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楽園おんがく Vol.37:マルチーズロック インタビュー
旅と音楽をこよなく愛する、沖縄在住ライター 栗本 斉による連載企画。今回は、海外からの注目度も高い沖縄のバンド、マルチーズロックの中心人物、もりと氏のインタビューをお届け!
沖縄の音楽シーンにおいて、唯一無二の存在といってもいいユニークなバンドが、マルチーズロックだ。詞曲とヴォーカルを担当するもりと(糸満盛仁)を中心に、1997年に結成。ロック、パンク、ジャズ、フォーク、ワールド・ミュージックと、様々なジャンルを取り込みながら音楽変遷を繰り返し、20年もの間マイペースで活動を続けている。近年は、台湾やヨーロッパなどでツアーを行うなど、海外からの注目度も高い。
マルチーズロックは、2002年に初のアルバム『道しるべ』、2010年に2作目のアルバム『ダウンタウンダンス』、そして2015年に3作目『ダウンタウンパレード』と、寡作ではあるが力作を発表し続けてきた。2017年には入ってからは『ダウンタウンパレード』が全国流通を開始し、じわじわと本土にも認知され始めている。
今回はそんなマルチーズロックの中心人物、もりとに話を聞いた。居酒屋「生活の柄」を営みながら音楽活動を続ける彼の発言から、魅力的な音楽性を感じ取ってもらいたい。
一番好きなバンドはドアーズなんです
18歳くらいで知ったんですけれど、ジム・モリスンの独特の世界にやられました
――出身は沖縄ですよね。
もりと:生まれも育ちも那覇市内です。おじいとおばあは北部の国頭村なので、そっちがルーツっていう感じはありますけど。
――最初の音楽体験を覚えていますか。
もりと:小さい頃からよく歌っていました。カセットテープで自分の歌を録音して聴いたりして。小学校の時のアイドルは、なんといっても沢田研二ですね。小学校一年の時にジュリーのコンサートに行ったのが初めてのライヴ体験。
――他にはどういう音楽を聴いていたんですか。
もりと:甲斐バンドなんかも好きでしたね。小学校5年の時に初めて買ったレコードがビリー・ジョエルの「ガラスのニューヨーク」。CMで流れていてかっこいいなあって思うました。
――楽器を持ったのはいつからですか。
もりと:中学の卒業式の時に、悪いやつらが集まって「ライヴをやろうぜ」ってことになったんですよ。そのためにギターを手にするんですけど、最初に弾いたのは「なごり雪」ですよ(笑)。周りは長渕剛が多かったかな。バンドはロカビリーで、BLACK CATSが好きでしたね。今聴いてもかっこいい。ギターのチョーキングを覚えたのもBLACK CATSからです。
――その後の音楽変遷を教えてください。
もりと:高校に入ってもバンドをやるんですけど、当時はヘビメタ・ブームだったんですよね。ラウドネスとか44マグナムとか聴いて、バンドでもコピーしました。でも、セック・スピストルズを聴いて「うわーっ!」て思ってパンクに目覚めて。あと、今でも交流はあるんだけど、スターリンの遠藤ミチロウさんを聴いて衝撃を受けましたね。でも、一番好きなバンドはドアーズなんです。18歳くらいで知ったんですけれど、ジム・モリスンの独特の世界にやられました。パンクのストレートな感じから、ちょっとひねった哲学的な方向へ進み始めました。それでニーチェとか読み始めるんですよ(笑)。全然意味がわかってなかったんだけど。
――オリジナル曲も作っていたんですか。
もりと:中学卒業して高校でバンド始めた頃からずっとオリジナル。間が持たないとカヴァーはやったりしていたけれど、基本はオリジナル主義でしたね。
――高校生活はバンド一色だったんですか。
もりと:そうなんですけれど、実は高校は2年の時にクビになっているんですよ。それで、その後は桜坂の飲み屋でバイトして、そこで寝泊まりしていました。
――ということは、家も飛び出したってことですか。
もりと:金髪にしたら家を追い出されたんです(笑)。当時、周りにはそんな人がいなかったから「出ていけ」っていわれて。でも仕事しないとお金も家もないから、飲み屋のオーナーがマンションを借りていたので、そこで生活していました。
――その頃もバンドは続けているんですよね。
もりと:バンドはずっとやっていましたね。それで、バンド・メンバーみんなで東京に行こうぜっていう話をしたんですけど、踏み切れるやつとそうでないやつがいて、結局ドラマーと二人でバンドをやるために上京するんです。
――その頃の曲はどういう感じなんですか。
もりと:かっこいいですよ(笑)。ロックです。ハードコアとパンクが合体したような感じかな。GASTUNKってバンドがあったじゃないですか。あんな感じのソリッドなイメージですね。日本語のオリジナルで。KURUSUという名前のバンドで、わかる人にはわかるという感じのバンドでしたね。
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Interviewer: 栗本 斉
ジャンル分けできない音楽をやりたかった
――じゃあ、東京に行くときは解散。
もりと:そうです。東京で新しいメンバー募集をしたんですが、なかなかいいミュージシャンが集まらない。それで、俺らは先に上京していたんだけど、その後に前のメンバーが追っかけてやってきたんですよ。ただ、そうなると沖縄出身だし東京に友達がいないから、お客さんも来てくれない。
――東京にいる間は、仕事はどうしていたんですか。
もりと:建築現場で働いていました。当時はまだバブルの頃だったから、仕事はいくらでもあったんです。お金は今よりも持っていましたね(笑)。全然残らなかったけれど。
――音楽活動は充実していたんですか。
もりと:一時期ベースと二人だけのユニットをやっていたんですよ。それはアンダーグラウンドな雰囲気の歌モノで、かっこいいんです。でも音源は残さなかったんですよね。「ロックは刹那だ」とかいって、かっこつけてて。今思えばもったいないですね。その後またバンドに戻るんだけど、音楽性はけっこう変化していますね。
――沖縄に戻ったきっかけは。
もりと:8年くらい東京にいたんだけど、ちょっと疲れたんですよね。音楽以外のことを考えるのが嫌になってしまって。このまま東京にいてどうするんだろう、酒ばっかり飲んで、毎日泥酔しているなあって。このままここにいたら俺は死ぬなあって思って、それで沖縄へ帰るんです。
――帰ってからは何をしていたんですか。
もりと:バンドはやってなくても音楽は一切やめていなかったから弾き語りでライヴを始めました。でもすぐにメンバーを集めて、マルチーズロックを結成するんです。きっかけは今の奥さんでもあるあかねちゃんと付き合い始めてからですね。彼女はサックスなんだけど、それまであまり意識していなかった音だったので、急に発想が広がったんですよ。サックスがあれば、ああいうのこういうのもできるって。
――こういう音楽にしたいというのはあったんですか。
もりと:ジャンル分けできない音楽をやりたかったんですね。昔は、ハードコアとかパンクとか自分でジャンルを決めていたんだけど、マルチーズロックをやってからは、それをやめたんです。そこが自分の中で吹っ切れたところですね。「俺がやっているんだから、何やってもいいでしょ」って。だから自由になった。今もどんどん自由になっていっている。だから、マルチなロックです。
▲ 「DYNAMITE PEACE / ダイナマイトピース」
――結成当初のお客さんの反応は。
もりと:面白いって思ってくれる人たちは少なかったですね。メンバーもどんどん変わっていったし。最初のアルバム『道しるべ』の時って、叩き語りをやっているんです。ドラムを叩きながら歌っていたんですよ(笑)。モーリン・タッカーみたいな感じで。自分のグルーヴでできるからよかったんですけどね。でもそれじゃあ世界観が狭いなあと思ったから、他のメンバーも入れたりとかして。サックスのあかねちゃんとがちゃぴん(上地一也)がオリジナル・メンバーですね。他はけっこう入れ替わっていて、『ダウンタウンダンス』のときはトランペットも入っていたし、今回の『ダウンタウンパレード』では馬頭琴が入っていたりとか、メンバーも違うしね。
――メンバー・チェンジが多いとやりにくくないですか。
もりと:コロコロ変わるけれど、それが面白いんです。正直言うと、オーケストラがほしいくらい。この曲のここでこの音、っていつも妄想していますから。でも、実際には削る作業があって、どんどんソリッドにしていく感じかな。でも、昔はライヴで再現できないアレンジはダメだと思っていたけれど、今はレコーディングで自由にいろんなことをやりたい。20代の頃にやりたかったことを、今実現しようとしているのかもしれないね。なんでも聴いていた当時の無秩序な音楽観が、今になってバンドのメンバーに支えられて表現できるようになっている。だから進化ではなく戻っている感覚ですよ。
――じゃあ、アルバムごとに意識の変化も大きいんですね。
もりと:アルバムって作るともう過去だからね。同じことやってもしょうがないし。でも曲調やサウンドが今と昔でバラバラになっても、自分が歌うとありなんですよ。映画のサントラってそうじゃないですか。いろんなジャンルが入っているけど、統一感があるでしょ。ああいう感じですね。メジャーで契約しているわけじゃないから、自由に音楽を作ればいいんです。
――そういう感覚になったのはいつ頃からですか。
もりと:『ダウンタウンダンス』よりは前ですね。山之口貘さんの詩を見た時に感じたんですけれど、普通の言葉でなんてすごいことを言っているんだろうと。だから、自分の言葉を自由に使えばいいんだなって思って。それは音楽そのものにも置き換えられるんです。
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Interviewer: 栗本 斉
沖縄を押し出さなくても、にじみ出てくるものを作っているつもり
――そういえば歌詞でも、難しい言葉はないんですけど、組み合わせで独得の世界を作り上げていますね。
もりと:昔から文章を書くのは大好きだったからね。自慢じゃないけど、読書感想文コンクールとかで何回も賞獲っているんですよ。しかも、友だちのために目次だけ見て書いたりしたやつも(笑)。あとはひらがなが好きっていうのはありますね。漢字にしてしまうと意味が固まってしまうけれど、ひらがなだと読む人が想像するでしょ。
――歌えば基本はひらがなですもんね。
もりと:押し付けがましいのは好きじゃないけど、言葉にはこだわるかな。字面も響きもね。歌わないと気が付かないかもしれないけど、他の人よりもすごくたくさん言葉使っているかもしれないね。
――歌詞はどうやって作っているんですか。
もりと:歌詞は詩として書くんですよ。メロディを書いてそこに言葉を当てはめようとすると、無理に言葉を選ばないといけないでしょ。そうすると制限ができるんですよ。詩を書くときには制限は作りたくないから、曲とか関係なしに詩を作るんです。それで、曲は曲で歌詞とか意識せずギターを弾きながら作ります。詩のために曲をイメージするのではなく、曲のために詩をイメージするのでもなく、まったく別で作るんですよ。
――じゃあ、どうやって組み合わせるんですか。
もりと:ストックしてある詩と曲を合体させるんですよ。自然に組み合わさっていくんです。だから、本当に天才かもしれないね(笑)。でも、そういうやり方しかできないんです。
――すごいですね。その作り方は、あまり聞いたことがないです。
もりと:だからそこは世の中に認めてほしいところです(笑)。
――組み合わさった時点で、アレンジは頭の中で鳴っているんですか。
もりと:アレンジは、メロディができた時点で自然に固まりますね。あとは、バンドのメンバーにある程度任せて行きます。そうした方が面白い曲になるから。ポイントはあるんだけど、他人に任せたほうが良いアレンジになりますよ。
――アレンジはライヴを重ねると変わっていきますか。
もりと:最初に作り上げるとそんなには変わらないですね。頭になっているのがほとんどそのままです。
――現時点での最新作『ダウンタウンパレード』は、もりとさんにとってどういうアルバムなんですか。
もりと:いろんなことをトライしてみた作品ですね。あまり解説するのは好きじゃないけれど、ひとついえるのは随分成長したなってことかな。あとは、いろんなことをやっているけれど、アルバム全体のトーンは変わらないようになってる。
▲ 「Under the Bridge」@橋の下世界音楽祭SOUL BEAT ZERO 2017
――個人的には、聴いているとそわそわするというか、なにか掻き立てられるものがありますね。グサッと刺さってくるというか。
もりと:根がパンクだからね(笑)。沖縄っぽくいうとチャンプルーなんだけれど、やりたいことをストレートにやっている。芯が通っていればなにをやってもいいんですよ。とくに、最後の「あいのうた」はあかねちゃんが歌っているんですけれど、自分が歌わなくてもマルチーズロックになっている。その表現は究極かもしれないですね。だから、とことん好きなように作ったんですよ。かっこ付けていた時期もあったけれど、そういうのが全部なくなって、自分を素直にさらけ出していますね。
――沖縄以外の反応ってどうですか。
もりと:正直いうと県内より県外、さらにいうと海外の方が反応はいいんですよ。
――最近海外に行くことも増えていますよね。
もりと:ハンガリーのブダペストでCDを配ったら、ポーランドに呼ばれてライヴをやりました。その前にはフランスやイギリスを1ヶ月ほどツアーやりましたね。海外のライヴで嬉しいのは、みんな自分の耳で判断してくれるんですよ。有名とか無名ではなく、のれるかのれないかで判断するんですよね。そこは日本と決定的に違う気がする。
――マルチーズロックとしての今後の目標はなんですか。
もりと:やっぱり世界に出ていきたいというのはありますね。あと、今年中にアルバムを作ろうと考えています。沖縄を押し出さなくても、にじみ出てくるものを作っているつもりなんですけれど、もしかしたら三線を解禁するかもしれない。これまで頑なに入れなかったわけではないんだけど、自分のサウンドに必要だと思ったらやりますよ。
――それは楽しみですね。
もりと:きっとすごいものができるはずですよ(笑)。期待していてください。
――最後に、もりとさんにとって“楽園音楽”ってなんですか。
もりと:かあちゃんの鼻歌ですね。実家に帰って朝起きると、ふんふん歌いながら朝ごはんを作っているのが聞こえるじゃないですか。そういうのが、「ああいいなあ」って思いますね。歌っているのは、朝ドラの主題歌なんかの流行りものなんだけどね。あとは、おじいが歌っていた「てぃんさぐぬ花」ですかね。プロが上手い歌を聴かせるのもいいけれど、身近な人が歌う鼻歌って、幸せな気分にさせてくれますよね。
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ライター
栗本 斉 Hitoshi Kurimoto
旅と音楽をこよなく愛する旅人/旅&音楽ライター/選曲家。
2005年1月から2007年1月まで、知られざる音楽を求めて中南米へ。2年間で訪れた国は、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビア、ベネズエラ、トリニダード・トバゴ、パナマ、メキシコ、キューバの、合計14カ国。
帰国後は旅と音楽にこだわり、ラジオや機内放送の企画構成選曲、音楽&旅ライター、コンピレーションCD企画、ライナーノーツ執筆、講演やトークイベントなどで活動中。得意分野はアルゼンチン、ワールドミュージック、和モノ、中南米ラテン旅、世界遺産など。2013年2月より沖縄県糸満市在住。
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Interviewer: 栗本 斉
ダウンタウンパレード
2017/04/23 RELEASE
MFO-1 ¥ 2,200(税込)
Disc01
- 01.ダイナマイトピース
- 02.維新伝心
- 03.ソノソーロ
- 04.ガラスの靴を履くのは誰?
- 05.ダイヤモンドにメッキはないから
- 06.レーテ河
- 07.モンキーレストラン
- 08.ランデブー
- 09.ダウンタウンパレード
- 10.あいのうた
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