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楽園おんがく Vol.33: 成底ゆう子 インタビュー
旅と音楽をこよなく愛する、沖縄在住ライター 栗本 斉による連載企画。今回は、どこか沖縄の風を感じさせる優しい言葉とメロディで、着実に評価を高めるシンガー・ソングライター、成底ゆう子のインタビューをお届け!
曇りのない澄んだ声で、家族や故郷に向けられた優しい言葉とメロディを紡ぐ歌い手。成底ゆう子は、そんな印象を持つ石垣島出身のシンガー・ソングライターだ。ピアノを弾き語る姿はオーソドックスなポップスのスタイルではあるが、どこか沖縄の風を感じさせるのが特徴だ。
もともとオペラ歌手を目指していたという彼女は、インディーズ活動中の2009年に日本テレビ系の音楽番組『誰も知らない泣ける歌』で「ふるさとからの声」が取り上げられて話題を呼び、翌2010年にメジャー・デビュー。この2月にはメジャーでの4作目となるアルバム『ナリシカー』をリリースした。本作の冒頭に収められている「おばあのお守り」がNHK「みんなのうた」で選ばれるなど、着実に評価を高めている。
いたってソフトで自然体な歌を歌い続けてきた成底ゆう子は、どのような音楽人生を歩んできたのか。ここでは、じっくりと語ってもらった。
周りはみんな「この子は音楽の道に進むだろう」って思っていたようです
−−生まれは石垣島なんですよね。最初の音楽体験ってなんですか。
成底ゆう子:最初は祖父の三線です。夕食後に縁側で三線を弾いて歌っているのを聴いたり、親戚が集まった時にみんなでおじいちゃんの三線に合わせて踊ったり。それが原点ですね。 身体に染み付いていると思います。習ったわけじゃないけれど、歌えるし踊れますから。
−−実際に、自分で音楽をやろうと思ったのは。
成底:物心ついたら歌うのが好きで、ピアノも触って遊んでいました。3歳の時に石垣島にヤマハの音楽教室ができたんです。それで姉と一緒に通ったんですけど、すっかりはまってしまいました。あと、NHKの「みんなのうた」が大好きだったので、それを聴きながら耳コピして、一緒にピアノを弾いて歌うのがすごく楽しかった記憶があります。
−−じゃあ、小さい頃から弾きながら歌っていたんですね。
成底:そうですね。自分で曲も作りましたし。
−−それはいつ頃のことですか。
成底:6歳です。その頃、妹が生まれたんですが、子守唄を即興で作って歌ったんですよ。妹なのに「坊や」って言葉使っていたんですけど(笑)、自分なりに考えて作ったのが最初の作曲ですね。
−−6歳で作詞作曲とはすごいです。
成底:ずっとピアノも続けていて、高校生に上る前に音大に行くことを考えてソルフェージュなども学びました。だから、その頃は音楽のことしか頭になかったですね。中学の時には先生から「成底さんはシンガー・ソングライターになりたいんですか?」って聞かれたくらい。とにかく自分で曲を作ってピアノを弾いて歌うことが好きだったんです。
−−ということは、すでにたくさん曲も作っていたんですね。
成底:たくさん作っていたし、休み時間には音楽室でピアノを弾いて遊ぶのが定番でした。
−−じゃあ、中学生でもう進路が決まっていたと。
成底:自分ではそこまで考えていなかったんですけど、周りはみんな「この子は音楽の道に進むだろう」って思っていたようです。
−−その頃に影響を受けたのは、どういう音楽ですか。
成底:小学生の時は、普通にテレビで流れている歌謡曲が好きでした。光GENJIとか(笑)。憧れていたのは「みんなのうた」で聴いた谷山浩子さんですね。すごい世界観を持っているなって思って。ユーミンやTHE BOOMの「島唄」などもよく聴きました。うちはCDを買ってもらえなかったんですけど、母が持っていた中島みゆきさんとかサイモン&ガーファンクルとか、そういうのは見つけて聴きましたね。
−−大学は音大に進んだということですが、ピアノではなく声楽科なんですね。
成底:音大に行ったのは、とにかく島から出たかったから。沖縄県立芸大と東京の武蔵野音大で悩んだのですが、どうせなら親の目の届かない東京がいいなと(笑)。ただ、ピアノ科は少しハードルが高くて、声楽科なら受かりそうだって言われて、「じゃあそれで」と決めました。とにかく東京に行きたかっただけなんです(笑)
−−じゃあ、晴れて大学生活が始まったんですね。
成底:はい、最初のうちはかなり遊びました(笑)。でも、2年生になった時に、声楽の成績上位の特待生みたいなカリキュラムの選抜に残ったんですよ。自分でも意外だったんですが、それからはちゃんと音楽をやろうと思ってすごく真剣に声楽を勉強しました。そうなると本場で勉強したくなるじゃないですか。でもツテがあるわけじゃないので、大学卒業後はいったん藤原歌劇団に研究生として入って、そこからイタリアの研修に行ったんです。
−−そこまでするとは、かなり本格的ですね。
成底:でも、思っていた現実と違っていました。まず、身長が低いので、実力以前にそこで省かれちゃうんですよ。でもそれ以上に、イタリア人の生徒のレベルがまったく違う。例えば、外国人の方が沖縄の民謡をすごく勉強されてとても上手だとしても、「ちょっと違うよね」って思われるじゃないですか。それと一緒で、日本人というだけでもハンディがある。イタリア人の先生にも、「あなたはきっとこういう世界で活躍するタイプではない。あなたの生まれた場所の音楽をやる方がいい」って言われたんですが、それがまたプレッシャーで。自分はオペラ歌手になるって思い込んでいたから、「なんで沖縄なんかに生まれたんだろう」って悩みました。でも、なんとか主役の枠には入ることができたんですが、今度は本番の前日に急に声が出なくなったんです。それでもう、失意のどん底です。せっかくのチャンスだったのに、周りにも迷惑をかけてしまい、逃げるように帰って来ちゃいました。
−−そんなことがあったんですね。
成底:これはもう本当に落ち込んでしまって、いまだにイタリアという言葉を見るだけでもドキッとするくらい。それで、両親のもとに帰りたいとも思ったんですけど、そんな挫折した状態では島には戻れない。東京の音大を出てイタリアに勉強しに行っているというプライドもあったから。そのまま数ヶ月バイトをしながらこの先どうしようかなあと考えていたところ、両親から「あなたの歌は世界一だから頑張って」という言葉をもらったんです。そしたら、その次の日にピアノでも弾いてみようと思って、久しぶりにポロポロと弾いてみたんです。自分で曲を作っていたこともあるなあなんて思い出して、歌ってみたら声が出たんですよ。その時に、私の音楽の原点がこれだったんだなあと気付いて、今の道に進むきっかけになったんです。その時の体験を元に「ふるさとの声」という曲ができました。
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Interviewer: 栗本 斉
自分には音楽しかないってことがわかっているから、やめないんだと思いますね
−−久々に歌って声が出た後は、どういう活動から始めたんですか。
成底:曲はたくさんあったのですが、シンガー・ソングライターというもの自体の知識がなかったので、どうしていいかわからなかったんです。それでいろいろ調べたら、ライヴハウスという場所があってそこで歌えるらしい、というのを知って(笑)。それまでコンサートという言葉しか知らなかったんです。飛び込みでデモテープを持って行ったらロックのライヴハウスで、「うちは弾き語りは違う」っていわれたりして。でも、徐々にいろんな人に教えてもらったりしながら、ライヴハウスで歌うようになりました。
−−その頃は音楽仲間はいなかったんですか。
成底:いなかったですね。孤独に自己流でやっていました。あとは雑誌を見てオーディションを受けたりもしました。あるオーディションでは300人位の中で1位を取って合格したんですけど、CDを作っても売り上げは全部事務所が取っていくということがわかって辞めたりとか。その後、Nack5という埼玉のFM局のアマチュア・オーディションがあって、ロックがメインなのになぜか弾き語りで準グランプリをいただいたんです(笑)。それからはラジオでも応援していただき、その勢いでインディーズですがCDを出すようになりました。
−−2004年に最初のアルバム『詩色』が出ていますが、2010年にシングル「ふるさとからの声」でメジャー・デビューするまで時間がかかっていますよね。途中であきらめようと思ったことはないんですか。
成底:もう何度も島に帰ろうって思いました。でも、もうちょっとやってみようと思いながら、ここまで続けることができました。同郷の先輩、BEGINのニイニイたちにも「おまえは強いな」って言われるんですけど、そうじゃないんですよ。自分には音楽しかないってことがわかっているから、やめないんだと思いますね。
−−メジャー・デビューになったきっかけは、テレビの音楽番組「誰も知らない泣ける歌」への出演ですよね。
成底:たまたまこの番組を、今のレコード会社のディレクターが見ていてくださったんです。インディーズ活動も長かったので、その前からどこかでステップアップしなければいけないなと思っていました。
−−実際にメジャー・デビューしてみて、なにか変わりましたか。
成底:やっていることはとくに変わっていないですけど、それでもインディーズとメジャーでは土俵が違うんだなと感じることは多いです。戦う場所が違うというか。
−−アルバムも2011年の『宝~TAKARA~』に始まり、『ポークたまご』(2012年)、『生まり島』(2014年)とコンスタントに発表しています。ここまでは順調ですか。
成底:そうですね。最初の『宝~TAKARA~』はインディーズ時代の総決算。『ポークたまご』はもうちょっと沖縄色を出そうということで、宮沢和史さんにも協力していただきました。『生まり島』はBEGINの上地等ニイニイにプロデュースをお願いいました。だから、今回のアルバム『ナリシカー』は自分でやってみようと思って、バンド・メンバーの山本健太くんに手伝ってもらって、基本的には自分のアイデアで進めました。ようやく今の私のそのままを出せることができたなあって思います。“ナリシカー”っていうのは成底という苗字の方言での読み方なんですが、自分らしい作品だという意味も込めて名付けました。あらためて「成底です!」といえる作品です。
−−『ナリシカー』の1曲目は、NHK「みんなのうた」のタイアップになった「おばあのお守り」ですね。
成底:私は「みんなのうた」が本当に大好きだったので、いつか自分の声があの番組から聞こえてくればいいなあって思っていたんです。それが実現したっていう意味でも、とても大きい。ようやく、島の人たちにも私の歌を聴いてもらえるチャンスができたというか。だから、いろんな想いがこの曲には詰まっているんです。
−−ノスタルジックなイメージは成底さんならではですね。そこは意識したんですか。
成底:「みんなのうた」からは、「島のお守りをテーマに歌詞を作ってもらえませんか」っていわれたんです。それで、自分の実体験を元にしたんですけど、沖縄の風習でお守りに塩の入った袋を入れるんですよ。私が島を出るときに、実家の向かいにある商店のおばあがお守りをくれたんですね。いつも元気なおばあなんで、東京でもおばあのことを思い出したら元気が出そうだなって思いながら書きました。あとプロモーション・ビデオも、そのおばあの店の前で撮影しています(笑)
−−アルバムの最後には、アンサー・ソングの「ぼくのたからもの」も収められていますね。
成底:島を出る前の話が「おばあのお守り」だったら、島を出てきた後の話はどうだろうっていうことで、この曲を作りました。「いつでも帰って来なさいね」っていわれると、「私には帰る場所があるんだ」って安心できるので、そんな気持ちを歌詞にしています。石垣島って、家の周りの人たちもみんな親戚みたいなもので、どこにいっても声をかけてくれる。東京だと隣に住んでいる人のことも知らないし、建物が高いっていうだけで自分が孤立している気がする。でも、おばあからもらったお守りがあるから大丈夫だよって。
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Interviewer: 栗本 斉
島を出て都会でひとりで生きているっていうことが、自分らしさ
−−成底さんは、故郷への想いを込めた歌詞が多いじゃないですか。そこは核になっている部分ですか。
成底:それはありますね。インディーズ時代にも、「ふるさとからの声」や「真っ赤なデイゴの咲く小径」という曲を書いていますから。以前、自分の武器はなんだろうって考えたことがあるんです。そしたら、島を出て都会でひとりで生きているっていうことが、自分らしさじゃないかなって気付いたんですね。あと、家族がとても大好きなので、そういう気持ちも意外に歌になっていないじゃないですか。でも、そういう故郷や家族についての曲を歌うと反響も大きいんですよ。
−−たしかにラブソングはたくさんあるけれど、家族や故郷の歌って、最近はあまりない気がします。
成底:核家族になってそういう想いが薄れてきているのかもしれないですね。でも、普遍的なテーマだから、絶対に必要だと思うんですよ。“成底ゆう子=ふるさとの歌”と思っていただけるといいなと思います。
−−イタリアからそのまま石垣島に戻っていたら、今の成底さんの歌は存在しなかったですね。
成底:きっとないですね。意地で東京に残ったのが、逆に故郷を大切に想う気持ちにつながったと思います。
−−「日和山公園」という曲も、石垣島ではないですが故郷がテーマですよね。
成底:私は2010年の10月にデビューして、半年経って「これからだ!」っていうときに起こったのが、東日本大震災だったんです。自粛モードに入ってしまったから、なかなか歌わせてもらえなくて。「せっかくデビューしたのになあ」という気持ちが、どこかにあったんでしょうね。地震が起こった時も、たまたま飛行機に乗っていて体感していないんですよ。ニュースを観たのも石垣島でしたから、どれほどのことが起きたのかをまったく知らなかったんです。でも、2年経ったあるとき、まだ復興が終わっていなくて、故郷に帰りたくても帰れない、家族がバラバラになってしまっている、というのを強いられている姿をテレビで見て、「あれ?」って思ったんです。「被災地ってどうなっているんだろう?」って思って、女川と南三陸に行ってみたんです。そしたら、普通に空気の中に、絶望と悲しみと怒りが淀んでいるんですよ。それを肌が感じるんです。2年経ってもまだまだ瓦礫は片付いていないし、雨が降ったのかなと思ったら、実は津波の後の海水が残っている。その光景を見て「なんて私はバカだったんだ」って。「家族ってなんだろう?故郷ってなんだろう?」ってあらためて深く考えさせられて、とてもショックだったんですよ。私みたいな人間がそんな歌を歌っちゃいけないんじゃないかって。それから1年ほど経った時に、ふとこの「日和山公園」の歌詞が出てきたので、そのままメロディも付けました。故郷や家族は無くしちゃいけない、忘れちゃいけないものだっていうことを、あらためて伝えていこうって感じたんです。だから、絶対にアルバムに入れたかった曲ですね。
−−きっかけは重い出来事ですが、実際に生まれた曲は成底さんらしい優しい歌に仕上がっていますね。
成底:メロディも自然だったし、淀んだものが一切入ってない感覚の曲です。
−−次の「さくら道」もテーマが深いんですよね。
成底:大切な人が一気に亡くなってしまったことがあったんです。ひとりは近所に住んでいる友人で、沖縄出身だったから仲良くなったんです。その人がいてくれるだけで元気なるような存在だったのに、急に亡くなってしまったんです。同時期に、名古屋に住んでいる又従姉妹も急死して、民謡を教えてくれたおじいも同時期に亡くなってしまって。みんな私のことをいちばん応援してくれている人たちだったんです。恩返ししたい人ばかり亡くしてしまったから、「今まで何やっていたんだろう」って落ち込んだんです。でも、亡くなった友だちのお母さんが、「ゆう子ちゃんのことをとても応援していたから最後まで歌ってね」って言ってくれたんです。その時に思ったのが、いつかまた会えるわけだし、自分の人生が終わるときに振り返ると、さくらの花がいっぱい咲いているはずだって。それで作ったのが、この「さくら道」です。爽やかな曲になりました。
−−本当に一曲ずつドラマがあるんですね。ユニークなのが「おーりとーり生まり島」です。
成底:今、千葉県のBay-FMで担当しているレギュラー番組のタイトルが「おーりとーり生まり島」なので、それをそのまま使って曲にしてみました。石垣島と千葉を結ぶという意味で作ったんですが、アルバムにも入れてみました。
−−こういうお遊びっぽい曲は、今までにないタイプですね。
成底:ライヴではこういうタイプの曲も歌ったりするんですけど、アルバムに入れるのは初めてですね。それまでは、BEGINの曲のカヴァーなんかで沖縄色を出していたんですけど、今回は自分の曲でそういうタイプの曲を選んでみました。
−−「砂に書いたラブレター」も、成底さんの曲としては異色ですね。マイナー調のメロディだし、お伽話風だし。
成底:やっぱり「みんなのうた」で聴いていた谷山浩子さんの影響があるのかもしれないです。一ヶ月に50曲作るというチャレンジをしていたことがあったんですけど、その時にネタ切れしてしまって、インターネットを検索していたら、この「砂に書いたラブレター」というワードが出てきたんです。その瞬間にサビのワンフレーズがすぐできて、「みんなのうた」っぽいなあと思ったから、子どもが聴いても成立する大人の恋愛の歌にしてみました。ファンタジックな感じで気に入っています。「みんなのうた」っぽいという意味では、自分の原点のような曲かもしれないです。
−−ということは、中学生時代に書いていた曲は、こういうタイプが多いんですか。
成底:そうですね。三連符系のメロディが多いです。「ひとりぼっちのフランス人形」みたいなタイトルの曲ばっかり(笑)。ちょっとクラシカルなのが好きだったので。
−−谷山浩子さんの存在は大きいんですね。
成底:本当に大好きでしたから。「みんなのうた」で谷山さんが「まっくら森の歌」というのを歌っていらっしゃるんですが、あまりにも大好きで中学の時にその曲に絵をつけたんですよ。そしたら先生に褒められて「なんの絵?」と聞かれた時に「まっくら森です」って答えて変な顔をされたこともあります(笑)
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家族や絆をテーマに歌い続けていきたいし、そうやってコツコツ何十年も作り続けていきたい
−−「ハンモックに揺られながら」もいい曲ですね。
成底:これはライヴでも反応がいい曲です。まず、自分への応援歌といて書いたんですよ。東京に行ったらバーンと売れてスターになれるとか、考えたりするじゃないですか。でも、たいてい現実は違っていて、予想していた通りにはいっていない。じゃあ自分は負けたのかというとそういうわけじゃない。あの頃は予想できなかったくらい、たくさんの人々との出会いがあって、あの時想像できなかった景色の中に立っている。昔思っていた自分と今の自分は全然違うけど、それは幸せなことなんだ、ということを書きたかったんです。
−−とても前向きな歌ですね。成底さんの話を聞いていると、イタリアでの挫折や近い人の死など、ドラマチックな人生を歩まれているのに、アウトプットされる音楽は優しくそっと入り込んできますよね。普通だったら、ヒリヒリした感じになりがちなのに、そうじゃなくふわっとした感じなのがすごいと思います。
成底:実はヒリヒリした曲も書いたほうがいいのでは、なんて悩んでいるところではあるんですけど(笑)。でも全部ヒリヒリだと痛いので、そこは自分の中で考えながら自分らしい世界が作れればと思っています。
−−あと、「島人ぬ宝」と「三線の花」というBEGINの曲が2曲入っていますが、BEGINのみなさんとは付き合いは長いんですか。
成底:長くなりましたね。とくに、ピアノの上地等ニイニイは東京にいらっしゃるので、よくご飯を食べたり飲みに行ったりとか、すごくよくしていただいています。ニイニイたちが活躍しているから、私たち後輩も頑張れるっていうか。目標であり、手の届かない存在であります。BEGINの曲は沖縄県歌だと思っていますから。「島人ぬ宝」はよくライヴでも歌っていました。BEGINの曲で一番最初に覚えたのがこの曲で、私も島人なんだなって思わせられる曲ですね。「三線の花」は、自分の声に合っていると思っていて気に入っています。この間、ワンマン・ライヴで初めてステージ上でも三線を披露したんですよ。
−−初めてとは意外ですね。
成底:よく「沖縄出身なのに三線は弾かないんですか」なんていわれていたんです。でも、こだわりもあったんですよね。沖縄出身イコール三線なんて思われるのが、絶対嫌だって。私はピアノだからって。でも、やっぱり私は島人なんですよね。三線を弾いてみると、懐かしいのと同時に新しい自分が見えてきたんです。
−−これからもBEGINの歌を歌い続けるわけですね。
成底:はい、そのつもりです。でも逆に、BEGINのニイニイたちに、私の曲を歌ってもらうことを目標に頑張りたいです。
−−もう一曲カヴァーで、ミヤギマモルさんの「やいま(八重山)」が入っていますが、この曲を選んだ理由は。
成底:沖縄っぽいカヴァーを探していたんですけど、そういえばこの曲があるなって思い出したんです。石垣島ではとても有名な曲で、千昌夫さんもカヴァーされているんですよ。ただ、とてもむずかしい歌でした。演歌っぽいところがあるから島唄っぽく歌えないし、かといって演歌調でも歌えない。でも、私流のところが味になっていればいいかなと思っています。ライヴでは、ギターの弾き語りをしてみようかなって考えているところですね。
−−この『ナリシカー』というアルバムは、成底さんのことを知るにはとてもわかりやすい作品になったと思うんですが、まだステップのひとつですよね。次の目標ってありますか。
成底:今日話をしていて、こういうのが作りたいというのが出てきました。もっとヒリヒリしたのが作りたいですね(笑)。とことん削って自分をさらけ出して、聴いていて「痛い!」と思うような、そういう作品を作ってみたいですね。家族や大切な人を思う気持ちを、そういう表現で作ってみてもいいかなって。いくところまでいっちゃってもいいかもしれない(笑)
−−そういう成底さんも聴いてみたいですね。ただ、ファンの方の反応が心配ですけど(笑)
成底:でも「ふるさとからの声」なんかは、ちょっとそういう痛い一面もあるので、理解していただけるかなと思います。2016年はヒリヒリで行かせていただきます!(笑)
−−あと気になるのが、このまま東京で歌い続けていくのかなということですね。最近は、沖縄に戻るミュージシャンも多いじゃないですか。
成底:今のところは東京で歌い続けていくつもりでいます。離れているからこそ歌える曲もあるし、少し痛みを伴っていたいなって思うこともあるんですよ。島に帰るととても楽なんですけどね。
−−帰省はしているんですよね。
成底:はい、すぐに帰りますよ(笑)。毎年、チャンスがあれば帰っています。帰って東京に戻ってくると、顔つきが変わっているって言われますね(笑)
−−今後の目標ってなんですか。
成底:全国ツアーをしたいですね。東名阪くらいしか行けていないので、もっといろんなところで歌いたいです。そのためには『ナリシカー』をたくさんの人に聴いてもらいたい。あと、とにかく一生歌い続けていたいですね。私って歌を取ったら何も残らないんです。音楽があるから生きているし、音楽があるから友だちもたくさんいると思っています。ラップもダンスもできないですけど(笑)、とにかく家族や絆をテーマに歌い続けていきたいし、そうやってコツコツ何十年も作り続けていきたいです。
−−最後に、“楽園おんがく”と聞いて、どういう音楽をイメージしますか。
成底:ハワイのケアリイ・レイシェルです。私の癒やしの時間は、彼の曲しか聴かないくらい。すごく風を感じるんです。彼にかぎらずハワイアンは大好きで、休みの日は一日中ハワイアンを流していますね。沖縄の島にいる感覚に近いからかな。じゃあ、なぜ、沖縄の音楽を聴かないかというと、聴きすぎてしまうから。つい、「ここでコブシいれるんだ」とか、そのうち「あのおじいは元気かな」とか考えてしまうので(笑)
−−実際にハワイに行ったことはあるんですか。
成底:あります。時間の流れが石垣島と、とても似ているんですよ。兄の結婚式で行った時は、「島でもいいんじゃない?」って思ったくらいで(笑)
−−その時間の流れは、自分の楽曲に反映されていると思いますか。
成底:それはありますね。きちきちしていないというか、時計の針の音は聞こえてこないというのはありますね。だから、それも私の音楽のよさだと思ってもらえると嬉しいです。
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