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川嶋あい 『YES/NO/T』インタビュー
代々木公園で遭遇して以来、10年強ぶりに川嶋あいと再会。10周年にして待望の初インタビューを敢行! 路上で歌う女性SSWの草分け的存在が、何があろうとポップミュージックを歌い続け、偽善と言われても社会貢献に勤しむ理由を語ってくれた。
もちろん、大ヒット曲『明日への扉』を今作ろうとしたらどんな曲になるか?をテーマに書き上げた「YES/NO」。亡くなったライバルに向けた追悼歌「T」についても。あと、全女性シンガーソングライター&そのファン注目の企画を提案。ぜひ最後までご覧下さい。
“歌手になる為に”というより“生きていく為に”
--インタビューさせて頂くのは初なんですが、デビュー前、川嶋さんが代々木公園で弾き語りをしていて。偶然にもその空間には自分しか居なくて、運命めいたものも感じて『歩みつづけるために・・・』『はばたける日まで・・・』を購入させて頂いたんですけど……。
川嶋あい:マジですか? ありがとうございます!
--CDの料金が曖昧で。
川嶋あい:最低300円以上(笑)。
--やたら安かった(笑)。今でこそ10年選手の、誰もが知る川嶋あいさんですが、あの頃ってかなり切実だったんじゃないですか? この先やっていけるのか、ちゃんとメジャーデビューできるのか、とか。
川嶋あい:かなり切実ではありましたね。何かと戦いながら……という感覚で、ずっとひたすら路上で歌っていました。どうやったら立ち止まってもらえるのか、模索しながら。曲によっては多くの人が立ち止まってくれるんですけど、そういうことを分析、研究したりして。でも冬になっちゃうと、本当に0人のときが何回もあるんですよ。春は1日で100枚以上売れたりすることもあったんですけど。そんな感じで3年ぐらい路上で歌い続けていたので、いろんな瞬間に立ち合っては、その都度、人がどうすれば反応してくれるのか考えましたね。
--あの頃って、ゆずの影響を受けた男性のストリートミュージシャンはたくさんいましたけど、女性ってまだまだ少なかったですよね? しかもキーボードでひとりっていうのは。
川嶋あい:そうなんですよ。今となれば、各地にそういうスタイルの女の子がいますけど、あの頃は制服着て弾き語りしているような女の子はいなかったです。
--それでも歌い続けた、当時の原動力って何だったと思います?
川嶋あい:“路上ライブ1000回”という目標を掲げていたので、ひたすらそこに向かって走れたんだと思います。石のように頑固に路上に立って(笑)。
--そもそも“路上ライブ1000回”“自主制作CD手売り5000枚”、それらの達成後に“渋谷公会堂でのワンマンライブ”という目標を掲げたきっかけって何だったんでしょう?
川嶋あい:まず“路上ライブ1000回”は、これだけやってダメだったら諦めようという気持ちで始めたんですけど、それをやっていく中でCDを制作したので“自主制作CD手売り5000枚”という目標も掲げて。で、渋公の前でライブをやったときに、自分のところには誰も居なかったんですけど、渋公にはたくさん行列ができていて。その光景を見て「1年後には渋公のステージに立ってたいな」と。
--それらを15歳からの3年ですべて達成していく訳ですけど、途中で辞めたくなったりはしなかったの?
川嶋あい:最初の頃はよく辞めたいと思ってましたね。まだスタッフとも出逢っていない、ひとりでやっていた時期なので。四谷で歌ってたんですけど、すごく挫けそうになって、何度も辞めたいと思いました。東京の街に馴れなくて、毎回泣いて帰っていたような気がします。
--なんで辞めなかったんだと思います?
川嶋あい:そのときは母の存在が大きかったですね。「もう辞めたいって思っとっちゃけど」みたいな話をしたときに、すごく怒られて。「九州の女やけん、ちゃんと根性持って頑張り」って言われて。母は誰よりも応援してくれていましたし、それに応えたいっていう気持ちが大きかったですね。あと、渋谷でやるようになって、一緒にレコード会社を立ち上げたスタッフに出逢ってからは、初めて東京で自分を解ってくれる人と出逢えた気がして、ちょっと希望が見えたんですよ。それで少しずつ前向きな気持ちになれました。
--そのスタッフとはどういう経緯で出逢えたんですか?
川嶋あい:路上ライブをやっていたときに、声をかけてくれたんです。その中にI WiSHのnao(key)もいたんですけど、naoさんの小さいスタジオみたいなところで一緒に音楽を作らないかって言われて、そこでデモテープを作ったりするようになって。そのうちに路上ライブも手伝ってくれるようになって、そこでどんどん信頼関係を築いていったような感じでしたね。
--僕には想像しかできませんでけど、音楽の道で成功することって、川嶋さんが生きていく為の必須条件だったのかなって。故に必死だったし、それに心打たれた仲間も集まってきた。
川嶋あい:そうですね。“歌手になる為に”というより“生きていく為に”やっていたような気がしますね。それぐらい追い込まれていたような気がする。
--音楽以外の選択肢は考えられなかったんですか?
川嶋あい:考えられなかったですね。そこで結果を出したいと思っていた。
--それはなんで?
川嶋あい:やっぱり母の存在。小さいときから母の期待に応えたくて歌っていたので、それは途轍もなく大きかった。レッスンに関しても厳しかったですし、どうしてそこまで私の歌に執着するんだろう?って思うぐらい、そこだけに命と情熱を注いでくれていたような人だったので。不思議なんですけど、それぐらい熱い人だったので、子供ながらにずっと感じていたんでしょうね。期待に応えなきゃって。
--まずは母親の想いだったんですね。川嶋さんが歌う理由は。
川嶋あい:母が私の人見知りを治す為に近くの音楽教室に連れて行ってくれて。それが音楽との最初の出逢いでした。
--母親の想いと、自分自身の「音楽で生きていきたい」という想いが重なった瞬間っていつだったんですか?
川嶋あい:自然と歌手になりたいと思っていたので、何か大きなきっかけがあった訳ではなかったんですけど、一度、母の「練習しなさい、練習しなさい」が口癖のようだったので、練習がすごく嫌になって。軽いプチ家出みたいなことをしたことがあったんですけど、音楽教室の先生のところへ結局行っちゃって(笑)。「あいは歌手になりたいのか、なりたくないのか。自分の気持ちはどうなの?」っていう風に聞かれて、自分と向き合ったときに「やっぱり歌うことが好きだな」と思いましたし、これが運命なのかなって幼心に感じて。嫌なこととか、辛いこととかあるかもせんけど、歌っていくべきなのかなっていうところに辿り着いたので。「じゃあ、お母さんのところに戻ります」とか言って帰って。あのときから真剣に夢と向かい合うようになりましたね。
--故に音楽で成功したかった訳ですね。ちなみに、路上ライブをやっていた頃の自分って、今の川嶋さんが会っても「凄い女の子だな」って思うぐらい、鬼気迫るものがあった?
川嶋あい:当時から見てくれているファンの方が話して下さったんですけど、「あの頃のあいちゃんは、炎のようだったんだよね。いつも燃え盛っていて、それで自分は立ち止まっちゃったんだよね」って。崖っぷちにいる感覚で路上に立って、その想いと共に生きていたと思うので、鬼気迫る何かはあったんでしょうね。自分が生きていく為に、自分である為にやらなければならないことだったので。
--念願の渋谷公会堂でのライブを実現できたときは、どんな心境だったんですか?
川嶋あい:目標にしていた場所に立てた喜びはあったんですけど、それ以上に途轍もなく大きな舞台だったので、「果たして歌い終えられるんだろうか?」っていう不安とプレッシャーもあって。ライブはいつも時の流れが速く感じるのに、あの日は物凄く長く感じた1日で、今でもその一瞬一瞬を思い出します。それまで隠していた「I WiSHのai(vo)です」っていうことを初めて発表するMCもあったりでドキドキしましたし、いろんなことがありすぎた15,16歳を経ての渋公ライブだったので、弱冠17歳だったんですけど、ちょっと走馬燈のように様々な場面が浮かんできたりして。今でも特別な1日だったと思います。
--あれから10年間、音楽の道を歩み続けられたことには、どんな感慨を持たれていますか?
川嶋あい:初めての渋公の1日は長かったんですけど、そこからの10年間はあっと言う間に感じます。本当に10歳ぐらいの感覚ですね。まだまだ道の途中で、成人もしていない。歩んでいる最中。
--あの頃の自分と今の自分、大きく変わった部分ってどんなところだと思います?
川嶋あい:あの頃は初めてのことがたくさんあって。レコーディングとかライブもそうですし、インタビューもそうなんですけど、自分の意思とかを伝えていくのがすごく難しかったですね。それまではただひらすら曲を作って、貯めて、路上に出て歌っていく毎日だったので、何かを言葉にして相手に伝えていくことに馴れていなくって。だからスタッフに協力してもらってインタビューの練習とかしてましたね(笑)。その頃に比べればちょっとはしっかりしてきたのかなって。
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リリース情報
YES/NO/T
- 2013/04/10 RELEASE
- 初回限定盤[TRAK-135/6(CD+DVD)]
- 定価:¥1,600(tax in.)
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関連リンク
Interviewer:平賀哲雄
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