2018/12/29 12:00
2018年12月17日、放送作家であり、数々の名曲の作詞を手掛けた杉紀彦さんが、80歳で逝去されました。心からご冥福をお祈りいたします。
初めてお目にかかったのは2018年の初夏。「きらめき歌謡ライブ」(NHKラジオ第一)の担当になった時だ。杉さんが私を見て最初に仰ったのは「ああ、想像していたような人だ」という言葉だった。どんな風に想像されていたのか、今となってはわからない。
杉さんは、前身の『はつらつスタジオ505』の時代から、33年間、構成を手掛けられていた、放送界のレジェンドだ。演歌・歌謡曲の世界にあまり通じていない私が、そのお相手を務められるのだろうか。当初は非常に不安だった。
歌謡曲番組を担当するのは駆け出しの時以来だったが、楽団の指揮を務める三原綱木さんはじめ、歌手、関係者、スタッフの皆さんが「おかえりなさい」と声をかけてくれた。ベテランから新進気鋭まで、さまざまな歌手が出演するビッグバンドのライブショーは、現在では数が少ない。準備はかなり複雑かつ大量だ。フルスロットルで、新しい業務を身に付けていった。慣れないラジオ番組制作の「いろはのい」は、私よりはるかに若いスタッフに教えを乞い、周囲に追いつくことに注力した。前の仕事は前の仕事。今の仕事では新人だ。初心を取り戻すとは、まさにこのことだろう。
何回か本番を重ね、漸く全体を見渡せるようになった頃、「この曲の並び、素晴らしいよ。原田さんなら、安心です。お任せします」と仰ってくれた。それから、私が作った構成案に対して、ほとんど何も言われなくなった。「良い人が来てくれた。自分が思っていたような番組になっている」と話していたということも耳にした。杉さんの言葉が、不安を勇気に変えてくれた。
杉紀彦さんは、ダンディで、茶目っ気溢れる方だった。他愛のない冗談を言うと「いいね、面白いよ」とずっこける様子を見せながら笑ってくれた。ある日、神野美伽さんがトークコーナーのゲストに登場した。「神野さんのアメリカでのステージは、原田さんが実際に観ているのだから、話しなさいよ」。その一言で、私は生放送番組に出演した。
一度だけ、杉さんにお願いされたことがある。加山雄三さんがご出演された時のことだ。「加山さんと、これまで接点がなかったんです。紹介してもらえないでしょうか?」。その日、加山さんと杉さんのトークは、とても盛り上がった。数週間後、加山さんのコンサートの客席には、杉さんの姿があった。
杉さんの長い音楽人生で、私が共に過ごしたのは、ほんの半年あまりだが、まるで家族の一員のように接してくれた。体調を崩されている時も、病院で、命を削るかのように原稿をお書きになっていた。杉さんは「どのように直しても良いです」と仰っていたが、杉さんの記したままとした。出演される歌手の皆さんと、番組への愛が、手書きで込められていたからだ。
杉さんは、他の方に迷惑をかけることを、何よりも嫌う方だった。私は、最後の台本だけに、このような一文を加えさせて頂いた。「今回は、杉紀彦さんが最後に執筆した台本になりましたが、杉さんは明るく、楽しく、番組を放送することを望まれていると思います」。
杉紀彦さん。本当に有難うございました。これからも、天まで響くような番組制作を行えるよう、最善を尽くします。Text:原田悦志
原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明大・武蔵大講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。
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