Special
東京パフォーマンスドール“DREAM CRUSADERS”高嶋菜七(リーダー)単独インタビュー
「今の私にはTPDで夢を叶えることしか考えられない。」
先代・東京パフォーマンスドールも立った日本武道館や横浜アリーナ、そして世界中で活躍するグループになることを目標に掲げ、衝撃的な舞台【PLAY×LIVE『1×0』】でデビューしてから4周年を迎えたばかりの新生・東京パフォーマンスドール。このタイミングでリーダーである高嶋菜七への単独インタビューを敢行! 彼女の幼い頃からデビューに至るまでの生い立ちを初めて掘り下げつつ、過去最大規模の中野サンプラザ公演までの日々、そして未来へ懸ける想いも語ってもらった。TPDとそのリーダーの覚悟、ぜひ感じてもらいたい。
新生TPDリーダーの半生「普通の女の子としての生活は大阪に置いてきた」
--2017年の夏はいかがですか?
高嶋菜七:7月はずっと【魔都夜曲】(※藤木直人主演の音楽劇。TPDの高嶋菜七と浜崎香帆は李香蘭役で出演している)の稽古と本番という感じでした。8月もその舞台の地方公演があるので、TIF(TOKYO IDOL FESTIVAL 2017)は3日中1日しか出られなかったんですけど、あとはメディアへの活動や各地でのリリースイベントの日々だと思います。なので、プライベートで夏っぽいことをやれるかどうかは分からないんですけど、すごく充実してますね。--休みが取れたら何をしたいですか?
高嶋菜七:旅に出たいです。--疲れてるの(笑)?
高嶋菜七:アハハハ! ケータイから離れた生活を送ってみたい! マネージャーさんから呼び出されないように(笑)。--いわゆる青春時代と言われる期間はTPDにすべて費やしてきたと思うんですけど、例えば夏休みは友達と海に行ったり、好きな人とお祭りに行ったり、そういう普通の女の子としての日々には憧れていたんですか?
東京パフォーマンスドール(Tokyo Performance Doll)/PLAY×LIVE『1×0』EPISODE 1 Official Digest
--16歳なんてみんな恋愛のことばかり考えてる訳じゃないですか。でも高嶋さんはそれを一切スルーして生きてきた訳ですよね。
高嶋菜七:無関係なものとして生きてきました(笑)。なので、これはメンバー全員そうだったと思うんですけど、恋愛におけるトキメキをドラマやマンガで補っていたんですよ。例えば、ちょうど上京した頃に放送されていた、藤木直人さんと篠原涼子さんが出演されていた『ラスト シンデレラ』を観てキュンキュンしたりして、それで満たされる。だからそんなに「恋愛したい!」という感じにはならなかったですね。そういう普通の女の子としての生活は大阪に置いてきたんで。--今日はその「大阪に置いてきた」日々も含め、高嶋菜七の生い立ちについて話を伺いたいのですが、芸能界を目指す前はどんな女の子だったんですか?
高嶋菜七:芸能界に自分が入るとは思っていなかったんですけど、憧れてはいました。テレビっ子だったので、バラエティもドラマもぜんぶ観ていたし、音楽番組も『ミュージックステーション』とか『FNS歌謡祭』とかよく観ていたし、人が歌ったり踊ったりしているのを観るのも好きだったんです。特にグループ。E-girlsさんとかモーニング娘。さんとかAKB48さんとか大勢の女の子たちがパフォーマンスしている姿を観て「可愛いな。煌びやかやな。目の保養やなぁ」と思っていたんで、いざ自分がTPDに入ったときは「あんな風になれるんかな?」と思っていました。--どういう流れでTPDに入ろうと思ったんですか?
高嶋菜七:流れ的には、私は進学校に通っていたんですけど、進学校だから周りの子はしっかりとした将来像があったんです。看護師の道を歩む人だったり、CAの道を進む人だったり。その中で自分も「国際弁護士になる」とか「CNNのアナウンサーになる」といった夢を描いていたので、TPDに入るきっかけとなったオーディションを母の勧めで受けたときも「アナウンサー志望です」と言っていたんです。喋るのも好きだし、人と関わっていたい気持ちも強くあったし、何より安定した収入が欲しかったんですよ(笑)。--ミーハーな感覚じゃなく、収入重視でアナウンサーになりたかったと。
高嶋菜七:何故ならそれまで留学させてもらったり、親に色々な経験をさせてもらっていたので、その分「しっかり返さなきゃあかん」という気持ちが強くて。でも母から「いろいろ挑戦してみてもいいんじゃない?」と言われてそのオーディションを受けて、そしたら「まず好きな曲を選曲して歌ってください」と言われ、私、選曲なんてカラオケでしかしたことないし、自分の歌を誰かに評価してもらうような経験もなかったんで「どうしよう?」と思ったんですけど、でも私は洋楽が好きだったんで、留学時代によく聴いていたテイラー・スウィフトの「ラブ・ストーリー」を歌って、その後に「歌いながら踊ってください」と言われたからKARAさんの「GO GO サマー!」を踊ったんですよ。そしたら「東京に来てください」と言われ、今度はいろんな大人の方々に審査されるんですけど、そのときに何かで笑いは取れたんですね。--お笑いの審査ではなかったんですよね?
高嶋菜七:そういう審査ではなかったんですけど(笑)、何故か笑いが取れたんです。それで和んだんですけど、私はオーディションを受けるのが初めてだったし、何が正しいのかも分からないし、まぁ受かってないだろうなと。当時から仲良かった上西星来(後のTPDメンバー)とも「ウチらはムリやろうな」「でも楽しかったね」ぐらいの感じだったんですよ。でも「受かりました! 東京パフォーマンスドールのメンバーになります」と言われて。当然「本当に?」と驚いたんですけど、世代的に東京パフォーマンスドールのことは知らなかったのでポカーンだったんですよ。母は知っていたんですけど、とんとんとんと話が進んでいって、舞台をやって、CDデビューして……という感じだったので、本当に目まぐるしかったです。--今の話の中で気になったポイントをいくつか掘り下げていきたいのですが、まず「親に色々な経験をさせてもらっていた」と仰っていましたよね。具体的には、親御さんにはどんな風に育ててもらっていたんでしょうか?
高嶋菜七:両親が「子供には好きなことをやらせたい。でもちゃんとした人に育ってほしい」ということで、習い事にたくさん通わせてもらっていました。多分、今よりその頃のほうが忙しかったんですよ(笑)。月曜はピアノ、火曜は書道、水曜だけオフで、あとは野球とか水泳とか生け花とかパソコン教室とか何らかの習い事の予定が入っていて、やがてシンガポールに留学させてもらうことにもなるんですけど、当時はその有り難さが分かってなかったんです。でも大人になっていくにつれて「あぁ、こんなにも色々な経験をさせてくれていたんだ。有り難いな」と思うようになって……母にも父にも昔から「自分の人生なんだから、自分で道を決めなさい。でも人様には迷惑をかけないように」という教えを受けていて、だからこそいろんなことを体験させてくれたんだと思います。--当時はそれだけたくさんの習い事に「やりたい」と思って通っていたんですか? それとも親にやらされている感覚?
高嶋菜七:やらされている感覚はなかったですね。友達とドッジボールとか縄跳びとかして遊びたいとは思っていましたけど、習い事は基本的に全部「やりたい」と思って通っていたんです。欲張りなんで「あれもやりたい、これもやりたい」ってなっちゃう。でも結局続いたのは野球とピアノと塾でした。--なかなか女の子で「野球をやりたい」と思うのは珍しいと思うんですが、なんでやってみたいと思ったんでしょう?
高嶋菜七:私のお父さんも野球をやっていたので、親の影響は絶対にありますし、ご飯の時間も野球中継が流れている家だったんですよ。昼は高校野球、夜はナイター中継。そういう環境で育っていたので、実際によく野球観戦にも行ってましたし、小さい頃から「野球は楽しいもの」と思っていたんです。それで小1のときに幼なじみの男の子が2人いて「3人で少年野球チームに入ろう」ということになって、そのチームには2コ上の女の子がいたんですけど、私の学年は私ひとりだけ。でも「男の子の中に女の子ひとりでいるのがイヤ」とは思わなかったし、小さい頃は男の子にすごく憧れていたので、すごくサバサバしてたし、スカートを穿かされるのもイヤがるし、髪の毛もベリーショートだったし、響きが可愛いから「菜七ちゃん」って呼ばれるのもイヤがる子だったんですよ。「菜七ちゃんて呼ばんとって!」みたいな。ドッジボールも好きだったし、ベイブレードって知ってます? あと、ムシキングとか遊戯王とか。--ぜんぶ、完全に男の子の遊具ですよね。
高嶋菜七:ハハハハ! 弟がいたこともあって、そんな遊びばかりしてたんです。だから野球チームに入るのも私からしたら自然だったんでしょうね。ずっとショートとセカンド、内野手をやっていました。--野球は楽しかったの?
高嶋菜七:楽しかったんですけど、途中で男の子と女の子の力の差が出てきてしまって、だんだん「野球するより遊びたい」という願望も出てきてしまってサボったり。それで母から「自分でやりたいって言ったんだからちゃんとやりなさい」って怒られたりしてました。--でもここまでの話を聞いていると体育会系というか、活発な女の子だったんですね。
高嶋菜七:スポーツの成績、人生で5以外取ったことないんですよ。スポーツと音楽は得意でした。そこだけは絶対に成績を落としたくないと思っている子供でしたね。--では、元々TPDのようなグループには向いていたと。
高嶋菜七:体力にはめっちゃ自信あります。だからダンスサミット(※先代TPDから続くノンストップライブ)でもそこまで息が上がらないんですよ。そういう持久力は当時から培っていたのかもしれない。- リーダーを任せられて「TPDの顔はあなただから」と言われたときは怖かった
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リリース情報
東京パフォーマンスドール ダンスサミット“DREAM CRUSADERS"~最高の奇跡を、最強のファミリーとともに!~ at 中野サンプラザ 2017.3.26
- 2017/08/02
- DVD盤[ESBL-2495(DVD)]
- 定価:5,500円(tax in.)
- 詳細・購入はこちらから>>
関連リンク
Interviewer:平賀哲雄|Photo:Jumpei Yamada
リーダーを任せられて「TPDの顔はあなただから」と言われたときは怖かった
--ピアノはどうして習いたいと思ったんですか?
高嶋菜七:そこ、聞いちゃいます? 私、ピアノを7年間習っていたんです。でも今「ねこふんじゃった」しか弾けないんです。--なんで(笑)?
高嶋菜七:私もビックリです。あんまりピアノの記憶がないというか、ピアノの先生とポップコーン作りをしていた記憶しかないんですよ(笑)。それで眠っちゃってお母さんが迎えに来ていたみたいです。だからお遊びで習っていたんですよね。香帆(浜崎香帆)とか神宮(神宮沙紀)はちゃんとピアノを習っていたから今でも弾けるので、今になって「私もちゃんとやっておけばよかった。ピアノの弾き語りとか出来たかもしれない」と後悔してます。--神宮さんはTPDのライブでも弾いてましたもんね。
高嶋菜七:弾いてましたね!--でもリーダーは「ねこふんじゃった」しか弾けない。
高嶋菜七:逆にそっちのほうがキャッチーかもしれない。7年間も通っておいて「ねこふんじゃった」しか弾けない(笑)。--シンガポールに留学したきっかけは?
高嶋菜七:小学校4年生のときに留学したんですけど、母がそういうお仕事をしていたこともあって「行ってみる?」と聞かれて、当時は何も怖いものがなかったので無邪気に「行ってみる」と答えて。まず見学がてら家族旅行でシンガポールへ行ったらすごく楽しかったから、ひとりでも大丈夫と思ったんでしょうね。でもいざ留学したらすぐホームシックになって、スカイプで毎日ママに「帰りたい、帰りたい!」と泣き喚いて。でも何とか半年は頑張って、そしたらだんだん英語が聞き取れるようになってきたんですよ。留学先には日本人の友達もいっぱいいたんですけど、甘えて日本語を使っちゃうからなるべく近づかないようにしていたら、英語でコミュニケーションが取れるようになって。その嬉しさと共に「もっと英語を習いたい」という気持ちになって、本当は2年で帰る予定だったところを3年まで延ばすことになったんですよね。だんだん楽しくなっちゃって。--では、その時点で新しい環境で知らない人たちと暮らしたり、仲良くなっていく鍛錬みたいなものは出来ていたんですね。
高嶋菜七:私、小学生の頃から転校ばっかりしてるんですよ。小4でシンガポールに転校して、シンガポールの中でもインターナショナルスクールからローカルスクールに移ったりもしていて、計4回ぐらい転校してるんです。なので、新しいグループやコミュニティに入っていくことに対して不安や抵抗があんまりないので、TPDに入ったときも最初からみんなにめっちゃ話しかけてましたし、全然大丈夫でした。それも子供の頃に培ったものだと思います。--本当に、親御さんに幼い頃からいろんな経験をさせてもらっていたんですね。ちなみに、高嶋家はどんな家族なんですか?
高嶋菜七:まず父について話しますと、父は若い頃からスポーツマンで、それは私にも大きな影響を与えてると思ってます。父は甲子園も出ていて、そこではキャプテンだったんですね。だからリーダーシップ性みたいなものも父から受け継いだんだろうなと思ってます。--では、お母さんは?
高嶋菜七:母はめっちゃお茶目というか、心がすごく若いんですよ。私の友達と勝手に遊んでいたりするし、TPDのライブにもオレンジのワンピース姿で来たり、上西の母とふたりで頭に花つけて来たりするんです(笑)。嬉しいんですけどね、応援してくれていますし、私に対して「あの髪型はアカン。ライブ中ボサボサになってるから、こっちだけ結びなさい」とかそういうアドバイスもくれたりしますし。基本的には「自分の道を進みなさい」という考え方で、でも「勉強は勉強でしっかりやりなさい」とも言ってきますね。あと、ケンカしたら引かないところが似てるかも。よく母から「ガンコちゃん!」と言われます。--弟は?
高嶋菜七:弟は2コ下で、あるとき「やりたいことをやる」と言って弟も留学したんです。私とは違うところなんですけど。あと、お姉ちゃんが大好き(笑)。シスコンとまでは言わないですけど、よく連絡してきます。「何?」「何もない」とか「服、どれがいい?」とか……昔はよくケンカしていたんですけどね、今は「かわいい弟やな」と思います。--そんな家庭の中で自分はどんな子供だったんでしょう?
高嶋菜七:「自分はお姉ちゃん」という自覚が2才のときからあったらしく、お母さんが妊娠して弟を出産する時点で「ひとりで何でもせなアカン」としっかりしていたみたいです。正義感も強かったみたいで、悪いことしている子がいたら「それはダメだよ」と言ったり……強かったんですかね。--今日の話の節々に今の高嶋菜七の原点が垣間見えるというか、こうなるべくしてなった印象を受けるんですが、でも元々は人前で歌って踊るパフォーマンスの道を目指していなかった訳ですよね?
E-Girls / Follow Me ~Short Version~
--そこで知り合ったTPDのメンバーたちは、リーダーにとってどんな存在?
高嶋菜七:安心する存在。仲良しです。よく「本当に仲良いんですか?」と聞かれるんですけど、本当に仲良いんです。何かを形にしていく上での意見の言い合いはありますけど、例えば「あのさ!」みたいなケンカはない。あと、家族より長い時間を一緒に過ごしているので、私の中ではライバルというよりは……もちろんライバルでもあると思うんですけど、それより仲間意識のほうが強い。友達でもあるんですよ。それでいて同じことを頑張っている仲間でもあるし、家族でもある。だからTPDがたとえいつか解散したとしても、連絡は取り合うんだろうなと思いますね。--「友達でもある、家族でもある」と何の躊躇もなく言えるところが、このグループの凄いところだなと思います。歴史あるTPDのメンバーになるということに対しては、最初どんな感覚だったんですか?
高嶋菜七:そんなに大きいことだと最初は思ってなかったです。でもこの世界に入ってからだんだん東京パフォーマンスドールというものの凄さに気付いていって、先代が立った日本武道館も横浜アリーナも大きい会場であることは分かっていたんですけど、そこに辿り着くまでの大変さも徐々に分かっていった感じだったんですよね。最初は「すぐ武道館行きます! すぐ横アリ行きたいです!」と何も知らないがゆえに言っていたんですけど、こうして活動してきて4周年も迎えると「そんなに簡単なことではない」と気付きますし、そこまで辿り着けずに辞めていく人たちのほうが多いことも知る。でもだからこそ「ウチらは本当に行きたいんだ」と思う。それは中野サンプラザでのワンマンを経験してより強く思うようになりました。--そんなTPDのリーダーに選ばれたときは、どういう気持ちだったんでしょう?
高嶋菜七:最初にスタッフさんに呼ばれて「リーダーになってくれますか?」と言われたんですけど、誰かを引っ張っていったり、グループをまとめ上げていくということがオーディションのときから出来ていたらしいんですよ。特に意識はしていなかったんですけど、例えば「こっち行こう、みんな」って自然とやっていたみたいで。あと、デビュー前も学校で文化祭の実行委員をやっていたりとか、何かの幹事みたいなものも気付いたらやっていて、私のそういう感じをスタッフさんたちが見抜いていたんでしょうね。ただ、実際にリーダーになってみたら、結局何かがあって呼び出されるのはリーダーだし、逆に「リーダーだから真ん中に立ててるのかな?」「リーダーだから歌割りが多いんかな?」と思ったりもするし、その「リーダーだから」というものが自分の中でずっと引っ掛かっていて、「もし自分からリーダーというものを取ったら握手会にもあんまり人が来なくなるんじゃないか」みたいなことまで考えるようになっちゃって、それで悩んでいた時期は正直ありました。今はリーダーとして「TPDが今置かれている状況を乗り越えていこう」とか迷わず思えるんですけどね。--当時はプレッシャーもあった?
高嶋菜七:東京パフォーマンスドールをやっていくこと自体のプレッシャーがあって、その中でリーダーを任せられて「TPDの顔はあなただから」と言われたときは怖かったです。私の発言、私の行動、そのすべてがTPDの発言になり、行動になる。そう言われるとやっぱりプレッシャーを感じましたし、それで空回りしてみんなに「ちゃんとやろう!」「これしたらアカン!」って強く当たってしまっていたところもあったんで……でもみんなそれぞれに自分のことが出来ているメンバーなので、徐々にそれは無くなっていきましたね。ただ、当時は「頑張らなアカン、頑張らなアカン」ってすごく気負ってしまっていました。リリース情報
東京パフォーマンスドール ダンスサミット“DREAM CRUSADERS"~最高の奇跡を、最強のファミリーとともに!~ at 中野サンプラザ 2017.3.26
- 2017/08/02
- DVD盤[ESBL-2495(DVD)]
- 定価:5,500円(tax in.)
- 詳細・購入はこちらから>>
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Interviewer:平賀哲雄|Photo:Jumpei Yamada
今の私にはTPDで夢を叶えることしか考えられない。
--そこから結成4周年を迎えるところまで経験を積んできて、今のTPDはどんなグループになっているなと感じますか?
東京パフォーマンスドール(TPD)ダンスサミット at 中野サンプラザ 2017.3.26 【LIVE DVD&BD Trailer】
--中野サンプラザのDVDのどんなところを観て「良いグループだな」と思いました?
高嶋菜七:まず冒頭の登場シーンで9人が立ってるシルエット。もうあそこで「良いグループだな」と思ったんですよ! その後にメンバー同士で顔を結構見合わせるんですけど、その姿を客観的に見たら「あ、楽しそうでいいな」と思ったんですよね。あと、あの数のペンライトを自分たちのそれまでのワンマンで観たことがなかったし、本当にあの日は幸せだったんですよ。「やっててよかった!」って今までの中で最大級に思えました。そんな中野サンプラザを経たからこそ「もっと先へ行きたい」という想いが強くなったし、「この景色をもっと大きい会場で観たい」とも思うようになれたんです。あれ以上の感動を味わえるんだったら「よっしゃ! これからも頑張っていこう!」と思えました。だから周りの友達とかが日々楽しそうに暮らしていたとしても「私たちにしか出来ない楽しいことがある」と思って頑張れるんですよね。--実際、観ている側からしてもずっと目標として掲げてきた日本武道館や横浜アリーナへのドリームロード、そこに本格的に踏み出した感覚はありました。ようやくここまで来たんだなと。ただ、そこに辿り着くまでにはいろんなことがありましたよね。知らない人もいるかもしれないですけど、新生TPDの結成当初のメンバーは9人じゃなく10人で、CDデビュー前から大きな逆境があった訳じゃないですか。
東京パフォーマンスドール(Tokyo Performance Doll)/PLAY×LIVE『1×0』EPISODE 5 Official Digest
--でも当時は今ほどグループ内の絆は強くない訳ですよね?
高嶋菜七:今と全然違いました。別にその当時も仲が悪かった訳じゃないんですけど、やっぱりまだメンバー間に壁があったというか、猫をかぶってるメンバーもいっぱいいたし、そんなにすぐ打ち解けられるものでもないじゃないですか。だから「どうなるんだろう?」とは思っていましたけど、それこそ10人から9人になる事態があってメンバー同士の絆が深まったところはあるんですよ。あれに直面したからこそ、今の9人は誰かが居なくなったらどれだけ迷惑をかけることになるかもよく分かってるし、だからこそこの9人で4周年を迎えるぐらいずっと一緒にやって来れたんだと思います。なので、あれはある意味良い経験だったのかなって。--そんな9人をひとつにする大きなきっかけとなった【PLAY×LIVE『1×0』】。新生TPDの始まりであるあの舞台に挑戦できたこと、今振り返るとどんな感慨を持たれたりしますか?
高嶋菜七:あれをやっていたグループは他にいないですよね?--いないですね。完全にアイドルの枠組みを超えた総合芸術でしたから。メンバーは「これは総合芸術だ!」なんて思う余裕もなく必死だったと思いますけど(笑)。
高嶋菜七:どう見えてるかも分かってなかったですからね。とりあえず「このボックスをあそこに持っていかなきゃ!」みたいな。ボックスがお友達でしたもん。--『キャプテン翼』の「ボールは友達」を思い出させますね(笑)。
高嶋菜七:今でもボックスを見ると安心したりします。幼なじみみたいな感覚(笑)。私は今【魔都夜曲】という舞台に出させて頂いているんですけど、全く違うタイプの舞台だったんだなと思います。--【魔都夜曲】も観させて頂いたんですが、こちらでは高嶋菜七と浜崎香帆に「え、ここまで美しい歌声を出せるんだ?」と驚かされました。
音楽劇『魔都夜曲』テーマ曲「オピウム・ラヴァーズ」ゲネプロ映像
--そうした経験も積みながら進化しているTPDのリーダーから見て、今のアイドルシーンはどんな風に映っていますか?
高嶋菜七:知らないうちに後輩のアイドルが増えていて「もう新人じゃないんだな」と改めて思いますね。その一方でかつて対バンしていたグループが解散していたり、メンバーが脱退されていたり、そういう状況を見ていると「厳しい世界だな」と感じます。でもあんまりそれに振り回されたくないというか、周りが解散したり脱退したりしても「自分たちは関係ない」と思っているところはありますね。今、こういうマーケットやフィールドの中にいるのは事実だし、アイドルの対バンイベントに出させて頂くのも有難いですけど、自分たちが目指す場所に向かっていく、デビュー当時から掲げた夢を叶えていく、私たちはそこだけを見て走っているので。どんな道程であるにせよ、そこへ行くことがいちばん大切だと思っているので、何年かかっても……というのは現実的にいろいろ厳しいとは思うんですけど、TPDらしく行けるところまで突き進んでいきたいなと思っていますね。--日本武道館、横浜アリーナ、世界中で活躍する未来、時代を動かせる存在になる……これらは新生TPDがデビュー時に掲げた目標です。その実現を今も夢見てメンバーは頑張っていると思いますし、ファンも応援してくれていると思うんですが、当時より大人になっていろんな現実を理解した今、リーダーがTPDの可能性をどう捉えているのか。聞かせてもらってもいいですか?
『Glitter』 -Music Video-/東京パフォーマンスドール(TPD)
--今、リーダーの中でTPDってどんな場所になっているんですか?
高嶋菜七:よく「グループを踏み台にしてソロデビューする」みたいな話を耳や目にするんですけど、その考え方は考え方で別におかしくないと思うんですけど、私の中では「TPDで目標を達成していくこと」がいちばんの夢なんですよ。TPDのみんなと大きいステージに立つ。それが今の私にとってのゴール地点なんです。それが私にとって最優先。みんなでその夢を叶えないと、その先のことなんて考えられないんですよ。「それじゃあ、遅い」と言われるかもしれないけど、今の私にはTPDで夢を叶えることしか考えられない。今は【魔都夜曲】にも出させて頂いていますけど、それも「TPDとしての私たちも知ってほしい」と思ってやっているところは当然ありますし、そこでの経験をTPDに生かしたいと思ってますし、やっぱりすべてはTPDありきなんですよね。--何も無駄にならないことをその人生で証明してきているリーダーが、TPDでもすべての経験を生かしてみんなと夢を叶える姿。いつか必ず見たいなと思います。では、最後に、そんなTPDのファンとファンになる可能性があるすべての人々へメッセージをお願いします。
【LIVE】東京パフォーマンスドール(TPD)/DREAMIN' フルサイズ
Interviewer:平賀哲雄
Photo:Jumpei Yamada
リリース情報
東京パフォーマンスドール ダンスサミット“DREAM CRUSADERS"~最高の奇跡を、最強のファミリーとともに!~ at 中野サンプラザ 2017.3.26
- 2017/08/02
- DVD盤[ESBL-2495(DVD)]
- 定価:5,500円(tax in.)
- 詳細・購入はこちらから>>
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Interviewer:平賀哲雄|Photo:Jumpei Yamada
東京パフォーマンスドール ダンスサミット“DREAM CRUSADERS”~最高の奇跡を、最強のファミリーとともに!~ at 中野サンプラザ 2017.3.26
2017/08/02 RELEASE
ESXL-124 ¥ 6,926(税込)
Disc01
- 01.Stay Gold
- 02.La La Flags!
- 03.BRAND NEW STORY
- 04.DREAM TRIGGER
- 05.It’s Up To Me
- 06.Darlin’
- 07.predawn
- 08.PEOPLE
- 09.FIRE -Rearranged ver.-
- 10.FREEDOM
- 11.SLASH DANCE -Rearranged ver.-
- 12.playground
- 13.FLASH TIME
- 14.CATCH!! -Rearranged ver.-
- 15.RUBY CHASE -Rearranged ver.-
- 16.Linger
- 17.Raining
- 18.WINDOW
- 19.Lost Without You
- 20.In The Wonderland
- 21.MY UNIVERSE
- 22.恋しさと せつなさと 心強さと -Rearranged ver.-
- 23.Stay Gold
- 24.TIME
- 25.BE BORN -Rearranged ver.-
- 26.東京ハッカーズ・ナイトグルーヴ -Rearrenged ver.-
- 27.逆光×礼賛
- 28.SURVIVAL!!
- 29.HEART WAVES
- 30.純愛カオス
- 31.ナガレボシ
- 32.Are you with me??
- 33.RAISE YOUR HANDS
- 34.DREAMIN’ -ENCORE-
- 35.BRAND NEW STORY -ENCORE-
- 36.MC -ENCORE-
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