2019/05/12
別所哲也をナレーション役に立てた、古楽器集団アンサンブル・マスクのステージが、フランス発のクラシック音楽フェス【ラ・フォル・ジュルネTOKYO】にて二度公演開催、その公演レポートが到着した。
2019年の音楽祭テーマ“ボヤージュ。旅から生まれた音楽(ものがたり)”に応えて音楽家たちが提案してきた多様をきわめるプログラムのなかでも、企画の意図がひときわよく客席に伝わったのでは……と思えたのが、この【グランド・ツアー】の舞台だった。
アンサンブル・マスクは18世紀以前の音楽を、いまのクラシック楽器で普通に弾くのはなく、当時の人たちが知っていたモデルと奏法を検証・再現しながら演奏するグループ。ここ半世紀ほどで世界的に増えた彼らのような古楽器奏者たちのグループは欧州にも数多い。中核メンバー以外は顔ぶれが少しずつ変わることも珍しくはなく、彼らのように各員の出身地がフランス、ベルギー、カナダ、オーストリア、フィンランド……と国際色豊かなことも少なくない。
古楽器演奏を学ぶ理想的な拠点がオランダ、フランス、スイスなどにいくつかあり、それらの音楽院に集う才能豊かな奏者たちが学生時代から国際交流に慣れているためでもあるのだろう。演奏するたびごと、メンバー間で心理的な旅を続けているようなものかもしれない。なお余談ながら、欧州の古楽器楽団のメンバーに日本や韓国など極東からの演奏者がいることも昔から珍しくない(イタリアの料理店の厨房を覗けば必ず日本人が……というのに事情は少し似ている)。
今回のアンサンブル・マスクには日本人奏者こそ加わっていなかったものの、舞台・映像・ラジオと“声”を活かしてきた俳優・別所哲也が語り役として加わっていた。なんとなく300年ほど前の英国貴族家の若様が、ヨーロッパ各地を旅する……という設定のもと、英国、フランス、イタリア、ドイツなど各地の音楽が続く。
選曲はおおむね広義の後期バロック、つまり17世紀末から18世紀半ばくらいまでの音楽。パーセル、マレ、カンプラ、ラモー、ヴィヴァルディ、コレッリ、テレマン……といった作曲家たちの名前が並ぶ。それを凡百雑多なアンソロジー体験で終わらせないのが、聴き取りやすい日本語での語りというわけだ。
語り手が英国貴族の若様というのには理由がある。“グランド・ツアー:ヨーロッパをめぐる旅”というのが公演のタイトルだったが、このグランド・ツアーというのは彼らがひねり出した造語ではなく、れっきとした文化史用語として昔から使い慣らされてきた表現なのだ。
日本語では大陸大旅行などと言うこともあるが、そのまま英語でグランド・ツアーという場合もある。まさしく18世紀において、英国貴族たちが世継の若いうちにヨーロッパ大陸を旅させ、イタリアの遺跡を巡って歴史や美術を、またフランスに渡って宮廷文化や社交術を……とさまざまな経験を積ませた、その研修旅行全般をさす表現だ。
英国文化由来なのでそのまま英語で言及する人も多い、という次第(世界中を舞台にした某自動車番組のタイトルも、これを意識してのものと想像する)。今でも数々の英国人たちの旅行記や書簡が残っているうえ、英国人たちを迎えた大陸側の反応もさまざまな史料から検証できるので、そうした18世紀のグランド・ツアーがどういうものであったかは活発に研究され、語られている。
別所の語りはそうした言説でしばしば話題にのぼる“グランド・ツアーあるある”を随所に盛り込み、具体的な旅路を想定しての、わかりやすく笑いを誘いながらの物語仕立になっていた。
若様が旅先から両親に宛てて書く手紙を読み上げている態で、各地の街道や都市生活の寸景をあざやかに伝えてゆく。書簡文学が一般的だった18世紀の雰囲気そのままに……というあたり、時間軸での旅情もそそる(後で聞いた話では、じっさい18世紀の英国人たちの手紙をもとに台本が作られたそうだ)。
“英国のオルフェウス”と讃えられたヘンリー・パーセルの音楽とともに旅は始まる。演奏陣は低音部以外すべて各パート一人ずつの少数精鋭、引き締まって上機嫌なアンサンブル・マスクの魅力がさっそく生きる音楽だ。
オペラが流行する前から英国人たちが大好きだった演劇……の上演に先立って演奏された、有名な序曲「アブデラザール」。若様のふるさとの音楽ではあるが、実はこのパーセルの序曲からしてイタリアやフランスの音楽の影響を多分に受けている。
若様を主人公とした旅物語は、幕開けからして欧州大陸にすっかり染まっていた――そのルーツはどんな世界にあったのか、若様が勉強しにゆく理由はじゅうぶんにあったというわけだ。
旅の準備について聞かされてきた話を得意げに語る若様(役の別所)。しかし早くもドーヴァー海峡を渡るところから大仕事だ。
スピーディでスリリングなヴァイオリンの交錯で海原にうねる波が表現されるマレの「嵐」……フランス王室楽団の弦楽器奏者採用試験にも使われた短い難曲で、若き英国紳士もさっそく“験され”ひどいめにあったとぼやく。
その後も税関の厳しさや整備されていない道に戸惑いつつの若様を横目に、演奏陣はひとしきりフランス18世紀のヒットメーカーたちのぴりっとした逸品を弾いてゆく(コントラバスの前身楽器ヴィオローネにいたるまで、7人の弾く楽器にまんべんなく聴かせどころを割り振って聴き手を飽きさせない選曲がまた絶妙だ)。
カンプラ、ドラランド、マレ、ラモー、コレット……音楽史や文化史に詳しい人を随所でクスリとさせながら、深い知見などなくとも抱腹絶倒、客席から笑いを引き出してゆくステージの別所と演奏陣。フランス語も達者になり、大陸の洒脱な社交界に慣れてきたと両親に自慢する若様、その直後に奏でられる“未開人たちの踊り”……言外のブラックユーモアもぬかりない。
“言外”といえば、このライブが場面ごとに照明の色を変えられる会場〔ホールB7〕だったのも折々に奏功していたように思う。クラシックでは照明に凝るライブも少ないところ、こうした仕掛けで未来にも意識を向けてもらえた感もあった。
グランド・ツアー定番の目的地といえば、18世紀当時とくに数々の遺跡発掘で改めて美術史的・歴史学的関心が高まっていたローマ……そして水の都ヴェネツィア。
いずれ劣らぬ二つの音楽拠点に重点を絞り、ヴィオラにも見せ場がまわってくる古風なモンテヴェルディ作品まで視野に入れつつ、ヴィヴァルディやマルチェッロら流行の最先端ともいうべき音楽が活況を添える(マルチェッロの協奏曲ではネヴァン・ルサージュの吹くバロック・オーボエの艶やかさが出色だった)。
ヴェネツィアこそ最高と語る英国の若様……中世以来の繁栄にも陰りが見えはじめ、享楽的な社交界から上がる観光収益でどうにか命脈をつないでいたヴィヴァルディの頃のヴェネツィア共和国は、こうした英国貴族の懐にさぞ助けられたことだろう。学びの多い演奏会だ。
とはいえ存在感で言えば、その後に聴くローマの巨匠コレッリの音楽も負けてはいない。なにしろ本来は10数人で弾く音楽である合奏協奏曲を、アンサンブル・マスクは実に手際よく極小編成で弾いてしまったのだから(そうした18世紀流儀の離れ業がギリギリ可能な楽章をうまくみつけてくるセンスにも脱帽)。つとに知られた名曲だけに、何が起こっているか不意に気づいて驚いたバロック・ファンも意外に少なくなかったのでは。
そして最後に、アンサンブル・マスクの本領ともいえるドイツ音楽が聴けたのが嬉しかった。現代から遡ってのバロック音楽ではなく、17世紀の演目から時代を下りつつ……で彼らが弾くようになったテレマンやバッハなど18世紀の音楽は、現代的な偏見をすっかり取り払った演奏スタイルでそこはかとない新鮮味が漂う。
欧州各地の音楽風俗をあざやかに描き分けたテレマンの組曲から「モスクワの人々、ポルトガルの人々」という変化球的楽章をひろいあげ、伊仏の影響だけでは語りつくせない18世紀ドイツ音楽の深みをみせてくれたところも素晴しい(彼らのテレマン組曲集にも収録されているナンバーだが、別所の精彩ゆたかな狂言回しを経ての前後関係も手伝って、筆者は録音とは全く異なる曲という印象さえ受けた)。
そのうえで最後はバッハ――未知の音楽がつづいた旅の末、“バロック音楽が聴けるプログラム”を期待して集まった多くの聴き手をほっとさせる静かな調べで締めくくられる曲順もさすが、というほかない。旅をへて“やはり故郷が一番”と落ちつく若様の心情を代弁するかのごときコラール(会衆賛美歌)「神がなさることは、すべて善きこと」……。
曲の全楽章を弾かない個別楽章抜粋でのアンソロジー的プログラムといえど、ここまで周到に音楽史・社会史的背景をふまえた選曲になっていれば文句のつけようもない。
客席を置いてきぼりにしない、語り役入りの演奏会だったからこそ幾倍にも味わいが増す、聴いた後からバロック音楽の聴き方まで変えてくれそうな好企画だった。こういうライブが潜んでいるから【ラ・フォル・ジュルネTOKYO】は毎年侮れない。TEXT:白沢達生
◎公演概要
【グランド・ツアー:ヨーロッパをめぐる旅】
2019年5月3日 (金・祝) 18:30 ~ 19:30
東京国際フォーラム ホールB7:アレクサンドラ・ダヴィッド・ネール
<演奏者(出身国)&使用楽器、制作年など)
・ネヴァン・ルサージュ(フランス):オーボエ
ロンドンのステインズビー1730年製作モデルにもとづく再現楽器
・レイチェル・ビーズリー(オーストラリア):ヴァイオリン1
ウィーンのフランツ・ガイセンホフ1811年製作
・:トゥオモ・スニ(フィンランド):ヴァイオリン2
ミッテンヴァルト(ドイツ南部)のマティアス・クロッツ1726年製作
・シモン・ヘイエリック(ベルギー):ヴィオラ
クレモナ(イタリア北部)ニコラ・アマティ17世紀製作(テナー・ヴィオラ)
・オクタヴィ・ラロンド(カナダ):チェロ
グラーツ(オーストリア南部)のヨハン・ミヒャエル・アルバン1700~30年頃製作
・ブノワ・ヴァンデン・ベムデン(ベルギー):ヴォオローネ(コントラバスの前身)
・オリヴィエ・フォルタン(カナダ):チェンバロ(鍵盤楽器)
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