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2019/07/13

映画は最高のマインド・トリップ【世界音楽放浪記vol.56】

映画を観るのが好きだ。時間が出来ると上映情報のアプリを開き、映画館に向かう。近所に3つのシネコンがあるので、メジャーな作品はすぐにキャッチできる。単館上映系の映画館にも足を運ぶ。旅先でも、札幌のシアターキノや、那覇の桜坂劇場などは何度も訪れている。自宅でワインなどを飲みながらNetflixで夜更かしすることも少なくない。

私は神奈川県の小さな街で育ったが、当時は、市の中心部に5つほどの映画館があり、子供の頃、よく行っていた。自宅の近くには、そのうちの1つの映画館のポスターの掲示板があった。1970年代に一世風靡していたABBAの名を知ったのは、音楽からではなく、「ABBA The Movie」(1978)のポスターが貼ってあったことがきっかけだった。

私が最初に心を奪われたのは、フリッツ・ラング監督の「メトロポリス」の、ジョルジオ・モロダー版(1984)だ。イマジネーションやスケールの大きさに、言葉を失った。

初めて涙腺崩壊したのは、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988)だろうか。この作品を観て以来、私は基本的に、映画は一人で観るようにしている。何故なら、しばしば泣いてしまうからだ。

ミルチェ・マンチェフスキ監督の「ビフォア・ザ・レイン」(1994)も忘れられない作品だ。旧ユーゴスラビアが舞台となったこの映画は、冒頭と結末がリングのように繋がっており、まるで抜け出せない輪廻の中に放り込まれたかのようだった。

最近では、「COLD WAR」(パヴェウ・パヴリコフスキ監督)が秀逸だった。ラストシーンの先に広がる主人公の未来は、観客に委ねられた気分になった。

海外に行く際も、機内や現地でよく視聴する。かつて、プラハで「ラスト・エンペラー」(ベルナルド・ベルトリッチ監督、1987)を観たことがある。吹替版だったため、坂本龍一さんはチェック語を話していた。終映後、クロークに並んでいると、列の後ろのご夫婦が、当時の日本や中国の歴史について話をしていた。少し違っていたところがあったので、私は振り返り、説明した。懐かしい思い出だ。

ロサンゼルスにお住まいの村井邦彦さんに、何故、ハリウッドが映画産業の中心地になったのかと尋ねたことがある。南カリフォリニアは晴天の日が多いのが一つの理由ではとお答えになった。現在のように映像技術が発達しておらず、照明設備も貧弱だった頃、オープンエアでの「晴れのシーン」の撮影は、さぞかし捗ったことだろう。ハリウッドには、映画制作者や俳優だけでなく、世界中の才能ある音楽家も集まり、世界を驚愕させるような大作が次々と生まれている。中には「この映画は、サウンドトラックのミュージックビデオなのではないか?」と揶揄してしまうような作品に出会うこともあるが、それもまた一興だ。

時折、娘と一緒に映画館に行く事がある。自分ではチケットを買わないような作品に出会うと、新鮮な感動を得ることも少なくない。例えば、広瀬すず主演の「四月は君の嘘」(新城毅彦監督・2016)や、福士蒼太主演の「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」(三木孝浩監督・2016)などだ。しかし、娘と一緒の時でも、座席は必ず離れて観るようにしている。ほぼ間違いなく、号泣してしまうからだ。Text:原田悦志


原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明治大学講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。

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