2019/05/07
コルシカのア・カペラ男声アンサンブル、タヴァーニャが、5月3日から開催されたフランス発のクラシック音楽フェス【ラ・フォル・ジュルネTOKYO】2019に出演、そのコンサートレポートが到着した。
LFJの今年のテーマは“ボヤージュ 旅から生まれた音楽(ものがたり)”。旅や異国にちなんだプログラムで臨む演奏家が多かったなか、存在自体が「旅の末にここへ来た」とすぐにわかる伝統音楽の担い手たちも現れた。とくに注目を集めたのが、コルシカから来たア・カペラ男声アンサンブル、タヴァーニャだった。
ナポレオンの生まれ故郷、コートダジュール海岸の向こう。地中海に浮かぶコルシカ島は今でこそフランス領でフランス語が使われているが、東の海をまたげばすぐイタリア半島のトスカーナ地方、すぐ南はサルデーニャ島……と地理的にはイタリアに近く、事実イタリアとも歴史上かかわりが深い。
長くジェノヴァ公国領で、フランス領になったのは18世紀も半ばを過ぎた頃。このときの戦乱の記憶は数々の伝統歌になって歌い継がれてもいる。その後フランス領になってからも、中央政府は長い間この島の行政に本腰を入れず、そのおかげでコルシカには独自の文化伝統が末永く続いてきた。
南に並ぶサルデーニャ島と同じく、コルシカ島にも男性たちが無伴奏で声をあわせて歌うア・カペラ歌唱の伝統があり、タヴァーニャもその伝統を今に伝えるグループのひとつだ。【ラ・フォル・ジュルネTOKYO】での前評判は高く、筆者も初日の公演が満員で聴けず、どうにか二日目の公演を鑑賞できたのは幸いだった。
全体に背が高い、それぞれに味わいある思慮深そうな表情をした、地中海の妙齢の男性たち。黒壁が落ち着く東京国際フォーラムB5ホールに登場するや、ただちに独特な声の重なりで満場を惹きつける。暗闇のなか、ところどころ装飾的な節をつけながら伸びやかに歌い重ねられる、さまざまな声質の男声――声と声とが触れあい響きあう、ルネサンス以前の教会音楽を得意とする古楽歌手たちにも通じるような多声の音楽(事実、彼らは平素の演奏活動のなかで数々の一流古楽グループとも共演を続けている)。
二度、つまりピアノでは隣りあう鍵盤同士を同時に叩いたときに鳴る、西洋の和声理論では不協和音とされる響きもいたるところで長々と続くのに、それが不協和であるという印象を与えない。同時に別々の声が鳴っている、それが心地よく同時に聴こえる。そういう独特な和音の聴こえ方に驚いた聴き手も多かったのではないか。これが伝統、地中海の島に古くから形を変えず残ってきた歌なのか、と。
しかし「伝統」というものについて、タヴァーニャはそれが「過去の遵守」であるとは決して思っていない。そのことについて、グループの中心的存在であるフランチェスク・マルカンテイがわざわざ通訳をつけてステージ上で説明したほどである。
Buona Siera(ごきげんよう)――コルシカ語の挨拶に続けて、彼は独特の重みある語り口のフランス語で客席に語りかけた。伝統は過去に固着しているものを繰り返すのではない、いまを生きている自分たちが新たに紡いでゆく、過去だけでなく未来にも続くものなのだと。ひとつの文化という存在が継続してゆくこと、古びないこと、みずみずしいものとしてそこに息づかせること、それを彼らは何より大切にしているのだという。
彼らが歌うコルシカのア・カペラ重唱の歴史は古い。中世まで遡りうる彼らの伝統歌唱は、UNESCOの無形文化遺産にも登録されている。
トスカーナ地方のイタリア語に近いというコルシカ語の歌は“地中海のポリフォニー”と題された彼らのプログラムの大半を占め、そのほかは中世いらい長くカトリック教会の礼拝で使われてきたラテン語の祈りの音楽。最初の強烈な印象があるていど落ち着いた後、よく聴いていると、詩句が明瞭に聴き取れるよう歌われている。何人もの歌い手が少しずつずれあいながら声を重ねているのに、それで歌詞にこそ重みがある歌なのだとわかる。
近しい者の死をうたった「タリウ村のパディエッラ」や「祈り」、戦争を厭い恋を讃える「菫の花」といったコルシカ語の歌には、時におどけてみせているような詩句の部分でさえ、切々と聴き手の心の奥に積み重なってゆく強い情感がいつも宿っている。
それを年月の重みとか、悲運を耐えて乗り越えてきた人々の強さとか、陳腐な言葉で説明してしまえれば簡単なのだが、何かそうはさせない、一度で飲み込みきれないような深い存在感がある。45分ほどのプログラムのあいだにも「これは一度ではわかり得ないのだろう」と直感した聴き手も多かったのではないだろうか。だから耳を閉ざすというのではなく、聴いたときの印象をくりかえし脳内で反芻したくなるような、そういう魂の大きな塊のようなものを心に残す歌ばかりが続いてゆく。
曲ごとに立ち位置を変えながら、しかし基本的には互いが向かい合って声を出しあうスタイル。互いの声をよく聴きあって声を出すことが、コルシカの多声重唱の根幹をなしている。声の大きさか響かせ方なのか、客席を向いていない歌手の声もよく場に響きわたる。
片手を耳のそばにあてて歌っている歌手も何人かいた。後で聞いたところによると、そうやって顎の蝶番の下あたりと耳の穴のそばに指をあてて声を出すと自分の声の倍音がよく響き、聴き取りやすくなるのだという(実際にやってみるとよくわかる)。
コルシカ語の歌の合間でとくに長く歌われたのが、カトリックの礼拝の言葉をそのまま使ったラテン語の死者鎮魂ミサの一節だった。最後の審判を待つ恐ろしさを皆で共有しながら、亡くなった人の魂が安らかに過ごせるよう神に願い、魂の救済を祈る「レクイエム」。
クラシック楽曲でも使われている詩句だが、彼らのプログラムの一環として聴くと、教会音楽の形式ばった感覚を易々と越えて、この中世以来の祈りの詩句もまた人の心と心をつなぐ言葉だったのだ、という実感がわいてくる。しばしば同じ詩句が繰り返されるところも、あらためて伝統音楽めいた要素に感じられてくる。
伝統の継承は、コルシカ島の人だけで完結はしない。マルカンテイは曲間のトークでそう強調しながら、英国人マルコム・ボスウェルが作曲した新しいコルシカ多声音楽も披露した。もっとも、マルコム・ボスウェルは単なる英国の余所者ではない。タヴァーニャのメンバーが何人か所属していた伝説的古楽歌唱集団、アンサンブル・オルガヌムの中核メンバーでもあった人物である。
いくつか披露されたボスウェル作品のうち、最初に歌われた「その人は従う」はルネサンス~バロック期の舞曲パッサカーリャの形式が使われていて、そこまでのプログラムで伝統歌に慣れてきた耳を驚かせる。「悲劇」という曲では「悲劇は極楽Tragedia e lacucagna」という詩句が呪文のように、独特の節回しで何人かの歌手のあいだでくりかえされ、陶酔をさそいながら聴き手の社会的価値観を淡々と塗り替えてゆく(死の前では現世の栄誉など何の意味も持たない……という中世芸術の定型「死の舞踏」も連想させる)。
中世ルネサンス期の音楽は即興演奏と隣り合わせ。そうした音楽再現の場に親しんだボスウェルならではの、伝統的書法とその場の一期一会の声というものを強く意識した曲作りが改めて興味深い。
そしてもちろん、即興は伝統音楽の演奏でも不可欠だ。音の流れをその場で即興的に盛り込む唱法はタヴァーニャの伝統歌唱にも随所で見られた。しかしその点について後で尋ねると「厳密には即興というと少し違う。むしろ、その場その場ごとの再創作なんだ」とフランチェスク・マルカンテイは教えてくれた。
新しい聴き手と出会いながら、毎回異なる節回しが生まれうる即興的技法を用いることで、歌のある場ごと、毎回新しい伝統の場が生まれる。それが彼らの基本的な考え方であり、一回ごとの歌唱経験が彼らの伝統をさらに前へと進めてゆく。
独特の悲哀が息づく歌の数々を披露してくれたあと、やがて来たるべき安息と幸福と願う詩にボスウェルが曲をつけた「逢魔が刻」という曲でプログラムは締めくくられた。歌詞の詩節ごと小休止(というか、フェルマータ)をはさんで歌う曲が多かった後で、規則的なリズムに乗せて朗々と歌われる一種明るい気配の曲で、それがコルシカ伝統音楽の異色体験の末に「ステージの外」へと向かう聴き手への通過地点のようにも感じられた。
しかし終演後も拍手は鳴りやまない――照明がついた後も客席へ降りてもう1曲、聴き手の只中でアンコールを聴かせてくれたタヴァーニャ。今回が初来日という彼らにとっては、この予期せぬアンコールまでも一期一会の経験であり、新たな伝統の一歩だったのだ。それが私たち日本の聴き手の体験と重なったことを、筆者は今も好ましく思い出す。TEXT:白沢達生
◎公演情報
【“Cor di memoria” 地中海のポリフォニー】
2019年5月4日 (土・祝) 19:30~20:15
東京国際フォーラム ホールB5:キャプテン・クック
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