2019/09/14
現代音楽史において、ターニングポイントとなった年が、いくつかある。それらは、時代の転機でもあり、世相と切り離して考えることはできない。典型的なものは、ウッドストック・フェスティバルや中津川フォーク・ジャンボリーが開催された1969年だろう。世界的にはベトナム反戦運動、日本国内ではそれに呼応する形で学生運動が活発化し、東大安田講堂事件が発生した年である。それから20年を経た1989年=平成元年もエポックメイキングな1年ではないだろうか。ベルリンの壁が崩壊し、マルタ会談で東西冷戦時代の終わりが始まった。バブル景気に沸く日本では、J-Popという言葉も生まれ、CDでのメガヒット連発の予兆を感じさせた。
先日、JASPM(日本ポピュラー音楽学会)の関東例会で「音楽放送からみる現代大衆音楽」というシンポジウムが催され、柴那典さん(音楽ジャーナリスト)、輪島裕介さん(大阪大学准教授)、日高良祐さん(首都大学東京助教)をパネリストに迎え、モデレーター役を務めた。私の中でのキーワードは「2015年の分水嶺」だった。全世界向け音楽番組「J-MELO」のプロデューサーだった私には、2015年が音楽シーンの分水嶺だったと感じられる事象があったからだ。最初に実感したのは、世界中の視聴者からのリアクションが急激に少なくなったことだ。例えば、視聴者調査「J-MELOリサーチ」への回答数が、2014年には87の国と地域から1708通に達していたのに、2015年は574通、2016年は282通と急減した。これに反比例し、世界の音楽市場は、2014年を底として、再成長を遂げている。
番組への反響が減っていったのは「音楽への接触」「視聴習慣」「視聴者層」という3つの変化が要因だと考える。「音楽への接触」という点では、CDのような録音成果物の「所有」から、ストリーミングやサブスクリプションへの「アクセス」へと転換した。日本では、Apple Musicをはじめ、AWAやLINE MUSICがローンチしたのがこの年だ。「視聴習慣」は、「放送=broadcast」的な「1つのコンテンツを多くの人が共有する」から、「通信=communications」的な「1つのコンテンツを個人が愛聴する」へという遷移が決定的になった。「視聴者層」は、「00年代にアニソンをきっかけに日本音楽を知った層」から世代交代し、番組が新しい日本の音楽を知る窓口としての役割を終えたことが明白になった。
この前年の2014年、新時代を予見させる作品が、YouTubeで発表された。アメリカの有名ユーチューバーFine Brothersの「YOTUBERS REACT TO BABYMETAL」だ。世界中の人気ユーチューバーがBABYMETALの映像をひたすら観るという内容だが、彼らのリアクションを一気に変えたのが、再生回数1億回を超す「ギミチョコ!!」だった。2016年、BABYMETALのアルバム「METAL RESISTANCE」は、全米ビルボードアルバムチャートで39位を記録する。奇しくもこの年に、TikTokがローンチした。2015年を中心として、音楽ビジネスの地殻変動が起こっていたのだ。柴那典さんの言葉を借りれば、現代のヒットは「所有された数」ではなく「聴かれた回数」で決定づけられる。視座を変えれば、ヒットチャートの決定権が、「送り手=音楽業界」から、「受け手=リスナー」へ変わったのだ。「1人1ジャンル」の集積がヒットを生み出すという構造について、もっと考察を深めねばならない。そのキーワードは「セレンディピティ=偶然の発見や気付き」を如何に演出するかだと思う。あくまで参考だが、私が教鞭をとる明治大学国際日本学部「クリエータービジネス論」では、学生有志が音楽視聴調査を行っている。いろいろな気付きがあるかと思うので、彼らのコメントも併せて、ご一覧頂ければ幸いだ。Text:原田悦志
◎明治大学
https://www.meiji.ac.jp/nippon/info/2019/6t5h7p00001p77nq.html
原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明治大学講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。
関連記事
最新News
アクセスランキング
インタビュー・タイムマシン
注目の画像