2021/01/08 17:00
ナイン・インチ・ネイルズ(NIN)のトレント・レズナーが、現地時間2021年1月8日に開催される故デヴィッド・ボウイへのトリビュート・コンサート『A Bowie Celebration: Just For One Day!』の生配信に先立ち、いちアーティストとしてボウイから受けた影響や、生前に交流があった彼から受けた個人的な恩について語った。1月8日は、ボウイが存命なら74歳になっていた誕生日にあたる。
Consequence of Soundとのインタビューで彼は、NINが軌道に乗り始めた頃を振り返り、ボウイというアーティストの存在そのものに助けられたことを明かしている。彼は、「ナイン・インチ・ネイルズが生まれた頃、徐々にオーディエンスが増えてきたことで、俺は全然金を持っていなかったやつにありがちな変なプレッシャーを感じるようになっていた。30ドル(約3,000円)のガス代をどうやって払おうか悩んだり、1週間ずっとピーナッツバターばっか食ってたのに、自分がすごく気に入ったアルバムを作ったがために、突然ガス代を払えるようになったんだ」と明かし、ボウイの『スケアリー・モンスターズ』(1980年)の“冷たくて異質な”ヴァイブスに感銘を受けたことや『ハンキー・ドリー』や『ジギー・スターダスト』などに触れつつ、「俺の生活はすごく良くなった。で、新しいアルバムを作るってなった時、俺自身は新しいことにトライしたいと思いつつも、ガス代を払えるといいなとも思ってしまうわけ。色々な形で(その思いが)忍び込んでくるんだよ。だから俺は、ボウイという概念に立ち返って、“F―k、アーティストってのはああいうものだ”ってちょっと考えたりしたんだ。つまり、そういう遠隔的な影響というか、ファン・レベルでの、音楽そのもの以外での心理的なつながりを感じていた部分はあるね」と語っている。
ボウイの音楽については、彼のカタログを網羅するうちに、彼が“素晴らしい声を持つ者のベストな原型”、そして“ある意味でロック・スターのふりをする俳優のような存在”になれた手腕に驚嘆したとレズナーは語り、「それが彼に自分を再び創造する能力を与えていたようだった。何かに成功したのに、それを捨てて新しい何かにトライすることってかなりの勇気がいるものだから」と分析している。
レズナーにとって最大のターニング・ポイントは、1995年の『アウトサイド』アンフィシアター・ツアーのオープニング・アクトに、NINが抜擢されたことだった。当時についてレズナーは、「誰かが(ボウイのことを)持ち出して質問してくるたびに、俺は(ボウイによる1977年のアルバム)“ロウ”を挙げて、(NINによる1994年の)“ザ・ダウンワード・スパイラル”にどれだけ影響を与えたかについて話していたんだけど、それが彼の意識を横切ったのかもしれなくて、彼に“僕らと一緒に演ってもらいたいバンドは君たちだけだ。アンフィシアター・ツアーで前座を務める気はないか?”って言われたんだ。“F―k, yes”(と即答した)」と明かしている。そして、「もうしばらくはツアーしないって言ったばかりだったんだよ……2年半のツアーを終えたばかりで、俺は崩壊しかけてた。ツアーから距離を置く必要があったんだ。そこへ、“なあ、行かないか?”って。“はい、いつ出かけるんですか?”(と即答)、“1か月後とかはどう?”、“OK、必ず行きます”(という感じだった)」と振り返っている。
憧れの人とツアーすることは、“恐怖だったしおじけづいた”と明かすレズナーだが、同時に変化し続けるスターとしてのうわべの向こう側にいる“実在する人間”と知り合いになることもできた。レズナーが想像してきたイメージを裏切らない人物だったそうだ。
「一番印象に残っているのは、(その当時)俺は依存症でひどい状態で、最悪な方向に向かってたんだ」と彼は明かし、「で、彼はそれを乗り越えた先の場所にいた。そして俺は何度か彼に脇へ呼ばれて、“しっかりしろ”って兄のような父親のような感じで諭されたことがあったんだ。“どん底で終わる必要なんてないんだよ”って。そう言われたわけじゃないけど、“今の僕を見ろ。僕は幸せだ。まだ思い切った冒険をしている”(と言われた気がした)」と振り返っている。
レズナーは今もボウイの音楽を聴き、彼のことをいつも考えていると言い、彼と人生が交差したことや、暗い時期から引っ張り出してくれた人生の先輩としての計り知れない力添えに感謝していると話している。「彼の声が聞こえるんだ。俺が自分の周りに築いてきた無価値なものの層を彼は突き破ってくれた。それに感謝している」と彼は語っている。
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