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2019/07/06

怪我の功名【世界音楽放浪記vol.55】

ここ暫く、「できもの」が疼き、同じ部位に2度目の執刀を行った。良性なので保存療法していたが、20年ぐらいの付き合いになるし、さすがに再発は堪えたので、根治治療することにした。仕事や日常生活には一切支障がないが、泳ぎにも行けない。

おかげで、ゆっくりとこれからのことを考える時間が出来た。まさに「怪我の功名」だ。たまには、丁寧に、自分の未来のことを考える時間があっても良い。

振り返れば、私の人生は「怪我の功名」だらけだ。先日、河合塾という予備校で講演を行った。どのような話をしようかと思案したが、些少な成功例を並べ立てても響かないと考えた。私は、ありのまま、自分の人生のターニングポイントや、その時に思っていたことを、可能な限り話をすることにした。能力と努力が足りなかったのが最大の原因だが、これまで、第一志望に進んだことがないからだ。

まず、予備校生に、彼らの年齢に達するまで、どのように育ったか、話をした。お受験して、1時間半、1人で幼稚園まで電車で通っていたこと。意志に反して公立に戻され小学校一年生の時に登校拒否になったこと。中学の時の、酷い教師の蛮行のおかげで、一切、勉強しなくなったこと。高校時代、家庭が壊れ、毎年、住所が変わったことや、クラスで成績がビリだったこと…決して環境のせいにはしたくない。しかし、自罰的に抱えすぎる必要もない。

同時に、多くの方々に出会い、道を誘ってくれたことも伝えた。2年連続でスイスの学校のサマー・プログラムに参加する機会に恵まれ、世界に触れたこと。服部良一さんと出会い、音楽の素晴らしさに触れたこと。ティーン・エイジャーだけのオーケストラを結成し、新聞にも取り上げられたこと。

困難な時こそ、虚心坦懐に初心に立ち戻った。すると、誰かが光を与え、手を差し伸べてくれた。そして、常に人生に寄り添ってくれたのが、音楽だった。

私たちは「現在」を生きるしかなく、「過去」は変えられない。映画『スライディング・ドア』ではないが、もし岐路を別の方向に進んでいたらと思いを馳せることもある。だが、その時なりに、自分としては「最高」ではなかったにしても、「最善」の選択をしてきたと確信している。不思議なことに、ネガティブな時にはネガティブな輩が、ポジティブな時にはポジティブな仲間が集まる。辛いとき、苦しいときこそ、今を楽しむ。その意味が分かってきたのは、つい最近だ。

講演を終えた後、私と話をしたいと、受講生に行列ができた。1人1人と、時間の許す限り、相談にのった。10代の頃に私に、心ある人が力をくれたように、少しでも彼らの光になれば、その一心だった。浪人は、小さな怪我なのかもしれない。でも、それをはるかに上回る功名を、彼らは得るに違いない。私が果たせなかった第一志望に進む子もいるだろう。

私の人生は、上手くいかなかったからこそ、違う地平が拓けたことばかりだ。思い通りにならなくても、なるようになった人生も悪いものではない。怪我は、私に謙虚な心を取り戻させる、天の声なのかもしれない。雨の日に、10代の頃に心を震わせた音楽を聴きながら、あの頃の気持ちで、未来のことをたくらんでいる。変えられるのは、未来しかないからだ。Text:原田悦志


原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明治大学講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。

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