2019/02/01
いま、イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(1860-1941)の名前から真っ先に想起されるのは、前世紀前半を代表する偉大なピアニストの一人であったことよりも、ショパン作品の校訂者として、だろう。最近のショパン・コンクールではエキエル校訂のナショナル・エディションが推奨されているとはいえ、今もパデレフスキ版は最もポピュラーな版だ。
さて、欧州やアメリカで絶大な人気を誇ったパデレフスキは、しかし40代を迎えたころ、つまり20世紀に入ったあたりで、ピアニストとしての活動をいったんほぼ停止、作曲活動に打ち込んだのだが、やがて1914年に第1次世界大戦が勃発すると活動家としても活動、戦後の1919年にポーランドが独立すると、その初代首相に上り詰めた人物でもあり、政界を引退してから再び演奏家としてステージに上がった、というのが大まかな経歴である。
このようにマルチな才能を発揮したパデレフスキだが、作曲家としては生前から不遇をかこち、いまでは僅かに、アンコールピースとして生き長らえた作品3『2つのメロディ』の「ヘ調のメロディ」、そしてこの録音に全曲が収められた『演奏会用ユモレスク』の第1曲メヌエットが知られているくらいだ。
このディスクは、故・中村紘子を名誉会長に戴いて2016年に発足した、日本パデレフスキ協会の協力を得て。協会会長も務める横山幸雄に加え、次世代を担う藤田真央と黒木雪音という、若き奏者たちを迎えて、パデレフスキ作品の世界にわたしたちをいざなう。
このアルバムには核となっている曲が2つある。ひとつは、2巻6曲から成る『演奏会用フモレスク』だ。第1巻の副題は「古風に」、第2巻の副題は「近代」となっている。曲集で多用される和音のアルペッジョは、相手がベートーヴェンであろうとお構いなしにオクターヴや和音を弾き崩していた、ピアニスト・パデレフスキの、19世紀ヴィルトゥオーゾの系譜に連なる存在であったことを彷彿とさせる。押しは強くないが秘められた叙情味に着実に杖を当てる横山幸雄の表現力の豊かさが光っている。
もう一つの核が、アルバム収録曲の中で最も密度と完成度が高い、1903年頃に書かれた大規模なピアノソナタである。この曲は古典的な枠組みを踏襲しつつ、ロマン派最後の耀きを宿した作品だ。
アレグロ・コン・フオーコの第1楽章では、上行する音階を用いた主題音型が至る所で豪壮なオクターヴのユニゾンが、シンコペーションを伴って回帰する。
この順次進行に加え、楽想の折り目で打ち鳴らされる重い和音、歌謡的な第2主題部における軽やかなアルペッジョ多用されるため、奏者には強靭でパワフルなタッチと柔軟性の同居が求められるが、高木雪音は、高いレヴェルでその要求に応えている。
謎めいた第2楽章を経て、常動曲のような、あるいはトッカータのような第3楽章では、そのめまぐるしさに加え、中間部におけるフガートでの声部の色分けや、直後にる、6度のエチュードじみたパッセージでのメカニックにもたじろぐことなくぶつかっている。
その他、アルバムの最初と最後に2曲を置いた『ミセラネア』、偉大なる先達ショパンを模してはいるものの、英雄的な風情とは若干距離をおいた『6つのポーランド舞曲』の第6曲「ポロネーズ」に、『旅人の歌』からの「メロディ」といった秘曲を並べている。
パデレフスキの場合にも、故・森安芳樹氏が中心となって校訂譜の出版とピアノ曲全集の録音を成し遂げ、シマノフスキ再評価の大きなキッカケを作った例がいいモデルになるだろう。『自作主題による変奏曲とフーガ』はじめ、残るピアノ品は言うに及ばず、室内楽や、ピアノ協奏曲に交響曲などの大規模作品も、この先紹介されてゆく可能性の種を蒔いたわけで、その種がいかなる果実を結ぶことになるのか、その推移を見守りたいところである。Text:川田朔也
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