2018/01/22
いま韓国の音楽シーンはある種の黄金期を迎えつつある。2017年には、BTS(防弾少年団)が世界規模で大ブレイク。昨年末にUSビルボードが発表した年間アーティスト・ランキングでは10位にランクインした(これはアリアナ・グランデやコールドプレイより上)。また、ここ日本でもTWICEやBLACKPINKがデビュー、前者は『紅白歌合戦』にも出演した。
そうしたメインストリームの活況と呼応するように、アンダーグラウンド寄りの背景を持つアクトも韓国内外で台頭している。長年、独自の発展性を保ってきたK-ヒップホップのシーンは、さらなるタレントを輩出。また、いわゆるバンド音楽でもチャートを駆け上がるアーティストが出現。“韓国音楽=K-POP”という単純化された図式を抜本的に書き換える才能が次々と登場している。
そうした状況を受けてBillboard JAPANでは、今月より月1回のペースで、韓国音楽に焦点を当てた連載企画を開始する。案内人は現地の音楽事情に精通する日韓音楽コミュニケーターの筧 真帆氏。数々の渡韓経験を通して、現地のアーティストやマネージメントと密にやり取りをする氏が、実際にアーティスト本人から聞いた言葉や現地の空気感、音楽業界を取り巻く状況を元に、“いま注目すべき韓国音楽の新鋭”を紹介する。
タイトルの“K STORM”は「アイドル中心の“K-POP”とは区別した形で、韓国新鋭カルチャーを紹介したい」という筧氏の視点から生まれた造語。彼らは、今まさに嵐のように劇的に韓国のシーンを動かしつつある。その存在感は今後、日本のシーンにも少なくない影響をもたらすだろう。連載第一回目となる今回は、2015年に日本デビューも果たした最注目バンド、HYUKOH(ヒョゴ)を紹介する。(以下、文:筧 真帆。発言は全て筆者の取材より。)
<様々な“壁”を超えて波及するHYUKOH(ヒョゴ)のクリエイティビティ>
「あの坊主頭の人がボーカル?韓国で人気って言うから、アイドルかと…」。初見の人からよく聞かれる反応だ。韓国のロックバンド、ヒョゴは、本国はもちろん、いま日本をはじめ世界の音楽フリークを魅了している。昨年は12ヵ国23地域でのワールドツアーを成功させ、日本でもサマーソニックに2年連続出演、来日ごとにワンマンの規模も拡大。音楽だけではなくカルチャー面でも注目を集めている、その求心力とは。
2014年にボーカルのオ・ヒョクを中心に、93年生まれのイ・インウ(D)、イム・ヒョンジェ(G)、イム・ドンゴン(B)の4人が出会いバンドを結成。作詞作曲すべてを担うヒョクの音楽形成は、学生時代の家庭環境にある。ソウルで生まれた直後に、両親の仕事の都合により家族で中国へ移住。中学の頃に欧米バンドを聴くようになったが、厳格な両親は良い顔をしなかった。
「マリリン・マンソンとか聴いていたら、うるさいと怒られて。内向的な性格でもあったので、ネットで探した音楽を部屋でひっそり聴くことが多かった」(オ・ヒョク)
大学進学を機にひとり韓国へ帰国。ソウルの弘益(ホンイク)大学のファイン・アート学科へ通いながらソウルやR&B系シンガーを目指していたが、ひとりではつまらないとバンド結成へ至る。当初は今以上に渋みを帯びていて、同い年とは思えなかったとメンバーは口を揃える。
「ヒョクの歌声に出会えていなければバンドは組んでいなかった。それほど彼の声は魅力的で、長くやっていけると思ったから」(ヒョンジェ)
2014年秋にリリースしたEP『20』が音楽好きの間で噂になっていたところ、2015年夏にテレビ出演をきっかけに全国区の人気へ。彼らの代表曲となった「Wi Ing Wi Ing」は、大手配信サイトの年間ダウンロード・チャートで4位を記録。ダンスグループが大勢を占め、バンドが王道ではない韓国で、デビュー1年目バンドの大ブレイクは快挙だった。
「Wi Ing Wi Ing」https://youtu.be/hr4GaRPX6cM
オ・ヒョクが中学の頃から敬愛しているのが、ドイツのザ・ホワイテスト・ボーイ・アライブだ。ヒョゴのファーストEP『20』とセカンドEP『22』には、同バンドの影響を所々に感じさせる。2017年の1stアルバム『23』では、同バンドのエンジニアであるノーマン・ニッチェにミックスを依頼。ブレイクから2年、そのブランクに周囲も心配したが、前作をはるかに超えるロック然としたアルバムが誕生した。
「ソウルとドイツで作業を繰り返して、1年で仕上げる予定が2年かかった。子供って10ヵ月で生まれるんだっけ?じゃあ僕らは、ものすごい難産だったね(笑)」(ヒョク)
納得いくまでやり切れたことが、やっと“自身の子供”と言える作品になった。
「Leather Jacket」https://youtu.be/LzUETvviKtA
ヒョゴがフォーカスされるもう一つの柱は、彼らから発信されるアートやファッションだ。カラフルなCDジャケットは、ヒョクの大学の先輩であるデザイナーのNemonan(ネモナン)が、エッジのきいた衣装はNYにも拠点を持つファッション・スタイリストYE(イェ)が手掛ける。またヒョゴの親しい写真家やデザイナーなどでdadaism club(ダダイズム・クラブ)というビジュアルチームも組み、多彩なカルチャーを発信。ネームバリューなどは関係なく、条件はメンバーと感性が合うことのみ。今や国内外のアパレル業界からオファーも多く、ヒョゴそのものがクール・コンテンツとして存在している。
日本へは2015年秋の渋谷O-nestでの初ワンマンが即完売する人気を見せ、日本のメジャーレーベル4社からコンタクトが来たという注目度だった。本格上陸は、サマソニ出演とEP『20』『22』の日本盤がリリースされた2016年。折しも日本は、この頃からグルーヴィーでお洒落なバンドが台頭。中でもファンクな曲やブレイク具合の共通項から“韓国のSuchmos”と評されることもあったが、現在は双方別々のベクトルへ進化している。昨年は2年連続となるサマソニ来日時に、ヒョゴ側の希望でnever young beachとの2マンが実現。現在プライベートでも仲良が良く、他にもOKAMOTO’Sや DYGLなど日本の同世代バンドマンらと交流を重ねている。
「人気となった世代もトップに上り詰めると、また他のサウンドが登場する。全世界的に同じ世代で一緒に年を重ねながら交流をして、今の時代を表現できるものを作りたい」(ヒョク)
音楽もカルチャーも同時代性のムーヴメントを敏感にキャッチした上で、独自のものとして放っていることを、ヒョクの言葉が裏付ける。
昨年、約半年に及ぶ世界ツアーを11月末に終えたヒョゴは、12月はソウルの同一会場にて4週連続12回の週末ライブを敢行。ヒョクたっての希望という、会場中央にステージを作り360度の客席の中で熱演。時に無理難題を要する彼らの要望を実現し続けるスタッフ陣へ、苦労は無いかたずねると
「あの坊主頭のおかげで、我々も新しい発見に出会えることが楽しい」
とチーム・ヒョゴは笑う。人気に甘んじず進化し続けるヒョゴのクリエイティブは、今後も世代や国境を越えて波及し続けるだろう。
(文:日韓音楽コミュニケーター 筧 真帆)
◎HYUKOHバイオグラフィー
オ・ヒョク(V/G)、イム・ヒョンジェ(G)、イム・ドンゴン(B)、イ・インウ(D)からなる、全員1993年生まれの4ピースバンド。2014年に6曲入りEP『20』でデビュー、同作品の「Wi Ing Wi Ing」が国民的大ヒットに。2015年のセカンドEP『22』から2年後、2017年には初のフルアルバム『23』を引っ提げ半年間のワールドツアーを敢行。日本ではサマソニ出演のほか4都市ツアーを廻り、東京は赤坂ブリッツのドアが閉まらないほどの満員ぶりとなった。4人とも日本びいきで、ヒョクは学生の頃に日本のストリート雑誌『TUNE』を愛読、インウはX JAPANと日本のフィギアを好み、ドンゴンはいつか『べース・マガジン』の表紙を飾りたいと言い、ヒョンジェは日本アニメをよく見ていたとのこと。なおスペースシャワーTV主催の【SPACE SHOWER MUSIC AWARDS 2018】に、唯一の海外からノミネートされている。
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