェイヴのシングルをとにかく買っていたんですよ。新しい動きを知るために、〈ラフ・トレード〉みたいなレーベルから出ているものは何でも買う、そういう時代だった。で、スクリッティ・ポリッティは最初は正体がよくわからなかったんだけれど、「The Sweetest Girl」が出て、ベン・ワットなんかと一緒にロバート・ワイアットの流れでよく聴くようになった。
▲Scritti Politti - Skank Bloc Bologna
――78年のシングル「Skank Bloc Bologna」にしても、いかにもポストパンクな脱構築サウンドで謎だらけって感じですもんね。グリーン・ガートサイドはビートルズに次いでロバート・ワイアットの影響を公言していて、「The Sweetest Girl」ではワイアット自身がピアノを弾いているわけですけど、この曲も収録した最初のアルバム『Songs To Remember』(82年)はどんな印象でしたか?
高橋:当時も年間ベストに選んでいたと思います。それくらい大好きだった。ニューウェイヴって、基本的にはポップであざとい音楽じゃないですか。そういうのとは少し違うソングライター性がありますよね。「こいつ音楽好きだな、レコード掘ってるな」みたいな(笑)。そういう感触は初期のシングルからあった。
――只者じゃないぞと。レゲエ、ソウル、ファンク、ジャズと趣味の良さも窺えますしね。
高橋:横並びだったパンクやニューウェイヴの連中とは、違う何かを持っていますよね。モノクローム・セットのビドもそうだし、パンクのフリをしたソングライターみたいな。一番象徴的なのはエルヴィス・コステロだったけれど、そういう類の才能を『Songs To Remember』にも感じました。音の肌合いもなんかやさしいし。
▲Scritti Politti - The Sweetest Girl
――それに今聴くと、オブスキュアな再発レコードに通じる魅力がありますよね。
高橋:そうそう。〈エル・レコーズ〉の作品とかと一緒で、どの時代に出てきてもおかしくないインディー・フォークみたいな部分があるよね。そういう意味では、『Cupid & Psyche 85』は強い時代性を感じるけど、『Songs To Remember』は普遍的なソングブックみたいな趣きがあると思う。逆に言えば、このアルバムを聴き込んでいたから、そのあとのシングルでひっくり返ったんですよ。「Wood Beez」を最初に聴いたときは、もう信じられなかった(笑)。
▲Scritti Politti - Wood Beez (Pray Like Aretha Franklin)
――『Cupid~』に先立ってリリースされた、「Wood Beez」「Absolute」「Hypnotize」という12インチ・シングル3連発は、当時のリスナーに衝撃を与えたみたいですね。
高橋:とにかく新しいと思いました。その頃はダンス系の12インチをカットするのが流行していたけど、大半のアーティストは業務用というか、流行りのリミキサーに任せる感じだったんですよ。でもスクリッティは、自分たちでそこに斬り込んで、誰よりも新しい音を作ってしまった。そこが最高にオリジナルだったと思う。その12インチ連作が『Cupid~』にも繋がっていった。
――そういう作風の変化は、同時期のヒップホップやエレクトロの影響が大きくて、83年にグリーン・ガートサイドがNYに渡ったのとリンクしていたわけですよね。その辺りを、当時のリアルな現場感覚を知る健太郎さんに語っていただきたいです。
高橋:僕は82年の夏にNYとジャマイカを旅行したんですけど、ちょどその時、NYではアフリカ・バンバータが大流行していたんですよ。そこら中で黒人がラジカセを抱えていて、街中のあちこちで「Planet Rock」が流れていた。当時の僕はレゲエにどっぷりで、ヒップホップはまだ知らなかったからビックリしましたよね。「これが今のNYか!」みたいな(笑)。
▲Afrika Bambaataa - Planet Rock
――日本でヒップホップが普及するのは、もう少し後の話ですよね。
高橋:そうなんですよ。それでジャマイカに飛ぶ前日にNYでブラック・ウフルのコンサートを観に行ったら、前座がアフリカ・バンバータで。「こいつらステージでレコードかけて踊ってるんだけど……何やってるの?」って(笑)。もう訳がわからなかった。
――「手抜きかよ!」みたいな(笑)。
高橋:あまりに驚いたものだから、もう一回、ヒップホップを観に行かなきゃと思って。翌年の夏もNYに行ったんです。その1年間でヒップホップの商業化がかなり進んで、ロキシーという大きなクラブがあったんですけど、そこにアフリカ・バンバータが毎週レギュラーになっていて、白人も大勢訪れていた。入口前は凄い行列で、入れてもらうのも大変でしたよ。ハービー・ハンコックがビル・ラズウェルと組んだ「Rock It」がブームになったのもその時期で。
▲Herbie Hancock - Rock It
ビルボードライブ公演情報
取材・文:小熊俊哉
ソングライター的な資質とヒップホップから進化したプロダクションの両立
――ビル・ラズウェルって、若い世代のリスナーには見過ごされている人物かもしれないですね。『Cupid~』を制作するにあたって、デヴィッド・ギャムソンと共に、マテリアルのメンバーだったフレッド・マーがバンドに加入したのも大きかったと思うんですけど。
高橋:でも、80年代中盤は完全にビル・ラズウェルの時代でしたよ。「Rock It」もそうだし、バンバータやジョン・ライドン、坂本龍一とも絡んでいて。彼や周辺にいたアンダーグラウンドの頭がいい人たちが、ヒップホップをメジャーなものに押し上げていった。とにかく、あの時期に最先端を突き進んでいた人で、スクリッティも影響されていたんじゃないかな。
――実際に交流もあったみたいですね。そういった背景を踏まえて、スクリッティが「新しい」と感じたのはどのあたりでしょう?
高橋:今話したようなNYの動きと、イギリスのロックは基本的に別物と思って聴いていたら、『Cupid~』のシングルで、その両方がいきなり一体化してしまった。もちろん、それ以前のイギリスにもヒップホップの影響はあったけど、先に話したようなソングライターの資質と、アメリカのヒップホップから進化したプロダクションの両立。その融合を完璧にやってのけたものは、それまでなかったと思うんだよね。
▲Scritti Politti - Absolute
――その話でいうと、『ミュージックマガジン』1985年8月号のクロスレヴューで、中村とうようさんが『Cupid~』に10点満点を付けているんですけど、同じ見開きに掲載されていたのが、プリファブ・スプラウト『Steve McQueen』、スティング『The Dream of the Blue Turtles』、スタイル・カウンシル『Our Favourite Shop』の3枚で。
高橋:(誌面を見ながら)ああ、ほんとだ。
――この4枚とも、アメリカへの憧れとブラック・ミュージック志向を持つ、イギリス人ソングライターによる代表作ですけど、そのなかでも『Cupid~』の図太いビートは異彩を放っていますよね。それこそ、“Englishman in New York”的な距離感があったから制作できたアルバムだと思うし、「白人による黒人音楽の加工」という、ビートルズから今日のインディーR&Bまで連なる系譜においてもエポックメイキングだったのかなと。
高橋:今でこそインディーR&Bが盛り上がっているけど、やっぱりR&Bは数年前まで、お金が注ぎ込まれたメジャーなものがカッコイイという文化だったじゃない。でも、80年代半ばもインディーR&B的なものがおもしろかった時代だったんだよね。そもそもヒップホップがインディー文化だったし、アメリカのアンダーグラウンドでは、ヒップホップ的なトラックにヴォーカルを載せたR&Bが流行っていた。そのなかでも、僕が好きだったのがチュルラ・ムーン。
▲Tululah Moon - If You Want Love
――かなり『Cupid~』チックでカッコイイですね(笑)。しかも、リリースされたのは同じ85年。
高橋:12インチなのに(ミュージック)マガジンで年間ベストに選んだら、角松敏生さんも挙げていました。それで、こういう音楽を担い手だったのは黒人だけではなかったんですよ。プエルトリカンやラテン系もいたし、ジョージ・タシロという日本人のエンジニアも活躍していて。このチュルラ・ムーンはデューク・ブーティ制作で、歌こそ本物のR&Bだから違うけど、サウンド・プロダクションは当時のスクリッティと近いものがある。そういうふうに、いろんな人種が混ざって新しいR&Bを作るシーンがNYにあった。そこをイギリス人のグリーンが掬っていったと。
――状況的にも、現在のインディーR&Bと近かったんですね。ただ、スクリッティは渡米前に〈ラフ・トレード〉を離れていて、『Cupid~』は〈ヴァージン〉から発表されている。
高橋:だから、感覚的には当時のアンダーグラウンドな要素を取り入れているけど、メジャーに移籍したことで予算をかけられるから、アリフ・マーディンやスティーヴ・フェローンなどを招聘することができた。そこはデヴィッド・ボウイがナイル・ロジャースを引っ張り出して、『Let's Dance』を作ったのと同じような側面もあるよね。
▲David Bowie - Let's Dance
――NYの音とグルーヴを獲得するために、本場の一流ミュージシャンに力を借りようという発想ですよね。ポストパンク的な幻想を捨てて、NYでポップスターとして一花咲かせようとしたのも当時のボウイと近い。
高橋:あとはレコーディング・アーティストに徹していますよね。『Cupid~』でグリーンの歌い方が変わったじゃないですか。
――彼の代名詞である、甘くとろけそうなファルセットはこの時期からですよね。
高橋:あれは(レコーディング時に)物凄く小さな声で歌っているんですよね。大きい声を出しちゃうと、あの感じは出ない。裏を返せば、録音する時点で、ステージでのパフォーマンスは頭になかったことになる。
ビルボードライブ公演情報
取材・文:小熊俊哉
後続世代と『Cupid & Psyche 85』
――グリーンがある時期からステージ恐怖症になったことも、『Cupid~』の完成度に繋がっているんでしょうね。同作のプロデューサーを務めたアリフ・マーディンは、アレサ・フランクリンからノラ・ジョーンズまで手掛けた大御所で、この時期にはチャカ・カーンにも携わっていましたけど、彼の貢献についてはどう見ています?
高橋:この時期のアリフ・マーディンは、60年代や70年代のときほど音楽そのものには深入りはしていないんじゃないかな。人材の配置がメインだった気がします。ただ、ソウル系のプロデューサーはヒップホップの波が訪れたときに、まったく無反応でオーガニッックなスタイルでやり続けた人と、新しいものを積極的に取り入れた人に分かれたんだけど、アリフ・マーディンは後者だった。この作品の前後には、ダンス系の12インチも数多くプロデュースしていて、そういうところにも『Cupid~』のサウンドの断片みたいなものは見え隠れしていたと思う。
▲Chaka Khan - I Feel For You
――あとは、アレサ・フランクリンに捧げた曲(“Wood Beez”)を作るために、彼女をプロデュースした張本人を呼ぶところにこだわりを感じますよね。近年だと、ダフト・パンクの『Random Access Memories』にも通じる発想というか。
高橋:プロデューサーの起用もサンプリング的だよね。まあ、イギリス人ってそういうところ、ミーハーだから(笑)。
▲Aretha Franklin - Rock Steady
――『Cupid~』の音色って、いわゆる80年代サウンドそのものじゃないですか。機材の進化がシーンの発展に直結していた時代の産物でもあると思うんですけど、そのあたりはいかがでしょう?
高橋:DX7の透明感や、フェアライトのキラっとしたサンプリングもそうだし、リンドラムと生ドラムの組み合わせも印象深いですね。YMOも(高橋)幸宏さんが生ドラムとローランドのドラムマシーンを重ねていたけど、そのあたりにも通じている。あとはギターが特徴的ですね。まったく歪みのないクリーンな音色で、ライン録りしたものにコーラスがかかっている。この「チャチャーン」という響きがメチャクチャ80年代的だし、フュージョンっぽい。これは後年になると物凄く嫌われた音色だけど(笑)、当時はアイコンになっていて。近年だとボク・ボク(Bok Bok)がこういうギターを使っていて、「スクリッティっぽい!」と思いました。
▲BOK BOK featuring KELELA - Melba's Call
――ボク・ボクは、2017年の最先端とされるケレラの新作『Take Me Apart』にも参加していますよね。『Cupid~』のピカピカした音色も、80’sリヴァイヴァルを通過した今日のリスナーには新鮮に届きそうな気がします。
高橋:そういえば少し前だと、トロ・イ・モアにもスクリッティっぽい要素を感じました。本人が意識していたのかはわからないけど、最初の2枚はそういう感じがしたかな。近年はまた違う感じだけど。
▲Toro Y Moi - Causers Of This
――いわゆるチルウェイヴは、ソウルやシンセ・ファンクをルーツにしていたから、無意識のうちにリンクしたのかもしれないですね。グリーンも近年のお気に入りに、ネオン・インディアンの名前を挙げているみたいです。
高橋:あとは、ニコラス・ケルコヴィッチもそうだよね。ライヴでもスクリッティの曲をカヴァーしていたし。
――彼はソングライティングの部分でも、ニューウェイヴ以降のブルー・アイド・ソウルを受け継いでいる感じがしますね。スクリッティっぽさでいうと、個人的にはマックス・ツンドラが思い浮かびます。
高橋:あー、僕も好き。『Parallax Error Beheads You』ってアルバムは完全にスクリッティ意識したプロダクションでしたね。
▲Nicholas Krgovich - City of Night
▲Max Tundra - Which Song Video
――そういう『Cupid~』の影響って、リリース直後はどんな感じだったんですか? アリフ・マーディン繋がりで、チャカ・カーンやハワード・ジョーンズはモロな感じでしたけど。
高橋:日本も随分あったと思うよ。細野(晴臣)さんのF.O.Eもスクリッティっぽい感じがするし。
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取材・文:小熊俊哉
スクリッティ・ポリッティの90年代以降と現在
――そもそも当時の日本では、スクリッティってどういうふうに受け止められていたのかも気になります。当時のフールズ・メイト(1985年2月号)に掲載されたインタヴューも読んできたんですが、記事タイトルから「形式と内容についての問題は基本的に迷宮的なものだ」という難解ぶりで、内容もよくわからなくて(笑)。
高橋:たしかに哲学的なイメージは強かったね。歌詞もそういう感じで、そこもやっぱりロバート・ワイアットから来ているんじゃないかな。
――「僕はジャック・デリダに恋してる」と歌う曲もありますしね(「Jacques Derrida」)。あとグリーンは、ルックスが抜群に良かったじゃないですか。知的で新しくてカッコイイ、アイドル的要素の三拍子を満たしていたのかなと。
高橋:そういう部分は英国的な音楽のファンにはたまらなかっただろうね。僕はNYのアンダーグラウンドな音楽にハマっていたから、その流れでスクリッティを捉えていた部分もあるけれど、ヒップホップは基本的にマッチョな文化だから、英国音楽ファンにはあまりアピールしない。でも、『Cupid~』が出たことで、その架け橋になったところはあるんじゃないかな。
――さらにスクリッティは、マイルス・デイヴィスにも影響を与えていますよね。マイルスの86年作『TUTU』では、『Cupid~』にも参加したマーカス・ミラーが共同プロデューサーを務めていて、そこでスクリッティの「Perfect Way」をカヴァーしている。
高橋:あの頃のマイルスは、プリンスやスクリッティみたいなことをやりたかったんだよね。とにかく売れたかったから、新しいことに貪欲だった。
――そこからの縁で、スクリッティの88年作『Provision』に収録された「Oh Patti (Don't Feel Sorry for Loverboy)」で、マイルスがトランペットを吹いている。ここ数年、グリーンとよく共演しているホット・チップのアレクシス・テイラーは、その「Oh Patti」を初めて聴いたときに「これってプリンスじゃん!」と思ったそうです。
▲Miles Davis - Perfect Way
▲Scritti Politti - Oh Patti (Don`t Feel Sorry For Loverboy)
高橋:本人たちが意識し合っていたわけではないだろうけどね。音的には、『Around The World In A Day』(1985年)あたりの作品からは交差する部分もあったと思うけど、人間性のほうが近いんじゃないかな。どっちも社交的じゃないし、スタジオに籠っちゃうタイプだよね。
――いつの時代もそうですけど、そういう内向的な人たちが80年代のイノヴェイティヴを支えていたんでしょうね。
高橋:そうそう。ファンクみたいなことをやっているけど、肉体性とか汗やこぶし、そういうのが前面化するんじゃなく、すごくインナーな別世界を作っている。そこが新しかった。
――90年代以降のスクリッティについては、改めてどうですか?
高橋:いやー、99年の『Anomie & Bonhomie』をさすがに(今聴くのは)厳しいだろうと思って、ゆうべ聴いてみたら、意外と悪くなかった。グルーヴもすごく良くて、申し訳ありませんでしたって感じ(笑)。
――モス・デフ(現在はヤシーン・ベイ)がラップしている「Tinseltown to the Boogiedown」のようにヒップホップ志向が前面に出たのもあって、当時の評判は芳しくなかったみたいですね。でも、ミシェル・ンデゲオチェロが参加した「Die Alone」の硬質な感じとか、彼女がプロデュースしたマーク・ジュリアナのソロ作を彷彿させるところもあって。
▲Scritti Politti - Die Alone
高橋:そうそう、基本のブラック・ミュージック解釈みたいのはしっかりしているんだよ。そこは『Songs To Remember』から一本の線になっている。
――2006年の復活作『White Bread Black Beer』のDIYなベッドルーム・ポップも、今聴くといい塩梅ですね。ブライアン・ウィルソン志向の曲もあったりして、もうひとつのルーツが顕わになった感じ。
高橋:揺り戻しでイギリス的な音に立ち返ったんだろうけど、ルイ・フィリップとかあの辺にも近い感じだよね。そういう意味で、この人のソングライティングには初期の頃から変わらない味わいがあると思う。ところで、今回の来日公演はどんな曲をやるんだろう?
――聞くところによると、『Cupid~』の曲はもちろん、初期作から近年のナンバーまで満遍なくプレイする予定みたいです。2006年の初来日公演では、セットリストの大半が新作のナンバーで占められていたので、これは嬉しい情報ですよね。
高橋:(曲目を眺めながら)ここまでキャリアを網羅した感じになっているのは、ソング・ショーケース的な観点からもおもしろいんじゃないかな。
▲Scritti Politti Live in Krems(2017年)
――バンド・メンバーは、2006年の最新作や来日公演にも参加していたディッキー・ムーア(ギター)と、彼と一緒にバンドを組んでいるローリ・マースデン(キーボード)、ホット・チップのメンバーでもあるロバート・スモートン(ドラムス)。YouTubeで確認したところ、演奏もしっかりした感じだし、グリーンも62歳とは思えないほど美声を保っています。
高橋:どんなライヴになるんだろうね。でも、『Cupid~』で突出してしまったがゆえに、良くも悪くも当時のイメージが強すぎて、ソングライターとしてのおもしろさが見えにくくなったところはあるでしょ。だから、その後のアルバムが地味だと言われたりもしたわけだけど、(月日の経過によって)そういうのも関係なくなってきたんじゃないかな。むしろ今は、ちょうどいい頃合いというか。
――うんうん。
高橋:ニコラス・ケルコヴィッチだって、アルバムでは凝ったことをしているけど、ライヴではピアノの弾き語りでさ。あのざっくりした感じもいいんだよね。そういうふうに、イギリスのソングライターとして楽しむのがいいと思う。そういえば僕ね、『Steve McQueen』のアコースティック版が大好きなんですよ。
――2006年のレガシー・エディションで新規収録されたヴァージョンですよね。(同作のプロデューサーである)トーマス・ドルビーの80's的なプロダクションから解き放たれて、楽曲の良さが浮き彫りになっている。
高橋:あれは最高だよね。同じような感じで、「Wood Beez」も「時代の音」とは離れた感じで聴けたらいいと思うな。
Scritti Politti Video Message for Billboard Live TOKYO
ビルボードライブ公演情報
取材・文:小熊俊哉
アブソルート
2013/10/02 RELEASE
TYCP-60060 ¥ 1,543(税込)
Disc01
- 01.ウッド・ビーズ (アレサ・フランクリンに捧ぐ)
- 02.アブソルート
- 03.ザ・ワード・ガール
- 04.パーフェクト・ウェイ
- 05.ヒプノタイズ
- 06.オー・パティ
- 07.ゼア・シー・ウォズ
- 08.UMM
- 09.ティンゼルタウン・トゥ・ザ・ブギーダウン
- 10.ダイ・アローン
- 11.ブラッシュト・ウィズ・オイル、ダステッド・ウィズ・パウダー
- 12.スカンク・ブロック・ボローニャ
- 13.ザ・スウィーテスト・ガール
- 14.アサイラムズ・イン・エルサレム
- 15.ジャック・デリダ
- 16.シーズ・ア・ウーマン
- 17.ア・デイ・レイト・アンド・ア・ダラー・ショート
- 18.ア・プレイス・ウィ・ボウス・ビロング
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