Special
Billboard JAPAN カンファレンス Vol.01:折田育造氏 <追悼再掲>
元ポリドール 代表取締役社長の折田育造氏が、2021年9月1日に逝去されました。ビルボードジャパンでは2013年に新シリーズ【Billboard JAPAN カンファレンス】をスタート。第一回目のゲストとして折田氏にご出演いただき、日本の洋楽シーンを牽引してこられた歴史を語っていただきました。イベントレポートを再掲させていただくとともに、ご冥福を心よりお祈りさせていただきます。
* * * * * * * * *
“ミュージック・マン”をゲストに迎え、過去を紐ときながら、これから訪れる音楽の未来を考えるビルボード・ジャパンの新企画【Billboard JAPAN カンファレンス】。第一回目は、元ポリドール代表取締役社長の折田育造氏を招き、日本でどうやって洋楽が広まっていったのか、レッド・ツェッペリンやロッド・スチュワートらの逸話を縦横無尽に交えつつ、音楽づくりの原点と情熱が語られた。
Guest:折田育造(株式会社BOOK代表取締役 / 元ポリドール株式会社代表取締役社長)
MC:渡辺祐、榎本幹朗
Guest Performance:Rie fu
Organizer:永田純
日本で洋楽が広がった時代 / 1950年後半~
渡辺:折田さんは、1959年に高校を出られて、慶応義塾大学に入られるんですが、音楽との出逢いは、やはりFENラジオの影響は大きかったんですか?
折田:僕が洋楽を聴き始めたのは高校の時からかな。当時のFENで毎週土曜日夜の20時30分からTOP20っていう番組があったんです。その前の20時5分からは、ナッシュビルからの番組があって。続けて聴いていたんですよ。毎週試験勉強もしないで、ラジオにかじりついて、聞き書きしてたよ。向こうの英語のアナウンサーは、早口だから大変だったな(笑)。
渡辺:榎本さん、そういう時代、どうですか?
榎本:僕、実はちょうど歴史を振り返る連載をやっていて、ラジオの歴史とかも調べてるんですけど、ちょうどその頃って、向こうはテレビが盛り上がってきていて、そこでかかってる音楽は、フランク・シナトラとかのポップスというか、上品な音楽が流行っていて。日本でも、まだロックは流れてなかったですよね。
折田:そうだね。テレビの黎明期だったからね。NHKでも、「ミッチ・ミラー・ショー」とか「アンディ・ウィリアムス・ショー」とかね。そういうのは、よく見てたな。たしかに、ロックって言ったって、せいぜい1950年代後半って、レイ・チャールズぐらいだったからね。
日本グラモフォン~アトランティック・レコード / 1960年代後半~1970年代
折田:日本グラモフォンでは、最初の二年間は、外国課にいかされて、コレポンとか著作権印税をやってた。それで、1967年にアトランティックの担当になったんだよ。一回目の担当は、ボビー・ダーリンの「If I Were a?Carpenter」とか、バッファロー・スプリングフィールドの「For What It's Worth」とか。テープ・オーダーする仕組みすら知らないから、最初は盤起こしからだよね。
渡辺:盤起こしっていうのは、レコード盤から直接音源を取るってことですよね。
渡辺:その後、1969年に、アメリカにアトランティックのセールス・コンベンションに行かれてますよね?
折田:そうだね。少しずつ、日本でもリズム&ブルースが浸透し始めて、ご褒美でアメリカに行かせてもらったんだよ。メインの目的は、ポリドールのアメリカのオフィスに行くことなんだけど、その時アトランティックが1年に2回セールス・コンベンションをやってて、それに行ったの。
榎本:ちょうどアトランティックが、一番盛り上がってる時ですよね。
折田:60年代に入って、R&B以外をやり始めたんですよね。ソニー&シェールを契約して100万枚も売れたんですよ。そこからアーメットは、ヴァニラ・ファッジとかクリームとか、ビー・ジーズとか、ブラック・ミュージック以外をやり始めたんです。
渡辺:折田さんのアトランティックとしてのデビューは、ブラック・ミュージックやR&Bですが、ロック音楽も、日本で紹介され始めた時だったんですね。
折田:そうそう。ジョン・レノンとかポール・マッカートニーとか、髪の毛長いし、よれよれの恰好だし、汚いから断ったの。バカだよね。笑。でも、その当時は、イギリスでも断られてたし、分からなかったんだよ。
渡辺:折田さんは、R&Bを担当されながらも、そういうロックが生まれてきた時代にレコード会社にいらっしゃったっていうのは、やはり大きな時代の動きを感じられたんじゃないですか?
折田:そうだね。なんか、すごいことが起きているなっていうのは感じたね。1970年代は、ロックがビジネス化する時代の前だから、エネルギーとかパワーが凄かったね。
渡辺:しかも担当されつつ、バンドたちの来日に立ち会えたのは刺激的だったんじゃないですか?
折田:刺激っていうか、大変だったよ。一番、悪いのはザ・フーと、レッド・ツェッペリンって言われてたの。1971年に日本に来たときなんか、ひどかったよ。物投げたりね。
渡辺:そういうの、僕らの世代では都市伝説みたいになっていますけど、本当にあったんですね。
折田:そうだよ。大変だよ。テレビも放り投げるし、昔のヒルトンに泊まったのはいいけど、お風呂の水も出しっぱなしだし、大阪のロイヤルホテルで暴れて、おもちゃの刀を振り回して傷つけちゃったりね。アメリカのアトランティックからは、事前に彼らが暴れるってことは言われてたから、損害は、印税から全部さっ引くことになってたんだ。
渡辺:印税から引いちゃうんですか?!
折田::当然だよ。笑。ロッド・スチュワートなんて、ワールドツアーの最後が東京だったから、明け方にメンバー全員でヒルトンのロビーでサッカーやっちゃったり。まあ、ロッド・スチュアートなんて可愛いもんだけど、ツェッペリンは悲惨ですよ。特にロバート・プラントなんて、広島のホテルのプラントを全部抜いちゃったりね。
渡辺:当時は、大変だったんですね(笑)。
折田:大変だったよ。それで1972年に、ディープ・パープルが来てライブを録って良いってことになって、当時、ジェフ・ベックとかのプロデューサーだったマーティン・バーチが来日して、一緒に作ったの。そこで、全世界で売れたアルバム「ライブ・イン・ジャパン」が出来たんだ。それ以降、日本でのライブ・アルバムを発売するのが流行ったの。
- < Prev
- マーケティングで音楽を作るわけではない / 1970年~
- Next >
Rie fu Sings the Carpenters
2013/09/04 RELEASE
DQC-1132 ¥ 2,619(税込)
Disc01
- 01.Dear Karen ~English version~
- 02.Sing
- 03.We’ve Only Just Begun
- 04.For All We Know
- 05.Please Mr.Postman
- 06.Superstar
- 07.Yesterday Once more
- 08.Close to You
- 09.Top of the World
- 10.Rainy Days and Mondays
- 11.A Song for You
- 12.I Need to be in Love
- 13.Dear Karen ~Japanese version~
4