2019/06/08
私の10代は、「アパシー」と「落ちこぼれ」の歳月だった。気が進まないまま入った大学では、少人数で厳しい授業が行われていた。段々と付いていけなくなっていった私は、あてのない旅に出ることにした。行き先は欧州。南回りのオープン・チケットを買い求めた。ホテルも列車も、全く予約していない。ましてや、何処に行こうかも決めていなかった。携えていたのは、欧州の地図、トーマスクックの時刻表、英語の辞書、国際学生証、学生向けの旅行代理店の一覧といったものだけだった。
まだ東西を隔てる鉄のカーテンが存在していた時代、ビザも現地で取得した。チェコのプラハでは民泊、ハンガリーのブダペストでは友人の自宅といったように、その国の人々のお宅に滞在することもあった。道半ば、パリまで来た時に、帰りの便を予約しようと航空会社を訪れた。東京での説明では、帰りの便は欧州のどの都市からでも乗れるということだった。だから、あえて一番遠い、エジプトのカイロと「仮に」決めた。ところが、私のチケットだと、カイロまで行かないと東京まで戻れないという。財布の中をのぞいた。実に質素なバックパッカーだったので、まだ旅をすることは出来そうだった。私は、カイロと逆方向の、ポルトガル・リスボン行きのディスカウント・チケットを買った。欧州を横断しようと決めたのだ。
それからは、まるで何かに導かれたような旅路だった。ユーラシア最西端のロカ岬へは、最寄り駅から、地元の郵便局員が便乗を勧めてくれた。ロカ岬からは、ドイツ人の観光客が同乗させてくれた。一筆書きで、アテネまでの鉄道チケットを購入した。夜行で移動し、朝、次の街に着くと、ツーリスト・インフォメーションに向かい安宿を予約する。ドミトリーやユースホステルで、さまざまな国々の旅人と同室になった。多くの知人・友人が出来た。
国境を越えて旅する時に一番必要な言葉。それは「ありがとう」だ。私は車掌さんや宿屋の主人らから、その地の「ありがとう」を真っ先に教えてもらった。感謝の気持ちを直接伝えることが、何処にいても、誰に対しても、何より重要だと考えたからだ。私はvisitorだ。彼らの暮らす地に足を踏み入れさせて頂いている。現地語で「ありがとう」と告げると、笑顔になってくれる。こちらもとても嬉しい気分になった。
欧州の東端にあるトルコ・イスタンブールまで辿り着いた時、カイロまでのエアチケットを購入した。所持金は5000円になった。ガラタ橋を歩いていると、レストランの客引きが声をかけてきた。お金がないことを告げると、ならば、君が客引きしてくれという。何組かをレストランに招き入れた。主人は「ありがとう、御礼だ、ご飯を食べていってくれ」と、ディナーをご馳走してくれた。エジプト航空がキャンセルになり、カイロは日帰り訪問となった。大阪から来た旅行者が、一緒に回らないかと声をかけてくれた。
この放浪が、人生を救ってくれた。迷い、苦しんでいた人生の霧が晴れたように感じた。大学に戻ると、先生や同級生は、帰還した私を温かく迎えてくれた。勉強がとても面白くなり、結局、卒業するまでに、2つの専攻と1つの副専攻で学び、174単位を取得した。何より、この旅で学んだ最大のものは、十数言語の「ありがとう」だった。Text:原田悦志
原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明治大学講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。
関連記事
最新News
アクセスランキング
インタビュー・タイムマシン
注目の画像