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楽園おんがく Vol.27: ネーネーズ インタビュー
旅と音楽をこよなく愛する、沖縄在住ライター 栗本 斉による連載企画。今回は、結成25周年を迎えた沖縄を代表する女性ヴォーカル・グループ、ネーネーズのフレッシュな現メンバーのインタビューをお届け!
オキナワン・ポップスの代名詞というと、真っ先にネーネーズの名前を挙げる人は多いだろう。沖縄音楽界の重鎮である知名定男がプロデュースし、1990年にデビューした女性ヴォーカル・グループである。その先進的な音楽性は、沖縄の民謡やポップスにとどまらず、ヒット曲「黄金の花」を始め数々の名曲を生み出した。古謝美佐子や吉田康子が在籍した初代ネーネーズは90年代で終了するが、その後もメンバーチェンジを経て継続。現在は五代目となり、沖山美鈴(ヴォーカル、三線)、上原渚(ヴォーカル、三線)、世持葵(ヴォーカル、三板)、本村理恵(ヴォーカル、島太鼓)という4人に固まってから1年ほど経つ。しかも、平均年令23.5才と若返り、毎日のように沖縄・那覇市の国際通りにあるライブハウス「島唄」で歌い続けているだけあって、実力も申し分ない。
そんな彼女たちが、今のメンバーになって初のアルバム『reborn』を発表した。本作は、ファンからのリクエストを募り、「黄金の花」を筆頭にこれまでのネーネーズの代表曲をセルフ・カヴァーするというもの。新メンバーによるベスト・アルバムでもあり、これからネーネーズを聴くというリスナーにとってはかっこうの入門編でもある。そして、結成25周年を迎えた記念盤であり、久々のメジャー復帰作ということもあって、沖縄ローカルだけでなく全国的に再度飛躍するきっかけにもなるだろう。若さ溢れるネーネーズによってリフレッシュした名曲の数々、そしてネーネーズの活動に関してメンバー全員に話を聞いた。
歌を通して沖縄の方言の良さが少しでも伝わってくといいし、
伝える立場になってみたい
−−まずは、それぞれネーネーズに加入したいきさつを教えてください。いちばん早いのは、渚さんなんですよね。
上原渚:そうです。2005年に加入しました。実は、初代ネーネーズの吉田康子さんがおばなんです。その影響で小さい頃から家や車でも聴いていました。小学5年生の頃に初代ネーネーズが解散したんですが、そのタイミングでおばに弟子入りしました。そして高校3年生の時に、三代目ネーネーズに欠員が出るという話を聞いて、やってみたいと思ったのがきっかけです。ただ、学校の勉強や部活もあるし、両立できるのかが不安でした。でもこれはチャンスだし逃すわけにはいかないから、私にはやるという以外の選択肢はなかったです。
−−それでいつしか10年。
上原渚:そうなんです!長かったようで短かったですね。実は一度脱退しているんです。7年間やって、1年抜けていた時期があって。その時に理恵が入ったんですよ。それで、その後また戻ってきました。
−−じゃあ、次に入ったのが理恵さんなんですね。
本村理恵:そうです。渚ネエが抜けたときに、「チャンス!」って思って(笑)
−−いつ頃ネーネーズを知ったんですか。
本村理恵:初めて聴いたのが中学生の時。何かのきっかけで、YouTubeをケータイで見たんですよ。最初に聴いたのが「黄金の花」で、子どもなのにとても感動しました。メロディも歌声も歌詞もすごくよくて。でも、映像が古かったんですよ。だからもう無いグループだと思っていました。その後、高校を卒業して大阪の専門学校に行ったんです。もともと沖縄の芸能や歌は好きだったんですけど、大阪には沖縄の風みたいなものが感じられないじゃないですか。そういう寂しい思いがあった時に、聴いたりもしていました。その頃、四代目ネーネーズにひとり欠員が出るってことを聞いて、それで私が加入することになりました。
−−それは、大阪にいる時に知ったんですか。
本村理恵:そうです。学校を卒業して就職していたんですが、ネーネーズに入るために戻ってきました。
−−それまで民謡の勉強はしていたんですか。
本村理恵:高校の時に郷土芸能部には入っていましたが、歌ったり三線を弾いたりはしたことはなくて、ずっと琉球舞踊を踊っていました。
−−じゃあ普通に考えると、ネーネーズとはあまり接点がないですよね。
本村理恵:四代目ネーネーズの比嘉真優子ネエが、石垣島出身で同じ中学校の先輩なんですよ。だから全校集会で歌ったりしているのを見ていて。だからこういう人がいるってことは知っていたんですけど、まさかネーネーズにいるとは知らなくて。内地にいる時に友達つながりで知り合ったんです。それで、ネーネーズがメンバー抜けるっていう話を聞いて。
−−それでオーディションを受けたんですか。
本村理恵:オーディションというか、面接ですね。もうひとり、同じ八重山の子が受けていて、とても歌の上手い子だったんです。だから自信もなかったし、受かった時は「なんで?」って感じ。入ってからも不安しかなかったんですけど、もうひとり受けていた子のためにも頑張ろうと思いました。恥じないようにという気持ちもあるから、沖縄の芸能や文化をもっともっと勉強したいと思うようになって、そのプレッシャーが活力になりましたね。
−−加入して3年くらい経ちますね。
本村理恵:4年目に突入しました。今でも信じられないんですけど、加入して初めてのアルバムが作れたし、ネーネーズに私の名前があるっていうことで、ようやく実感が湧いてきました。まだ夢の中にいるようなんですけどね。ネーネーズの歴史に名前が残るんだって。
−−理恵さんの次が、美鈴さんですね。
沖山美鈴:加入してちょうど1年経ちました。
−−きっかけはなんだったんですか。
沖山美鈴:私はオーディションでした。南大東島出身で、小学1年から中学3年までずっと民謡は習っていたんです。でも、高校で沖縄本島に出てきた時に三線を習うことから離れてしまって、卒業後は普通に就職もしたんです。でも、映画にもなったボロジノ娘というグループで活動していて、ちょっとした舞台に出たりしていました。そしたら、少しずつ演奏する仕事が増えてきて、就職もしていたんですけど、やっぱり三線がやりたくて。それで辞めてアルバイトをしながら活動していたら、南大東島の先生のお孫さんで村吉茜さんという唄者がいて、その方からネーネーズに欠員が出るという話を聞きました。それでオーディションを受けて入ることになったんです。
−−1年経ってどうですか。
沖山美鈴:とても早いです。メンバーとはほとんど毎日一緒にいるので、一日一日があっという間だけど、学ぶこともたくさんあって。歌もそうですけど、女性としてもひとりの人間としても、仕事場に来たら学べることがとても多いなと実感します。
−−葵さんは最後に加入したということですが、きっかけは。
世持葵:三代目の比嘉真優子ネエが、八重山の高校で同じ郷土芸能部だったんです。それでネーネーズのライヴを友達と見に行くようになりました。同世代の人たちがこんなすごいステージに立っているのを見て感動して、このライブハウス「島唄」でアルバイトすることになったんです。学校に通いながら、ホールスタッフとして2年間ほど勤務しました。
−−その間、歌うことはあったんですか。
世持葵:無いです。でも小さい頃から音楽は好きで、吹奏楽部に入っていたこともありました。「島唄」はアルバイト先だけど、ホールで耳だけは音楽が聴けるから、とても楽しく働かせてもらっていたんです。その時にネーネーズに欠員が出たことがあって、「やらない?」って声もいただきました。でも、お客さんの立場としても、お店のスタッフとしてもネーネーズを見てきたから、そのステージに立つというのは強い意志を持たないといけない。ネーネーズって沖縄を感じられる存在じゃないですか。そういう歌を自分で歌える自信が無くて、二回断ったんです。
−−二回もですか。
世持葵:ネーネーズは標準語だけでなく方言も使っているじゃないですか。自分も含めて、若い人は方言をしゃべる機会があまりないんです。だから、歌を通して沖縄の方言の良さが少しでも伝わってくといいし、伝える立場になってみたいなあと思いました。それで、加入することを決意しました。
−−じゃあ、三度目の正直で腹をくくったわけですね。
世持葵:私の少し前に美鈴が入ったんですよ。彼女は自分よりも年下なのに、覚悟を決めて入ってきたのを見て、自分もやらなきゃって思いました。
ライブハウス「島唄」
ネーネーズが拠点とする那覇・国際通りのライブハウス。ネーネーズをはじめ、沖縄音楽の実力者たちが毎日出演。ライヴと美味しい沖縄料理を気軽に楽しめる。出演者やスケジュールに関しては、電話やウェブで要確認。
住所: 沖縄県那覇市牧志1-2-31 おきなわ屋本社ビル3F
電話: 098-863-6040
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Interviewer: 栗本 斉
自分が彼女たちの年代の時には、そんな考えができなかったなあって
尊敬することもたくさんあります
−−このメンバーに落ち着いてちょうど1年くらいということですが、グループとしてまとまりましたか。
上原渚:とにかく楽屋が騒がしいです(笑)。でも楽しいですね。自分はいつでも若いつもりでいるんですけど、いつの間にか年を重ねているじゃないですか。でも、年取ったと思う反面、三人から若さを吸い取って若返っています(笑)。彼女たちには若いなりの意見があるし、自分が思っているのと違う方向からの意見があって。自分が彼女たちの年代の時には、そんな考えができなかったなあって尊敬することもたくさんあります。だから、メンバーから学ぶことがとても多いです。ただ、楽屋でしゃべりすぎて疲れるけど(笑)
−−ネーネーズの日常というのはどんな感じなんですか。ステージや稽古があると思うんですが。
上原渚:人それぞれですけど、例えば美鈴の朝は午後2時半です(笑)。週に2回、吉田康子先生がお稽古を付けてくれるんですが、ラジオや雑誌などのプロモーションが入るとても忙しいですね。
−−ネーネーズは歴史もあるし、レパートリーの数も相当だと思うんですが、もう全部歌えるんですか。
上原渚:すべてではないですけど、大半は歌えます。
−−じゃあステージを観に来る人からリクエストがあれば、ほぼ対応できるということですか。
本村理恵:そうですね。「あの曲歌って!」というリクエストが多い曲が集まって、この『reborn』というアルバムになってます。
−−ということは、ネーネーズの楽曲もそうだけど、歴史もよく勉強されているわけですよね。
上原渚:そのあたりは、少しずつ知名定男先生などから話を聞いて勉強しています。たまに、先生が「この曲はなあ」って話をしてくれることがあって、勉強になります。
−−今回のアルバム『reborn』を作ろうという話になったのはいつ頃ですか。
本村理恵:4月か5月くらいですね。
上原渚:リクエストのアンケートの締切が5月末だったからね。
−−アルバムを作ると決まった時、どういう気持ちでしたか。
上原渚:私は「やっと作れる!」という感じです。その前のメンバーで2枚に参加していますから。最初に録音したアルバムの時は、加入して3年経ってからなんですよ。『reborn』に関しては、前の作品から5年経っているので、やっとという気持ちですね。
本村理恵:私は泣きました。やっとという思いもあったんだろうけど、とにかくとても嬉しかったんです。CDを作ることもそうなんですけど、ネーネーズがメジャー復帰するということもとても嬉しくて。ライヴに来るお客さんって、どうしても初代ネーネーズの印象が強いと思うんです。あと、ネーネーズが毎日のように歌っているということも、国際通りにお店があることも、あまり知られていないじゃないですか。そういう悔しさもあったから、メジャー復帰することが、初代から歌を受け継いでまた新しい歌を歌って沖縄のことを伝えているということを、知ってもらうきっかけになるかなって。メディアに出ることで、みなさんの意識がまたネーネーズに向いてくれると嬉しいです。
世持葵:私はステージ・デビューから数ヶ月でアルバムが決まったので、ありがたいことではあるんですが、とても怖かったです。今の自分の歌が入るかと思うと。だけど、ステージではある程度自信を持てるように稽古していたから、そこは今のネーネーズの歌を楽しんでレコーディングしようと決意しました。普段歌っている曲のセルフ・カヴァーだから、ステージを思い出しながら取り組みました。
沖山美鈴:私もデビューしてすぐだったんですけど、その短い期間でも常連のお客さんから「CDを早く出して」という声をいただいていたので、その期待が現実になることがまず嬉しかったです。4名のうち2人は変わったばかりじゃないですか。それで、前からいる2人もそれまでの歌い方と私たちに合わせるところの葛藤があったなかでのレコーディングだったんです。だから、4名ともいちからのスタートという感覚だったと思います。不安は大きかったんですけど、いざ始まってみると思っていた以上にトントン拍子でした。緊張していたのがバカみたいで、今の自分たちの歌を歌えばいいんだってことに気付きました。だから、逆にCDを作ることで自信も付きましたね。
−−今回はリクエストを募ったということですが、予想していたのとは違っていたということはありますか。
沖山美鈴:だいたいは一緒なんですけど、「ウムカジ」なんかは意外でした。あの曲は歌詞が方言なんですけど、意味がわからなくても歌の力があるんだなって思いましたね。
−−では、アルバムの曲を順番に聴いていきたいのですが、まずは神秘的な「明けもどろ」ですね。
上原渚:ステージのオープニングとして定番の曲なんです。「明けもどろ」と「あめりか通り」というのが、だいたい一日のスタートです。
−−この曲で始まるのが、とても印象的ですね。
本村理恵:ステージだけでなくて、お稽古でも最初にやる曲なんです。もっと覚えやすい曲で始めるのかなと思ったのに、この曲とっても難しいんですよ。なのに、他のメンバーもみんなこの「明けもどろ」を最初にやってるはずです。標準語じゃないし、メロディも最初聴いた時は「なんじゃこりゃ?」という感じだったし(笑)
−−たしかにちょっと変わった曲ですね。
本村理恵:空気感も独特だし。これを最初にやるっていじわるだなって思ったくらい(笑)。でも初心を思い出しますね。
−−「あめりか通り」は民謡とはまた違う雰囲気ですよね。
上原渚:歌っていて楽しいです。違った角度から見た沖縄というイメージですね。でも、個人的にはこの曲がいちばん沖縄らしいと思うんですよ。米軍の基地があって、そこから食べ物や文化も影響されているということでは沖縄っぽい。沖縄市のコザでオキナワン・ロックが生まれたのも、外国と密接に関わる場所があったからじゃないですか。だから、外国人と一緒に歌ってみたいと思いますね。
−−みなさん、コザの出身ではないじゃないのに、ああいうところに行くとやっぱり外国っぽさを感じるんですか。
上原渚:感じますね。自分たちが育った環境には無いし、独特のネオン街だし。沖縄本島に住んでいても、「何ここ?」って思う場所ですよね。ここに住んでいる人たちは楽しそうだなあって(笑)
ライブハウス「島唄」
ネーネーズが拠点とする那覇・国際通りのライブハウス。ネーネーズをはじめ、沖縄音楽の実力者たちが毎日出演。ライヴと美味しい沖縄料理を気軽に楽しめる。出演者やスケジュールに関しては、電話やウェブで要確認。
住所: 沖縄県那覇市牧志1-2-31 おきなわ屋本社ビル3F
電話: 098-863-6040
HP: http://www1a.biglobe.ne.jp/dig/simauta_top.html
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Interviewer: 栗本 斉
都会に憧れて島を離れるけど、
波の音とか染みついて忘れられないのかもしれない
−−さっき話に出た「ウムカジ」は、少し民謡っぽいですね。
本村理恵:民謡的に作られた曲なので、節の入れ方がちょっと難しいんですよ。失恋の歌だからメロディがちょっと切ないので、そのメロディが生きるように、どうやって4人で合わせていくのかっていうのは苦労します。普通にポップスっぽく歌える曲じゃないですし。
−−レパートリーの中でも難しい曲なんですね。
本村理恵:私の中では、沖縄民謡を稽古して歌っているという感覚ですね。
−−次は、有名な「ノーウーマン・ノークライ」です。
上原渚:ボブ・マーリーさんの入り口がネーネーズでした。そもそもこの曲は、ネーネーズのオリジナルだと思っていましたから。元の曲がCMで流れているのを見たんですよ。「ネーネーズの曲が外国に行ってる!」ってビックリして(笑)。でも、ネーネーズに加入してから、ボブ・マーリーさんの歌だということを知って謎が解決しました。
−−やっぱりみなさんは、世代的にネーネーズの方が先なんですか。
本村理恵:そうですね。私は馬の歌だと思ってたんです(笑)。初代ネーネーズの歌い方って、完全にカタカナ英語じゃないですか。それが味なんですけど。まさか英語だと思わなくて、「ノーウマ、ノークラ」って歌っているから、馬の鞍の話だと信じてたんですよ(笑)
−−たしかに知らなければ外国の曲とは思わないでしょうね。
本村理恵:この曲は、4人の声がなかなか合わなくて苦労しました。ユニゾンなのに何度歌ってもダメで。でも揃った時は、とても気持ちいいんですよ。だから上手くいった時には「最高だね!」って、みんなで話していた曲です。
沖山美鈴:毎回歌っては反省してっていうくらい、試行錯誤してましたね。本当に難しい曲なんです。
−−この曲には、SAKISHIMA meetingの新良幸人さんと下地勇さんがコーラスで参加されているんですよね。
上原渚:実は、次の「SAKISHIMAのテーマ」をレコーディングするためにゲストで来てもらったんですが、知名先生から「こっちにもコーラス入れてくれ」って話になって、その場で決まったんですよ。でも快く引き受けてくれました。
沖山美鈴:この二人は真剣になるほど面白いんですよ(笑)。CDを聴くととってもかっこいいんですけど、私たちはその時の風景を思い出して、つい笑ってしまいます。
−−その「SAKISHIMAのテーマ」も切ない感じですね。
本村理恵:石垣島に帰りたくなりますね。葵が石垣の白保という地域の出身なんですけど、この曲の間奏にはその白保の波の音が入っているんです。私は白保出身ではないですけど、同じ八重山の波の音が入っているというだけで、ウルッとくるんですよ。
世持葵:だから、私はふるさとの海の風景を思い出しますね。歌う時は、石垣のじいちゃんとかばあちゃんのイメージが自然と浮かんできます。やっぱり生まれ育った場所がテーマだし、同じ場所で生まれ育った人が作った曲でもあるから、ふるさとへの気持ちをしっかりと持って歌える曲ですね。
−−自分が生まれ育った場所が歌になって、それをまた自分たちのものとして歌えるっていいですね。
世持葵:都会に憧れて島を離れるけど、波の音とか染みついて忘れられないのかもしれないですね。だから恋しくなってしまいます。
沖山美鈴:八重山出身の友達もよく来てくれるんですけど、やっぱりリクエストが多いですね。あと、出身じゃなくても島好きな人はこの曲も好きみたいです。
上原渚:この波の音はエンジニアの方が勝手に入れたんですよ。「怒られるかなと思ったけど入れてみた」といってたんですけど、逆に「ありがとうございます!」って感じで。
−−理恵さんと葵さんお二人は八重山に帰れてますか。
本村理恵:なかなか帰れないですね。歌っている間は、気持ちは島に帰っているんですけど。実際にはなかなか。
−−ネーネーズとして離島に行くことはあるんですか。
本村理恵:石垣には一度行きましたね。
世持葵:私はデビューして2ヶ月の時だったんですよ。でもそれ以来帰っていないです。
本村理恵:落ち着いたら帰りたいですね。
−−続く「平和の琉歌」は、メッセージ性の強い曲ですね。
上原渚:桑田佳祐さんの作詞作曲で、とても衝撃の強い歌ですね。本土の人だと余計そう思われるかもしれない。沖縄には観光に来たり、癒されに来る人が多いと思いますが、そのなかにもいろんな問題があるんだってことを、この5分の間だけでも考えてもらえると嬉しいですね。ステージでもそういうことを伝えてから歌います。
−−たしかに、平和ということをきちんと考えないといけない時代になってきたから、とてもリアリティがありますね。
世持葵:平和を願うことって、沖縄だけじゃなくて誰もが思っていることだから、みんなにそういう気持ちを持ってもらえるといいなと思います。
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Interviewer: 栗本 斉
基礎があってこそ、オキナワン・ポップスになる
−−「バイバイ沖縄」も有名な曲ですね。
上原渚:知名定男先生の本土デビューの曲です。沖縄を離れていく若者に向けて、「中央に行くのもいいけど、あなたたちの島にもいいものがあるよ」という意味の歌です。ネーネーズとしても代表曲ですね。これは沖縄の人からのリクエストも多いです。
−−実際にどんな気持ちで歌っていますか。
沖山美鈴:メンバー4名中3名が島育ちなので、どこかメンバーにも当てはまるんですよ。島から出て本島で暮らしているので。
−−やっぱり歌詞の内容って、自分に当てはめてしまうことが多いんですね。
上原渚:あと、友達が本土にもたくさんいるんですけど、「帰ってきて欲しいな」って思いながら歌っていますね(笑)。
−−「テーゲー」はノリのいい曲ですね。
上原渚:テンションが下がっている時や、思い悩んでいる時こそ聴いて欲しいです。ポップでレゲエ調の楽しい歌なのに、私の友達はこの歌でボロ泣きするんですよ。励まされているように感じるって。
−−ネーネーズの曲には、ポップスやロックやレゲエなんかを取り入れた曲も多いですが、そういうのは民謡と比べると歌うことの違和感はありませんか。
上原渚:もともとみんなカラオケなんかに行ってた世代だから、違和感はないですね。
本村理恵:ただ、J-POPのようには歌えないので難しいですね。民謡の基礎がしっかりできていないと、オキナワン・ポップスにはならないと思うんですよ。基礎があってこそ、オキナワン・ポップスになると思うので。逆にJ-POPが歌えるからといって、オキナワン・ポップスが歌えるわけではないですし。私や葵なんかはネーネーズに入って初めて民謡を稽古したので、「まずはしっかり民謡を勉強しないとね」という話はよくします。民謡ありきのオキナワン・ポップスだと思いますから。
−−「山河、今は遠く」は、また民謡とは少しちがう雰囲気ですね。昔のフォーク・ソング風というか。
上原渚:岡本おさみ先生の作詞で、もともとは団塊の世代に向けて作られた応援歌らしいです。でも、メンバーそれぞれにとっても思い入れがある曲です。ストレートに頑張れよというのではないですけど、歌いながら励まされます。
−−ネーネーズの中でも大人っぽい歌ですよね。
上原渚:お父さんお母さん世代ですね。でも、理恵がいちばん好きな歌なんですよ。
本村理恵:大阪に出ていた時のことを思い出すんです。自分が島を離れているっていうことで、共感が湧くというのもありますね。石垣って何もないからみんな出て行くんですよ。那覇や東京や大阪や福岡なんかに。だから、私に限らず島を離れた同世代の友達にも聴いて欲しいし、この曲の本当の歌詞の意味は、団塊の世代に向けて作られているから、そういう方々にも聴いて欲しいし、いろんな世代に共感してもらえる曲だと思います。
−−次の「国頭サバクイ」はかっこいい曲ですね。
上原渚:コテコテの沖縄民謡です。三線だけで歌うと単調なんですが、アレンジがかなりロックっぽくて素晴らしいんですよ。
−−たしかにオキナワン・ロックという雰囲気もありますね。男っぽいというか。ソロは渚さんですか。
上原渚:はい、気合いを入れて歌いました。「がなってるなあ」っていわれます(笑
−−ネーネーズってかわいいイメージが強いんですが、この曲を聴くとかなり印象が変わりますよね。
上原渚:オッサンですよね(笑)。「平均年令23.5歳なんて言わせねえぞ」みたいな(笑)
本村理恵:渚ネエが歌った後に、私たちがお囃子を入れるんですけど、ついて行くのに必死なんですよ。1対3なのに負けてしまうくらい。3名で戦っているんですけど。
沖山美鈴:たいてい負けますね(笑)
本村理恵:だから、それが張り合うくらいになれば、いい歌になるのかなって思います。
−−がらっと変わって「真夜中のドライバー」は、また違うかわいい歌ですね。
上原渚:遠距離恋愛の歌ですね。経験はないんですけど(笑)
沖山美鈴:遠距離恋愛って、なかなか会えないじゃないですか。「好きだから遠くても会いに行きたい」っていう気持ちはわかるし、ネーネーズにそういう気持ちを持ってくれたら達成だなって思います。みなさん忙しい中、ネーネーズに会うためにライヴにも来てくれるのも、恋愛みたいになればいいなって。
−−みなさん、お忙しいから恋愛する暇もないんじゃないですか。
上原渚:したいです!
本村理恵:でも、ネーネーズは恋愛禁止なんですよ。
上原渚:違うよ。彼氏が禁止。「片想いはいい歌を歌えるからいいけど、両想いになってはいけない」っていわれているんです。知名先生から(笑)
本村理恵:先生なんて「俺だけにしとけ」とかいうんですよ(笑)
上原渚:それは、叶わない恋だね(笑)
沖山美鈴:プロポーズの歌とかもあるんですけど、妄想で歌ってます(笑)。そんな経験がないから。
ライブハウス「島唄」
ネーネーズが拠点とする那覇・国際通りのライブハウス。ネーネーズをはじめ、沖縄音楽の実力者たちが毎日出演。ライヴと美味しい沖縄料理を気軽に楽しめる。出演者やスケジュールに関しては、電話やウェブで要確認。
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Interviewer: 栗本 斉
沖縄の音楽は、本土の人でも外国の歌のように聞こえるわけだから、
そういう言葉の壁は関係ないって思っているんです。
だから、沖縄を背負って世界中へライヴをしに行きたい
−−最後の「黄金の花」はネーネーズの代名詞のような曲ですが、それをあらためて歌うというのはどうですか。
上原渚:責任は大きいですね。ただ、毎日のように歌ってきているので緊張するわけでもなく、このメンバーの色をステージのまま出せたらいいなと思って録音しました。1年足らずしか経っていないメンバー4人の記録ですね。この「黄金の花」を何年か経ってから聴いて、「わっ!へたくそ」っていえるといいなって私は思います。あの時は精一杯誇りを持ってステージで歌ってきた、まだ若い声のメンバーの「黄金の花」を、「あの時は若かったね」って後で笑えるくらい元気な「黄金の花」になったと思います。
本村理恵:「黄金の花」はもちろん代表曲ではあるんですが、今の30代より若い方ってネーネーズ自体を知らない人が多いんです。でも、ライヴに来てもらって「黄金の花」を初めて聴いて涙してくれるんです。ふらっとこの店に入ってなんの知識もなく「黄金の花」を聴いて、感動してくれる。こんなに心を打たれるとは思わなかったって。いちばんそういってもらえることが多い曲なんです。同世代に共感してもらえるのも嬉しいし、いろんな人生経験している年配の方にこの曲に感動してもらえるのというのがすごいなと思います。「山河、今は遠く」もそうなんですけど、世代を超えて響くものがあるんだと思います。だから誇りを持てる歌ですね。
−−あらためて出来上がったアルバムを聴いてみて、満足していますか。
世持葵:満足はしていないです(笑)
沖山美鈴:聴けば聴くほど、やり直したいなあって(笑)
本村理恵:でも、知名先生はレコーディングの時もやり直しさせてくれないんですよ。「これは記録だから」っていって。
沖山美鈴:でもやり直したからって、きっと満足する日は来ないですよね。だから聴く度に課題がいっぱい残るんですよ。最初出来上がったときは「おおっ!」っていう気分だったんですけど、だんだん細かいところが耳に付いてくるので。これから何枚アルバムを作ってもそれは消えないと思います。でも、アルバム自体は、沖縄音楽の入り口として、最初に手に取るアルバムとしては、とてもいい作品になったとも思います。
世持葵:レコーディング中にも知名先生から教わったことがたくさんあって、できたこともあればできなかったこともあるんです。でもそれは課題として、ステージの上で改善していって、そしてまた新たな課題を見つけて。そうやって歌い続けていけたらいいなあって思います。そして、とにかくたくさんの人に聴いて欲しいです。
−−今のネーネーズの等身大の記録であり、次のステップへつなげるためのアルバムになっていますよね。
上原渚:もう5年後とは言わせませんよ(笑)
沖山美鈴:このアルバムを今聴いた人が、1年後のライヴを見に来たら、きっとものすごいことになっているはずです。「本当はもっとできるんですけど」みたいな(笑)
−−アルバムというのは、ひとつの区切りでもあると思うんですけど、この先のネーネーズの目標はありますか。
上原渚:毎年いってるんですけど、NHKの紅白歌合戦に出たいです。あと、お客さんからは「オリンピックの開会式で歌って欲しい」って。それと、日本武道館やさいたまスーパーアリーナみたいな大きなところでもライヴをやってみたいし、外国にも行ってみたいですね。沖縄の音楽は、本土の人でも外国の歌のように聞こえるわけだから、そういう言葉の壁は関係ないって思っているんです。だから、沖縄を背負って世界中へライヴをしに行きたいです。
本村理恵:ネーネーズのライヴは、沖縄の人じゃなくてもすごく盛り上がってくれるんですよ。方言なんて理解できないはずなのに。でも、ライヴに来た客さん全員が、カチャーシーを踊るってことはまずないじゃないですか。いくら盛り上がっていても、全員ではないんです。だから、聴いているひとりひとりが、いてもたってもいられなくなるくらい、身体が反応するように歌えるといいなと思っています。沖縄だけでなく、内地の人にもその気持ちが伝わればいいなと思います。
世持葵:音楽って、沖縄や日本だけでもなく、世界とつながることができるし、言葉や方言がわからなくても感じてくれるお客さんがいるはずなんです。だから、いろんな社会の問題があるけど、歌で人がひとつになれないかなって思うことがあって。言葉じゃないとわからないこともあるけれど、音楽で国や考え方に関係なくつながっていければ、世の中には争いなんて無くなると思うし、そういう役割になりたいなと思います。音楽にはそういう力があるはずですから。
沖山美鈴:私が高校生の時は、那覇の国際通りってとにかく人が多くて、少し歩くだけで人にぶつかるくらいだったんですけれど、年々人が減ってきている気がするんですよね。でも、ネーネーズはいつも国際通りにいるので、ネーネーズに来るお客さんがたくさん増えたら国際通りを歩く人も増える。国際通りを歩く人全部がネーネーズに会いに来る人で埋まったりするのが夢ですね。あと、ネーネーズに加入する前に、少し「島唄」のホールで働かせてもらったんですけど、その時に四代目のステージを見て感動したんです。でも、自分がステージに立つ側になったら、逆にホールやキッチンのスタッフも毎日聴く訳じゃないですか。そんななかで、1日でもいいので感動して涙を流してもらえる日があれば、私はそれで「よっしゃ!」って思います。お客さんだけでなく、身近な人にもそう思ってもらえれば、とても達成感があるはず。ホールがいないとステージに立てないし、キッチンがいないと料理が出せないと思うので、恩返しというかちょっとした夢ですね。
−−最後に、“楽園おんがく”と聞いてどんなイメージを受けますか。
本村理恵:黒く焼けた人が砂浜にいて、民族的な音楽が流れてくるというイメージですね。太陽の光も強くて、青い海があって、黒い人たちがわいわい楽しく踊っているような。明るい音楽で、みんなが笑顔で楽しめる音楽です。
沖山美鈴:でも、夕陽を見ながらしっとり聴くという感じもありますね。ネーネーズでいったら、「黄金の花」とかはそんなイメージですね。
世持葵:私はそういう時、Rickie-Gとかジャパレゲを聴くことが多いです。もうちょっと落ち着きたいときは、沖縄の音楽も聴きますね。
上原渚:私はハワイアンとか好きですね。ジェイク・シマブクロさんを一日聴いている時もありますよ。あとは、無人島で『reborn』を聴いているという感じかな。
−−結局、ネーネーズの『reborn』を聴けばいいということですね(笑)
全員:そうです!(笑)
『reborn』コメント&トレーラー
ライブハウス「島唄」
ネーネーズが拠点とする那覇・国際通りのライブハウス。ネーネーズをはじめ、沖縄音楽の実力者たちが毎日出演。ライヴと美味しい沖縄料理を気軽に楽しめる。出演者やスケジュールに関しては、電話やウェブで要確認。
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