2019/05/07
5月3日から3日間行われた、フランス発のクラシック音楽フェス【ラ・フォル・ジュルネTOKYO】より、数多い出演者勢のなかでとくに目をひく、ヴィオラの世界的名手ジェラール・コセのコンサート、マスタークラス、本人インタビューなどを交えたコンサートレポートが到着した。
国内外を問わず改めて話題になったこの“天皇陛下の楽器”を、世界的名手の演奏でどう味わえるのか。ヴィオラ本来の中音域の魅力が近しく味わえる室内楽公演も魅力的だったが、かたやフルオーケストラの大音響にヴィオラ独奏がたったひとり加わるという向う見ずな伝説的名曲の公演も用意されている。フランス人作曲家ベルリオーズの「イタリアのハロルド」――生演奏では決して聴く機会の多くない演目、名手コセの妙技に耳を澄ませるために赴いた。
「イタリアのハロルド」が作曲後間もなく、世界で初めてパリで演奏されたのは1834年。大革命の末に台頭したナポレオンを政権から退陣させたはずのブルボン家が一転、再びフランス王位を追われた七月革命の4年後のこと――“ピアノの詩人”ショパンや『ノートルダム・ド・パリ』(1831)の文豪ユゴー、画家ドラクロワなどがパリを騒がせていた頃だ。
異色作「幻想交響曲」(1830)で成功を収めたベルリオーズは、時おりしも欧州中を悪魔的魅力で虜にしていた鬼才ヴァイオリン奏者パガニーニの提案で、当時まだ独奏楽器として注目される機会の少なかったヴィオラが大々的に活躍できる作品を書こうと思いたつ。紆余曲折の末に出来上がったのが“主役格のヴィオラを伴う交響曲”こと「イタリアのハロルド」。結局パガニーニ自身はこれを弾くことはなかったが、数年後あらためて実演にふれて「こんな曲は聴いたことがない」と激賞、今更のように破格の報酬をベルリオーズに支払って当惑させたという。
「こんな曲は音楽史上めったにないですよね」……演奏後、独奏者コセはそう語ってくれた。「ヴィオラが活躍するけれど、フルオーケストラを相手取って戦うヴィオラ協奏曲というわけではない。ヴィオラ“を伴う”交響曲なんです。何十年も後になってリヒャルト・シュトラウスが交響詩『ドン・キホーテ』(※筆者註・チェロとヴィオラに独奏役を与えた)を書くまで、ヴィオラにそういう役は回ってこなかったくらい」……それがどういう曲だったのか、コセの演奏は充分すぎるほど雄弁に伝えてやまなかった。
東京国際フォーラムCホール。巨大な演奏空間にオーケストラ団員が出そろい、間もなく若き指揮者アレクサンドル・スラドコフスキーが現れる。会場を見回し一礼するや、彼は壇上に上がりさっと向き直り、ただちに演奏を始めた。
静々と響きはじめるチェロとコントラバスの低音。しかし独奏者は?オーケストラの弦楽合奏にも、あのコセの特徴的な姿はない。訝しがるうち序奏は進み、いよいよヴィオラの見せ場。そこでやおら、後列ハープ脇に長身の弦楽器奏者がすっと現れる。戯画や写真で残されているパガニーニのごとき長身、長めの髪。
しなやかに中低音域を歌わせながら、彼はしばしハープのそばで室内楽のような対話を続け、やがてゆっくりと舞台中央へと歩み出てくる。悠々と、旅人のように――英国人ハロルドの欧州行脚を精彩あざやかに描いた詩人バイロンの浪漫的叙事詩『チャイルド・ハロルドの遍歴』がベルリオーズ作品の下敷きであり、ヴィオラ独奏がその主人公を演じる“役柄”として設定されている。抗いようのない美しい音色の“名優”ぶりとあいまって、そのことを視覚的にも示した演出のインパクトは絶大だった。
決して分不相応な大音量で鳴らそうとはしない、ヴィオラはヴァイオリンではないから。それでいて、ベルリオーズの曲作りとあいまってコセの音は静かに、しかし確かな存在感でオーケストラに寄り添いつづけた。総奏と対話しながら、あるいは時として他の楽器のソロを引き立てながら。「ベルリオーズはこの作品と前後して、オーケストラをバックに俳優が朗読を続ける『レリオ』という作品を書いていますね。それと同じ感覚なのだと思います。演劇であり、管弦楽と“主役”とが寄り添いあう。」
そういえば、同日午後のマスタークラス(公開講習会)では、古典派の作曲家ホフマイスターのヴィオラ協奏曲を演目に選んで「様式感を教わりたい」という受講者に、独奏パートの音の動きひとつひとつの存在意義を解き明かしながら「あなたならどう弾きたい?」と終始問いかけ、部分ごとの“演じ方”を一緒に考えながら指導を進めていたのが印象的だった。
イタリア山岳地帯の民謡にもとづく軽快な第3楽章の後、第4楽章になるとヴィオラ独奏は初めの方と終わりの方で少しずつしか存在しない。演奏が続くなか、コセは登場時と同じ悠然とした態で舞台上を移動、そのまま退場するかと思いきや舞台中央最奥に。そこで演奏を見守り、最後のソロでは弦楽合奏とは離れて後列にいた弦楽器奏者数人と室内楽風の演奏を聴かせる。終始、弦の響きをふくよかに生かしながら、決して雄々しく声を張り上げないヴィオラ独奏。
やたらとヴィブラートを多用する20世紀初頭以降の演奏スタイルではない、むしろベルリオーズの時代の奏法に近いやり方だ。コセはかつて、このように作曲当時の楽器と奏法に近づこうとする手法をオーケストラ全体に採用した楽団とも「イタリアのハロルド」を録音している。その指揮者ジョン・エリオット・ガーディナーからは大いにインスピレーションを得たという。「二人でこの演劇のような作品をどう披露するか考えた。ガーディナーは本当に刺激的なアイディアをたくさんくれましたね。」
今回共演したタタルスタン国立管弦楽団の演奏もまた、実に比類ない完成度だった。コセのヴィオラに注目するうち、各セクションが“オーケストラの一部”ではなく“ひとりひとり独立した音楽家”なのだと意識させられる。それでいて全体の一体感が見事貫かれていた。オーケストラの本拠カザンは、ソ連時代をへてロシア連邦の構成国となったテュルク系言語話者たちの国タタルスタンの首都。フランス人コセとの顔合わせにも“旅”の要素を感じてしまう。
主役格の独奏者となる機会が比較的少ないヴィオラ奏者の“立ち位置”を、文字通りの意味まで視覚的に示してみせたコセ。どのように立ちまわるか、どのように舞台に立つか。ヴィオラは日陰者の楽器ではなく、演じこなすべき重要な音楽上の役柄なのだ……そう意識しながらヴィオラの音に耳を澄ませてみると、音楽の聴こえ方も変わってくる。終演後の鳴り止まない喝采も頷ける、示唆に富んだ演奏会だった。TEXT:白沢達生
◎公演情報
【イタリアの山々を巡る旅物語】
2019年5月3日 (金・祝) 11:30~12:15
東京国際フォーラム ホールC:マルコ・ポーロ
【ジェラール・コセ(ヴィオラ) マスタークラス】
2019年5月3日(金・祝)14:30~15:30
山本一輝
ホフマイスター「ヴィオラ協奏曲 ニ長調」から 第1楽章
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