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特集:ラリー・グラハム&プリンス ~今あらためて振り返る“師弟”の関係~
スラップ奏法の創始者とも言われ、60年代より活躍を続けるファンク・レジェンド、ラリー・グラハム。そんな彼が自身のグラハム・セントラル・ステーションとともに8月に来日、【SUMMER SONIC】とビルボードライブでの単独公演に出演する。
そんなラリー・グラハムは、今年4月にこの世を去ったプリンスとの深い親交でも知られる。ラリーの来日公演を記念し、偉大なるファンク・レジェンド同士の関係性や交流について、ライターの内本順一氏の文章で振り返る。
TOP Photo: Bob Berg / Getty Images
師としてのラリー・グラハム
「もっとも影響を受けたミュージシャンは?」と、僕がNYのホテルでプリンスに対面してそう訊いたのは、1999年9月のこと。クライブ・デイヴィス率いるアリスタと組み、数多くのゲスト・ミュージシャンを迎えたメジャー盤『レイヴ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック』をこれからリリースしようというときだった。プリンスのことだからこのような直球の質問には答えないかも……とも思ったが、彼は考えるまでもないといったふうにひとりのミュージシャンの名前をハッキリ口にした。「ラリー・グラハム」と。
『レイヴ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック』にも歌で参加しているラリー・グラハムとプリンスの関係は、この時期かなり密な状態にあった。もともとプリンスにとってラリー・グラハムは師と仰ぐ存在。のちに近所づきあいも始まり(何せミネアポリスでプリンスの家はグラハムの家の隣にあった)、ふたりは仲の良い兄弟のようにもなったが、グラハムは1946年生まれで、スライ&ザ・ファミリー・ストーンに加入したのは1967年。プリンスは1958年生まれで、デビューは1978年。生を受けたのも音楽家として世に出たのもグラハムのほうが10年ちょっと早く、プリンスはグラハムの画期的なベース演奏ぶり(改めて書くまでもないが、グラハムこそがスラップ奏法の開祖として知られている)や活動の仕方を若い頃から見て憧れていたわけである。
Sly & The Family Stone - Higher And Higher
因みにこれはプリンス自身が語っていたことだが、グラハムはある時期からプリンスにとってのメンター(人生における指導者・助言者)にもなった。99年の対面取材でプリンスはこんなふうにも話していたものだ。「レーベル(ワーナー)との間に生じたゴタゴタから離れ、少し自分を見つめ直したいと思っていた。自分はこれから何をすべきなのかとか、何が嘘で何が真実なのかといったことを、ちゃんと考えたかったんだ。それで僕のメンターでもあるラリー・グラハムにいろいろ話を聞いてもらっていたんだよ」。この時期、プリンスは聖書を読み込み、エホバの証人に改宗したりもしたものだが、それもグラハムの薦めだったと聞く。つまり音楽面だけでなく、人生、生き方の面においても、プリンスはグラハムから多大なる影響を受けたということだ。
ラリー・グラハムの復帰~プリンス第二の黄金期
▲『ワン・イン・ア・ミリオン
・ユー』
しかしプリンスが一方的にグラハムからの影響を受けていたわけではなく、グラハムもまたプリンスによって新たに踏み出した。グラハムはスライ&ザ・ファミリー・ストーンを1971年に抜けたあと、1973年に自身のバンドであるグラハム・セントラル・ステーションを結成。1980年に解散したあとはヴォーカリストとしての面を強く打ち出した活動をしばらく続けたわけだが(例えばビルボードR&Bチャートで1位になった名バラード「One In a Million You」で、グラハムはベースを弾いてない)、90年代は一時表舞台から姿を消していた。ジャマイカに住み、エホバの証人の聖書普及活動を行なっていたためだ。が、帰国後にナッシュビルでプリンスと会って意気投合。90年代の終わりにはプリンスのバンド、ニュー・パワー・ジェネレーション(NPG)に加入したのだ。99年9月(プリンスに取材したその前日)、僕はグラハムが正式にメンバーとなったNPGのライブをNYで観たのだが、プリンスとグラハムの掛け合いはまるでミック・ジャガーとキース・リチャーズが1本のマイクを前に絡む様にも似て実に絵になっていたし、何よりも師と共に演奏するプリンスの喜びに溢れた表情が強く印象に残った。その2ヵ月後、プリンスはペイズリー・パーク・スタジオでライブを行ない、そこでも2曲でグラハムをフィーチャー。その模様はDVD作品『レイヴ・アン2・ザ・イヤー・2000』となって残されてもいる。
Prince & Larry Graham(npg)Live
話は前後するが、その前年の1998年にグラハムは久々にグラハム・セントラル・ステーション名義でのスタジオ録音新作『GCS2000』を発表。それはプリンスのレーベル、NPGから出たもので、プロデュースをプリンスとグラハムが共同で手掛けたものだったが、これはどちらにとっても重要な作品となった。プリンスはファンカーたる本来のグラハムらしさを見事に引き出し、グラハムは久々にスラッピング・ベーシストとしての個性をのびのび表現。プリンスもまた生演奏の喜びを大いに感じながら作っていることが手に取るようにわかったものだ。これをきっかけにプリンスは吹っ切れ、久々に生演奏をベースにしたアルバム『レインボウ・チルドレン』を作り、それが2000年以降の第二の黄金期にも繋がっていったわけなのである(つまりこの作品こそがプリンス復活のきっかけになったとも言えるのだ)。
そしてそこから13年。2012年にグラハムが放ったド級のファンク傑作『レイズ・アップ』にもプリンスは3曲参加した。とりわけ表題曲などはどこから聴いてもプリンス印のグニャッとした触感がたまらないファンクで、“ああ、この師弟は最高の影響の及ぼし合いをしてるのだな”と強く思ったものだった。今もグラハムが過去の人になることなく現役バリバリで生き生きと活動しているのは、プリンスのおかげってところ、多大にあり。それは間違いないことである。
過去の公演でプリンスの「1999」を演奏したこともあったが、さて今回の日本公演、亡くなったプリンスへの思いをグラハムはいかに表現するのだろうか。プリンス曲も演奏するのか否か。そのあたりも含め、見せ場だらけのファンクなライブを大いに期待したい。
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