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ドン・ブライアント 来日記念特集
メンフィス・ソウルの名門ハイ・レコードの歌姫、アン・ピーブルズの夫であり、同レーベルのシンガー兼ソング・ライターのドン・ブライアント。今回は、5月の来日を前に、ハイ・レコードに深く精通し、ハイ・レコードのコンピレーション・アルバムの選曲・監修、解説なども務める鈴木啓志氏に、ドン・ブライアントの軌跡、彼を語るには欠かせないソウル・レジェンド、ウィリー・ミッチェルについて、そしてハイ・レコードの歴史まで語ってもらった。
メンフィス・ソウルの実力者であり、ハイ・サウンドの影の立役者
ドン・ブライアントは日本ではほとんどブランドである。何のブランドか。オーティス・レディングやO.V.ライトを生んだ輝かしきメンフィス・ソウルの実力者のひとりとして、そしてアル・グリーンを生んだハイ・サウンドの影の立役者として。だが、彼は良き夫であり、良き父でもあったのだろう。アン・ピーブルズという生涯を共にする最良の伴侶を得てあえて彼女を影から支える道を選んだ。79年にはアン・ピーブルズの日本公演で寄り添う仲の良い姿が目撃されたが、ステージで歌ってくれたのはたった3曲のみだった。それでも彼の初期の名作「ドント・ターン・ユア・バック・オン・ミー」を熱唱してくれた姿はまぶたから離れない。
▲ Don Bryant「Don't Turn Your
Back On Me」Audio
それから既に40年近い歳月が流れるが、ほぼ引退気味のアンと違い彼はまだゴスペルを歌い続けているのだろう。思いがけない来日となった今回の公演は、ノドを酷使していないだけに精力的なステージを見せてくれるはずだ。
上記で書いたのは古い話なので、そんなこと知らないよという音楽ファンも多いだろう。そこで彼がどれだけすごい歌手であり、ソングライターであったかを皆さんにお伝えしたい。
本物のメンフィス・ソウル・シンガー
切っても切り離せないウィリー・ミッチェルの存在
▲ウィリー・ミッチェル
『ザ・メンフィス・リズム&ブルース・
サウンド・オブ』
生まれたのは42年4月2日で、メンフィスだった。ファンの多くはメンフィスというと、先のオーティスとかサム&デイヴ、あるいはアル・グリーンを思い浮かべるかもしれないが、彼らはいずれもメンフィスの出身者ではなく、その地にやってきて成功したにすぎない。それに対して彼はずっとメンフィスに居続け、そこで音楽を作り上げてきた。本当の意味でメンフィス・ソウル・シンガーといえるのは彼のような人なのである。その彼と切っても切り離せないのがウィリー・ミッチェルというバンド・リーダーである。
70年代に入ってウィリーはアルというこの上ない素材を見つけ、彼とともに一世を風靡するハイ・スタイルを築きあげたが、その前に長い間一緒に音楽を作り上げてきたのはこのドン・ブライアントのようなシンガーだった。ウィリーは50年代からメンフィスでは一二を争うバンド・リーダーであり、スタックス・サウンドの基礎づけをしたのも彼である。50年代の彼のバンドにはドラマーのアル・ジャクソン、ベーシストのルイス・スタインバーグという連中がおり、この2人が結局はスタックスに移ってそのサウンド作りに貢献することになるのだから。ウィリーはその一方でフォー・キングスというヴォーカル・グループをフィーチャーしていた。そのリード・ヴォーカルを担当していたのがこのドン・ブライアントだった。
ウィリーはメンフィスのストンパー・タイムというレーベルと契約し、多くのインストとフォー・キングスの作品を残している。まだ十代であっただけにはちきれんばかかりのサウンドと歌がそこに残されている。60年代に入ると、ウィリーはホーム・オブ・ザ・ブルースに移籍し、そのレーベルのハウス・バンドとなった。スタックスにおけるブッカーT&MGズのような位置づけである。そのためフォー・キングスも同じように移ったが、彼らのレコードが出されることはなかった。だが彼はライターとして頭角を現し、ファイヴ・ロイヤルズなど人気アーティストのために腕をふるった。ところが62年このレーベルは活動停止、ウィリー・ミッチェルは同じメンフィスのハイへと移った。フォー・キングスも当然移籍し、ハイの傍系レーベルであるMOCから2枚のシングル盤を発表した。
グループからの独立~ソングライターとしての決意
▲ Don Bryant「Is That Asking
Too Much」Audio
64年ウィリーはドンをそのグループから独立させることを決意した。最初は自分のインスト・ナンバーのバックを歌わせることから始め、64年には「マイ・ベイブ」でソロ・デビューを果たすことになる。そこからの5年間のレコーディング生活の充実ぶりは信じがたいと言えるものだ。
スロー・バラードではオーティス・レディングと並んでひとつの型を作ったと言っても過言ではないし、ジャンプ・ナンバーでも紛れもないメンフィスが渦巻いていた。前者としては前回の公演でも歌ってくれた先の曲に加え、「アイル・ドゥ・ザ・レスト」「コール・オブ・ディストレス」「イズ・ザット・アスキング・トゥー・マッチ」「アイル・ゴー・クレイジー」などの名曲がある。また後者の「グローリー・オブ・ラヴ」や「カミング・オン・ストロング」などで見せる身のこなしの良さも彼の魅力の一面でもあるだろう。
69年7月、彼は同僚のアン・ピープルズ、アル・グリーンらとほぼ同時期にアルバム・デビューを果たした。だがその2人がいくばかのオリジナル作品を与えられ、小さいながらヒットを飛ばしたのに対し、ドンの方にはオリジナル作品はなく、しかもシングル・カットもされなかった。この時彼はライターとして裏方に回ることを決意したらしい。それまで10枚くらいのソロ・シングルを出してきながらも1曲もヒットに出来なかったことも心にあったのだろう。ずっと一緒にやってきたウィリーもそれを支援した。
ライターとしての彼は多彩だ。当然アン・ピーブルズの曲が一番多く、有名な「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」をまとめたのもむろん彼だ。「イット・ワズ・ジェラシー」なども忘れがたいし、他にオーティス・クレイのために書いた曲などもある。今回の公演でこうして人のために書いた曲を歌ってくれるかもしれない。それもひとつの楽しみとなるだろう。
▲ Ann Peebles
「I can't stand the Rain」
70年代末にハイの活動が鈍り、80年代に入って実質的に倒産した頃から彼は全く表舞台に現れないことになる。だがゴスペルは歌い続けていたのだろう。だが、歌って欲しいのはメンフィス・ソウルの濃厚なスタイルだ。ウィリアム・ベルに続くメンフィスの重鎮の日本到来を楽しみにしたい。
公演情報
ドン・ブライアント backed by ブラザーズ・ブラウン
ビルボードライブ東京:2016年5月23日(月)~24日(火)
>>公演詳細はこちら
INFO: www.billboard-live.com
公演関連情報
「BLUES&SOUL RECORDS No.129」
2016年4月25日発売の「BLUES&SOUL RECORDS No.129」では、ドン・ブライアントの来日を記念した記事も掲載中。
>>詳細はこちら
ドン・ブライアントが聞ける主なアルバム
『ドン・ブライアント/ハイ・レコード・シングル・コレクション』(ソリッド/ハイ CDSOL-5067/5068』)
>>CDの詳細はこちら
『ドン・ブライアント/プレシャス・ソウル』(ソリッド/ハイ CDSOL-5024)
>>CDの詳細はこちら
『ハイ・レアリティーズ Vol.1/ダイシン&ステッピング~ヒッチハイク・トゥ・ハートブレイク・ロード』(ソリッド/ハイ CDSOL-5072)
>>CDの詳細はこちら
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Text:鈴木啓志
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