Special
日野皓正 公演直前スペシャルインタビュー
いつも新しいことに挑戦しカッコよくあり続けておられる日野皓正さん。年の差最大50歳にもなる今回のバンドメンバーや、ニューヨーク滞在中の経験、今後の活躍について詳しく語って頂きました。
年齢差最大50歳!今回のバンドメンバーについて
−−今回、ビルボードライブでは久しぶりのクインテットでの登場ですが、どのようなライブになる予定でしょうか?見どころや、今回のメンバーについて詳しく教えてください。
日野皓正:そうですね。ここ数年ウチの息子や、dj hondaとのユニット「h-factor」で出演していましたから。久々にレギュラーグループでの出演なんですけど、ピアノの石井彰とギターの加藤一平はh-factorの時にも来ていると思いますが、石井彰は僕のバンドで17、8年いてくれて、長い付き合いになりますね。加藤一平は何年か前、高田馬場のイントロっていう夜中セッションをやっているお店があって、そこに顔を出した時、演奏していたら、変なギターだなって(笑)。「こいつメチャクチャ演ってるのかな。」と音を聴いてたら、ちゃんと理論通りになってる。「ヘエ~。変なヤツがいるなあ。」と思ってメンバーに加わってもらったんですよね。ベースの杉本智和は、僕の尊敬するピアニスト 故 菊地雅章さん(以下プーさん)のバンドにいたベーシストで、プーさんのバンドにゲストで入ったときなんかには一緒にやっていて、プーさんにも「日野くん、杉本いいだろ!もし良かったら日野くんのバンドでも使ってもいいよ(笑)。」なんて言われたな。それで去年の東京ジャズ・サーキットの時に、ジョン・パティトゥーチが出来ないところを彼に頼んでやってもらった。ドラムの石若駿は、去年、東京藝大を卒業したばかりの23歳。彼が小学5年生の頃、札幌ジュニアビッグバンドに僕たちのバンドでクリニック&コンサートに行ったわけ。その中に駿はいたんだけど、同い年にアルトの寺久保エレナもいて、もう凄いわけ、演奏が!中学生のビッグバンドもいたんだけど、駿やエレナのいる小学生のビッグバンドがとにかく素晴らしかった!だから僕は言ったの。「おじさんたちクリニックに来たんだけど、あなたたちに教えることなんかない。」「代わりににおじさんたちに演奏たくさん聴かせてよ。」って。そんな出会いから、今年、僕のバンドの一員となったのかな。50歳ですよ、駿と僕の年の差。今回はこんな顔ぶれで伺います。
若いミュージシャンには僕の持っているもの全部上げる気持ちで接している
−−日野さんはご自身のライブで若手のミュージシャンを起用されることが多いですが、ご自身の若い頃、大物ミュージシャンとのセッションが決まった時、また実際のセッションの際はどのようなお気持ちでしたか?
日野皓正:アート・ブレイキー、エルビン・ジョーンズ他たくさんの先輩に僕もそうされてきたんですよ。ライブハウスに顔を出せば、「日野来たか!、吹きたいか!」って声をかけてくれ、ステージに上げてくれる。そりゃ、うれしいですよね。演奏していて気持ちはいいし、ついつい張り切りすぎちゃって、アート・ブレイキーに「自分を証明するな!日野は日野だろ、そんなに見せびらかさなくても、みんなお前は日野って知っている。」って言われた。それを今でも肝に銘じてステージに立ってる。だけど未だにそれが出来ない(笑)。ハッて気づくとバリバリ吹いちゃっている自分がいる。 だから若いミュージシャンには僕の持っているもの全部上げる気持ちで接しているし、チャンスもあげたいしね。
−−音楽の聖地NYでの暮らしも長かったようですが、現地で参加されたライブで印象に残っているエピソードをお聞かせください。
日野皓正:僕がアメリカNYへ渡ったのが1975年。行ってすぐ、ジャッキー・マクリーンのバンドに入ったんだけど、ライブの休憩中に知らないトランぺッターが来て客席で吹いてるわけ。アイツ何やってんだろうって思ってたら、ジャッキーにオレをつかえってデモンストレーションやってるっていうんだ。すげぇところに来ちゃったなってその時は思ったね(笑)。そうやってミュージシャンは仕事にありつこうとする。今なんかそんなことないもんね。
−−今までご覧になったライブの中で、特に印象に残っているライブがあれば教えてください。
日野皓正:う~ん、選べられないかな。ライブではないんだけど、マンハッタンのアパートでお風呂に入っているとき、WBGO-FMを聴いていたら、サッチモがビッグバンドでスターダストを演奏している音源が流れてきたわけ。一音聴いただけで涙が出てきちゃってね。「すげぇーなぁ、こんなあたたかい、人間味ある音を表現できるなんて。」って。それでこのレコードを持ってなかったなって、すぐ買いに行ったのを覚えてる(笑)。1920年代に録音されたレコードですよ。凄い人は時代を超越していますよね。
−−今、会えるとすれば会いたいミュージシャンはいますか?亡くなった方でも結構です。
日野皓正:ジャズ・ジャイアンツ、沢山いすぎて選べられないよ。
−−日野さんのインタビュー記事で、「そもそも音楽をやっている人間っていうのはものすごくピースフルなんだよ。音楽ってコミュニケーションだから、音楽やってるときに物騒なことは考えないからね。」というコメントがとても印象的でした。そういった発想から若者への指導も精力的に行われているようですが、若い人たちに音楽を教える事によって感じられるやりがいや楽しさは、どんなところでしょうか。
日野皓正:僕は音楽を教えているつもりはないんですよ。少し語弊があるかもしれないけど、音楽の前に人間とはってことだと思うんです。東京の世田谷区で10年以上続けているドリーム・ジャズ・バンドという中学生ビッグバンドのワークショップがあるんですけど、ある時トイレに行くとスリッパが逆を向いている、皆を集めて「お前らは自分のことだけしか考えていないんだろ。次の人が履きづらいだろ。」「皆を思いやる気持ちがないヤツらには音楽(ジャズ)をやる資格はない。」ってね。次のときトイレへ行くとスリッパがきちんと並んでいる。うれしかったね、涙が出たもの、その時は。「これがジャズなんだぞ、覚えておけよ。」、「はい!」みたいな。あと、人と話しするときは相手の目を見て話せよとか、ありがとう、ごめんなさい、これが言える人間にならないとダメだぞとかね。でも若さってのは素晴らしい。僕らの何十倍も感性があって上達も早い。大人に教えても出来ないことを1回言えば音がすぐ変わる。大人には子どもたちのその感性をもっと大事にし、向き合ってもらいたいですね。子ども達と接しているともちろん我々も勉強になるときが多々ある。忘れていたことを思い出したり、教えるということは同時に教わることでもあるのでしょう。
すべては人間がやること、大きな、あたたかい人間にならないとね。
−−日野"JINO"賢二さんも立派にベーシストとして成功されていますが、ご自身の子育ての中で、音楽の面で意識されていたことはありますか?
日野皓正:JINOには何も教えていないし、勝手にこの道に入ってきた。ただオレの息子だし、頭がいいわけないし、手に職をとは思っていたから、高校はミュージック&アーツに入れて、そこではトランペットをやってたけど、兄 雅信(ギターのクラフトマン)の何歳かの誕生日にベースを買ってあげたら、それを賢二が横取りしてね。雅信よりアッという間にうまくなっちゃたわけ。それでそのままベーシストになっちゃった。
あるときアイツが家出してね。家に帰ってこない。しばらくたってマンハッタンのミッドタウン54丁目あたりを歩いていると、友達とストリートで演奏しているアイツの姿が目に飛び込んできたわけ。おっ!と思ってそばの車の陰に隠れて演奏を聴いていたら、結構しっかりやってるわけ。「でも待てよ、オレはオヤジなのになんで車の影なんかに隠れて聴かなきゃいけないんだ。」って思って、歩いて出て行った。そうすると友達のギターのヤツがオレに気づいて、賢二に知らせるわけ。その時の賢二の罰の悪そうな顔ったら(笑)そばまで行って「Kenji, Sounds Good」って言ったら「Thank you Dad」って。それで20ドルをかごの中に入れて帰ったかな。
音楽に限らず、何でも打ち込むことが出来る環境があればいいと思うね。
−−いつも新しいことに挑戦しカッコよくあり続けておられる日野さんの、次のステップについて教えてください。
日野皓正:常に新しいものをクリエイティブしていこうって思っているし、その気持ちが無くなったらダメだと思っている。壁にぶつかるときもあるけど、その時は天なのか神なのか仏様なのか、上からの指令を待つ。慌てず、今の自分はここまでなんだと。もうひとまわり人間を大きく成長させられれば、自ずとアイデアが浮かんでくると思っている。すべては人間がやること、大きな、あたたかい人間にならないとね。
−−大阪のファンに向けて一言お願いします。
日野皓正:大阪のオーディエンスはとにかく凄く盛り上がりますよね。僕らは皆さんに音楽を通して愛や真心を届けなくちゃいけない。そうするとお客さんから拍手をもらって、その拍手で僕らは元気をもらい、またいい音を出すように頑張る!そんな相乗効果のあるステージに出来たらと思っているので、楽しみにしていてください!
unity h factor
2013/06/19 RELEASE
DHCY-18 ¥ 2,619(税込)
Disc01
- 01.Unity
- 02.Off The Record
- 03.Funakura
- 04.Fauna
- 05.Beyond Descript
- 06.Never Forget 311
関連商品