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2020/02/26 18:00

『Miss Anthropocene』グライムス(Album Review)

 カナダはブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー出身、来月32歳のバースデーを迎えるシンガーソングライター=グライムス。本名をクレア・バウチャーといい、“グライムス”としてアーティスト活動を始めたのは、自身の楽曲にハマる適した人材が見つからなかったから、だそうだ。かつてのユーミンみたいな経緯に、何かこうグっとくるものがある。

 エンヤにナイン・インチ・ネイルズ、ビヨンセ、アウトキャストと、ジャンルの枠を超えた奇才だけでなく、『AKIRA』や『天空のエスカフローネ』、『セーラームーン』等、日本のアニメにもインスパイアされたという。本作『Miss Anthropocene』からの先行シングル「Delete Forever」のミュージック・ビデオは、その『AKIRA』の賛辞というべきか。王座に腰かけ赤い布を纏うその様は、4巻の表紙そのもの。そういえば、アップルの「Behind The Mac」に出演した際は、ノートパソコンにビックリマン・シールを貼っていたっけ。

 いわゆる音楽マニアや評論家の間で高い評価を受けているが、一般レベルで認知度があるとはお世辞にも言えない。しかし、辛口がウリのピッチフォークが<2010年代ベスト・ソング>の2位に「Oblivion」を選ぶあたり、彼女の生み出す作品には既存性のない、趣味人がもつマンネリ感を払拭する程の衝撃があることが分かる。イーロン・マスクが数ある女性陣の中から選るあたりも、才能や容姿の美しさ以外の魅力にも溢れているのだろう。

 そのイーロン・マスクとの間に第一子を身籠ったと、SNSで公表したことが話題となったが、冒頭の「So Heavy I Fell Through the Earth」では、妊娠した際の奇妙さや喪失感を、地球の重力に引き寄せられるかの如く喩えている。スピリチュアルや広大な宇宙をそのまま音にした、この浮遊感にしばらく浸っていたくなるのは、我々も生まれる前にに“それ”を体感しているからか?音の方は、本人曰く“ハードなエンヤ”をイメージしたそうで、確かに初期の作品に通ずるものはある。

 「Darkseid」は、前作『Art Angels』(2015年)の「Scream」で共演した台湾人ラッパー=潘PANとの再タッグ・ソング。90年代初期のトリップ・ホップを彷彿させる独特の雰囲気を醸した曲で、潘PANのパートには自殺した友人に向けたメッセージが込められている。そもそもは、ラッパーのリル・ウージー・ヴァートに送るはずだったが、企画自体なくなり、自ら焼き直し本作に収録されたという経緯がある。タイトルの「ダークサイド」は、DC映画『ジャスティス・リーグ』(2017年)に登場するヴィランの名前から拝借したもの。

 先述の「Delete Forever」は、前2曲とは全く異なるサウンド・プロダクション。ギターベースの優しい音色に乗せ、薬物中毒で失った友人への追悼、そして薬物とそれを必要とさせる社会情勢に怒りをぶつけている。曲を作るキッカケになったのが、2017年に薬物過剰摂取で死去したラッパーのリル・ピープだそうで、大ファンだった彼の喪失を受け、訃報を知った翌日に書いたのだそう。AKIRAの世界観、アコースティック感、薬物による問題を取り上げた詞。ひっちゃかめっちゃかを一つの完成された作品に仕立ててしまう、グライムスの職人業に感服。

 本作からの1stシングル「Violence」は、テクノ・シーンで大きな注目を集めているi_oとの共作曲。 宙を舞うファルセットがスペイシーなエレクトロニカに纏わりつく、非の打ち所のない傑作で、自ら監督を務めたミュージック・ビデオも、アニメーションの女性騎士をリアルに再現したようなビジュアル、構成、ダンス共に素晴らしい出来栄えだった。曲のイメージを一切崩すことなく映像で表現できたのも、セルフ・プロデュースによるメリットといえる。この曲だけ聴いて(観て)も、グライムスがいかに秀でているかが伺える。

 次曲「4AM」は、2015年に公開されたインド映画『Bajirao Mastani』にインスピレーションを受けたナンバーで、イントロとインタールードでは、審美的なムードと独特の趣に包まれる。ここで使われたのは、インド人歌手のシュレヤ・ゴシャルが歌った「Deewani Mastani」という曲。ラップを絡めたコーラスは、テクノに一転するユニークな構成で、ある意味最先端というか、近未来的なアレンジがグライムスらしい。同曲は、今年9月にリリースされるビデオ・ゲーム『サイバーパンク2077』に起用される予定。

 英ロンドンの音楽プロデューサー=ダン・キャリーとの共作曲「New Gods」は、タイトルからして内容が奥深い。神という存在があるとして、その神では現状維持ができず、自分たちが新しい神を創り上げる必要がある……というのだから。音の方も、やや宗教的な内容をそのまま表現したような、内省的で薄暗いムードのバラードで、「Violence」同様に甘美な高音が曲の持ち味を引き出している。

 3曲目のシングルとして発表した「My Name is Dark」は、当初付けられる予定だった「That's What the Drugs are for」というタイトルに直結した、不眠症についての症状を綴ったもの。タイトルは、前述の「Behind The Mac」で使われたことにより変更を与えられたという。制作当時はメンタルに不具合が生じていたらしく、インダストリアル調の無機質なビートに殺伐としたボーカルを乗せた、メンヘラ曲に仕上がっている。

 「My Name is Dark」以外にも、ロック色を強めた「You'll miss me when I'm not around」では、自傷行為と解釈させるフレーズがあったり、エレキ・ギターの低音を唸らすミディアム「Before the fever」では死への憧れとも取れる一節があったりと、このアルバム自体“良い意味で”罹患的。ラストの「Idoru」は、唯一のラブ・ソング……と取れなくもないが、どこか冷めたような解釈もあり、単に“ハッピー・ソング”とは言い難い。とはいえ、気持ちが高揚するシンセ・ポップで聴き終わる解放感は、この曲あってのもの。曲の配置に関しても、かなり徹底したとみられる。日本盤ボーナス・トラックには、北朝鮮の牡丹峰楽団にインスパイアされたというハナ(HANA)とのコラボレーション「We Appreciate Power」(2018年)を収録。

 大絶賛された前2作も当然すばらしいが、個人的にはそれをも上回る衝撃だった。完成までの4年間は、彼女にとってそれだけ波瀾曲折だったのだろう。


Text: 本家 一成

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