2018/11/06
元々ヴィオラ奏者で、室内楽にも数多くの名作を残したドヴォルザークは、あのブラームスを嫉妬させたほどの、稀代のメロディメーカーとして鳴らした作曲家だ。
このディスクは、そんなドヴォルザークのピアノ三重奏曲第3番と、彼のピアノ三重奏曲のなかでは飛び抜けた知名度と人気を誇る、第4番『ドゥムキー』のカップリングである。
第3番の楽想は非常に練られてはいるが、ドヴォルザークにしては珍しく、メロディアスというよりザラザラとした触感の、無骨なもの。そしてピアノの重い和音に象徴される、ブラームス的と言ってよいほどの厚みある音の重ね方、そしてカッチリとした構成を備えた作品だ。
それだけに、旋律に秘められた、鈍い熾火のような、底で放っている抒情性の光を掘り当てる嗅覚はもちろん、緊密なアンサンブルというプリズムによって、その光をさまざまな色彩のスペクトルへ分散させる明晰な論理だてを必要とするが、それでいて、曲を縛り上げてしまうような、ギチギチとした、しかつめらしさはもちろん回避せねばならない。つまりこの曲は、非常に難しいさじ加減を要する、演奏が極めて難しい曲である。
第1楽章、いきなりヴァイオリンとチェロのユニゾンと、重い和音を叩き混むピアノでドラマティックにはじまる音楽は、慟哭のような、それでいて憤怒のような烈しさがあるが、三者三様の豊かな音は、彫り深く、その旋律の秘めたる情熱というポテンシャルをクッキリと浮き上がらせる。
クリスチャン・テツラフの奏でる艶やかな音は、驚くほど微細な表情の変化を捉えている。それに寄り添う彼の妹、ターニャ・テツラフのチェロは、強烈に自己を主張することこそないが、前に出て旋律線をなぞる時はもちろん、伴奏を担当するパッセージでも兄のヴァイオリンをしっかと受け止めて抱擁する奥行きがある。テツラフ兄妹とは共演歴が長く、私見ではようやく中年期のスランプを脱したピアノのラルス・フォークトはまさにいぶし銀の音色だが、燃えさかる感情を要所で的確に奔出させ、強烈なフォルテを叩きこむ。この三者の音が、時に塊となって聴き手に体当たりしてくる。
チェロが旋律線を導入し、やがてヴァイオリンにその場を譲る主題は甘美だが、ヴァイオリンがゆっくりと半音階と全音階を組み合わせて下行し、チェロがピツィカートで伴奏する推移部などまさに絶品、心をわしづかみにされる。すさまじい緊迫感が帯電して閃光を放つアンサンブルは、その精度と稠密さ、コクのある音色の豊穣さにおいて、同曲の録音史上において、類例がないほどヴィヴィッドだ。
第3楽章のヴァイオリンとチェロのカノンの打ち解けた雰囲気、そしてチェコの民族舞曲のリズムに基づく、ロンド形式による第4楽章から立ちのぼる、土着的な薫り。全曲通じて、その演奏の質には驚嘆の念を禁じ得ない。
第4番『ドゥムキー』は、3番に較べれば曲自体の音の厚みはなく、また、この曲を構成する6つの楽章すべてが実に自由な形式によっている、つまりは第3番とは対極にあるような曲だ。
予想外の転調に、これまた驚かされる曲調の反転蛇行の連続であるこの曲のキモは、いかにそのめまぐるしさに振り回されずに付き従うかにある。こういう曲を料理するに当たって、彼らは曲を構成するモザイク状の各シークエンスを愚直なまでに事細かに描き出しつつ、強烈なコントラストを躊躇うことなく現出させる。
こういう演奏を耳にすると、やはり本当に気心の知れたトリオなのだ、ということを痛感させられる。一つところにとどまらない流転の曲のなかでも、彼らが迷子になることは一瞬たりともない。スラヴ的な要素も含め、諸要素の混在は、それぞれの楽章というピースの中で見事に完結している。
いままでこれらの曲の録音の頂点に立っていたのは、恐らくはスーク・トリオによる演奏だ。しかしこの3人による録音は、それと並べても一向に見劣りすることのない、気高い香気のたちのぼる演奏である。Text:川田朔也
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