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2018/06/07

小倉貴久子のモーツァルトとJ.C.バッハのクラヴィーア協奏曲 新たなる革新(Album Review)

 フォルテピアノ奏者、小倉貴久子によるニューアルバムは、彼女が精力的に続ける演奏会シリーズ、『モーツァルトのクラヴィーアのある部屋』の第30回記念演奏会のライヴ録音で、モーツァルトの第15(1784)と第27(1791)の2つの協奏曲で、神童モーツァルトに計り知れぬ影響を与えた「ロンドンのバッハ」ことヨハン・クリスティアン・バッハ(1735ー1782)の作品13から第2番(1777)を挟み込んでいる。

 小倉を囲む「ピリオド楽器による室内オーケストラ」のメンツも、コンマス桐山建志以下、日本の古楽会を代表する、名うての奏者たちが結集している。

 小倉がここで弾くのは1795年製のアントン・ヴァルター。耳に柔らかいが発声が実によく、小倉の繰り出す多彩なタッチに敏感に反応している、この個性的な楽器の繊細な響きが、なによりまず耳を打つ。

 そして、たとえばJ.C.バッハの協奏曲を試みにイングリット・へブラーの40年前の録音(PHILIPS)と較べれば、弦楽器はヴィブラートをかけないし、ピッチも違うし、かなり自由なルーラードはじめとする装飾音を混ぜ込んでいるし…、等々の表層的な差異よりもなお大きな差異に気づかされる。もはや、しかつめらしいアカデミスムや懐古主義の影は、ここにはない。ここにあるのは、もっと生々しい楽器との肉感的交歓だ。

 そのぬくもりのある手触りが、聴き手の胸躍らせるヴィヴィッドな音楽体験の場を現出させる。各曲とも小気味よい引き締まったテンポで走る小倉らの演奏は、いま眼前で音楽が生まれるかのようなフレッシュな香気を湛えている。

 いずれの曲でも、フレージングの息づかいが新鮮で、それをイマジネーション豊かなタッチが彩り、そこここで新たな発見がある。ピアノとオケとの一体感は、協奏曲というジャンルが室内楽の延長線上にあり、決して切離されたジャンルではなく、連続体であることを感じさせてくれる。

 小倉と室内オケとの間だけではなく、オケの成員たちの間でも活発な対話があるのは、たとえばモーツァルト第15の第3楽章のロンドで、積極的に用いられる管楽器との阿吽の掛け合いを筆頭に、随所で花開いており、心躍る。


 18世紀から19世紀において、産業革命を追随するようなかたちで、ピアノという楽器は目覚ましい進化を遂げた。時おりしも現在わたしたちが知るような演奏会システムが誕生して聴衆が爆発的に増えていった時期である。

 となれば大きなホールでより一層の音量と響きを、という要請が生まれるのも自然な成り行き。それに新技術と新発明が次々に応えていった。強度の高いスチール弦、その強力な張力に耐えうる、木製ではなく金属製の鋳造一体フレーム、交差弦などの発明開発が、音量は大きく、響きは当然金属的でブリリアントな楽器へと変容させていった。

 20世紀初頭にはほぼ現在のかたちになったピアノは、今はもう成熟した楽器と言っていい。細かい革新の機運もないではないが、楽器の概念を根底から覆すイノヴェーションは、もう起こらないのではなかろうか。

 そんないま、往年のピリオド楽器を用いた演奏は、まず硬直化した単線的な進歩史観に疑義を差し挟み、そして当たり前だが原理的に不完全なスコアに、目から鱗の落ちる思いのする新たな光を照射する、温故知新の精神に根ざしている。

 ピアノの場合、上述のようなめざましい変遷をつぶさに辿ることで、当時それぞれ職人やメーカーによって特徴的だった一台一台の楽器に作曲家たちがどんな霊感を受け、どう作曲を進めたのかを探ることが出来る。こうした営為は、演奏史を刷新する、大きな革新と言っても差し支えないだろう。

 こうした古楽による革新の世界で日本の最先端を行く小倉たちの演奏を耳にすれば、現代の「イノヴェーション」を肌で感じられること請け合いである。Text:川田朔也

◎リリース情報
小倉貴久子『J.C.バッハとW.A.モーツァルトのクラヴィーア協奏曲』
ピリオド楽器による室内オーケストラ
ALM Records ALCD-1176 2,800円(tax out)

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