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カーラ・ボノフ 来日記念特集~ウエスト・コースト・サウンドを代表する才媛の軌跡とその魅力
ウエスト・コースト・サウンドを代表する女性シンガーソングライター、カーラ・ボノフの約2年ぶりとなる来日公演を記念し、70年代のアメリカ西海岸に花開いた、美しき才媛の軌跡とその魅力に迫る。
1970年代、アメリカ西海岸。ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタット、イーグルス、ジェームス・テイラーなど、才能豊かなミュージシャンたちが次々とこの土地から飛び出し、アメリカン・ロック史において黄金期ともいえる一つの時代を築き上げた。リンダ・ロンシュタットへの提供曲「誰か私のそばに」、「またひとりぼっち」などで知られる女性シンガーソングライターのカーラ・ボノフもそのうちの一人だ。
南カリフォルニア生まれ、生粋の西海岸っ子であるカーラ・ボノフは、少女時代からギターの魅力に取り憑かれ、50年代に活躍したフォーク・グループ、ウィーバーズのフランク・ハミルトンのもとでギターのレッスンを受けていたという。本格的にミュージシャンとしての第一歩を踏み出したのは、16歳の時。姉のリサとフォーク・デュオを組み、エレクタ・レコードのもとでレコーディングを行う。しかし、デビューにはいたらず、姉・リサは教師への道へ進むことになり、デュオは解散に追い込まれてしまう。
それでも音楽への夢と情熱を捨てきれなかったボノフは、数々のミュージシャンと同じように、ウエスト・ハリウッドにある老舗ライブハウス[トゥルバドール(Troubadour)]のステージに立ち、次のチャンスをうかがっていた。当時[トゥルバドール]には、カーラのほか、ジャクソン・ブラウン、ジェームス・テイラー、そしてエルトン・ジョンらが出演していたという。ロック・ファン、とりわけ西海岸ロック・ファンにとって、死ぬまでに一度は行ってみたい“聖地”といっても過言ではない[トゥルバドール]。
1957年開業のこのライブハウスは、リンダ・ロンシュタットがのちにイーグルスとなるバンドを従えてこのステージに立ったこと、つまりは彼らが出会った場所として知られており、イーグルスの楽曲にはトゥルバドールについて歌ったナンバーもあるほど。カーラ・ボノフは、その“伝説”が誕生する少し前の1969年、才能あるミュージシャンの集う由緒正しきその場所で、とある人物と出会う。前年までリンダ・ロンシュタット、ボビー・キンメルとともに[ストーン・ポニーズ]として活動していた、ソングライター/ギタリストのケニー・エドワーズだ。
エドワーズとボノフは、アンドリュー・ゴールド、ウェンディ・ウォルドマンとともにフォーク・ロック・グループ[ブリンドル]を結成し、71年にシングル「Woke Up This Morning」を発表。しかし、ポスト・パパス&ママスとして売り出したかったレーベルとグループの間に亀裂が生じ、アルバム・リリースは破談、グループとしての当時の活動は残念ながらシングル1枚のみとなってしまった。
ブリンドルとしての活動を終え、再びソロ・シンガーソングライターに戻ったカーラ・ボノフに、次なるビッグ・チャンスが巡ってくる。ケニー・エドワーズを通じて親交を深めたリンダ・ロンシュタットが、ボノフのソングライティングの才能に目を付け、アルバム『風にさらわれた恋(Hasten Down The Wind)』(1976年発表)において、ボノフのデモ曲から「またひとりぼっち(Lose Again)」「誰か私のそばに(Someone To Lay Down Beside Me)」「彼にお願い(If He's Ever Near)」の3曲を採用することになったのだ。当時、トップ・シンガーのロンシュタットに自身の楽曲が歌われることは、ソングライターとして大きなステイタスであり、なおかつ1つのアルバムに3曲も採用されるという異例の扱いは、当然、ボノフの世間的評価に直結することになった。
この追い風を受け、1977年、ついにケニー・エドワーズのプロデュースにより初のソロ・アルバム『カーラ・ボノフ』を発表。同作にはシングル化された「わたしは待てない(I Can't Hold On)」(全米76位)のほか、ロンシュタットの歌った3曲、ボニー・レイットに提供した「故郷(Home)」のセルフカバーも収録され、エドワーズを中心とするバンド陣はもちろん、ロンシュタットやグレン・フライ、J.D.サウザーら豪華メンツがコーラスで作品に参加している。
そして2年後の1977年にはセカンド・アルバム『ささやく夜(Restless Nights )』、81年には『麗しの女(Wild Heart of the Young)』を同じくケニー・エドワーズのプロデュース、ウエスト・コースト界隈の気心の知れたメンバーのサポートのもとで発表。商業的に大成功とはいかなかったものの、彼女の最大の持ち味とされる繊細で素朴な楽曲はもちろん、ポップス・カバーへの挑戦、新鋭シンガーソングライターの起用など、自身の音楽の幅をさらに広げていった。
なかでも、R&Bシンガーのポール・ケリーが手掛けた『麗しの女』収録シングル「パーソナリー」は、全米ビルボードHOT100(シングルチャート)において自身最高位となる19位を記録。イーグルスのドン・ヘンリーとティモシー・B.シュミットがコーラスとして参加し、美しいハーモニーを聴かせている。日本でも、当時のAORブームにも後押しされる形でヒットを記録、また、のちに80年代を舞台にした映画『波の数だけ抱きしめて』(1991年)挿入歌にも起用された。
映画といえば、1984年に大ヒットを記録した映画『フットルース』の挿入歌として「誰かの愛が…(Somebody's Eye)」を書き下ろしており、かの有名なケニー・ロギンスによるメイン・テーマを筆頭に、日本のTVドラマの主題歌にもなったボニー・タイラー「ヒーロー」、フォリナー「ガール・ライク・ユー」など、名曲揃いの同作サウンドトラックに名を連ねている。こうした活動を経て、西海岸を代表する女性シンガーソングライターとしての地位を確立していったボノフ。さらには1988年に発表した4枚目のアルバム『ニュー・ワールド』収録の「オール・マイ・ライフ」がリンダ・ロンシュタットとアーロン・ネヴィルのデュエットによりカバーされ、これが1991年のグラミー賞ベスト・デュオ賞にも輝いている。当時、カーラによる同曲のオリジナル・バージョンが日本の某タバコCMにも起用されたことを記憶しているファンも多いだろう。
『ニュー・ワールド』を最後に、現在までソロ作のリリースは行っていないが、1991年には約20年の時を経てブリンドルの4人が再集結、結成25を迎えた1995年、ついにファーストアルバム『Bryndle』を発表することになる。メンバーそれぞれがソロ・キャリアで成功を収めていたこともあり、このニュースは“伝説のグループ復活”として音楽ファンの間で話題となった。ブリンドルは2002年にもアルバム『House Of Silence』をリリースしている。
ウエスト・コースト・サウンド独特の心地よいサウンドに、繊細なメロディー、そして素朴で飾らない歌声で、西海岸を代表する女性シンガーソングライターとして高く評価され、今日まで安定した人気を誇っているカーラ・ボノフ。ブリンドルのメンバーであり、ボノフの活動開始から今日までのキャリアを語るうえで絶対に欠かすことの出来ない盟友、ケニー・エドワーズとは、2008年にデュオでの来日公演も実現している。しかし、2010年、エドワーズはくしくもボノフとのツアー中に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。その後は同じく西海岸の代表的シンガーソングライターであるJ.D.サウザー、ジミー・ウェッブをパートナーに来日公演を行ってきたが、2016年1月の来日公演は、彼女のライブ活動を支えてきた女性ギタリスト、ニナ・ガーバーとのデュオ公演となる予定。シンプルかつナチュラルに歌い綴られる名曲の数々は、真冬に咲く可憐な一輪の花のように、私たちの心を優しく和ませてくれるだろう。
公演情報
Karla Bonoff
Billboard Live Japan Tour 2016
ビルボードライブ大阪:2016年1月18日(月)
>>公演詳細はこちら
ビルボードライブ東京:2016年1月20日(水)~21日(木)
>>公演詳細はこちら
INFO: www.billboard-live.com
BAND MEMBERS
カーラ・ボノフ / Karla Bonoff(Vocals, Piano, Guitar)
ニナ・ガーバー / Nina Gerber(Guitar)
関連リンク
Text: 多田 愛子
オール・マイ・ライフ:ベスト・オブ・カーラ・ボノフ
2015/12/23 RELEASE
SICP-4731 ¥ 1,100(税込)
Disc01
- 01.誰かわたしの側に
- 02.彼にお願い
- 03.わたしは待てない
- 04.またひとりぼっち
- 05.故郷
- 06.麗しの女
- 07.テル・ミー・ホワイ
- 08.グッバイ・マイ・フレンド
- 09.恋じゃないかい
- 10.ささやく夜
- 11.ベイビー・ドント・ゴー
- 12.ダディーズ・リトル・ガール
- 13.オール・マイ・ライフ
- 14.流れ星
- 15.パーソナリィ
- 16.悲しみの水辺
- 17.眩しいひと (Bonus tracks for Japan only)
- 18.涙に染めて (Bonus tracks for Japan only)
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