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上間綾乃 『ソランジュ』インタビュー
制作に携わった誰もが涙したという新曲「ソランジュ」。沖縄音楽の歴史にその名を刻むであろう傑作の完成を記念し、Billboard JAPAN.comでは初の特集インタビューを敢行。BEGIN、Cocco、安室奈美恵など様々なトップアーティストを輩出してきた沖縄より、絶世の美女にして純然たる唄者 上間綾乃(うえまあやの)が日本中、世界中へと届けんとする音楽とは?
ずっと守り継がれてきたものだから、絶やしてはいけない
--生まれも育ちも沖縄で?
上間綾乃:そうなんです。うるま市っていうところで生まれ育ったんですけど、どんな街かと言うと……闘牛の街。闘牛用の大きいドームもあったりして、春の大会とかあるんですよ。父の日の大会とか、敬老の日の大会とか……
--何かにつけて闘牛なんですね(笑)。
上間綾乃:そういうところで育ちました(笑)。道歩いてたら、大きい闘牛が散歩してるんです。
--そこでどんな少女時代を送ったんでしょう?
上間綾乃:民謡どっぷり少女。友達が居なかった訳ではないんですけど、友達と遊んでるよりも民謡が一番楽しくて。その他に何やっていたか思い出せないぐらい、民謡にどっぷりでした。お婆ちゃんがやってて、三線(さんしん)教室通っていたので、その影響です。「超楽しそうだな」って思って、7才から習い始めて。1曲弾けるようになるまですごく大変だったけど、私が三線弾きながら民謡歌ったら、周りの大人たちが喜ぶんです。それがすごく嬉しくて、心地良くて。
--うるま市で暮らしてると、誰もが民謡って習うものなの? それとも上間さんは少し変わってる女の子だったの?
上間綾乃:変わってたと思う(笑)。民謡習っていたのは、ひとつの小学校に3,4人ぐらい。
--今では、三線の教員免許も持たれているんですよね?
上間綾乃:試験があって、最初は新人賞。で、優秀賞、最高賞の次が教師で、師範まであるんですけど、中学1年生から受験資格があるんです。私は有り難いことに教師まですべて一発合格で。
--それだけ上間さんが民謡/三線に没頭していたとき、他の子たちはどんな音楽を聴いていたんですか?
上間綾乃:ORANGE RANGEとかですかね? ……ですかねって、あんまり覚えてないんですけど(笑)。
--流行りのJ-POPに興味がなかった?
上間綾乃:聴いて、知ってはいるけど、グッと心に入ってくるのはいつも民謡だったように思います。自分から進んで流行りのJ-POPを聴くことはなかったですね。
--民謡オンリー?
上間綾乃:うん(笑)。高校3年生から本格的にソロで活動しだしたので、その中で知り合うミュージシャンからいろんな音楽を教えてもらうようになって。それからですね。民謡以外の音楽も自ら進んで聴くようになったのは。
--子供の頃って、漫画とかアニメとかゲームとかハマると思うんですけど、そういうものにも興味は……?
上間綾乃:周りでゲームボーイが流行っていたので、やってみたりはしたんですけど、そこまでのめり込みはしなかったんです。やっぱり何より民謡に興味があった。一番でしたね。
--そんな女の子がどのような経緯で「歌を職業にしよう」と思うようになったんでしょうか?
上間綾乃:「周りの人が喜んでくれるから、ずっと歌っていきたい」とは、習い始めた頃からあって。それを職業にしようとまでは思ってなかったんですけど、沖縄の民謡って今も新曲がどんどん生まれているところが特徴で。昔生まれた伝統芸の民謡同様、今、生きている自分が歌う歌も“民の謡(タミのウタ)”として表現していく。それって自然なことなんじゃないかと思って、高校3年のときに曲を書いてみたんです。進学/就職で本土に行く子が多くて、その友達に向けて今ある想いを歌にしようと思って、鼻歌で曲を作って。それはインディーズ時代、自主制作でCDリリースしているんですけど。
--そうして自身の曲を発表していく中で「沖縄の音楽の素晴らしさを伝えたい」という想いも?
上間綾乃:もちろん、それはずっとあります。ずっと守り継がれてきたものだから、絶やしてはいけないものだし、民謡は“民の謡”で私だけのものではないので、それを繋いでいく、紡いでいく、伝承していくというのは、今生きてる自分にとってとても大きな使命だと思っています。これからもそれをずっとやっていく想いは変わらず。それと同時に、自己表現として、今の想いを歌うオリジナル曲があるんですけど、新曲「ソランジュ」も魂とか精神、そこに込められる想いなどは、民謡と地続きのところにあるものなんですね。
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Interviewer:平賀哲雄|Photo:佐藤恵
BEGIN、Cocco、安室奈美恵……様々な先輩がいる中で
--その部分をちょっと掘り下げたいんですけど、最近のブログで「沖縄を「日本とは別の国」と表現したがる人が居る。正直傷つく私が居る。沖縄も日本です」と書かれていましたが、どういった心境であのブログは書かれたんでしょうか?
上間綾乃:「日本とは別の国」という言葉に、仲間になれていない感じがして。その人は悪気があって言っている訳ではないんでしょうけど、それを聞いたときに感じたんですよね。沖縄の人って明るいとか、ウェルカムな感じがあるって言いますけど、やっぱり人間はみんな同じで、そういう面もあれば、辛い過去を背負ってもいる。同じ国民だったら、沖縄の痛みも同じ痛みとして感じてほしいなという想いがあるので、あのときは寂しい気持ちになったんですよね。
--その寂しさに直面することは多い?
上間綾乃:ニュースを観ていて残念に感じることは多い。例えば「約束します」って言ったことを「やっぱり出来ませんでした」って言うじゃないですか。どうしようもない経緯があったのかもしれないけど、そういうニュースを小さい頃から沖縄で見続けているから「自分は約束を守る大人になりたいな」って思う。自分の気持ちを素直に歌にしようっていう姿勢にも、それは表れているのかもしれません。“ソランジュ”というのは、宇宙に生える生命の樹木で、その花々や葉っぱが自分たちの命。で、その花が落ちて、そこからまた芽が生えて、大木になっていく。そういう命の大きいサイクルを「ソランジュ」では歌ってるんですけど、同じ木に咲いている命同士、想いを共有できたらいいな、と思っています。
--ブログの最後には「人とひとを繋ぐ、架け橋になりたいと強く思う。」と書かれていましたよね。
上間綾乃:私は歌をうたっているので、私と人を繋ぐのは歌。歌をやってるからこそ今日こうして出逢えたし、ライブにも人が来てくれるし。だから私はその歌で繋がっていきたい、想いを発信して共有していきたい。今ここに何があるのか、私は何を想っているのか、この沖縄の言葉にはどんな意味があるのか。それをどんどん発信していきたい。そう想って書きました。
--あの言葉は、上間綾乃がいわゆるメジャーシーンで音楽をやる理由そのものだったりしますか?
上間綾乃:そこにも通じてると思います。
--ただの音楽好きだったら、わざわざメジャーデビューしなくても、沖縄で島唄をうたっているだけでも良いわけですからね。
上間綾乃:そうですね。ただ、元々はメジャーデビューしようとは思っていなかったんですよ。インディーズでもライブやったらお客さんは来てくれるし、それで少しご飯代がもらえればいいと思っていたので。でもそれだけでは表しきれない気持ちがあるって感じるようになって。そのときに、もう6年前になりますけど、日本コロムビアのプロデューサーの方がライブを観に来てくれていて。それで話してみたら、私が大事にしてきたものを大事にしてくれる人だし、私が発信したい想い、行きたい場所や伝えたい人に届けられる大きなチームを作れるんじゃないかと思ったんです。
--ちなみに沖縄の魅力を音楽で日本中に知らしめた先輩がいますよね。例えば、BEGINはどんな存在だったりするんでしょう?
上間綾乃:大先輩。沖縄のことを歌って、沖縄が注目されるきっかけにもなった人たちなので。沖縄から離れて活動して、テレビなどに出ている姿を観て、逞しいなと思ってました。勇気ももらいましたね。ちょこっとジャンルは違いますけど、土台にあるものは同じだと思うので、そういう先輩たちが頑張っている姿には刺激を受けます。島袋優(g,cho)さんとお話しする機会が一度あったんですけど、大先輩なのに構えずにいられる。気持ちがすごく良い人だったので、だからああいう音楽が生まれるんだなって分かりました。
--では、先程のブログの話とも通じますが、沖縄の現実を訴え続けているアーティスト Coccoには、どんな印象を持たれていますか?
上間綾乃:すごく真っ直ぐ歌う人。それは歌詞からも感じますし、誰にも媚びずに自分の想いを発信している。芯を感じますよね。そういう唄者(うたしゃ)としての芯はブレずにいたいなと、思わさせてくれるアーティストだと思います。自分発信が素直にできる人。
--沖縄が生んだスター 安室奈美恵には、どんな印象を持っていたりします?
上間綾乃:まさに別次元!
一同:(笑)
上間綾乃:ウチナンチューなんですけど、テレビに出ていても訛りが出ないし、別次元で頑張っている沖縄出身の凄いアーティスト。さすがに私と近い存在だとは恐れ多くて言えません(笑)。
--そういった様々なスタンスで活躍している先輩たちがいる中で、上間綾乃が打ち出していきたい音楽ってどんなものだったりするの?
上間綾乃:素直に今の自分を出して、今、思っていることを歌いたい。今まで20年やってきた民謡の要素を隠すのでもなく、捨てるのでもなく、壊すのでもなくて、それを土台としながらいろんなものを受け容れて、広げていきたい。あんまり狭くならないようにしたいです。
--実際にそうした音楽を全国各地で歌ってきている訳ですけど、届いている実感ってどのぐらいあったりしますか?
上間綾乃:もっともっと届けられればいいなと思っているので、今の状況にはまだ満足していなくて。でもライブで一緒に笑ったり泣いたりして、最後、送り出す際に握手する時間。それは短い時間なんですけど、言葉を掛けてくれる人がいて、「今日はいっぱい泣きました」とか「いっぱい笑いました」とか「あの曲で元気もらって、今は仕事頑張ってます」とか「助けられました」とか。そう感じている人たちが目の前にいてくれるのは、とても嬉しいですし、これからの活動の栄養にもなります。
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Interviewer:平賀哲雄|Photo:佐藤恵
制作に携わった誰もが泣いた新曲「ソランジュ」
--どうすれば自分の音楽が日本中に届くのか、響くのか。というのは、よく考えますか?
上間綾乃:今、世の中がどうなっていて、人々は何を思っているのか。で、自分が思っている気持ちを表すとき、何が歌えるのか。そういうことを考えたりしていて、今回の「ソランジュ」チームとも想いを吐き出し合うという、曲の作り方をしたんですけど。
--その「ソランジュ」チーム。作詞に康珍化(かんちんふぁ)、作曲に都志見隆(つしみたかし)といった、日本のヒット曲をたくさん生んできた方々が参加しています。
上間綾乃:曲を都志見さんに書いてもらいたくて、まずライブを観に来てもらったんですよ。そのときが初対面だったんですけど、握手しながら「ファンになりました」って言ってくれて。それで早速メロディーが生まれて、そのときはまだ歌詞はついてないんだけど、グッと来る何かがあって。次に、作詞に康珍化さんの名前が挙がって、都志見さんが繋いでくれたんです。そうしたら康さんは上間のことを深く深く調べてくれていて。上間が何を今までやってきて、何を大切にしてきたのか、とても理解してくれたんです。そして「ソランジュ」の音を聴いたとき、涙してくれたようで。もう何年も新曲を手掛けていなかったみたいなんですけど、やるって言ってくれて、このチームが出来たんです。
--なるほど。
上間綾乃:しばらく経ったらこの「ソランジュ」の歌詞が上がってきたんですけど、その歌詞にまず都志見さんが泣き、ディレクターが泣き、私もすごく込み上げてくるものがあって、「あ、この歌は私がうたわないといけない歌なんだな」って直感的に感じたんです。歌える、歌えないとか全く考えず、私が歌わないといけないって。レコーディングしたものを聴くっていう段階に入って、ちゃんとチェックする耳を持たないといけないから泣かないように我慢してたんですけど、パって見たらディレクターが先に泣いてるんですよ(笑)。それで私も我慢できず、他のスタッフも泣き出して。
--そんな曲、なかなか生まれるものじゃないですよね。
上間綾乃:今までも誰かに詞曲を書いてもらうことはあったんですけど、書いてもらう、作ってもらうって云うよりも、みんなで想いを出し合って生んだ曲なんですよね。だからみんなで泣いてしまった。泣きながら生まれてきた曲なんだなって、この「ソランジュ」にはすごく感じます。
--「私がうたわないといけない」と思った。そこまで思わせてくれる曲って今までもあったんですか?
上間綾乃:あるけど、作る段階からこんなに涙する現場はなかったです。PVは沖縄でアートディレクターの信藤三雄さんに撮ってもらったんですけど、それもまたグッと来るものがあって。信藤さんの事務所でPVのチェックをしたんですね。1回目を見終わった後、「あそこのシーン、もう1回見させて」とか言われると思っていたんですけど、チェックが終わっても、しばらく誰も何も言わないんですよ。そしたら涙の連鎖ですよ、また。
--それだけ誰もが涙する曲を生めた理由は何だと思いますか?
上間綾乃:やっぱりみんなが強い想いを持ってこの曲を作り上げたから、そこに尽きると思います。ただお仕事としてやった訳ではない。作曲は誰、作詞は誰、歌うのは誰っていう、もちろん役割はありますけど、線を引かずにみんなで手掛けたものなので、みんなの想いがしっかり入っている。うわべだけの歌って誰にも通じないと思うから、「ソランジュ」のような曲が生まれたことはとても嬉しい。
--上間さんが涙したポイント、琴線に触れた部分ってどんなところだったんでしょうか?
上間綾乃:説明的な歌詞はぜんぜんないのに、何かグッと心の奥底を掴まれるような感覚があって。今までの自分が出逢ってきた人の顔とか、あの日あの時のあの言葉とか、もう会えなくなってしまった人とか、そういうエピソードを思い出して、27年間生きてきた自分と重ねたときに涙が出る。だから周りの人生の先輩たちには、この曲を聴いてもっともっと想うことがあるんだろうなって。
--その「ソランジュ」、どんな風に世に響いてほしいなと思いますか?
上間綾乃:この曲のテーマは“手”。みんな「大切な人の手を離したくない」という想いを持っているとは思うんだけど、自分に余裕がないと、そこまで気が回らないんですよね。だから、この歌がふと、大切な“手”や“つながり”とか、そういうものを改めて思い出させるきっかけになってくれたらいいなって思います。
--あと、下地勇じゃないですけど、上間綾乃もまた海外で通用しそうなオリジナリティがありますよね。
上間綾乃:下地さん、凄いですよね。尊敬しています。私も海外行ってみたい。三線一丁持って。
--まだないんですか?
上間綾乃:中学校1年生のときにハワイへ行きました。師匠が行く【沖縄フェスティバル】についていったんです。沖縄移民がハワイにはたくさんいて、そこで歌ったらすごく歓迎してもらって。沖縄から渡航した何世かの人たちがエイサーやったり、民謡歌ったりしている姿を見て「あ、こんな離れたところにも沖縄の魂を持った人たちがいるんだな」って。あと、そのフェスティバルが終わった後、おじいちゃん、おばあちゃんたちがいる施設へ行くことになったんですけど、ほとんどの人が沖縄を故郷に持つ人たちだったんです。そこで師匠にひとりで歌いなさいと言われて、「懐かしき故郷」という沖縄民謡を歌って。沖縄から遠い国へ離れた人たちが、沖縄を想って、いつか親兄弟揃って笑いながら暮らしたいっていうような歌で、みんな、涙しながら聴いてくれたんですよ。私の歌で喜んでくれる人はいたけど、泣く人はいなかったから。しかも初めて会った、遠く離れている土地の人たち。「あ、私が歌う意味はここにあるんだな」って使命感が芽生えました。
--では、最後に、今後の目標を教えてください。
上間綾乃:ずっと歌い続けていくことです。
--どんな状況になろうと?
上間綾乃:そうです。どうなろうと、自分が好きな歌をうたっていく。好きなことをやるってすごく大変なエネルギーが要るけど、そういう道を仲間と一緒に歩いてもいきたいし、楽しくずっと歌っていられるように、ひとつひとつ頑張っていきたいです。
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Interviewer:平賀哲雄|Photo:佐藤恵
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