2020/03/24 21:00
5月11日の第2期BiS解散以降、次なる動向に注目が集まっていたムロパナコ改め葉菜子。約10か月の沈黙を破り、後藤友輔(To Be Continued)との音楽プロジェクト・Her knuckleを始動させた。ビルボードジャパンでは、このタイミングでの独占インタビューを敢行。
幼い頃に見た夢=トラウマを描いたデビュー作「レモン畑の恐竜」へ込めた想い。2期BiS解散後に一度は砕け散った自分をどう再生し、表舞台に舞い戻り、何の為にまた歌い始めたのか。誰も知らない絶望と奇跡と成長の物語、ぜひともご覧いただきたい。
◎葉菜子(Her knuckle)デビュー記念独占インタビュー
<アイドル時代が現実で、今から夢が始まるんだよっていう>
葉菜子:(サラダをムシャムシャ食べながら)前の事務所を辞めてから私はひたすら歌詞を書いていた訳ですよ。何になるかもわかんないけど、とにかくステージに立たない自分が……すごいですね。勝手にしゃべり始めましたよ、私。何も聞かれてないのに(笑)。
--(インタビューの準備をしながら)大丈夫です、BiS時代もそうでしたから。
葉菜子:とにかくBiSが解散して、前の事務所を退所してから、私はからっぽだった訳です。いつも何か物足りなくて。そんな中で「私はもっと想いを具現化すべきだ」と思って、それは世に出すものじゃなかったとしても、絶対に自分に何かしらの影響を与えるんじゃないかと。それでずっと歌詞を書いていたんですよ。で、いっぱい書いたんですけど、その中で何よりも先に出したかったのが「レモン畑の恐竜」だったんです。
--BiS時代に「レモン畑の恐竜」の話を聞いた記憶があるんだけど……なんか忘れられない夢の話かなんかで。BiS2ndのインタビューでしてなかったっけ?(※そのインタビューはこちら→ http://www.billboard-japan.com/special/detail/2405)
葉菜子:小学2年生ぐらいのときに見た夢の話です。北海道で生まれて最初に住んでいた家で見た夢。今でも鮮明に覚えていて、自分の家の庭がレモン畑で、そこを狙って恐竜が走ってくるんです。それが怖くて! だって、ティラノザウルスですよ?茶色の。で、トラックに縛り付けられてどっか行っちゃったんです。それでゾッとして。家の隣の道路ですよ? それが私の幼い頃のトラウマだったんですよ。そのトラウマを面白くできればと思って、歌詞を書き始めた気がします。
--そういう映画ありますよね。夢を映像化した作品だからストーリーはめちゃくちゃなんだけど、なんか心に残るやつ。「レモン畑の恐竜」のMVもそんな印象を受けました。
葉菜子:あのMVは完全ノープランで撮ったんですよ。絵コンテを前もって作成して撮影する人に渡してはいたんですけど、絵コンテ通り撮った映像はゼロですね。ぜんぶ無視。場所も適当に歩きながら「あ、ここ良いんじゃないですか」って決めたんですよ。ぜんぶその場のインスピレーションで自由に撮りました。
--結果、現代アートっぽくもあるし、でもポップでもある。すごく葉菜子らしい作品だと思いました。歌詞は我々も知るムロパナコ時代のストーリーとも重なったりするし。「夢から覚めた現実」じゃなくて「現実から覚めた夢」とかね。
葉菜子:実は「レモン畑の恐竜」の最初のタイトル候補は「現実から覚めた夢」だったんですよ。アイドルを辞めてから、アイドルだったあの頃をまるで夢みたいに感じちゃって。でもそれを「夢から覚めた現実」と認めたくなかったんです。「私はまだ行けるぞ!」と思って。それで「現実から覚めた夢」って書いたんですよ。反抗ですね、完全に。アイドル時代が現実で、今から夢が始まるんだよっていう。
<「100億円あげる」って言われてもアイドルには絶対にならない>
--ここからが本編だっていうね。音楽性的には「レモン畑の恐竜」のようなテクノ系路線で活動していくの?
葉菜子:いや、いろんな音楽をやります。バンドでズカズカしたモノもやるし、バラードとかもやっていくし、私が歌詞さえ書けば誰にでも伝わるなと思うので。ただ、今回はテクノ系がいちばん良いなと思ったんです。「レモン畑の恐竜」はロックにしちゃうと歌詞が重く響き過ぎるというか、マイナスな自分を連想させて不安になっちゃうかなと思ったので。だから今回はこの仕上がりで大満足。このあと、また別の曲とPVを公開していくんですけど、まぁよくここまで自由度の高いモノが出来たなと思っています。私から何言ってるか分かんない説明を聞きながら、よくここまで振り回されて怒らないなと思うぐらい(笑)、でもみんな面白がりながら一生懸命作ってくれていて、そこは本当に感謝です。良いチームですね!
--そんな葉菜子(Her knuckle)としての活動が始まるまでのストーリーも掘り下げさせて下さい。2019年5月11日の第2期BiS解散までアイドルとして活動していた訳ですが、その後もアイドルとして生きていく選択肢はなかったんでしょうか?
葉菜子:ひとりになってから、「可愛いな」と思って乃木坂46の動画とかYouTubeで観たんですけど、それで「私はアイドルになれないな、絶対に違うな」と思いました。自分がアイドルをやっているときはそんなこと思っていなかったんですよ。私の中では「BiS=アイドル」だったので。なので、アイドルに戻ってほしいという声もたくさんあったんですけど、その選択肢は自分の中になかったですね。「100億円あげる」って言われても、「家賃35万円のマンションに住ませてあげるし、ゴールデンレトリバーもポメラニアンも飼ってあげる」って言われても、やんないです。もうアイドルには絶対にならない。
--それは単純に向いてないと思ったから? それとも「私はアイドルに戻っちゃいけない」みたいな想いがあるの?
葉菜子:うーん……自分のなりたいモノがアイドルじゃない。やっぱりアイドルって大人がプロデュースしてくれて、しかもグループの場合は自分よりグループの色を出さなきゃいけない。でも私は「自分の頭の中を具現化したい」と思ったし、その為にはソロしかないなと思いました。BiSはBiSとしての味が出ていたし、それはそれで良かったと思っているし、私はめちゃくちゃしあわせだったし、大好きだったけど、今、こうしてソロをやってみて「完全にコレだな」と思ったんです。いろんなアイドルグループからも声を掛けて頂いたんですけど、この道を選んで正解だったなって。
--自分を純度100%で表現できる道を見つけた訳ですもんね。
葉菜子:でもアイドルはやっておいてよかったと思ってます。だって、大人がどれだけ大変だったかを知れましたから。それは、今、自分で衣装さんとかヘアメイクさんとかカメラマンさんとか作曲家さんとかプロデューサーさんとかぜーんぶ自分から連絡取って、1日に3,4件打ち合わせする日が毎日のようにあって、それがいちばん大変だと痛感しているので。ただ、やり甲斐がある。より好きになれる、仕事相手のことも、自分のことも。
--では、1年前のムロパナコとは完全に別モノになっているというか……
葉菜子:そうですね。あの頃は、こんなことをしたいとも思っていなかったから。
<ムロパナコ「本当に100か0かの人間で、やりたくないことはやんない」>
--そんな今の葉菜子から見て、ムロパナコってどんな女の子だったなと思いますか?
葉菜子:本当に100か0かの人間で、やりたくないことはやんない。やりたいことは絶対にやる。昨日、解散ライブの映像とか観ていたんですよ。「マジで一生懸命だな」と思って。でもこの一生懸命のウラには「何も知らない」っていうのがあったんですね。大人の苦労も……まわりのことにあんまり興味を示してなくて、何も知らないからこそ、そうやって100%「私の想いを!」という感じで歌えた。たぶん、今の私がステージに立って歌うことになったら、照明さんも自分でコンタクトを取るだろうし、ライブハウスも自分で連絡して抑えるんですよ。そうなると、ファンの人だけじゃなくて、まわりの大人、それこそHer knuckleに関わってくれるメンバーに対しての想いも生まれてくるから、100%「私の想いを!」って猪突猛進な歌い方は多分しないなと思います。ヤケクソにはならない。何故なら感謝の気持ちがそこに含まれてくると思うから。
--とても良い話ですが、そこに寂しさを覚えたりはしない?
葉菜子:うーん……でもなんかそのライブ映像を観て「子供だなぁ」と思いました(笑)。
--チームワークを要するアイドルグループ時代には「100%自分」だった子供が、ひとりになってみたら感謝の気持ちが芽生えてチームワークの大切さを知った。要するに大人になったということだと思うんですが、皮肉だね(笑)。
葉菜子:皮肉ですよね。自分でも「皮肉だな」って思います。
--でも、ここに至るまでどれも必要な道のりだった。
葉菜子:絶対に必要でしたね。
--BiS時代に100%「私の想いを!」と猪突猛進していたからこそ、こうして新しい環境でHer knuckleの葉菜子が生まれたんじゃないですか?
葉菜子:そうですね。あのとき、中途半端にやっていたら、今こうして「自分で契約取ってこよう」とか思えなかっただろうし。
<5月11日「これを乗り越えなきゃ生きていけない」>
--では、もう客観視できるだろうから聞きますけど、当時のムロパナコは2期BiS解散をどう捉えていたんですかね?
葉菜子:なんか言葉に出来ないんですよね。今もずっと考えてはいるんですよ。夢にもすごく出てくるし。たぶん、そこからは一生抜け出せない何かがあって。……悔しい。でも、さだめっていうか。しゃあない。けど……そうだ、それで半年間ずっと悩んでいたんだ。音楽を一切聴かない日とかもあったんですよ。飯も食えないし、全然ダメダメだったんです。けど、どうしても忘れられなくて、5月11日という日を。だから「これを乗り越えなきゃ生きていけない」と思ったんですよ。じゃないと、たぶん死んじゃうんじゃないかなって。その為には「自分で音楽をやる」っていう考えしかなくて。だから今は何がゴールか分からないんですけど、ゴールまでとにかく音楽を全力でやっていこうと思います。
--それにしても、よくここまで立ち直れましたよね。
葉菜子:前の事務所を辞めて、家も契約を切って、北海道に帰ったんですよ。でも一瞬で「いや、私、ここにいられない」と思って。直観で「これは違う」って。それですぐまた飛行機で東京まで飛んで、また住むところと契約して。でも何もやることは決まっていない。完全に迷走ですよね(笑)。で、8月ぐらいに、これも迷走なんですけど、ノープランで日本横断してドラクエウォーク。そういう不毛な日々を過ごしていて、音楽も何もかも諦めようとしていたときに、とあるおじさんに「何してんの?」って声を掛けられたんですよ。それで「一人旅に行ってきました。音楽辞めようかなと思って」みたいに話したら、何故か「音楽は続けたほうがいいよ。絶対に自分に何かもたらせてくれるから」って説得されて。
--それが後藤友輔(To Be Continued)さんだったんですよね?
葉菜子:そうなんです! それがきっかけで再始動することになって。しかも、後藤さんは私のことを全く知らなかったんですよ。BiSのこともムロパナコのことも。それまでもいろんなところからお誘い頂いたんですけど、みんな、ムロパナコのことを見ていたんです。でも私は区切りを付けたくて。もしかしたらファンの人もムロパナコを望んでいたかもしれないんですけど、私はまっさらな状態から始まりたくて。そんな中、後藤さんだけが唯一私のことを知らなかったんですよ。生身の私、化粧も何もしていない手ぶらの私を見て「オーラを感じた」と言ってくれて。これはあとから聞いたことなんですけど、「タダモノじゃないと思った」って。
<ムロパナコのケツは葉菜子(Her knuckle)が拭く>
--そうして表舞台に舞い戻った葉菜子さん。これからは何の為に歌っていきたいな、活動していきたいなと思っていますか?
葉菜子:「レモン畑の恐竜」でも歌っているんですけど、私もみんなもしあわせであるべき存在だと思っているんですよ。ファンの人にはめちゃくちゃ支えてもらったし、本当にとにかくしあわせになってほしかったんです。私が辞めたあと、みんなに対して「私のことは忘れたほうがいい」と思っていて。けど、それでも忘れられない人がいるならば、その人たちを「全力でしあわせにしよう」って。あと、歌詞の中に「無い期待されても 愛してる」というフレーズがあるんですけど、あれは「私に期待していない人ですら愛してる」って意味なんです。その「愛してる」って言葉を書くのにどれだけ時間をかけたか! って感じなんですけど、でも「愛してる」と書けたことで、自分のファンはもちろん、そうじゃない人も「絶対にしあわせにしよう」と思えた。なので、これからもいろんな音楽を作っていきますが、絶対に幸ある音楽にします。
--なんでそんなに「しあわせにしたい」と思えたんですかね?
葉菜子:それは自分がしあわせだったからですね、アイドルのときに。みんながいてくれて、私はしあわせだった。グループのメンバーもそうですけど、やっぱりファンありきのアイドルだったんで。なので、しあわせにしてくれたからです。
--そうか、しあわせだったのか。
葉菜子:だから誰も傷つけない、もう。
--傷つけてしまった自覚もあるんですね?
葉菜子:そりゃそうですよね。解散ってことは、誰かしら傷つける訳ですから。始まりは誰も傷つかないけど、終わりは傷つけますよね。なので、グループ時代のメンバーの中では一番遅かったですけど、また始められてよかったです。ムロパナコのケツは葉菜子(Her knuckle)が拭く。もしかしたら時間がかかるかもしれないけど、絶対に今の私がみんなをしあわせにしてみせるから付いて来てほしいです!
取材&テキスト:平賀哲雄
◎葉菜子 Twitter
https://twitter.com/hnknic
◎Her knuckle Twitter
https://twitter.com/HerKnuckle
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