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25年間かけて1位になったエアロスミスからファレルの「ハッピー」まで~デビューから全米ビルボードNo.1ヒットまでの軌跡
春ははじまりの季節。新たな環境や人間関係への期待に心躍る一方、思うような結果が出せずに苦悩することも。それは音楽の世界でも同じ。アーティストを紹介するのに「スターダムを駆け上がる」という表現がよく使われるが、実際それはほんの一握りの話。実際、デビューから数年、あるいは数十年もの年月を費やし、ようやく全米No.1を手にしたアーティストがほとんどである。そこで、ヒット・チャートの常連アーティストにとって最初の全米ビルボードNo.1ヒットと、それを生み出すまでに費やした年月を紹介したい。
TOP Photo: Redferns
ザ・ローリング・ストーンズ
(1965年 / デビューから2年)
まずは大御所バンドから。つい先日もキューバで40万人を動員する歴史的フリーライブを敢行した現役最長老にして最高峰のロックバンド、ローリング・ストーンズ。母国イギリスにおいてはデビュー以降、瞬く間にトップ・アーティストの仲間入りを果たし、そこから一気にアメリカ進出を成功させたイメージである彼らだが、それでも1963年6月にチャック・ベリーのカバー「カム・オン」でレコードデビューを果たしてから、全英No.1獲得までに1年、全米ビルボードNo.1獲得までには2年の歳月を要している。ストーンズにとって初の全米No.1ソングとなったのは言わずと知れた代表曲「サティスファクション」。1965年、3度目の全米ツアーの合間に録音し、同年6月に発表された同曲は、全米ビルボードにおいて4週にわたりNo.1の座をキープし、年間チャートでも3位を獲得する大ヒットとなった。
エアロスミス
(1998年 / デビューから25年)
続いても大御所から。1973年のデビュー以降、紆余曲折ありながら現在も活動を続けているアメリカを代表するロック・バンド、エアロスミス。実は彼らの全米ビルボードNo.1ソングはこれまでにたった1曲、1998年8月に映画『アルマゲドン』の主題歌として世界的ヒットを記録したご存知「ミス・ア・シング」のみである。もともとハード・ロック/ヘヴィ・メタルの要素が強いエアロスミスは、チャートという側面においては長年にわたって苦戦を強いられてきた。1993年に11thアルバム『ゲット・ア・グリップ』でアルバム/シングルを通じてようやく初の全米No.1を手にし、同アルバムからシングル・カットされたナンバーが次々とヒットを記録したが、これらのシングルはいずれもロック・チャートを制するのみだった。その結果、エアロスミスは全米No.1ソングを輩出するまでに、デビューから25年もの年月を費やすことになった。なお、唯一の全米No.1ソング「ミス・ア・シング」は多くのエアロスミス楽曲とは異なり、数々の映画音楽を手がけている女性ソングライター、ダイアン・ウォーレンによるもの。なんとも皮肉な話だが…もはや彼らがモンスター・バンドであることに異論がある音楽ファンはいないだろう。
U2
(1987年 / デビューから7年)
ロック・バンドをもうひとつ。U2もまた、ロック・バンドとしては異例なほどチャートに強い存在だ。1980年のデビュー以来、楽曲で数々の社会問題を取り上げる一方、映画やブランドとのタイアップにも積極的でapple社と初期から強い結びつきを持つなど、商業的な才覚も持ち合わせた彼ら。しかし、彼らでさえ、全米No.1ソングを輩出するまでには7年もの歳月を要している。U2にとって初の全米No.1ソングは1987年の「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」。5thアルバム『ヨシュア・トゥリー』からのリード・シングルとしてリリースされ、アメリカ・カナダ・アイルランドでNo.1に輝き、現在も彼らの代表曲となっている。続いてシングル・カットされた「終わりなき旅」も全米No.1に輝き、同アルバムは世界的大ヒットを記録している。それ以降、楽曲のNo.1獲得はないものの、現在までにリリースされたオリジナル・アルバム8作品中6作品がNo.1という驚異的な記録を打ち出している。
ボン・ジョヴィ
(1986年 / デビューから2年)
こちらも日本で高い人気を誇るアメリカを代表するロック・バンド、ボン・ジョヴィ。彼らはロック・バンドのなかでは“スターダムを駆け上がった”という表現が最も相応しいバンドかもしれない。さらにハード・ロック出身ながら、驚異的なほど“チャートに強い”バンドと言っていいだろう。彼らのデビューは1984年だが、ブレイクはそれから2年後。1986年発表の3rdアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』が全米ビルボード・アルバムチャートにおいて8週連続首位を獲得するという爆発的ヒットを記録し、大ブレイク。同アルバムから「禁じられた愛」「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」の2曲が全米No.1に輝いた。それ以降、これまでに輩出した全米No.1ソングは4曲(すべて80年代)、そしてアルバムは直近2作品を含む4作品で全米No.1を獲得している。
ピンク
(2008年 / デビューから8年)
感情的でストレートな歌詞とエネルギッシュなボーカル、男前なキャラクターで唯一無二の存在感を誇るピンク。2000年に発表したデビュー・アルバム『キャント・テイク・ミー・ホーム』で早々ブレイクを果たし、翌年にはクリスティーナ・アギレラ、リル・キム、マイアとともに映画『ムーラン・ルージュ』の主題歌として「レディ・マーマレード」をカバーし全米No.1を獲得、グラミー賞にも輝いている。そこから「ゲット・ザ・パーティー・スターテッド」「トラブル」など、次々とヒット曲を連発し、ピンクの快進撃は続いたが、ソロ・アーティストとしてはじめて全米No.1を獲得したのは、2008年の5thアルバム『ファンハウス』からの1stシングル「ソー・ホワット」。デビューから数えて8年、「レディ・マーマレード」の大ヒットからも7年後のことである。ちなみに、ピンクはアルバムにおいても、これまでリリースされた6作品すべてがプラチナ・レコード以上の大ヒットを記録しているのにも関わらず、No.1を獲得したのは2012年リリースの6thアルバム『トゥルース・アバウト・ラヴ』のみである。
ファレル・ウィリアムス
(2014年 / デビューから8年)
ザ・ネプチューンズや、N*E*R*Dのメンバーとして90年代後半から音楽シーンを牽引してきたファレル・ウィリアムス。これまでに数えきれないほどヒット曲を手がけ、輝かしいキャリアを歩み続けているファレルだが、意外なことに自身のソロ名義での全米No.1獲得は、2014年の特大ヒット・チューン「ハッピー」がはじめて。しかし、ソロ・デビュー直後の2006年にはファレルがフィーチャー・アーティストとして参加したリュダクリスの「マネー・メイカー(Money Maker)」が、そして2013年には自身がボーカル、作曲、プロデュースを手がけたロビン・シックの「ブラード・ラインズ~今夜はヘイ・ヘイ・ヘイ♪」が12週連続全米1位を記録している。さらに、全米No.1こそ逃したものの、ボーカリストとしてフィーチャーされたダフト・パンクの『ゲット・ラッキー』も32ヶ国でトップ10入りとなる大ヒットを記録。これら2曲の大ヒットが追い風となり「ハッピー」で初の全米No.1獲得にいたったと言っていいだろう。
Text: 多田 愛子
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