2019/07/20
講師を務めている大学の紀要に寄稿するための参考資料として、2010年代に私が行った海外取材の軌跡をまとめ直している。日記を付けるようなマメな性格ではないので、記録と記憶を繋ぎ合わせ、タイムラインを作り出すだけで一苦労だ。失敗だらけの人生。長い間、過去を振り返ることを快しとせず、前しか見ていなかった。踵を返すことをためらわなくなったのは、ここ数年のことだ。ノスタルジーではなく、ファクトに基づいて自分の歩みを再検証することが、未来の糧になることに気づいたからだ。
2010年代初頭、世界の人々とのダイレクト・コンタクトを希求し、既成概念からの脱却を目指していた自分の姿も見えてきた。「一点突破」すれば「全面展開」出来る。そう信じ、もがいていた私に、1人、もう1人と、同じ志を持つ方々が集まってきた。もう1度同じことをやれと言われても無理だろう。新しいことを始めるときに最も必要なのは、情熱とアイデアだ。それらと運、縁、タイミングが重なり、然るべき物事は前へと進んでいく。
2011年の東日本大震災は、さまざまな意味で、日本の岐路だったことも分かる。あの時の、世界中の視聴者からの数多の励ましの言葉は忘れられない。特に記憶に残っているのは、岩手県陸前高田市の「氷上太鼓」を2011年秋に東京までお呼びし、「NHK文化祭」で演奏して頂いたことだ。太鼓ドラマーのヒダノ修一さんとのステージは感動的だった。カーテンコールの中で、演奏者自らが涙を流している姿を見て、私ももらい泣きをした。
「世界で日本のポップ・カルチャーは大人気」という、国内向けパブリシティに対する検証を、常に行っていた。確かに、日本文化ファンは、一定数存在する。しかし、決してディズニーやハリウッドのような、グローバル・スタンダードではない。点を線、線を形にするために、世界中の日本ファンと直接、対話を重ね、如何にすれば「普通の人々」に日本が浸透していくか思索し続けた。「どんなにテクノロジーが進化しても、直接会うことに勝るものはない」。これは、私が得た信念だ。ネットやデータだけで思考を完結してはいけない。現場に行かないと分からないことだらけだ。
ポップ・ミュージックは「口ずさまれること」によって、生命を授かると考えている。つまり、歌の命は口に宿る。世界伝播のために、発音やイントネーションがネイティブに聴こえる「英語の歌」を制作する必要があると、ニューヨークに取材に訪れていた時に閃いた。その思いを、友人であるつんく♂さんと共有して生まれたのが、チャート1位も獲得した「One and Only」(モーニング娘。’15)だ。
2010年代後半、K-Popが韓国語のままで隆盛を極めているのを目の当たりにして、「日本語の響き」が外国人にどのように聴こえ、どんな音楽にフィットするのかを模索し続けている。これが、2020年代の、私の課題の一つだ。
現象は、それ単独で考えては本質を見失う。時代や事象、流行などと掛け合わせなければならない。過去を同時代体験することは出来ない。だからこそ、その時に何が起こっていたかを、実行し、体感した私が、俯瞰してまとめ直す必要があるのだと、いま、思っている。自分の歴史は、自分のみしか、語ることが難しいからだ。Text:原田悦志
原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明治大学講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。
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