2015/04/18
思えば「さよなら」なんてもう何年も口にしていない気がする。別れる時はたいてい「じゃあ」とか「また」とか。つまり常に"保留"が基本的なスタンスなわけだ。我ながら、優柔不断。
「さよなら」は決意の言葉だ。結果的に「別れた」のではなく、意識的に「別れる」ための言葉。前作から4年。実質的に活動休止状態にあった彼らが、なんでこのタイミングであえて"ラスト・アルバム"をリリースするのか、という疑問の答えは、つまりそういうこと。逃げ場を断ち、前を向くために、今は『SAYONARA』。
だから、このアルバムに収められた音楽が、彼らのこれまでの作品から見れば、やけに立派に響くことは、単に彼らが音楽家として(おそらく活動初期からは信じられないほど)立派にプロらしく成長したことだけが理由ではないのだろう。胸を張って別れを告げるために、いつも以上に堂々と。振り返る理由を断ち切るための潔さを湛えて、その音楽はある。
SAKEROCKにしては余りに遊びがない。内輪うけギリのくだらなさもない。ということを除けば、これはあまりにSAKEROCKのアルバムだ。数年ぶりにオリジナル・メンバーが揃った、という事実も全く感傷を引き起こさないほどに、SAKEROCK。だからこそ気が付くのは、このバンドの主旋律を受け持つトロンボーン(by ハマケン)のやや低い音域が、星野源の歌の特徴と合致していること。演奏に併せて細かく伸び縮みしつつ、しなやかにリズムを保つ--つまり歌っている--伊藤大地のドラムの素晴らしさ。着想豊かに彩りを加え、楽曲を支える野村卓史と田中馨の演奏。その全てが最初から彼らにあったわけでなく、ある種の決断の積み重ねによって鳴らされていることの尊さだ。
さっきはまるでそれを懐かしんでいるようにも書いたが、このアルバムがいつものような“くだらなさ”を持った作品だったら、きっと僕はがっかりしたと思う。あんなにくだらないことをすることが好きでしょうがない連中が、微塵も誤魔化しの余地がないアルバムを作った、という事実がコトの重さを物語っているからだ。
とは言え、これは全くシリアスなアルバムではない。『SAYONARA』なんてタイトルなのに、このアルバムが似合うのは別れの場面ではない。このアルバムが似合うのは決意の場面だ。なにも大きな決断でなくて良い。日常とはそもそも、些細な決意の積み重ねだ。一曲目の「Emerald Music」は、いつまでも若々しく居ることに捧げられているが、若さとは時の流れや、ましてや熟練によって失われるものでない。決意し続ける以上、このアルバムのように(バンドのように)、あなたが若さを失うことはないのだ。では、さよなら!
文:佐藤優太
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