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OKINAWAN ROCK 1970-90s~オキナワン・ロックを変えた10枚の名盤
沖縄のロック。そういうと、たいていの人が思い浮かべるのは、MONGOL800、HY、ORANGE RANGEといった人気のロック・バンドだろう。2000年以降に続々と現れた彼らは、沖縄出身であることをアピールしつつも、軽々と海を越えて日本全国で人気を集めた。
しかし、彼らの成功の基盤には、先達のオキナワン・ロック・ミュージシャンたちの努力があったからこそ。前回の本連載でも紹介した紫やコンディション・グリーンを筆頭に、沖縄民謡とロックのミクスチャーや、インディー・シーンの盛り上がりなど、その時代ごとに沖縄のロックは大きな変動が起こってきた。ここでは、そんなオキナワン・ロックを変えてきた10組による10枚の名盤をピックアップ。70年代から90年代末にかけての歴史を辿ってみたい。
1970年代を席巻した紫は、沖縄のロックを代表する存在であり、パイオニアといってもいいだろう。キーボードのジョージ紫を中心に卓越したメンバーが集まり、ディープ・パープルなどから影響を受けて日本人離れしたハード・ロックを繰り広げた。1975年の8・8ロックデーで本土初お披露目して大きな話題を呼び、1976年にアルバム『MURASAKI』でデビュー。2作目の『IMPACT』とともに、オキナワン・ロックの金字塔として高く評価されている。
紫と人気を二分したロック・バンドが、コンディション・グリーンだ。ハード・ロックを基盤に、ブルースやサザンロックなどを取り入れた豪快な演奏で米軍兵から人気を集めた。また、メンバーが肩車して演奏する人間タワーや、ヴォーカルのカッチャンこと川満勝弘が鶏や蛇を殺しながら暴れまわるという強烈なステージ・パフォーマンスも今では伝説。『LIFE OF CHANGE』(1977年)と『MIXED-UP』(1979年)の2枚を残して後続バンドに影響を与えた。
紫やコンディション・グリーンが英米に劣らないロックを追求していたのに対し、沖縄ならではのアイデンティティを試行錯誤したのが喜納昌吉だ。沖縄民謡をロックとミックスした作風で一世を風靡し、1976年には「ハイサイおじさん」が沖縄で大ヒット。名曲「花~すべての人の心に花を~」を含むアルバム『BLOOD LINE』(1980年)は、ライ・クーダーが参加したことでも話題になった。2016年にリマスタリングされて再発。
1979年に結成されたハートビーツは、それまでハード・ロックの印象が強かった沖縄のロックのイメージを変える軽快なロックンロールを奏でるバンドだった。1982年にアルバム『Dance the nightaway』でメジャー・デビューを果たし、その実力ぶりをアピールした。沖縄ではタレントとしても人気のジョニー宜野湾や、ソロでも活躍しているShyなどが在籍していたこともあり、80年代の沖縄を代表すロック・バンドとして今なお評価が高い。
紫やコンディション・グリーンに比べると知名度は低いが、その実力ぶりは誰にも劣らないバンドだったのがイースタン・オービットだ。ジョージ紫率いるマリナーのヴォーカリストで、現在は紫に在籍しているJJや、コンディション・グリーンと紫を渡り歩いた宮永英一などがメンバーで、米軍基地で行ったライヴ・レコーディング盤『LIVE! Journey to Utopia』(1983年)は、チャーも参加したことで隠れた傑作として歴史に残る一枚。
喜納昌吉の成功をさらに推し進め、多数のウチナー・ポップを生み出してきたロック・シーンだが、そのなかで名実ともにもっとも成功したのは、りんけんバンドだろう。沖縄民謡界の重鎮である照屋林助を父に持つ照屋林賢を中心に結成され、「ありがとう」や「ちゃーびらさい」などのヒット曲を連発した。上原知子の伸びやかなヴォーカルと、民謡のリズムをエイトビートに置き換えたダイナミックなバンド・サウンドは、まさに沖縄のロックならではといえる。
モンパチ登場以前は、沖縄といえばBEGINが代名詞だった。イカ天こと『三宅裕司のいかすバンド天国』でグランプリを獲得して鳴り物入りでデビューしたトリオは、比嘉栄昇の比類なき歌声とキャラクターを武器に一気にブレイク。とくに、デビュー曲「恋しくて」は、ブルージーなバラードの傑作として大ヒットした。リズム&ブルースやカントリーを取り入れた音楽性も当時は新鮮で、このデビュー・アルバム『音楽旅団』では、すでに彼らの音楽が完成されていることがよくわかる。
沖縄音楽とラテンはいろんな意味で共通点が多いが、その部分を見事に融合したのがDIMANTESだろう。日系ペルー人2世のアルベルト城間を中心に結成され、サルサやメレンゲ、サンバといった躍動的なリズムにウチナーグチの言葉を軽やかに乗せて歌っていった。鮮烈なデビュー・アルバム『オキナワ・ラティーナ』では、トロピカル・テイスト満載のオリジナル・ナンバーはもちろんのこと、「ジンゴ」や「コンドルは飛んで行く~花祭り」といったカヴァーも収録。
民謡歌手としても実力ぶりを見せる新良幸人を中心に、1993年に結成された民謡ミクスチャー・バンド。当時はそれほど一般的ではなかった、沖縄民謡にロックやポップスの要素を取り入れたことで大きなインパクトを与えた。メジャー・デビュー作となった『新良幸人パーシャクラブ Ver.1.02』は、インディースで発表した作品をアップデートしたもの。「安里屋ゆんた」など八重山民謡を中心にセレクトし、斬新なアレンジを施した楽曲群は今聴いても新鮮だ。
喜納昌吉&チャンプルーズに参加し、ブルージーなギターとアレンジでバンドを支えた名ギタリストの平安隆。彼が満を持して発表したソロ・アルバム『かりゆしの月』は、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬と河村博司がプロデュース。名曲「満月の夕」をカヴァーしたことでも話題になった。その後もボブ・ブロッズマンや吉川忠英などとも共演を重ね、その実力を発揮している。昨年は18年ぶりという2作目『悠』を発表して健在ぶりを見せてくれた。
1990年代後半、沖縄にインディーズ・ブームが巻き起こり、メロコアやミクスチャーのバンドが多数登場して活性化していった。そんなシーンの中心にいた一組が、INDIAN-Hi。ヴォーカルのShimo-Zを中心にしたハードコアなバンド・サウンドは強烈だが、琉球音階やウチナーグチをミックスしたメロディや歌詞がどこかユーモアを醸し出している。その魅力はデビュー作『沖縄CORE』ですでに完成されていた。後にバンド名がIN-HIに変更し、メジャーデビューも実現。
ライター
栗本 斉 Hitoshi Kurimoto
旅と音楽をこよなく愛する旅人/旅&音楽ライター/選曲家。
2005年1月から2007年1月まで、知られざる音楽を求めて中南米へ。2年間で訪れた国は、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビア、ベネズエラ、トリニダード・トバゴ、パナマ、メキシコ、キューバの、合計14カ国。
帰国後は旅と音楽にこだわり、ラジオや機内放送の企画構成選曲、音楽&旅ライター、コンピレーションCD企画、ライナーノーツ執筆、講演やトークイベントなどで活動中。得意分野はアルゼンチン、ワールドミュージック、和モノ、中南米ラテン旅、世界遺産など。2013年2月より沖縄県糸満市在住。
Text: 栗本斉
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