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2022/06/30 17:00

<ライブレポート>“自由に佇む”Kitriの秘めやかな音楽会は続く

 “自由に佇む”という表現の似合う2人だ、と思った。

 5月27日に開催された【Kitri Live Tour 2022 SS キトリの音楽会#5“Tea for two”】東京公演の会場は、ARK HiLLS CAFEという名の通り、湿度を孕んだ低い空を劈く高層ビルが林立する六本木の真ん中にあるカフェだった。段差もステージとフロアを隔てる明確なボーダーラインもない。

 ビヴァリー・ケニー「2人でお茶を」と満員の客席の拍手に迎えられながら現れたMonaとHinaは、純白のエプロンドレスに身を包んでいた。イメージカラーの赤は長い黒髪を結ぶオーバーハンカチと足もとにさりげなく添えられている。片隅に置かれたピアノにはドライフラワーの花束が横たわる。みずみずしさと引き換えに儚さから解き放たれ、セピアの描線の中で永続性を保つ花の生き様は、Kitriのアーティスト性と作品性の中で脈打つしなやかな強さのメタファーのように感じられた。

 驚かされたのは、【Tea for two】というタイトルのを体現するかのように、客席に背を向けて演奏を始めたことだ。ドビュッシー「L’Enfant Prodigue:Prelude」の音の対話だけで互いの指が凝りほぐされているのを確かめ合い、物憂げで力強い低音の連打とHinaがマイクで矢を放つように鳴らす指が根源的なダンサブルなリズムへと変化し、「踊る踊る夜」へ。韻を踏みながら列挙される幾つもの画家の名前に鮮やかなイメージの亀裂が生まれ、額縁に封じ込められたアートと“私たち”という観賞者との関係性が反転するような幻想的な空間に足を踏み入れる。続く「細胞のダンス」では、2人のドラマティックな低音のピアノと高音のハーモニーの勾配の中、扇状に並べられた椅子の上でそれに耳を傾けている“私たち”は、あらゆるものごとから解き放たれ、瞬く間にとても自由になった。

 MCでようやく振り向いたMonaとHinaの緊張感と安堵感の入り混じった笑顔、ささやかな照明がキラキラ光りながら滑り落ちる輪郭、たった2人であれほどの音楽を織り成してしまうのに、いつまでも素朴な挨拶と言葉の一つ一つが眩しい。

 ピアノの斜向かいに並べられたリズムボックスとギターの単音が重なり、パーカッシブかつリリカルな「Akari」で仄暗い会場に光が射し、「青空カケル」では鼻歌にも似た軽やかな歌声とピアノの追走で一転して明るく、広大な音の世界に躍り出る。2人の歌声と演奏についていくだけで、“私たち”はあらゆる景色に手を伸ばし、寝転んで見上げることができるのだと噛み締める幸せを改めて噛み締める一瞬だった。

 ギターとピアニカのノスタルジックなイントロから始まるミドルテンポの「ずっと心に」では、セピア色の情景と、自分自身がその場に存在することで生まれる影が無限に伸びる。かと思えば、歌詞の物語性と物憂げな歌声、アシッドなピアニカの音が“歌謡曲”というジャンルへの新たなアプローチにも思えるナーバスな「悲しみの秒針」で、辺りはたちまち雨が滴り落ちる曇りガラスに変わった。

 「みなさん楽しんでいただけていますでしょうか?」という問いかけに万雷の拍手で応える観客、何を喋るか探り合うように無言で視線を向けるMonaとHinaの姿に、ここがようやくライブ会場なのだと思い出した。

 3月にリリースされた『Bitter』について「最初は全然違う世界観のものが作りたいね、って作り始めて」と明かし、「踊る踊る夜」のアニメMVを制作したエピソードを語る。その気になれば全てを自ら手作りできてしまうであろう2人の底なしのアーティスト性の片鱗を覗かせる。

 「ここで“Bitterなカバー曲”をやらせていただきたいと思います」と奏で始めたのは、しばたはつみ「小さな瞳」のカバー。骨の髄まで音楽家のKitriの2人は自分たちの声を曲を構成する音のように緻密に配置していくが、“自分たちの曲ではない”がゆえに解き放たれ、ボーカリストとしての豊かさを味わえる贅沢さがたまらない。“自分たちのものではない曲”に対して凛とした姿勢で挑む背中からこぼれ出る羽のような軽やかでリズミカルな打音、2人以外の誰かの作品に耳を傾け、かつての楽曲を掘り起こして新しく生まれ変わる時、MonaとHinaとして歌い上げる時に感じられる表現の幅に息を飲んだ。

 「雨あがり」ではHinaが体を客席に向けて手拍子を促し、あっという間に牧歌的でポップな空気感に包まれ、涼やかなスキャットからエモーショナルなサビへつむじ風のごとく強く巻き込む「小さな決心」、Hinaの肘の鋭角から指先まで神経の行き届いた打音と見知らぬ国の昔話を語るような静けさと騒々しさが漁り火を囲んで踊る「矛盾律」。楽曲ごとに目まぐるしいほどに表情が変わっているはずなのに忙しないということがなくどこまでも滑らかで、かといって決して一本調子のムードで終わったりはしない。「黒の中にも色がある、白の中にも色がある」と主張した印象派の画風や絵筆を想起する。「私たちカフェが好きなんですよ」と交わされる他愛もない雑談とのギャップの激しさに至るまで。

 後半に差し掛かるとリズムボックスの無機質な音にダウナーなラテンのリズムが絡むディスコナンバー「左耳にメロディー」へ。ポエトリーラップのような歌詞の往来がドリーミーかるスローテンポの重曹的なハーモニーへと羽化する。

 あまりのプログレッシブな展開にくらくらしている間に、讃美歌の如く重厚で荘厳な「実りの唄」に変わっていた。この秘めやかな音楽会の終演が近づいていることを告げるように、しかしそれで終わってしまうわけではないことを高々と宣言する力強いステージだった。「今日は本当にお越しいただいてありがとうございました」という言葉が信じられないほど。

 <やがて実る 種をまいて 目覚める><明日は実る 種をまいて 眠ろう>という歌詞を受け止めて、本編の終幕を飾ったのは「羅針鳥」。<ここからはじめまして あなたは羅針の鳥><ひたすら胸の中の音を頼りに飛んでいけ>。MonaとHinaの2人でKitriを始めるという“初期衝動の詰め合わせ”であると同時に“最後に手の中にあった身の丈にあったもの”が音楽であったという、門出への祝福と孤独を悲壮なものにさせない美しく、煌びやかな応援歌に心を貫かれた観客の拍手が鳴り止むことはなかった。2人が振り向いて深々をお辞儀をし、静々とはけていっても。

 アンコールで登場した2人は、劇版を担当した8月19日公開の映画『凪の島』の主題歌「透明な」への思いを語る。「心とか、言葉とか、目に見えないもの、透明なものへの思いを大切にして、大切な人に聴いてほしいと思って作りました」。

 不思議なのは、Kitriとしての音楽が起点であっても、あるいは映画やアニメといった作品ありきで作られた楽曲であっても、2人の音楽家としての自由さが変わらないように見えることだ。特定のコンセプトの中で拾い上げられた歌詞、磨かれたメロディーの壮大さ、エンディングロールで観客が帰り際に口ずさめるようなポップネスまで隙なく落とし込まれているというのに、天衣無縫で晴れやかだ。そして先述した通り、楽曲を構成する要素としてではなく、ボーカリストとしての伸びやかさと清々しさが堪能できるという面での自由さもある。

 「東京は本当にちょっと歩いたら色んなイベントや場所がある中で、私たちのライブに来ていただいて、本当にありがとうございました」「パワーアップしてまた東京でライブができるように頑張っていきますので、是非よろしくお願いします」。

 静寂の中で鳴り響くギターのチューニングは、悲しい音色ではなかった。2人の言葉が、音楽の強さが「また会える」と全てを物語っていたから。一音一音、一声一声から眩いほどの光が放たれる「ヒカレイノチ」を聴きながら確信した。それは“私”だけではなく、ステージから2人がいなくなっても、笑みを浮かべながら立ち上がって拍手を送っていた観客たちも同じ思いであったろう。

 Kitriの楽曲、Kitriの2人は、真っ白なカンバスの上でも、あらかじめ作られた額縁の中でも、変わりながら変わることなく奏でられるのだと。“自由に佇む”2人には、次はどんな音楽が待っているのだろう。


Text by 町田ノイズ
Photo by Masatsugu ide

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