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トータス松本 インタビュー
1988年にウルフルズを結成し、1992年にシングル『やぶれかぶれ』でデビュー。1996年のアルバム『バンザイ』で100万枚を超える大ヒットを記録する。その後、4年半の活動休止を経て2014年に再始動し、今年デビュー25周年を迎えたウルフルズ。この25年間で音楽の聴き方が大きく変化した中で日頃どのように音楽を聴いているのか、自身がヒットしたと感じた瞬間、そして25周年イヤーにリリースしたアルバム『人生』について、トータス松本に話を聞いた。
色んな聴き方をしていますよ。ストリーミングもするし。
―私達は、2008年にラジオとCDのセールス枚数を合算した複合チャートとして、日本版ビルボードチャートをスタートさせました。その後、音楽の聴き方の変化に合わせて、ダウンロード数やYouTubeの再生数などデータを追加し、現在では8種類のデータを使ってチャートを制作しています。ここ数年で音楽の聴き方は大きく変化しましたが、子供の頃はどのように音楽を聴いていましたか。
トータス松本:親父が買ったレコードのシングル盤を聴いていました。森進一さんとか、奥村チヨさんとか内山田洋とクール・ファイブとか。テレビでも歌番組は放送していたと思うけど、子供の頃の音楽の思い出といえば、自宅でレコードを毎日聴いていたのが一番印象に残っています。
―子供の頃、新しい音楽を知るきっかけはお父さんだったんですね。
トータス松本:あとは、友達の家で知ることもありました。学校の授業が終わって友達の家に遊びにいくと、そこのお母さんが家でラジオを点けてはるんです。そこから聴こえてきた音楽で、気になる曲があったら、家に帰って親父に「レコード買ってくれ」ってせがんでた記憶があります。でも、いつも題名を覚えてないから、親父にレコード屋に連れていってもらっても題名が言えなくて。レコード屋のおっさんの前でサビを歌って、探してもらっていましたね。
―実際に、歌って伝えてらっしゃったのですね。
トータス松本:当時は、それしか探してもらう方法がなかったからね。家から歩いていける範囲にはレコード屋がなかったから、いつも親父に車で連れていってもらうのが楽しみで。でも家にはシングル盤しかなかったのに、お店に行くとLPが置いてあるんですよ。LPの方が大きいし、かっこよくて。親父に「LP盤が欲しい」ってお願いしても、親父には「これは、お前が持ってるやつの寄せ集めやからいらん」って言われていました。たしかにアルバムやからそうやけど、LP盤の裏面を見ると持ってない曲も入ってるんですけどね。
―当時、レコードは高かったですからね。
トータス松本:そう。親父があかんっていうなら、しゃあないと思って諦めていました。しかも、家にはシングル盤を再生するための小さい卓上プレーヤーしかなかったから、LP盤はうまく再生できひんかったし。それで中学生になった頃に、親父がとうとうオーディオセットを買ったんですよ。大きいスピーカーが付いていて、ガラス扉を開けたらレコードが並んでいて、チューナーとアンプとカセットデッキとターンテーブルが一式になっていて。嬉しかったなあ。家に帰ったら応接間にオーディオセットがあった日のことは、今でも覚えていますね。
―オーディオセットは、居間ではなく応接間に置かれていたのですね。
トータス松本:そうです。今のように何かをしながら音楽を聴くんじゃなくて、ちゃんと準備をして応接間で聴いていました。当時は、みんなそうやったと思いますよ。でも自分の部屋でも聴きたいし、レコードは貴重品やから、カセットテープにダビングしてました。レコードの裏を見て一曲ずつの時間を調べて、何分のテープを買うか決めて。レコードを再生した時に最初に鳴る「ブツッ」っていう音が入らへんように、針をそーっと落としたら、すぐに一時停止ボタンを解除して…。楽しかったなあ。あとは、オーディオセットを掃除したり。何もかも、いちいち楽しかった。
―最近は、どうやって音楽を聴いていますか。
トータス松本:色んな聴き方をしていますよ。レコードとかCDで聴くこともあるし、ストリーミングもするし。家で、AppleTVでYouTubeを見ることもあります。
―どれか1つの聴き方にこだわるというより、気になる曲を色んな方法で聴いてらっしゃるのですね。
トータス松本:そうですね。気になったら、まずYouTubeやAppleMusicで調べます。今のYouTubeは、昔ラジオでチャート番組を聴いていた感覚と近いですね。調べてみて気に入ったら、CDを買うこともあります。
―新しい曲は、何をきっかけに知ることが多いですか。
トータス松本:なんやろうなあ。マニアックな曲やとメンバー同士で喋っていて知ることもあるし、友達から聞いて知ることもあるし、テレビで知ることもあるし…。最近は、子供に教えてもらうことも増えましたね。「最近、何を聴いてんの?」って。あとはカセットテープにハマっていて、CDをカセットテープに録り直してみたり、自分の新曲をカセットに録ってみたりしています。
―中目黒にカセットテープの専門店“waltz”ができるなど、またカセットが流行ってきています。
トータス松本:waltzの店長さんのインタビューも読んだけど、僕らが若い頃のカセットの使い方と、今のカセットの使い方はちょっと違いますよね。昔は録音するための道具としてカセットを使っていたけど、今は録音された物として使われているから。話が逸れたけど、古い曲を繰り返し聴くこともあるし、グラミー賞を見て新しい曲を知ることもあるし、色々です。
関連リンク
- トータス松本 公式サイト
- ウルフルズ 公式サイト
取材:高嶋 直子
お客さんの前に立った時の歓声とか反応の大きさが、一番の目安
−新しい音楽を知るきっかけとして、音楽チャートを見るというのも1つの方法だと思いますが、音楽チャートはご覧になりますか。
トータス松本:僕は、昔からそんなにチャートに関心がなくて。音楽番組は見るけど、そこでチャートが発表されていたとしても、順位を見るというより、色んな楽曲の羅列としてしか見ていません。
−音楽を聴く方法がCDだけではなくなってからも、CDのセールス枚数のみで音楽チャートを発信し続けた結果、音楽チャートの説得力がなくなり、みんながチャートを見なくなってしまいました。
トータス松本:たしかに。去年1966年生まれの人たちだけで【ROOTS 66 -Naughty50-】っていうライブをやったんですよ。怒髪天の増子直純君、ORIGINAL LOVEの田島貴男君、斉藤和義君、スガシカオ君とかミュージシャンはもちろん、スタッフも全員1966年生まれを集めて。それでセットリストを考えている時に、ここ10年くらいのヒット曲も、年甲斐もなく歌ってみようという話になり、調べてみたんです。そうしたら、歌える曲が全然なくて。歌えそうなのはAKB48の「(恋する)フォーチュンクッキー」くらい。でも、そんなん俺が歌っても気持ち悪いでしょ(笑)?その時に、初めて「チャートが変わってきているな」って気が付きました。
−最近は特にダウンロード限定で配信されヒットする曲も増えてきているので、シングルCDの売上枚数だけでは説得力のあるチャートは作れません。なので私達は、音楽の聴き方の変化に合わせてデータを追加し、今はCDの売上げ枚数とダウンロード数以外に、ストリーミング、Twitter、ラジオ、ルックアップ、GYAO!の再生数、日本国内におけるYouTubeの再生数といった8種類のデータを合算して作っています。
トータス松本:YouTubeの日本国内だけの再生数なんて分かるんですか。面白いなあ。
−チャートを見る立場でもありながら、ご自分がチャートインされる立場でもありますが、そもそも音楽チャートは必要だと思いますか。
トータス松本:自分の作品がチャートの上位に入ったら嬉しいし、下の方やったら悲しいから、ないよりはあった方が良いと思います。でも1位は嬉しいけど、そこまで固執しているわけでもありません。1位というのは、狙ったからといって獲れるものじゃないし。それに、1位を獲るためにサウンドや歌詞の流行をリサーチして曲を作っているわけじゃなくて、自分自身の中で流行っているものを形にしているだけやから。そのやり方を変えてまで、音楽を続けたいとは思いません。そもそも「ガッツだぜ!!」も、「バンザイ~好きでよかった~」も、あんなに売れるなんて思ってへんかったし、目指さずして棚からボタモチが落ちてきた過去があるから。だから売れた当時もあまり実感が沸かなくて、だいぶしてから「そういや、あのアルバムで1位獲ったなあ」ってぼんやり思い出すくらい。
−ウルフルズがヒットしてきたなと実感されたのは、いつからですか。
トータス松本:ライブが満席になって、楽屋にとんねるずさんが来た時かな(笑)。
−楽屋に挨拶に来る人の顔ぶれが変わった時ですか?
トータス松本:そう。挨拶に来る人が増えて、ドンペリを差し入れしてくれる人とかまで出始めて(笑)。まあ、これは半分冗談ですけどライブのチケットが完売した時に、実感しました。“満員御礼”っていう言葉って、今でも何よりも嬉しいんですよ。そんな状態が数年続いて、ベースのジョンBが抜けた時に、過去最大のツアーがあったんですよね。そこで初めて空席が出始めて、びっくりしましたし、その時のやるせなさは今でも忘れられません。はじめは「あの2階席は黒田のお客さんの分やな」って言ったりして、笑わせていましたけどね。
−やはり、ライブの時間というのはウルフルズにとって特別ですか。
トータス松本:ライブから、叩き上げで今までやってきたからかもしれへんけど、お客さんの前に立った時の歓声とか反応の大きさは、一番の目安になってると思います。この話を漫画家の人に言ったら羨ましがられるんですよ。だって、漫画はどんな顔して読まれてるか分からへんから。そういう意味ではCDも、どんな顔して聴いてもらえてるのか見えへんけど、ミュージシャンはCDとライブの両方で発信できますから。
−今年はウルフルズ結成25周年です。25周年記念アルバムのタイトル『人生』に込めた思いはなんですか。
トータス松本:今回のアルバムに収録している13曲には、特に意識したわけじゃないのに“人生”っていう言葉が何回も出てくるんです。それで、最後の曲を歌入れしたあと、タイトルを考えていた時に『人生』っていうタイトルも良いかなって思って。「ちょっと、大袈裟すぎるんちゃうか」っていう意見もあったから、他にも色々考えてたら、だんだんふざけてきて「『シンゴジラ』が流行ってるから『シンウルフルズ』がええんちゃうか」とか、「「前前前世」(RADWIMPS)にかけて、『人人人生』がええんちゃうか」とか、脱線しかけたんですけど(笑)。50歳くらいで『人生』くらいきっぱりしたタイトルを付けるのも良いんちゃうかなと思って、『人生』にしました。
関連リンク
- トータス松本 公式サイト
- ウルフルズ 公式サイト
取材:高嶋 直子
ウルフルズは僕の人生そのもの
−今回、メンバーの皆さんが作詞作曲を手掛けられた曲が入っているというのが一つのコンセプトでもあります。このアイディアはどこから?
トータス松本:僕です。ウルフルズとして復活したあと、2014年から3枚のアルバムをリリースしたんです。今年はデビュー25周年やから、絶対に出したかったんですけど、2015年に『ボンツビワイワイ』をリリースしたあと、アイディアが枯渇したような気分になって。今から、もう10曲も書けるんかなあって怖気づいたんですよ。
−トータスさんでも、そんな気持ちになられることがあるんですね。
トータス松本:あるある。僕一人で作ったら、きっとウルフルズが今まで出してきたようなアルバムは完成すると思います。でも普通のアルバムじゃなくて、変なアルバムを作りたかった。だからメンバーに「みんなで書いてみいひんか?」って提案したんです。ウルフルズの活動を休んでいる間も、メンバーそれぞれ活動していたから、その時に感じたことも聞きたかったし。メロディを8小節だけでも、2行の歌詞でも良いから、そこから広げてみんなで一緒に作っていこうって提案したんです。
−日比谷野音で5月20日に開催されたフリーライブも大きな話題となりました。
トータス松本:ジョンBが戻ってきた時も、野音でフリーライブをやりましたし、僕らの節目には野音があります。去年もFLYING KIDSの浜崎貴司さんが企画されたフリーライブに出演したんですけど、フリーライブって良いですよね。肩の荷が軽いし、変なことをやっても許してもらえる気がする(笑)。これからも、もっとフリーライブをやっていきたいと思っています。
−お客さんの層も変わるので、会場の雰囲気も変わりますもんね。この25年間、ライブも含め多くの人がウルフルズの曲に励まされてきたと思います。演奏中、どんな人に届けたいかイメージすることはありますか。
トータス松本:どんな人に届けたいか…。特にイメージしてないけど…、女の人に届けたいです。女の人ばっかりの方が歌いやすい。
−−正直ですね(笑)
トータス松本:というか、僕の歌を聴いてくれている時の男の人の顔を見ると、もらい泣きしてしまうんですよ。たまに前の方で一緒に歌ってくれている男性を見ると、なんかその人の熱さが伝わってきて、その人の姿に逆にこっちが感動してしまって。女の人の方が、歌いかけやすい顔をして聴いてくれている気がします。
−女性は、自分がトータスさんに歌いかけられているような気持ちで聴いていて、男性はトータスさんが自分の気持ちを代弁してくれているような気持ちになるのかもしれません。
トータス松本:そうかもしれませんね。前で聴いてくれている男の人と自分が鏡みたいに見える時もあります。でもウルフルズの音楽を聴いて、どう感じるかはお客さんの自由やから、過剰に「こんな風に感じてほしい」とは思わないようにしています。ライブ中は「一生懸命、ちゃんと歌う」っていうことしか考えていません。ファンの方から、「元気を貰えました」とか、「元気をください」っていう手紙をよくもらうんですが、重荷に感じていた時もあったんですよ。「みんなを元気にせなあかん」って。それどころか「俺に、いつも頼らんといてくれよ」って思ってしまった時もありました。お客さんは、みんな何か月も前からチケットを買って、「あと○ヶ月でトータス松本に会える」、「あと○日でウルフルケイスケに会える」って楽しみにしてくれているわけじゃないですか。だからステージに出た瞬間って、お客さんの気持ちがすごい伝わってくるんですよ。若い時は、生真面目にそれを受け止めようとしすぎて、魂が吸い取られそうな気持ちになったこともありました。今は、違いますけどね。「元気をもらいに行きます」って言われたら、「なんぼでも、持って帰ってや」って思えるようになりましたから。そうなってからは、より一層 声の出し方もリズムも歌詞も一言ずつ全て丁寧に、ちゃんと伝わるように歌うことが自分の役割やと思うようになりました。
−作った曲を丁寧に伝えるということを、第一に考えて演奏してらっしゃるんですね。
トータス松本:生きていると、人間って色んなところから元気をもらえるじゃないですか。別に、僕自身がみんなの元気を背負う必要はないんやけど、音楽の素晴らしさって人を気持ち良くさせるところだと思います。世の中には、明るい音楽だけじゃなく、暗い曲だってあるけど、その曲をわざわざ聴くっていうことは、その人がその音楽を欲しているっていうことですよね。その音楽を聴きながら、エネルギーを充電しているんやと思う。そういう意味では、世の中には暗い音楽はあってもネガティブな音楽っていうのはないと思う。そんな中で、僕らができることは“ユーモア”やと思っています。着眼点が面白かったり、歌詞の世界が目に浮かんだりするような。そして、音楽を通じて人生はユーモアやということを伝えたいです。
−トータス松本さんの人生において、ウルフルズとはどんな存在ですか。
トータス松本:僕の人生において、ウルフルズはどんな存在かというより、ウルフルズは僕の人生そのものです。たぶん僕が死んだら「ロックバンド・ウルフルズのトータス松本が亡くなった」って書かれると思います。自分のことを「ウルフルズのトータス松本」って言われることに対して、何の違和感も覚えへんし、僕は生涯1バンドです。「ロックバンド・ウルフルズの~」っていう枕詞は、これからも変わらんと思います。
−これから、どんな人生を歩みたいですか。
トータス松本:これから先は全くの闇ですけど、面倒くさいジジイになりたいです。
−“面倒くさい”ですか?
トータス松本:今、『約束の地、メンフィス ~テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー~』っていう音楽ドキュメンタリー映画が公開されているんですけど、映画に出てくる70歳半ばくらいのミュージシャン達が面倒くさいジジイばっかりなんですよ。なんか、とっくに人気のピークは過ぎているのに、尊敬されていて、適当で、でも実力はあって。そういう面倒くさいジジイに憧れるなあ。役者さんでもそうですよね。セリフが覚えられへんからって、机の横とか引き出しとかにセリフを貼りまくらなあかん人もいるんですって。だから、カメラマンはそのカンペが映り込まへんように必死で撮影しないといけなくて。面倒くさいでしょ? でも面倒くさいけど、その人がいないと成り立たへんから出演オファーがくるわけですよね。だから僕も、手間もかからへんし気も遣われへんジジイじゃなくて、めっちゃ面倒くさいジジイになりたいです。
−もし、生まれ変わったらどんな人生を歩みたいですか。
トータス松本:生まれ変わったら…。どうなんでしょうね。いずれにしても、音楽とは出会うやろうし、他に憧れる仕事がないから、音楽家になると思います。たぶん車のセールスマンになっても、めっちゃ車売ってこれると思うんですよ(笑)。でも、物を売るより物を作りたいし、作るとしたら音楽しか思い浮かびません。
関連リンク
- トータス松本 公式サイト
- ウルフルズ 公式サイト
取材:高嶋 直子
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