2019/11/30
数年前、ニューヨークを訪れた時、マンハッタンの交差点で、不意に、脳裏にビリー・ジョエルとブルース・スプリングスティーンの曲が流れてきた。そこは「52丁目」と「10番街」が交わる場所だった。ブロードウェイを歩くと、私は、ピーター・ガブリエルが在籍したジェネシス最後のアルバム『眩惑のブロードウェイ』を想起する。ロンドンでは、アビーロードの横断歩道で、記念写真を撮った。パリでは、「オー・シャンゼリゼ」を、ついつい歌ってしまう。都市の「通り」は、多くの音楽を生み出してきた。日本でも「銀座の恋の物語」「雨の御堂筋」など、東京や大阪など、主要都市の目抜き通りでは、それらをモチーフにした作品が、数多く生み出されてきた。
より長大な「街道」ではどうだろう。最も有名なものは、アメリカを横断する「ルート66」ではないだろうか。米国のポップ・カルチャーの礎ともなった、3,800キロに及ぶこの国道は、ナット・キング・コール、ビング・クロスビーをはじめとする、多くのシンガーが歌唱した、その名も「ルート66」というナンバーによって、現代音楽史に刻まれている。
国内に目を転じてみると、真っ先に思い浮かぶ「ルート」がある。それは「国道16号線」だ。私は、高校を卒業し、西東京地域が東京での主な居住地になり、もう30年以上になる。圏央道が通じるまで、湘南にある実家に帰るには、東名高速の横浜町田インターから保土ヶ谷インターチェンジまで、国道16号線バイパスを走ることが常だった。
国道16号線は、東京湾をまたぎ、神奈川、東京、埼玉、千葉の4都県をリンクする環状道だ。歴史を紐解くと、八王子から横浜までは、明治時代に絹を港まで運ぶ「日本のシルクロード」だった。その後、沿道には多くの基地が作られ、軍用道路として発展。それらは戦後、米軍に接収される。ここで、米軍基地の是非について語るつもりも、問うつもりもない。東京とその近郊は、横田空域、山王ホテル、横須賀基地など、第二次世界大戦の遺物が未だに残されている。ただ、特にエンターテイメントに関しては、基地からもたらされる米国文化が、日本の音楽芸能に大きな影響与えたことも事実だ。
そんな歴史への思いを抱きながら、横浜に向けてハンドルを握ると、八王子辺りでは、松任谷由実の「哀しみのルート16」が、まず、響いてくる。ユーミンの実家は、八王子にある呉服屋さんだ。八王子は、マキシマム ザ ホルモン、FUNKY MONKEY BABYSらも輩出した街だ。TM NETWORKの曲も聴こえてくる。TMとは、多摩のことだ。やがて、町田に辿り着くと、LUNA SEAが聴こえてくる。町田は不思議なところだ。東京都なのに、鉄道で東京の他の都市に行こうとすると、必ず神奈川県を通らなければならない。駅前のバスも、神奈川中央交通だらけだ。そういえば、LUNA SEAのメンバーも、全員、神奈川県出身。町田には、何か特別な磁場があるのだろう。
県境を越える。横浜には、横浜銀蝿が誘う。港町は、清濁併せ呑む、「陸」と「海」との境目だ。横浜生まれの私は、幼い頃、祖父に連れられ、桜木町、山下公園、中華街などに何度も行った。そこで見たのは、さまざまな人生模様だった。美空ひばり、ザ・ゴールデン・カップス、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、クレイジーケンバンドなどが奏でるビートは、人生を描いているように、私には感じられる。
国道では「58号線」「134号線」「246号線」なども、音楽のドライブが出来るような気がする。道から音楽が聴こえてくるなんて、何て素敵なことなのだろう。Text:原田悦志
原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明治大学講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。
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