2015/10/05
ピチカート・ファイヴでデビューして今年で30周年。作詞/作曲/編曲/DJとしても多岐に渡り活躍を続けて来た小西康陽が、PIZZICATO ONEでどのようなステージを見せてくれるのか。今年6月にリリースされたセルフ・カヴァー・アルバム『わたくしの二十世紀』に参加したヴォーカリスト6人を招いての一夜限りのライブは、満席のファンが期待で胸高鳴らせる中、静かに幕を上げた。
最初にステージに登場したのは、モデル/シンガーとして独自の存在感を醸す甲田益也子。ピンスポット・ライトを浴びた彼女が歌う「フラワー・ドラム・ソング」から完璧に『わたくしの二十世紀』の世界へ誘われる。『SWEET PIZZICATO FIVE』(1992年)に収録された作品が、甲田益也子の声と新たな装いで新曲のように聴こえてしまうマジックを体感。斎藤葉のハープの伴奏だけで歌われた「私が死んでも」は、タイトルの通り哀しく切ない歌詞ではあるが、まだ若いおおたえみりが歌うと儚い美しさが際立つ。心地よい緊張感に包まれながら、ピアノの隣に登場したのは西寺郷太。アルバムでも3曲ヴォーカリストとして起用された彼と、enahaのピアノの弾き語りによるデュエットで「恋のテレビジョン・エイジ」を披露。ピアノと歌だけというミニマムな形が、この愛しあっているけれど〈死にたくなるほど退屈〉なカップルという設定にはよく似合う。
元はといえばビルボードライブが小西さんの編曲でさまざまな歌手が歌うライブの企画を打診したのがきっかけとなり、アルバムへと発展。「よりパーソナルな音楽」を目指したことで、小西康陽の作家性が色濃く反映された作品になったが、ライブでも個性豊かな複数の歌い手の表現力を思い知らされることに…。ミズノマリは、2000年のピチカート・ファイヴのシングル「12月24日」と「東京の街に雪が降る日、ふたりの恋は終わった」という冬の歌を2曲。大人の女性が歌うからこそ響く歌を書ける小西康陽の確かな才能とミズノマリのしっとりした色香が堪能できた。西寺郷太ヴォーカルの「日曜日」は、大人の少しくたびれた男が主人公だ。ジャック・レモン主演の映画のような趣が、西寺の個性ともどこか重なる。小西さんが「日本のダスティ・スプリングフィールド」と呼ぶ吉川智子は、「きみになりたい」(『女性上位時代』1991年)と「昨日のつづき」(『カアリイ』2004年)を。オリジナルのヴォーカリストだった野宮真貴、野本かりあとは印象も雰囲気も異なるが、歌詞をじっくり聴かせる歌とアレンジにドキリとさせられることしばし。
ここで、ようやく小西康陽がステージに呼ばれた。バンド・メンバーにもゲストにも名前がクレジットされず、「もしや今回は小西さん抜き?」という憶測も呼んだが、吉川智子と共にスクーターズに書きおろした「かなしいうわさ」を歌ってくれたのは嬉しいサプライズ!となれば、期待してしまう。小西さんのソロ・ヴォーカル。アルバムで唯一、小西さん自身が歌った「ゴンドラの歌」をスツールに腰掛けて訥々と歌う。多くの歌い手が参加しているとはいえ、やはり『わたくしの二十世紀』は小西康陽のソロ・アルバムなのだ。
その後は、ピチカート・ファイヴの数ある名曲の中でも人気の高い「マジック・カーペット・ライド」を西寺郷太とenahaで。再び甲田益也子が登場して、小西さんのピアノの伴奏で「美しい星」。ステージの背後のカーテンが開くと、そこは歌詞にあるように〈窓の外 光るのはビルの灯り〉という絶好のロケーション。初のライブにふさわしいこの心憎いばかりの演出だった。
満場の喝采を浴びながら、照れた笑顔を見せながらアンコールに登場した小西康陽が歌ったナンバーが、「また恋におちてしまった」。1999年に発表された『PIZZICATO FIVE』に収録されたこの歌を取り上げたのは、これが20世紀最後の作品だったから?などと妄想が膨らむ。そして、ラストは自らピアノを弾きながら歌った「子供たちの子供たちの子供たちへ」(『フリーダムのピチカート・ファイヴ』1996年)。シンガー・ソングライターの珠玉の1曲のような静かに心に響く曲で幕を閉じた。多くのゲストを招きながら、小西康陽の「うたとことば」を深く、濃く味わうことができた貴重な夜であった。
Text: 佐野 郷子
Photo: Masanori Naruse
◎公演情報
PIZZICATO ONE
ビルボードライブ東京
2015年9月22日(火)
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