2020/06/04 18:00
1994年生まれ、米アリゾナ州フェニックス出身。フォーク・ギターを抱えて歌う姿が何とも映えるシンガー・ソングライター、アレック・ベンジャミン。日本での知名度はまだまだではあるが、音楽誌や評論家からは高い評価を得ている、まさに期待の新星というべくアーティストの1人。幼少期はニューヨークに移り住んだこともあるそうで、たしかに素朴な要素と都会的な雰囲気の両面を持ち合わせている。デビュー前は空手のインストラクターだった、というユニークな経緯も見逃せない。
フェイバリット・アーティストには、ジョン・メイヤーやジェイソン・ムラーズといった自身の音楽性に直結した面々の他、ラッパーのエミネムを“最も影響を受けた”1人として挙げている。初めて買ったアルバムは大ヒット作『ザ・エミネム・ショウ』(2000年)だそうで、Spotifyでは代表曲「スタン」(2000年)のカバーを公開するほど、熱狂的な信者であるよう。
これだけの才能を持ち合わせていながら、運には恵まれていないようで、そのキャリアは<コロンビア・レコード>と契約したが、デビュー・アルバムを完成させた直後に契約破棄されるという悲劇からはじまった。また、今年4月に開催・出演予定だった【コーチェラ・フェスティバル 2020】は、新型コロナウイルスの影響で10月に延期され、本作『ジーズ・トゥー・ウィンドウズ』のプロモーションもまともにできない状況でのリリース、となってしまった。
しかし、契約を切られた後も著名アーティストのライブ会場付近でパフォーマンスをする等、デビューにこぎつけるための努力は惜しまず、そして逆境にも強いことがわかる。だからこそ、コロナ禍の中こうしてデビュー・アルバムを完成させることができたのだろう。
自身初のスタジオ・アルバムとなる本作『ジーズ・トゥー・ウィンドウズ』には、先行でリリースされた6曲のシングルが収録されている。1stシングルの「マスト・ハヴ・ビーン・ザ・ウィンド」は、DVを受けている(であろう)女性を気遣うも、真相を語ろうとしないという、もどかしい展開の切ないアコースティック・メロウ。ビル・ウィザースの「リーン・オン・ミー」(1972年)を引用して優しく語り掛ける場面に、人柄というかセンスが現れている。プロデュースは、英ロンドン出身の女性ソングライター=アレックス・ホープ。アレックスは他4曲も担当している。
2ndシングルの「ジーザス・イン・LA」には、「LAにイエスはいない」という否定系の意味合いが含まれている。ジーザスというと、カニエ・ウェストを真っ先に思い浮かべるが、宗教的な表現を用いるあたりはエミネムっぽいといえば、ぽい。サウンドや旋律には、エド・シーランをお手本にしたような節がみられる。低音からファルセットに急転する、ボーカルの技術もすばらしい。心の闇(病み)を描いたようなミュージック・ビデオも好調で、間もなく1,000万再生に到達する。ソングライターには、ジェイソン・ムラーズの楽曲も手掛けるスウェーデンの音楽プロデューサー=マーチン・テレフが参加した。
アルバムの1曲目を飾る「マインド・イズ・ア・プリズン」は、何かに、もしくは誰かに縛られていることに嫌悪感を示す、ダウナー系の切ない旋律のミディアム。本人にそういった実体験はないようだが、心を押し込められた様を独房に例えて悲観している。メンタルヘルス的要素は昨今の流行でもあるが、このあたりにもエミネムの影響が……?
一方、タイトルは毒性高めだが、4thシングルの「デーモンズ」は比較的ポジティブな曲。各々欠点や否定的な面(悪魔)を持ち合わせているが、それを受け入れてくれる人がいる、受け入れる自分もいるという、やさしさや希望に溢れている。歌い方も、「マインド・イズ・ア・プリズン」に比べるとソフトな聴き心地がある。
サー・ノーランがプロデュースしたメロウ・チューン「オー・マイ・ゴッド」にも、なかなかシビアなメッセージが込められている。この曲は、スターダムを駆け上がった後の喪失感を綴ったもので、自身もハマっていたというNetflixオリジナルドラマ『ロスト・イン・スペース』の末っ子ウィルの名前を拝借して「彼のように迷子な僕」という表現でその心情を歌った。
最新シングルの「ザ・ブック・オブ・ユー・アンド・アイ」は、前シングルとはまた違う、失恋による傷心を回想を交えて女々しく歌ったフォーク・バラード。アレックの声質が特に歌詞にマッチした一曲、だといえるが、これが実体験からくるものだとすれば、なかなか後を引くタイプなのだな、と……。シンプルではあるが、想い出のシーンを描いたミュージック・ビデオも良い仕上がり。
その他、状況の悪さをもがいて修復しようとする、マイナー・メロの異色曲「マッチ・イン・ザ・レイン」や、自身がネガティブであることを否定しようとも認めざるを得ない、そんな心境を歌った「アイム・ノット・ア・シニック」、昨年のライブでも何度か披露した、ショーン・メンデス路線のポップ・ソング「アラモ」、10代の頃は気づけなかった、父に抱く今の想いを綴った「ジャスト・ライク・ユー」等、いわゆる“エモい”曲がそろいも揃っている。
ボーナス・トラックには、今回の新型コロナウイルスによる自粛生活中でインスピレーションを受けたという新曲「シックス・フィート・アパート」が収録されている。なお、デビュー・ミックステープ『ナレーテッド・フォー・ユー』からのヒット・シングル「レット・ミー・ダウン・スロウリー」は収録されていない。
全10曲、28分弱と短編ながらも、聴き終えた後の心地よさは抜群。ネガティブな要素満載の歌詞と、触れたら崩れてしまいそうなほど繊細で柔らかいボーカルの対比も面白い。アレックの魅力はやはりその声質で、「天使の歌声」という表現はピンとこないが、歌い手が誰なのか瞬時に見分けられる個性と、誰もがストレスを感じない素地は持ち合わせていると思う。
Text: 本家 一成
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