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2022/01/20

『Sick!』アール・スウェットシャート(Album Review)

 1994年生まれ、米イリノイ州シカゴ出身。本名をテーベ・ネルーダ・クゴシトシルといい、14歳の頃にラップを初めて当時一世を風靡したMySpaceからスライ・テンデンシーズ名義でミックステープ『Kitchen Cutlery』(2008年)を発表。翌2009年にタイラー・ザ・クリエイター率いるヒップホップ集団オッド・フューチャーに加入し、2010年には現名に改称して2作目のミックステープ『Earl』(2010年)をリリースした。

 2013年にはコロムビア・レコードからデビュー・アルバム『ドリス』を発表。本作は、米ビルボード・アルバム・チャート“Billboard 200”で5位、R&B/ヒップホップ・アルバム・チャートで2位、ラップ・アルバム・チャートでは1位に輝き、「Super Rich Kids」で客演したフランク・オーシャンのデビュー・アルバム『チャンネル・オレンジ』(2012年)が同2013年開催の【第55回グラミー賞】で<最優秀アーバン・コンテンポラリー・アルバム>を受賞。一気に知名度と人気を高めた。

 その勢いに乗せて発表した2015年の2ndアルバム『アイ・ドント・ライク・シット、アイ・ドント・ゴー・アウトサイド』も無論すばらしいが、カーティス・メイフィールド作の「I Made A Mistake」をサンプリングした「Veins」や、ネイビー・ブルーをフィーチャーした「The Mint」など名作満載の3作目『サム・ラップ・ソングス』(2018年)は、前2作とはまた違う魅力に溢れた意欲作で、リリック、サウンドいずれも良い意味で変化に富んだ“2010年代の名盤”として受け継がれている。

 本作『Sick!』は、その『サム・ラップ・ソングス』から約3年を経て完成させた4作目のスタジオ・アルバムで、ワーナー・レコード移籍後初の作品となる。いわずともその間には新型コロナウイルス感染によるパンデミックが起こり、世界中が絶え間ないストレスで生活が抑圧されたわけだが、アーティストもスムーズに制作活動ができない、ライブが開催できない等の制限が加わり、厳しい状況が続いた。シックというタイトルには、期間中に患った気病みのみならず、父親との関係性や自身の宗教観など、頭の中にある汚れを(パンデミックを含めて)払いのける、そんな想い諸々が込められている……ように受け取れる。

 冒頭の「Old Friend」では、世界が崩壊し病や貧困に陥ったこと、見たもの・人達について触れる。制作は、米LAを拠点とするDJ/プロデューサー=ザ・アルケミストとの共作で、不安定な音節とリズム、不穏なアープシンセがそのメッセージをより主張した。2曲目の「2010」は、かれこれ古い付き合いになるBlack Noi$eのプロデュース曲で、煌めくシンセを従えて淡々とサクセス・ストーリーをらしいスタイルでラップする。

 気怠いロートーンの平坦なラップが「Sick」というテーマに直結するタイトル曲は、故エクスエクスエクステンタシオンを彷彿させるマンブル・ラップのような雰囲気で、(コロナを含む)病やドラッグ、暴力等、人々が抱える問題点や脆さ的なことを緩く伝えた。派手な演出もなく、わずか1分50秒の尺でこれだけのインパクトを残せることは本当に凄い。米デトロイトのラッパー、ゼルーパーズが客演した「Vision」も、パンデミックで悪化した社会情勢に触れた曲で、パッセージを奏でるピアノとゼルーパーズ独特のパフォーマンスが光る。

 米ニューヨークのヒップホップ・デュオ=アーマンド・ハマーとコラボレーションした次曲「Tabula Rasa」は、3者のルーツと信念をそれぞれがパフォーマンスし、サウンド面でもソウルやジャズの要素を絡めて黒人としてのプライドを強く主張した。続く「Lye」も、ホーン使いやリズムの刻み具合が70年代を、スクラッチやレコードのノイズ音が90年代を彷彿させる、良き時代の黒人音楽に回帰した。以前のインタビューで、ラップ・ミュージックの歴史と在り方を、商業的成功に惑わされることなく曲げないことを誓ったが、これらの曲からもその信念が伺える。

 迫り来る感じの不気味なインタールード「Lobby」を経て、語りに近い口調で言葉を紡ぐ、テーマに直結したサウンド・プロダクションの「God Laughs」へ。この曲では、前述にある宗教観や家族との複雑な関係性に触れていて、ストリングスやオルガンを響かせる教会音楽風の前編から、歪むシンセサイザーが鮮やかに彩る後編への展開が、その臨場感を高める。臨場感といえば、滴るシンセを組み合わせたトラップ調の「Titanic」~エンディング「Fire in the Hole」への繋ぎもしかり。後者は、タイラー・ザ・クリエイターの面影があるサイケデリックなトラックに、孤独な誰かへの救いとなる想いを込めたメッセージ・ソングで、なんとも最高の締め括りを演出した。

 全10曲、わずか24分ながら、いや……だからこそ1曲それぞれのインパクトが残る作品で、ラップスキル、ソングライティング、30歳を目前とした思慮や洞察力等、様々な成熟も見受けられた。アール・スウェットシャートが素晴らしいのは、個人への中傷や説教臭さがなく、思想やアイデアも“成長”という形で変化していくこと。現代のヒップホップには様々なスタイルがあるが、それはそれで良いとして、彼のような往年のスタイルを維持するアーティストは類稀な存在といえる。

 『Sick!』というタイトルとはある意味対照的な、希望溢れる作品。こういった時世だからこそ、多くの人達に浸って欲しい。

Text: 本家 一成

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