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南壽あさ子 『どんぐりと花の空』インタビュー
日々忙しく混沌としていく日本の音楽シーンにおいて、その空気に汚されることなく凛と咲く一輪の花。ファンにとっては“心の拠り所”とも言えるであろう女性シンガーソングライター 南壽あさ子(なすあさこ)。過剰な装飾も演出も要さず、純然たる歌声と音楽の愛らしさだけでもって、着々と輪を広げていく唯一無二の存在に初インタビューを敢行した。
弾き語りに幸せを感じた小中学時代~荒井由実の影響
--熊木杏里のようでもあり、奥華子のようでもあり、でも誰とも違う。生まれながらにこの歌声なんですか? それとも鍛錬があって……
南壽あさ子:全然鍛錬はなく……(笑)。気付いたらこの声でした。本当に元々声が小さいので、初めてステージに立ったり、バンドの中で歌うときに「声を張らなきゃいけないのかな?」っていう葛藤はあったんですけど、自分の歌いたいように、自由に歌わなければ意味がないので、そこはどんどん自然体になっていきました。
--音楽に目覚めたきっかけは?
南壽あさ子:両親が音楽好きだったので、幼い頃からあたりまえのようにいろんな音楽が流れていて。両親ともに好きなのはユーミン、荒井由実さんで、お母さんは小田和正さん、山下達郎さん、竹内まりやさん、邦楽が多くて、お父さんはトム・ウェイツとかビリー・ジョエル、イーグルスとか。2人ともいつまでも残る音楽を歌われている方が好きで、それを私は毎日普通に聴いていて、自然と歌が好きになっていったし、5歳からピアノも習い始めて、だんだんピアノを弾きながら歌うっていうことを憶えていって。小中学生の頃は自分の好きな曲の楽譜を買ってきては、弾きながら歌っていました。それがすごく好きな一人の時間で、何もかも忘れてリセットできる瞬間。
--弾き語りが幸せな時間だったんですね。
南壽あさ子:それでピアノの前に座って歌うっていうのが、本当にナチュラルな形になっていったので、誰かを意識してそれを始めたとか、何かになりたくて……っていうことではなく、気付いたらそうなってました。
--その時期から歌い手になりたいと思っていたんですか?
南壽あさ子:ピアノは苦戦することもあったし、毎週レッスンがあって、いろんな課題があって、時には辛くなったりすることもあったんですけど、歌は習ったりしていなかったので、本当に好きなときに歌って、嫌いになることがなくって。だから小さいときから「歌い手になりたい」っていう気持ちがあったんですけど、周りに「歌手になりたい」とは言ってなかったです。違う風に誤解されそうなので、本当に親しい人にしか言ってなかったですね。
--楽譜を買って歌っていたものは、ポップスが多かったんですか?
南壽あさ子:そうですね。当時はMISIAさんが好きだったりとか。あとは、毎月出ているピアノ雑誌というか、そのときの流行曲の楽譜を見て歌っていて。ピアノのレッスンの中でも自分の好きな曲を教えてもらえる時間があって、その先生の寛容さは今に繋がってるし、嬉しいなと思ってました。
--他にはどんな音楽を聴いて育ったんですか?
南壽あさ子:あんまりいろんなところに目が行かない性格で、家の中で流れているものをずっと飽きずに聴き続けていたので、荒井由実さんはもう小さい頃から、今でもずっと聴いていて。あんまり周りが聴いている音楽には流されず、でも高校の頃にはMr.ChildrenさんとかBUMP OF CHICKENさんとか、バンドっていうものも初めて聴きだして……大学で軽音サークルに入ったときに、いろんなコピーバンドをすることになったので、そこで生のバンドというものを体験して、音源で聴いているだけではよく分からなかったベースの音とか、「あ、ドラムってこう叩いてるんだ」っていうことを生で見たりして。それも今に繋がってますね。
--家族は音楽の道で生きていく事に対して好意的だったんですか?
南壽あさ子:すごく好意的で。そこは本当に「恵まれてるね」って周りからも言われるし、やっぱり音楽好きな家族なので、私が音楽の道を目指すっていうこと自体も嬉しかったみたいですし、私に新しい夢を懸けてもらっていて。あとはどんな進路にすると言ったとしても、「夢を追いなさい」って言う両親なので、どんなことがあっても応援してくれたと思います。
--そういう意味では自由に育ててくれたんですね。
南壽あさ子:今思うとですけど、本当にやりたいことはやらせてくれたし。心配性の部分もありますけど、常に自由というか、夢を追い掛けさせてくれましたね。
--幼少期はどんな女の子だったの?
南壽あさ子:私が憶えている限りでは、結構人見知りで……人のことをよくじっと見ていて。自分から何かたくさん言う訳ではなく、いろんな人が行動しているのを見て「自分だったらこうするな」とか、いつも「いつかは歌で生きていきたいな」って思っていたりとか、頭の中でいろいろ空想したり、夢見がちな少女だったと思います(笑)。
--頭の中ではいっぱい喋ってる。故に歌うことは生活の中で重要だったんでしょうね。
南壽あさ子:そうですね。特に思春期というか、いろんなことがあったときも、家に帰ったらピアノに向かってリセットする。
--嫌なことがあってもピアノを前にして歌い出せば、みたいな。
南壽あさ子:はい。なので、小学校の頃の“純粋な楽しさ”というところから、中学生ぐらいになると“必要性”とか“自分にとって不可欠なもの”って実感し始めていきました。
--音楽以外に夢を抱いたことはなかったんでしょうか?
南壽あさ子:うーんと……基本的にはなくて。中学校のとき、2日間だけ職業体験でお花屋さんへ行ったときは、一瞬だけ「お花屋さんになりたい」って。まぁ幼稚園のときは「テニスプレイヤーになりたい」って書いていたみたいですけど、全然テニスやったことないし(笑)。テニスプレイヤーって響きがよかったとか、それぐらいの理由だったと思うんですけど。
--人生で初めて作った曲はどんな曲ですか?
南壽あさ子:曲を初めて作ったのが二十歳のときなので、それは今でもライブで歌っていて。珍しいかもしれないんですけどね。小さいときから曲を作っていた人は、人生で初めて作った曲を披露することはないかもしれないけど、私は作り始めたのが遅かったので。そういう意味では全部を見てもらってるような、始まりから聴いてもらっている感じがします。
--自分では、南壽あさ子の音楽ってどんな音楽だなと思いますか?
南壽あさ子:うーん、難しいですねー。でも途中から意識し始めたのは、「風景描写が多いですね」ということをよく言われて、自分では全く考えていなかったんですけど、「そう言われれば、たしかに」と思って。見た風景とか頭で描いた風景を曲にしたい願望が強かったり、その風景から見る主人公の心の機微とか、そういうところを書けたらいいなってところで、“風景画家”っていう言葉があるなら“風景歌手”になりたいなって。
--それは荒井由実の影響が大きい?
南壽あさ子:多分、そうだと思います。一瞬一瞬を描いているところもそうですし、ロマンティックなところもあり、本当に心の繊細なところを上手く描き出しながら、目の前に見えている風景を選ぶ。そこは自然と繋がっていると思います。小さい頃に読んでいた童話とかの影響もあると思うし、自分が感動した、心が動かされた風景も曲になりやすいと思いますね。あとは、多くを書きすぎないというか、曲にも品があったらいいなと思って、隙間を作ることとか、聴く人、聴く日によって捉え方が変わったり、感動の仕方が変わったりする音楽が作れたらいいなって、最近は考えてます。
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Interviewer:平賀哲雄
心の拠り所になる歌~メラメラした47都道府県ツアー
--最初は漠然と「好きだから」だったと思うんですけど、今はなんで曲を作って歌ってるんだと思いますか?
南壽あさ子:最初の頃は完全に“自己表現”を人に見てもらっている感覚が強くて、もちろん今でも曲を作るときは自分の表現であることに違いはないんですけど。でももう聴いてくれる人がいて、届ける為。っていうところは切っても切れないところなので、聴く人の人生とか経験、性格や心の状態もそうですけど、そういうところによって受け取り方が変わってくるというか、その人のものになったりする曲を作りたい意識がすごくあって。「どう聴いてほしい」とか「何を伝えたい」とかって、自分の手を離れた瞬間から自由なものになっていっていいと思っているので、聴く人に委ねられるといいなって。
--南壽あさ子の音楽ってどういう感想を述べられることが多いですか?
南壽あさ子:一番多いのは「透明感のある歌声」とか「綺麗で優しい」とか、そういう言葉ですかね。あと「言葉にするのは難しい」という声も多くて、それはすごく伝わってくるというか、嬉しいなと思っていますね。
--南壽あさ子の歌声は、いきなりヒットチャート1位を獲って大騒ぎされるものではないけど、数万人の心の拠り所として長く愛される。そういう可能性に満ちているものだと思うんですが、自分ではどう思いますか?
南壽あさ子:自分でも発言してるんですけど、流行とか、そういうものにはならなくても、自分が聴いてきた音楽、残っている音楽はいろんな世代に聴かれているものだし、若い人が歳を取ったときにもまだ聴けるような、それだけ柔軟性があって、普遍的なものなので、私の音楽もそうであったらいいなという想いは強く持ってます。
--例えば「わたしのノスタルジア」は、どういう想いや背景があって生まれたものなんですか?
南壽あさ子:これは、私が中学のときの通学路の帰り道をイメージしてるんですけど、自分の見た景色で心が揺れ動いたもののひとつが、その夕暮れの帰り道っていうシチュエーションで。学生時代、日々細かいことで悩んだりとか、人と人との関係で悩んだりして。その帰り道の夕暮れを見たときの切なさとか、何とも言えない胸が締め付けられるあの感じとか、それを歌にしたいなって、曲を書き始めてからずっと思っていたんです。で、歌詞の内容は、まだちょっと幼稚な時代なので、叶わないことを書いていたりして。
--この曲に限らず、南壽あさ子の歌ってどれも“あいする人”だったり“だいすきな君”が出てきますよね。自分ではどう思いますか?
南壽あさ子:それが恋愛感情とかだけじゃなくて、失ってしまった人とか、遠く離れてしまった人とか……または人間じゃない魚だったりとか、自然のものとか、いろんな相手になったらいいなと思っていて。だからすごく個人的な狭い範囲のものとも取れるし、実際はすごく大きい世界のこととも取れる。いろんな取り方ができるのも面白いなと思っていて、実際にそういう曲が多いとは思います。あとは、例えば、あんまりバラードばっかり作りたくないとか、そういう感覚は最初からあって。
--なるほど。
南壽あさ子:もちろん、生きている以上、人と人との関わりというのが一番大事な部分なんですけど、独りの心の中の内なるものも描きたいし、さっき話した風景とか、それと合わせて何か2人の物語があったりとか。ただ表向きのどうしたこうしたというところだけで終わらせたくない。あと、現代的な言葉を使いたくないっていうところもひとつテーマとしてあったりして。どこまでが現代的なのか、って難しいと思うんですけど、自分の中では線引きができていて、曲に乗せたいワードと「これは言いたくないな」というものがハッキリしています。
--あと、例えば「会いたくて会いたくて」的な、若者に引っ掛かる鉄板ワードとかも使わないですよね。
南壽あさ子:ストレートな感情は歌にも乗せやすいし、人にも伝わりやすいかもしれないですけど、もっと複雑な感情が交じり合った中でのストレートな感情を描き出さないと、表面的な言葉で終わってしまうから。
--描きたい世界は、童謡とか童話に近しかったりする?
南壽あさ子:童謡とか童話って大人が書いているものなので、子供が読むものっていうカテゴリーになっていても、実は大人が言いたいこととか、早くから伝えておきたいこととか、もっと言えば大人へのメッセージもすごく秘められているものなので、だからこそ絵本って残っているものが多かったり、ベストセラーになってると思うんです。なので、それを最初から意識していた訳ではないんですけど、そういう部分の重要性は感じています。
--あと、昨年末から今年にかけて。南壽あさ子は全国47都道府県ツアーを開催しています。これはどういった想いや理由があって実現に至ったものなんでしょう?
南壽あさ子:その前の冬に約30か所のツアーがあって、他にもいろんな場所でライブはしていたんですけど、ある場所に行けば、その隣の県から来てくれた人に「今度は自分のところにも歌いに来てくださいね」とか「こんなにいい場所があるんですよ」って教えてもらったりしていて。それがすごく気になっていて、だったら全部の都道府県を廻りたいと思って。
--思い切ったと。
南壽あさ子:で、ちょうどデビュー曲が「わたしのノスタルジア」という、自分の故郷を歌った曲だったので、いろんな人の故郷に赴いて同じ曲を届けてみたらどうなるんだろう?と思って、自分が見た風景も蓄積されていくし、良い経験になるんじゃないかっていう理由で始めて。実際、3か月半かけて47都道府県を廻ったんですけど、どんどんどんどん研ぎ澄まされていったというか、歌うことにすごく集中していった3か月半で。かなり良い体験ができました。
--でも大変は大変ですよね? 家に帰れない期間がずっと続いたり。
南壽あさ子:家には全然帰れませんでした(笑)。レコーディングも同時に行っていましたし、47都道府県ツアー以外にも今まで通りイベントはあったので、本当に歌わない日が全くないような状態。あと、私からしてみたら47都道府県ツアーということになりますけど、その各地に住んでいる人からしてみたら1つのライブなので、すべてフラットな気持ちで届けないと意味がなかったりもするので、大変さはすごく感じたんですけど、でも自分の意思で始めたというところで、「やり遂げたい」っていう強い気持ちがあって。
--南壽あさ子ってものすごくマイペースなイメージがあるんですけど、実は熱い人ですよね。
南壽あさ子:あーもう頑固で(笑)。走り出したらもう引かないというか。なので、47都道府県ツアーもすごくメラメラした状態で臨みました。
--47都道府県ツアーで得られたもの、強く感じたものがあったら教えて下さい。
南壽あさ子:「ひとりで戦ってるんじゃないんだ」っていうことをかなり実感できたツアーで。もちろん、人に聴いてもらう為に、届ける為に廻っていたんですけど、どんどん自分の周りに大きい輪が出来ていって、広がっていっているのがすごく実感できたし。自分が届けてるばっかりじゃなくて、たくさん応援してもらって、エールももらって、逆に「すごくもらっていたんだ」っていうことも実感できました。歌に関しては鍛えられていったというか、日々ちゃんと歌い届けるというところで精神面が鍛えられたなと思います。強くなった気がする。
--では、またやりたい?
南壽あさ子:やりたいです。数に意味があった訳ではないし、何回行っても新しく会える人がいたり、今まで見えなかったことが見えてきたりすると思うので、1回やって「達成した」という感覚とは違って。足を運ぶことに意味があると思ってやったことなので、これを続けることが大事だなと思ってます。「47都道府県ツアー」みたいに銘打って出来なくても、自分から行くっていうことをこれからもちゃんとやりたいなって思います。
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Interviewer:平賀哲雄
無条件に応援したくなる存在~亡くなった彼女に恥じないよう
--とてもシンガーソングライターらしいアクションですよね。メディアに出ていくことも大事ですけど、直接リスナーと会って歌ってしまうという、原始的なやり方は南壽あさ子の音楽や歌声にも合ってる。
南壽あさ子:それまで人と直接触れ合うことって苦手かなと思っていたんです、性格的に。でもその大事さをすごく学ばせてもらったというか、行けば聴いてくれる人がいるし、ひとりでも聴いてくれる人がいるなら歌う意味があるし、直接歌いに行くことで心と心で対話できたりとか、そういうところがあるので、廻れば廻るほど自分にとって意味があるなって。
--なんで直接触れ合うことを苦手と感じていたんでしょう?
南壽あさ子:人に自分から話し掛けたりとか、気さくな感じとはちょっと違うなと思っていて。何か場を与えられたらもちろん喋りますけど、ガツガツしているタイプではないので、お客さんとの直接対話とか苦手かなぁって思っていたんですけど、歌というものがあるおかげで壁が取れて、話し掛けてもらえたりとか。それでいろんな人の生活が見れるという点で、歌い手になってよかったなって思うことがすごく多くなりました。こういう職業でなければ、こんなにいろんな生活をしている人たちと話ができないし、知り合いになることすらないと思う。でもひとつの歌を通じていろんな人と関わりが持てるのは嬉しいですね。
--南壽さんは、積水ハウスの歌とかポッキーのラジオCMソングとか歌ってるじゃないですか。これ、きっと、南壽さんの歌声を気に入ったCMクリエーターの人が起用したんですよね?
南壽あさ子:はい。そうですね。
--それって凄いことで。南壽あさ子って過剰な宣伝や仕掛けじゃなく、純然たる声や曲の良さで人を引き寄せているんですよね。これって今の音楽シーンでは実に稀有な存在だと思うんです。
南壽あさ子:CMのお話とかは「偶然声を聴いて気に入った」とか、私のことを応援してくれている人が持ってきて下さったりとか、全部そういうことなので、そこはすごく良いなと思っているというか、これからも同じように進んでいったらいいなと思っていて。そうなると、みんな純粋な気持ちでひとつのものを作れるし、それが評価して頂けたら、全員が気持ち良く喜べるので。
--なので、南壽あさ子は声を届けてなんぼなんですよね。とにかく各所で歌っていくこと。そうすれば、自然と人も仕事も寄ってくる。
南壽あさ子:たしかに。どこかへ歌いに行くと、お客さんだけじゃなくて、関係者の人とかお店の人も何か繋がりを持たせてくれようとするので。あと、お客さんもお客さんの中でいろんなことを盛り上げようとしてくれる。みんな、流行りの音楽ではないことは分かってる。音数が多かったりとか、声が強いとか、そういう音楽でもない。でもそれが分かってる上でみんなが広がるように動いてくれているのは、すごく有り難いし、そういう風にしてどんどん輪が大きくなっていったら、とっても幸せな形。関わる人みんなが喜んでくれたらいいなって思います。
--関係者やファンの皆さんが、何故にそこまで広めようとしてくれるんだと思います?
南壽あさ子:あんまり自分では……有り難いという想いはすごくあるんですけど、どうしてかはちょっと……分からないというか。
--きっと心の拠り所になったからですよ。自分にとって大切な歌に出逢ったから。そういう人たちは損得勘定じゃないところで「この声を誰かに伝えたい」とか「自分がこの声で救われたように、誰かを救いたい」って思うんです。で、南壽あさ子はそう思わせる声と音楽を持ってる。
南壽あさ子:それはすごく嬉しいですね。実際に「辛いことがあったけど、救われました」っていうお手紙を頂くことも多くて、それをきっかけに知り合いで病気の人がいたら「南壽あさ子のCDを贈りました」っていう話も聞いたりして、そしたら47都道府県ツアーを廻ったときに、その人が「近くに来てくれるから行ける」ってなったり。全部そういう風にして回っているんだなと思って。自分が巡っていればいるだけいろんな出逢いがあって、繋がった誰かのところにまた届けに行ける……凄いことですね。
--この歌と直接届けに行くスタイルは合ってますよね。あと、今の音楽シーンを見渡すと、結構忙しいんですよ。何か売り出す為の話題づくりに必死だし、いろんな装飾しまくって世に出したり、ゴチャゴチャしているので、南壽あさ子の音楽とスタイルは逆に目立つし、出逢った人は特別なものを見つけた感覚になるんだと思います。
南壽あさ子:あんまり過剰な装飾は似合ってないと思うので、すべて自然な形で流れていったらいいなって思うし、長く歌い続けたいので、いきなり華やかな世界に行ってしまうと、それはそれで……って思うから、ちゃんと地に足をつけてひとつひとつ歩いていければいい。たくさんの人に聴いてもらいたいっていう前提はありますけど、何よりも残るものを作りたいですね。いろんな人の生活とか、普通の感性とか、常識的な感情とか感覚を忘れないところで生きていたいなって、最近特に思うので。
--日常にお届けする音楽をやってますからね。
南壽あさ子:そうですね。普通の日常に生きる人が聴くものだし、そこで何かを感じてもらえたりとか、何か救いになったり、励ましになったりとか、そういうものが音楽の良いところなので、自分と全く違う世界で生きてお届けするものではない。そのバランスは難しいですけど、大事にしたいと思ってます。
--今作『どんぐりと花の空』も、まさに“心の拠り所”に成り得る曲だと思うんですが、どんな想いや背景があって生まれたものなんですか?
南壽あさ子:最初にメロディーが出来たときに「山の歌をうたいたい」って思ったんです。それで段階を経て頂上へと登っていく流れを描いて。男の子と女の子がその山の中で夢を語り合っているんですけど、女の子が短い命だと知ったときに、男の子は過去にたくさん会っていた時間の中で「もっといろいろできたんじゃないのか」とか「もっと大切にできたんじゃないか」とか「残りの時間をどうやって過ごそう」とか考えて、いろんな後悔や悲しみに打ちひしがれるんです。で、やがて女の子は亡くなってしまって、男の子はもう一度山を登りながら、自分のことを振り返ったり、いろんなことを回想していくんですけど、頂上に辿り着いたらそこにはたくさんの花が咲いていて、美しい風景が広がっていて。
そこで、後ろを振り返ってばっかりじゃダメで、大切な人が残してくれたものをちゃんと大事にして、自分は前に進んでいこうって思ったり、誰かを失うということは全くのゼロになるということじゃなくて、ちゃんと残っているたくさんの記憶。それを今度は自分の次の人生に活かして、彼女に恥じないように生きていこうって思うんです。
--すみません、今の説明だけで泣きそうなんですけど。
南壽あさ子:(笑)。今回この曲をリリースすることになったときは、聴く人にとって失った人を思い出すきっかけにしてもらいたいと思ったし、今目の前にいる大切な人をちゃんと大切にしたいと思ってもらえたらって。そう思いました。
--これは自分でも泣けた曲なんじゃないですか?
南壽あさ子:この曲は凄い泣きながら書いていて。空想の世界ではありながらも、自分の気持ちがハッキリ出ている。「どうして 思うようには 人をだいじにできないの」っていうところが一番のキーワードなんですけど。
--今作のリリース以降はどんな展開を考えているんでしょう?
南壽あさ子:今年は本当にたくさん生み出す年にしたいなと思っていて。これまでは各所を廻って届けるというところにすごく力を入れていたので、そこで受け取ったものを自分で整理して、またいろんな創作活動に広げたりして、自分の内側と対面したいなと思ってます。
--ちなみに、南壽あさ子の夢や目標って何だったりするんですか?
南壽あさ子:近い目標では、野音でライブがしたい。なんでやってみたいかと言うと、お昼のフェスっぽい雰囲気から始まって、気付いたら夕方になって、暗くなっていって、照明の灯りでちょっと雰囲気が出てきて、ちょっと肌寒くなっていって……そうやって一日を体験しながら、肌で感じながらずっと歌を聴いてるっていうのは、すごく良いなと思って。それを自分の音楽でやってみたい。「この時間帯にはこれ歌って」とか、そういうことをやってみたいんです。
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